返事の書きかた
江梨香がオルレアーノで、難しい話をしている頃。
ニースではエリックが、日々の労働に精を出していた。
お昼を過ぎたころに、複数の荷馬車の列がニースに現れる。買い付けしていたビーンが到着したのだ。
知らせを受けたエリックは、自ら荷台に上がり、籠に満載されたビーンの荷下ろしを行う。
荷台の周りにはギルドで働いている村人が集まり、荷下ろしされたビーンは倉庫へと運ばれていく。
「これも、向こうの倉庫でいいんですかい」
エリックから籠を受け取った、村人が訊ねる。
「いいや。他所から仕入れたビーンは、二つ目の倉庫に保管してくれ。村で採れたビーンだけが、こっちの倉庫だ。・・・分ける意味か。混ぜたら村の収穫と、仕入れの量が分からなくなるだろう。村の収穫と仕入れは別なんだ。混ぜて計算が面倒になると、どうして混ぜたと、エリカが怒るぞ。風の魔法を撒き散らしてな」
「うへ。勘弁して下せえ」
「だから、間違えないでくれよ」
「へい」
荷下ろしで汗をかいていると、側近のエミールが駆け寄ってきた。
「エリック様。グレ村から代表者がやって来たのですが」
「グレ村? 」
「はい。そう言っております」
エリックは、いったん荷下ろしの手を休めて記憶を探る。
「聞いたことのない村だな」
「レキテーヌの北の村らしいです。ビーンの取引の交渉にやってきました」
「エリカがいない間のビーンの買い付けは、モリーニに任せているだろう。彼に」
「いえ。取引の話は終わりました。今後の事も含めて、領主であるエリック様に挨拶したいとのことです。お会いになられますか? 」
「それは律儀だな。分かった。本部の応接室に通しておいてくれ。後で行く」
「分かりました」
エリックは再び手を動かし、ビーンの山と格闘を開始するのだった。
荷馬車は全部で六台。それらを手際よく片付け、本部の応接室へと向かう。
「すまない。遅くなった」
汗を拭いたエリックが二階にある応接室に入ると、旅装姿の男たちが立ったまま待っていた。
「ご領主さま」
「お目に掛かれて光栄にごぜいます」
男たちはいっせいにお辞儀をして、エリックに敬意を示す。
「ニースの領主。エリック・シンクレア・センプローズだ。遠いところよく来てくれた。さぁ。座ってくれ」
椅子をすすめると、男たちは、戸惑ったように辺りを見回す。
応接室には、ギルド長と副ギルド長の椅子以外は、長椅子が二つ。どちらも、赤い布張りに、ふんだんに綿が詰め込まれた高級品だ。彼らは腰を下ろすことに、躊躇している様子だった。
「遠慮はいらない。椅子は人が座るものだからな」
エリックに促され、グレ村の代表者たちは、おっかなびっくりとした様子で腰を下ろした。
彼らが腰かけた長椅子は、オルレアーノで鉄製品を扱っているクエッソン商会が、お近づきの証として送ってくれた品であった。
ひとしきり挨拶が終わると、一番年上の男が、懐から書簡を取り出した。
「ご領主さま。わしらの村の領主であられる、カラックさまからのお手紙です」
「カラック殿・・・」
差し出された書簡を受け取り、目を通し始める。
聞き覚えのない領主だ。
そんな騎士が第五軍団にいたかな。
疑問を抱きながら書簡を読み進めると、時節の挨拶に始まり、ビーンの取引の提案。そして、近いうちに領地への招待が書かれていた。
領地の名は「カランティク」と、記してあった。
エリックは内心で首を傾げる。
カランティク。どこかで聞いた名だが、思い出せない。
まぁ。いい。
近い内に招待したいと言われても、俺は王都から戻ったばかりで忙しい身だ。
直に蒐も始まるから、訪れるとしても来年以降の話だな。手紙にも日時は書かれていない。後回しでもいいという事だろう。
「グレ村のご領主。カラック殿のご厚意に感謝する。返事を書くので届けてくれるか」
「もちろんです」
「助かる。少し待ってくれ。ああ、それと、カラック殿の身分は騎士階級で間違いないな」
エリックは語気を強め確認する。
手紙を送る際には、相手の身分によって書式が変わってくるからだ。
この作法は一般的に、書札礼と呼ばれている。
エリックと同じ階級の騎士が相手だと対等な文言。平民階級の代官や村長相手になら、やや尊大に書かねばならない。この他にも教会や商会相手によっても書式が変わるのだ。
昔は代官として、将軍や上官に報告書を送るだけで事が済んだのだがな。騎士身分にもなると、そうはいかない。
目上、対等、目下と、手紙の書き方を使い分けねばならないらしい。
エリックとしては、新たなる悩みの種でもあった。
「はい。騎士様と言いますか。おい。ご領主さまは何だった」
「えっと。何だったかな」
確認を求められたグレ村の代表者たちは、戸惑ったようにひそひそ話を始める。
「確か。クレイデューの守りてとか何とか。間違っておるかもしれねぇが」
「そうそう。そんなお方だった」
「ワシも聞いたことがある」
その言葉に、エリックの手紙を書く手が止まった。
「ちょっと待ってくれ。それは二つ名というものではないのか」
「へえ。わしらの領主さまは、そんなものをお持ちだったはずです」
代表者たちの言葉に、嫌な予感を覚える。
二つ名は正式には称号と呼ばれる。それは普通の騎士で所持している者はいない。
エリックの身近で称号を持っているのは、王室直属、ガーター騎士団所属のコルネリア一人だけであった。
それも「守りて」の称号となると・・・
不安を覚え、領主の詳しい身分を問うたが、確かな答えは得られなかった。
「騎士さまで間違いありません。とても偉いお方です」
この者たちも、よく知らないようだ。仕方がないな。
「少しだけ待っていてくれ」
「は、はい。それはもう」
カラックからの書簡を手にし、エリックは一階へと降りる。すると砂糖の保管所から、マリウスの妹が現れた。
名前はアネット。
兄と同じ亜麻色の髪を持ち、兄と同じように頭の回転が速く知識の幅も広い為、エリカにも重宝されていた。
アネットは、ぶつぶつと独り言をつぶやきながら、帳簿を確認しており、こちらには気が付いていない。
「アネット。少しいいか」。
「ひゃ・・・エリック様・・・私ですか」
「ああ」
「ひゃ、ひゃい。何なりとお申し付けくだしゃい」
突然、声を掛けられたため声は裏返り、大きな瞳が何度も瞬きを繰り返す。鼻の上にはそばかすが広がっていた。
ニースでは見かけない、独特の愛嬌のある娘だ。
「聞きたいのだが、カラックという名の騎士について心当たりはあるか」
「カラック・・・様」
「知っていたらでいい」
僅かに考え込んだアネットが答える。
「・・・いいえ。存じません」
「カランティクの領主で、クレイデューの守りての称号を持っているらしいのだが」
「称号持ちの騎士ですか。確か、カランティクは北方の港町の名前のはずです・・・すみません。記憶が曖昧で」
「いや。いいんだ。邪魔したな」
恐縮するアネットを残し、エリックは廊下を進んだ。
こうなったら尋ねる相手は一人しかいない。
エリックは、バルテンのもとへ向かう。
エリックの家臣筆頭を務めるバルテンは、一階の大部屋でマリエンヌを相手に話し込んでいた。
これは都合がいい。
マリエンヌ嬢は以前の宣言どおり、自発的にギルドの仕事を手伝ってくれている。そしてニースでも一番の教養を持った人物だろう。無教養な俺でも分かるほどだ。
エリックはそんなマリエンヌに期待して、あえて彼女にも聞こえるように話しかける。
「バルテン。カランティクの領主。カラック殿について何か知らないか」
「カランティクの領主でございますか。カランティクは、北海に面した重要な港町ですが、領主となりますと、はて? 誰だったか」
「バルテンでも知らないか」
「申し訳なく」
「いや、いいんだ」
「ご領主様。僭越ながら、私が申し上げてもよろしいでしょうか」
マリエンヌが小さく手を挙げた。
「はい。勿論です」
期待通りの反応で助かる。
「カランティクの領主。カラック・タナトス・ヘイゼルクロイツ様は、伯爵の位をお持ちの貴族です」
「伯爵!!」
思わず大きな声が出てしまった。
「はい。『クレイデューの守りて』の称号を、代々継承なさっているお家柄です。クレイデューとは、古いエルトマン語で、北の海岸線を意味します。さしずめ北海の守護者という意味でしょうか」
「では、貴方の家、ヘシオドス伯家と対等な家柄ですね」
「はい。家格を比べると、そう言えます」
「くっ・・・」
自分の嫌な予感が的中した。全身に冷や汗が流れる。
何が騎士階級だ。大きな領地を持つ貴族じゃないか。それに気づかず、対等な返書をしたためたら・・・考えただけでも恐ろしい。
危ないところだった。
「タナトス伯家は御領地こそ大きくはありませんが、非常に力の有る家です。当家だけではなく、クールラント一門とも、古い付き合いがあります」
「直接の面識が御有りですか」
エリツクのこの質問は、マリエンヌを傷つける結果となった。
「はい。いいえ。この身とは、繋がりの切れたお家です」
「そうでしたか」
カランティクの領主タナトス家は、王都での謀反人騒動時、マリエンヌが助けを求め、拒絶された家であった。
マリエンヌの護衛はタナトス家の者によって、彼女の目の前で斬られた。この事は、ニースの誰も知らぬことではあったのだが。
マリエンヌは一呼吸つき、心持を整え尋ねる。
「そのタナトス家が、どうされましたか」
「それが私の元に書簡が届きまして、領地に、カランティクに私を招待したいと書かれていたのです。どう対処したらいいものか・・・」
「面識のないご領主様を招待? その書簡を拝見してもよろしいでしょうか」
「ああ。これです」
「拝見いたします」
マリエンヌは、エリックから手渡された書簡に素早く目を走らせた。
「これは・・・招待したいとは書かれておりますが、ただの挨拶状かと思われます。ご当主のカラック様、直筆の署名がございませんし・・・ご領主様、この書簡はどのような方が、お持ちになられたのですか」
「ニースと取引をしたいという村の者たちです。確かグレの村だったか」
「でしたら、お取引のための挨拶状と受け取ってよいでしょう。正式な招待状でしたら、当主直筆の署名がありますし、何よりも格式ある使者を立てるのが習いです。タナトス伯ほどの家が、正式な招待状を領民に届けさせるなど、聞いたことがございません」
マリエンヌの断言に、肩の荷が下りたような気分になる。
どうやらただの挨拶で、本気の招待ではないらしい。
助かった。見知らぬ貴族からの招待なぞ、迷惑以外の何物でもない。それが伯爵ともなれば猶更だ。
「ありがとうございます。助かりました。ただの挨拶文であれば、こちらとしては、気にすることは無いという事ですね」
「はい。祐筆の方がご領主様に、親しみを持って頂くために書かれたものと推察いたします」
「そういうものですか」
「はい」
これが貴族の作法というものなのか。
実に不可解なことをする。招待する気が無いのなら書かなければよいだろう。書いてあることと、意味が乖離していると、無用な混乱を招くだろうに。
しかし、困ったな。
これからは書いてあることと、真意が違う書簡が増えるのかもしれない。そうなった時、俺は正しく意味を理解できるだろうか。実に心もとないぞ。
エリカも、王都で回りくどい手紙相手には困っていたしな。
そんな、エリックの悩みを見透かしたのか、マリエンヌは新たなる提案をした。
「ご領主様。カラック様への返信ですが、よろしければ、私が代筆いたしましょうか」
「貴方がですか」
「はい。ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんてとんでもない。是非に」
エリックが思わぬ提案に飛びつくと、マリエンヌが微笑む。
「お任せください。高位の貴族相手への書札礼は、慣れておられない方には、難しゅうございます。今後ともわたくしにお任せくださいまし」
マリエンヌ嬢は、公式には死んだことになっているとはいえ、れっきとした上流貴族の生まれ。この様な作法に通じておられるのだろう。ここは、その力に縋るべきだ。
エリックは即断する。
「ありがたい。お願いできますか」
「はい。承りました」
自分にしか出来ない仕事を与えられたマリエンヌは、嬉しそうに返事をした。
続く
書札礼について、描きたいだけのお話となってしまいしまた。歴オタの悪い癖が出てしまいました。申し訳ございません。
そうは言っても、私も詳しくないんですけどね。書札礼。
謙遜ではなく、マジで上辺だけの知識です。大目に見てつかぁさい。
書札礼は支配者にとって、難しい問題です。知らないと、赤っ恥をかくことにもなります。
一例を出すと、若い時の織田信長は書状の中で、自身の官途を「上総守」と書いて、大恥をかきました。この官途は、もちのろんで勝手に名乗ったものです。
これがいけなかった。
任官していないのに勝手に名乗るのは、当時の通例でしたので、そこは問題ありません。
問題だったのは「上総守」です。ご存じの方もおられるとは思いますが、上総の国は、いわゆる「親王任国」です。天皇の息子以外、この官途に就くことはありえません。
お前はいつから親王になったんじゃい、ってお話です。
勝手に官途を名乗るにしても、名乗っていいのと駄目なのがあるんですよね。
上総守はあかんやつ。それを名乗っちゃったんですね。
恥ずかしぃー。
これ以後、ノッブは「上総介」を自称するようになりました。
何故か上総に拘るんですよね。書き間違ったってことにしたかったのかな?
後は上杉謙信の「里見太郎君事件」ぐらいですかね。書札礼ネタで知ってるのは。




