ロジェストによる分析
王立学院講師ロジェスト・アンバーは、足を組み替え、エリックと江梨香のやり取りに耳を傾ける。
自分の役割は終わったようだが、部屋から出て行けとも言われない。興味本位で居座ってみることにした。
この雨では、宿で書物を紐解くほかに、成すことが無い身の上だ。
退屈しのぎにはよかろう。
若き二人の領主は、日々の些細な出来事や、統治に関わる重大事項、砂糖のギルドの運営などを語り合い、話題は尽きることが無い。
シンクレア卿が、"村人の新しい家を建てたいが、敷地が無い"と、愚痴をこぼすと、エリカ殿も我が事のように頭を悩ませる。
やれ、"敷地のために、畑はつぶしたくない"だの。"川沿いに空いている場所があるが、雨で増水すると危険が大きい"やら。"新しく家を建てようにも建材が足りない"とか。"前に作った計画表に照らし合わせて"云々と続き、二人の議論は白熱してゆく一方だ。
話には聞いていたが、本当に共同して統治しているのだな。
エリカ殿は自領は統治できているとは言えないが、ニースに関しては、完全に統治者のそれだ。
この差はどこから来るものなのか。面白い。
自然に会話に加わりながら、二人の若き領主について考える。
まず二人とも若い。
私よりも年下で、大人になったばかりと言える年頃だ。
大貴族や騎士の家で、前当主が不慮の死を遂げた後、若い跡取りが当主になる事は珍しくはない。跡取りがいないため、急遽、養子縁組したなどという話も聞く。だから若さだけでは、私の興はそそられない。
そもそも封建領主というものは、外から眺めているほど甘い生き方ではない。
権力に縁のない平民の目には、地位と資産に裏打ちされた安楽な人生に映るのだろう。しかしながら、そんなものは、彼らのほんの一面でしかない。
支配する者、される者、取り入ろうとする者、騙そうとする者、奪おうとする者。様々な人々の思惑が、怒涛のように押し寄せる。
この荒波を乗り切ることは、若い当主には荷が重い。
故に、年端のゆかない者が当主に就任すると、多数の大人たちが、間違えぬように、勝手なことをせぬようにと、周りを取り囲む。
良い後見人を得た者は成長し、悪しき者に惑わされた者は没落する。人を見極める目を持たぬ者は、自然と淘汰される。
彼らの世界では、ありふれた悲喜劇である。
だが、この二人を見ろ。
周りに煩い大人がいるわけでもなく、かと言って、孤独に佇んでいるわけでもない。
隣にいるのは、同じ不安と悩みと課題を抱えた対等な人間。
気軽に、何の衒いもなく、日々の食卓の会話のような親しさで、重大な決断を伴う事柄を話し合う。
部外者である私が、耳をそばだてていることも気にしていない。それほどまでに、あっけらかんとした様子だ。
我が国に限った話ではなかろうが、隣り合う領地を持つ領主同士は仲が悪い。
いや、そんな言葉ではぬるかろう。時には血を見る間柄と言っても過言ではない。
王都の王立裁判所に持ち込まれる訴訟の大半は、隣り合う領主による所領争いである。
一息で走り抜けられる程度の、僅かな土地をめぐって、何十年と争っている案件など、掃いて捨てるほどある。
大雨で川の流れが変わったとして、所領争いに発展した案件には、私も頭を抱えたものだ。
どうしろと。
それこそ、神々の気まぐれの結果であろうが。
人の身では抗いようのない、天変地異ですら争いの種なのだ。いや、天変地異だからこそ争うのか。どちらにせよ、争いそのものを楽しんでいるのかと、疑いたくなる。
これが、私の知る領主たちの日常だ。
偏った知見であることは承知しているが、真実の一片でもある。
それなのに、この二人ときたら、互いに助け合って統治することが、大前提ときている。
この一事だけで、いかにあり得ない状況であることかが、分かろうというものだ。
親族同士でも争いが絶えぬというのに、婚約しているわけでもなく、まして結婚もしていない男女が、協力して互いの領地を治めようとしている。
共に、論功行賞の結果、新たに領主になった為、他に頼る者がいないのは分かる。しかしながら、こうも和やかに協力し合えるものなのか。
私は、この二人の関係を、うまく説明できる言葉を持たぬ。
大雑把に括るのであれば、「友人」と呼べるのかも知れぬが、このような友を持つ者が、王国に幾人いることか。
羨ましいことだ。
そして、何よりも驚くべきことは、この二人の合議制による統治がうまく機能していることに尽きる。
私も色々な政治体制の領地を見聞きして来たが、このような例は唯一無二だ。
二人の領主が仲良く手を取り合って、統治していると言えば聞こえは良いが、結果が出なくてはただの絵空事でしかない。
しかし、このニースという領地は違う。違うのだ。
私はほとぼりを冷ますために、ニースへとやって来た。故郷に帰れと煩い、弟との言い合いの末にである。
シンクレア卿やエリカ殿から、ニースは海沿いの小さな村とは聞いていた。そして、それは事実ではあった。
だが、ニースは、ありふれた海沿いの村などではなかった。
この小さな村は、異様なほどに活気に満ち溢れている。
波打ち際では、漁師たちが見たこともない巨大な網を使って漁をし、多くの魚を捕まえる。それらは、村の工房で加工され、魚のハムという形で街に売り出されるらしい。
また、桟橋にはビーンを山のように積んだ船が、毎日のように接岸し、村へと至る道に、荷馬車の姿が途切れることは無い。
集められたビーンは、常に煙を吹き出し続ける工房へ姿を消すと、高価な砂糖へと姿を変え、また、道をさかしまに登ってゆくのだ。
それが、ここ一年で起こった出来事だというのだから、驚かずにはいられない。
私の故郷であるトリエステは、ニースよりも大きいが、もっと静かで落ち着いた佇まいであった。
だが、この村は違う。
村の中心部には、赤い大きな石積みの建物が立ち並び、それらが宿であり、酒場であり、ギルドであり、政庁であると説明されたときは、目を丸くしたものだ。
日々、砂埃とノミの音を響かせながら建て替え中の教会に至っては、完成すればトリエステのそれよりも巨大になるだろう。
今はまだ、小さな村にすぎないが、数年もすれば見違えるように発展することは目に見えている。
そして、二人のパトローネであるセンプローズ一門も、この事を承知している。確実に。
いや、センプローズだけではない。
難色を示すエリカ殿を押し切り、半ば強引に修道会を設立しようとしている教会や、なにかと便宜を図っているドーリア商会なども同様だ。
だからこそ彼らは、王都でのエリカ殿の行動を黙認、あるいは追認していたのだ。
今にして思えば、こちらに、もしくは委員会に気取られぬように、支援していた形跡すら感じる。
エリカ殿の、王都での数々の振る舞いが許されたのは、ニースの持っている将来性に起因していたという事だ。
思っていた通りの、恐ろしい女だな。エリカ殿という人は。
そして、それを受け入れ対等に付き合える、エリック・シンクレア卿という男も、ただ者ではないという事だ。
なにせ、ヘシオドス家から金貨数千枚相当の、ディアマンテルを引き出したのだ。恐ろしいまでの交渉力。
私に同じことが出来るかと問われれば、胸を張って"可"とは言えんな。
そんな、二人の若き領主か。
何か、嫉妬にも似た感覚が沸き上がる。
年下の者に、このような感情を覚えたのは、初めての経験だ。世の中は広い。
都落ちも悪いことばかりではないか。
ロジェストは愉快そうに、二人のやり取りを分析し続けるのであった。
続く




