塔にて
エリックを始め、多くの人から心配されている江梨香ではあったが、当人はいたって元気であった。
明るく爽やかな日差しを、大きな帽子で防ぎながら、オルレアーノに向けて快調に駒を進める。
今、一番の懸念事項は、日焼けとシミそばかすの発生だ。
腕の日焼けは半ば諦めたが、顔に関しては何としてでも死守するつもりである。
エリックの母、アリシアから貰った麦わら帽子を、さらに深くかぶるのであった。
そんな江梨香の足元は、冬から続けられている改良工事で、格段に進みやすくなっていた。
ノルデンたち工兵隊の尽力によるものだ。。
荷馬車一台が、どうにか通り抜けられるような曲がりくねった小道は、余裕をもってすれ違う幅を持った直線道路に置き換えられ、雨が降って増水すれば危険度の跳ね上がる小川には、木製の橋がかけられ、いつでも安全に渡れる様になった。
進む速度は、初めてオルレアーノへと向かったころとは段違いに改善されている。
オルレアーノへ向って進むと、かなりの頻度で大きな荷物を担いだ行商人や、ニースに物資を運ぶ荷馬車の列とすれ違う。
ただの寂しい田舎道であった、ニース、オルレアーノ間を、今では多くの人と物が行き交っていた。
両者の物流が良くなれば、レキテーヌ地方全体の経済基盤も強化される。
軍団付きの工兵隊を派遣した、レキテーヌ侯爵の戦略眼は確かなものと言えよう。
荷台には砂糖精製の燃料となる薪や炭、そして原材料のノルトビーンが山積みされていた。
江梨香は思う。
荷物を山積みに出来るのは、道が良くなっている何よりもの証であると。
あれらの物資はニースへと運び込まれ、より商業的価値の高い砂糖へと生まれ変わる。その砂糖はオルレアーノから各地へと配られ、やがて資金へと姿を変えて、再び手元へと帰ってくる。
帰ってきた資金は、ギルドやニースに再び投資され、更に大きな利益を生む下地となり発展するのだ。
これら物資と資金とサービスが循環することにより、ニースは更なる躍進を果たせる。そしてニースの領主であるエリックの立場も自然と強化されるのだ。
そこに、何の疑いがあろうか。
砂糖単体のモノカルチャー経済の危うさは含んでいるものの、江梨香が構築したエリックを出世させるためのスキームは、もはや一つの到達点を迎え、管理者である江梨香が手をこまねいていても、半ば自動的に展開していた。
ニースへと向かう荷馬車の列は、江梨香がこれまで考え実行した戦略が、上手く回っていることの何よりの証明であった。
だが、この光景にも満足しない者がいる。
その名は窪塚江梨香。
21世紀の日本から異世界へと飛ばされた、自称「可哀そうな女子大生」である。
彼女は思う。
「確かに発展してきた。けれど、まだまだよ。こんなものやあらへん」
道がまっすくで、川に橋が架かっているなんて、現代日本ではデフォルト仕様。特に褒められたことではない。基本中の基本。
本当の発展はこれからなのよね。
そんな気分であった。
そのように考える彼女は、ある種のウィルスにも例えられようか。ウィルス進化論ではないが、宿主に寄生して、内部から強制的な進化を促すウィルスに。
荒っぽく言えば、窪塚江梨香とは、「現代日本から渡来した、異世界への文化的侵略者」なのかもしれない。
そんな異世界からの侵略者は、羽黒の手綱を持ちながら王都での出来事を思い返す。
今回の王都滞在は、色々ありすぎて大変だった。
当初の目的は、私と同じ境遇の日本人探しと、市場の価格調査。
だけれども、どちらも手つかずの内に大事件に巻き込まれた。
いや、巻き込まれたというのは不正確かな。自分の意思で挑んだから、挑戦したってことにしておく。
切っ掛けは、私の不注意で怪我をさせた女の人が、実は謀反人の娘で、指名手配犯だったこと。
偶々ぶつかった人が事件の容疑者って、どんな偶然よ。
そしてこの偶然は、さらなる混迷への序章でしかなかったのよね。
謀反人として逮捕されたマリエンヌだけど、その逮捕は実に不当なものだった。
本当に謀反を企んでいたのなら、逮捕されても仕方ないけど、そうではなかったから。
彼女の身内が謀反をしたから、ついでに処分。
俗にいう、連座制の適用により一族郎党皆殺しってやつ。こっちの世界では、割と常識的な判断なのだろう。
でも私は我慢ならなかった。
そんな理不尽は、到底看過できなかったのよね。
謀反人の身内として、今後の生活が肩身の狭いものになるのは仕方ないけど、本人が謀反をしていないのに、十把一絡げに処刑はやりすぎよ。
ほとんど、ヤクザの因縁。
私はヤクザと毛虫が大嫌い。
だから力の限り、王都の権力者相手に抗った。
どうしてそこまでするのかと皆が不思議がったけど、特に大きな意味はないのよね。
一番の理由は、気に入らないから。
もう一つの理由を挙げるとしたら、縁かな。
袖振り合うも他生の縁。
私とマリエンヌは縁があったってこと。なのに見て見ぬ振りしたら、一生後悔しただろう。
本気で、全力で、持てる力の全てを使って抗ってみた。
今思い返すと、あの行いは善意などではなく、私のエゴだったけど、後悔はしていない。
後悔はしていないけど、後ろめたいところはある。
それはセンプローズ一門を始め、沢山の友人、知人に迷惑をかけてしまったこと。
特に、エリックには大きな迷惑をかけてしまった。
でも、エリックは嫌な顔もせず私の事を助けてくれた。戦場になったメルキア地方で、裁判費用を工面してくれたのだから。
どれほど感謝しても足りない。
ただでさえ、命の恩人なのに、私の無茶にまで付き合ってくれた。恩を返さないといけないのに、更に借りてしまった。
なにやってんのよ。私。我ながら情けない。
結果としてだけど、エリックや友人たちの力を借りて、どうにかマリエンヌの命を助けることだけはできた。
出来たけど、本当にギリギリの勝利だった。
もう一回やれと言われても絶対に無理。次は高確率で失敗する。そんな、薄氷の上の勝利。
これが、私の王都での滞在記。
正直、これだけでお腹いっぱいです。
もう、食べられません。
だけども、やんぬるかな。
最後の最後に、特大のデザートが待ち構えていた。
いや、あれはデザートではなく、もう一つのメインディッシュに違いない。
裁判という名の、分厚い牛ヒレ肉のステーキを食べきったと思ったら、すかさず二皿目の魚料理が出てきた気分。
えーって感じ。
それが、ガーター騎士団長との面談だったのよね。
時は暫し遡り、王都エンデュミオン。
街外れの森にそびえ建つ、ガーター騎士団長の不思議な塔での出来事。
「コルちゃんは行ったかな・・・うん。行ったみたいだね」
エリックとコルネリアを下の階に送り出した団長は、階下へと繋がる扉を確認すると、満面の笑みで振り返る。
そして、次の瞬間、彼の口から衝撃的な発音が、江梨香の鼓膜に向かって飛んできた。
「よし、エリカ。ここからは日本語で話そう。いいよね」
「へっ」
それは本当に、本当に久しぶりに聞いた日本語。
教会の人々が口にする、ロンダー製日本語ではなく、本家本元の日本語であった。
江梨香は両目と口を大きく開けて固まる。
無理もない。
ほぼ、一年半ぶりに聞いたのだから。
「僕の予測が正しければ、君は異世界人。正しくは日本人。そうだよね」
明瞭快活、ネイティブ日本語。
そして、こちらに来て初めて、自分の正体を正確に言い当てられた。
「あっ、うっ、えっ」
あまりのショックに、なかなか日本語が出てこない。
まごついていると、目の前で緑の髪の毛が、不思議そうに揺れた。
「あれ、僕の日本語、変かな。結構、自信があるんだけど」
江梨香は慌てて言葉を紡ぎだす。
「いいえ。完璧です。完璧な日本語」
「なら良かった。それが分かるということは、エリカも日本人だね」
「はい。日本人です」
壊れた機械人形のように何度も頷くと、団長は少年のような笑みを浮かべる。
いや、見た目は完全に少年なんですけど。
「やっぱりね。だと思ったんだ」
「どうして・・・」
「どうして日本人か分かったのか、知りたいんだね」
「はい。知りたいです」
「いいよ。教えてあげる」
江梨香は食い気味に、身を乗り出すが、団長に一呼吸置かれた。
「でもその前に、自己紹介するね。僕の名前はメルメグ。王国一の魔法使いさ。王宮や騎士団のみんなからは団長とか、大魔法使いとか呼ばれている」
「大魔法使い・・・」
「うん。なにせ僕に勝る魔法使いは、この国にはいないからね。えっへん」
メルメグは両手を腰に当てて、威張って見せる。
その微笑ましいしぐさに、自然と笑みがこぼれた。
「大魔法使いメルメグ様ですね」
「様なんていらないよ。名前でいいよ。あっ、そうだ。エリカは僕の事を、メルちゃんって呼んでいいよ。特別にね」
「いえいえ、流石に辞退します」
「えっー。遠慮しなくていいのに」
遠慮と言いますか、親戚の子じゃあるまいし、初対面の人にメルちゃん呼びは無いです。
これまで出会った人の中で、一番フランクな人やわ。
それよりも。
「あの、団長は・・・その、日本人なのですか」
見た目は、こっちの人。と言いますか、こっちの人でもない。
長い耳に、緑色の髪の毛。一体全体、どちらの人ですか。
「半分はね。うーんと、なんて言ったかな」
「もしかして、ハーフですか」
江梨香の言葉に団長は、我が意を得たりと言った表情を浮かべた。
「そう、それ、ハーフ。僕は日本人とのハーフなんだ」
「と言いますと」
「うん。師匠が、父さんが日本人だったよ」
はぁー。日本人と異世界人のハーフ。そんな人もいたのね。
成程。こっちの人との間にも、赤ちゃんできたんだ。
次元だか時空だかは違うけど、やっぱり同じ人類なのね。勉強になります。
と、なると、日本語はお父さんから教わったのね。通りで日本語がペラペラなはずだわ。
これまでも日本人の存在を匂わす痕跡とかは各地にあったけど、生きた証と言いますか、直接の関係者と遭遇したのは、これが初めて。
「父さんは凄い魔法使いなんだよ。僕は父さんから魔法を教わったんだ。だから僕は父さんを師匠って呼んでいる」
魔法使いか。奇遇なことに私も魔法が使える。
使える理由は、全くもって不明。
ある日、突然発現したからね。
もしかすると、こちらに来た日本人は、全員が魔法使いになるのかな。
サンプルが私と団長のお父さんの二例しかないから、断定するには数が少なすぎるけど、一般人と魔法使いとの人口比から推察すると、あり得ないことではなさそう。
「この魔法の塔は、師匠が作ったんだ。凄いだろう」
「はい。凄いです」
素直に感心した。
隠蔽能力と言いますか、防犯能力と言いますか。とにかく魔力の発現力が凄すぎて、意味が分かんないレベルですよね。
「その、お父様はどちらに」
一番気になることを口にすると、少年の顔に初めて陰りが表れた。
あれ。何か不味いことを言ったのかな。
続く
いつも本作にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
第三章からは、カクヨムで先行配信させていただいております。
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