夜道には気を付けろ
レキテーヌ侯爵の応接室で繰り広げられた感動的な再会劇を、複雑な眼差しで見つめる人物がいた。
マリエンヌのディクタトーレ、ロジェスト・アンバー、その人である。
やがて江梨香がマリエンヌを連れて部屋を出ていったが、ロジェストは同行しなかった。
それどころか一段と厳しい表情を湛え、部屋の中心に向かって歩き出す。
事の次第を侯爵に問いただすためである。
状況を見るに、それまで不干渉を貫いていたセンプローズ一門が、方針を撤回したことは明らかであった。
一門がなにかしらの工作をした結果、マリエンヌ嬢は解放されたとみるべきである。その動きはこちらに一切知らされておらず、自分たちの与り知らぬところで、事態は終息してしまった。
これほど釈然としない幕引きがあろうか。侯爵の口から、納得のいく説明をしてもらわねばならない。
意気込んで歩を進めようとしたが、その歩みは四歩目で停止を余儀なくされた。ロジェストの前に、一つの影が立ちふさがったからだ。
「どけ。アラン」
行く手を阻む弟に、乱暴な言葉を投げかける。
「そうはいかない」
同じような強さの言葉が返ってくる。
「侯爵閣下に話がある」
「そんな顔で何をするつもりだ」
「聞こえないのか。話があると言った」
苛立つロジェストに、アランが一歩踏み込む。
「それが話をする顔か。向こうの鏡で確かめてくるといい。今のあんたの顔は会話をする顔ではない。狼藉者のそれだ」
「狼藉? この私がか。馬鹿にするのも大概にしろ。そもそも私は寸鉄帯びていない身だぞ」
「素手でも人は害せる。知らないのか」
「お前と一緒にするな。私は暴力が嫌いだ」
「私も嫌いだ。だから止めている。私に暴力を振るう機会を与えないでもらいたい」
アランの言い草に、ロジェストは鼻から息を吐き、両手でほほを叩く。
甲高い音に、周囲の視線が集まった。
「分かった。冷静に落ち着いて話す。口論も暴言もなしだ」
「当たり前だ。閣下に口論や暴言を吹っ掛ける奴があるか。身分をわきまえろ」
「わきまえている。だから通してくれ。マリエンヌ嬢について、事の経緯を伺うだけだ。これはディクタトーレとしての役割だ。必要なことなんだ」
アランは兄の様子をしばらく眺め、落ち着きを取り戻したと判断する。
「私が見張っていることを忘れるなよ。何かあったら叩きのめす。手加減はしない」
「決まりだ」
「・・・いいだろう。ここで待っていてくれ」
そう言い残すと、アランは侯爵に近づき耳打ちする。
ロジェストの姿を一瞥した侯爵は、右手を前に出してこちらに来いと身振りをした。
「この度の裁判、ご苦労であった。ロジェスト・アンバーよ」
アランの監視のもと、御前に進み出たロジェストに対し、侯爵は持ち前の大きな声でねぎらいの言葉をかける。
「ありがとうございます。それで、伺い」「閣下」
アランの横やりに、ロジェストは渋々といった態で言いなおす。
「ありがとうございます。閣下。恐れながら二、三、お伺いしたいことがございます。お許しいただけますでしょうか」
「許す」
遜って見せるロジェストに、侯爵はにやりと笑った。
「では、どのような経緯で、マリエンヌ嬢は解放されたのでしょうか。推察いたしますに、閣下と委員会との間で、何かしらの取引があったのではないですか」
「当然の結論であるな」
侯爵は満足そうに頷いた。
「其の方の申す通り、儂が口添えする形で委員会と交渉した。その結果として、マリエンヌ嬢は解放されたのだ」
「やはり。具体的には」
性急な物言いにアランは眉をひそめたが、侯爵は気にも留めていなかった。
「十人委員会としては、このままマリエンヌ嬢を無罪放免にする訳にはいかんのだ。理由は分かるな」
「マリエンヌ嬢を立件した委員会の面目に関わるからですか」
「少し違う」
侯爵の返答は予想していたものとは異なる。
「違うのですか。では、何が」
「あの娘を放免とすることは、委員会としても同意できたことだ。しかし、これを言うのは少々酷かもしれんが、貴様が、いや、エリカも含め貴様たちがやりすぎたのだ。それが無ければ、事はもっと穏便に済ませられたのだがな」
「私やエリカ殿の責任ですか」
「心当たりがあろう」
「いえ。特には」
「とぼけおって。貴様たちは、必要以上に十人委員会を追い詰めたのだ」
「追い詰められた結果ですか。これは」
「そうだ。委員会主席のメルロー卿も、この事態に頭を抱えておった。儂が話を持ち込むと、二つ返事で飛びついたほどだ」
「何をやりすぎたのでしょうか。連座制の拡大については、必要不可欠な手法でした。閣下からは暗黙のお許しを得ていると思っておりましたが、違いましたか」
「そこで、止めておればな。だが、そうではなかった。余計な真似をしでかしおって。エリカが賊に襲われたのは致し方ないことではあったが、その後だ。屋敷で大人しくしておけばよいものを、お前たちは何をした」
「何をと言われましても」
侯爵の問いに、ロジェストは考え込む。
「・・・エリカ殿が開催した音楽祭ですか」
「そうだ。よくもあのようなことを思いつく。そこは褒めて遣わす。予想外の仕儀であったからな。だが、それがやりすぎなのだ。あれで委員会は決定的に追い込まれた」
「エリカ殿がお立場を生かして教会を、教皇様を巻き込んだことでしょうか」
「それもある。アルカディーナの称号は伊達ではない。あ奴はそれを理解しておらぬようだが。しかし、一番の問題は、王都の民草を巻き込んだことであろうな。あれでは、委員会は引くに引けぬ」
「なぜですか」
「なぜだと。その言い草をメルロー卿が聞いたら怒り狂うであろうな」
侯爵は両腕を広げて見せる。
「よいか。マリエンヌ嬢の無罪、もしくは不起訴だけであれば、委員会としても妥協はできた。しかし、それは、民草の声に押されたという形では駄目なのだ」
侯爵の言葉で、ロジェストの中で事の経緯がつながった。
ああ、あの声なき声を委員会の連中も聞き取っていたのか。
「なるほど、あくまでも委員会の判断としての無罪、不起訴であればいいと。王都の民衆の声に屈してはならぬと。やはり面子ではございませんか」
「面子は面子だが、それだけにとどまることではないわ。委員会としては悪しき前例になることを、何よりも恐れてのことである」
「悪しき前例でございますか」
「そうだ。あのままマリエンヌ嬢を無罪、もしくは不起訴にしたのであれば、民草の声により節を曲げたと受け取られかねん。そのようなことは、あってはならんことなのだ。一部の民草の動向に、委員会の決定が右往左往するわけにはいかぬ。ディクタトーレたる貴様も気が付いていたはずだ」
「お言葉ではございますが、先に節を曲げたのは委員会です。有罪判決ありきの裁判など、芝居にしても見ていられません。それこそ悪しき前例にございます」
「それについては、儂と貴様で論じることではあるまい。委員会やその裏におられる方々の問題だ」
「やはり、裏に誰かおられるのですね」
ロジェストの露骨な言葉に、侯爵は目を細めた。
「その詮索は無用である。長生きがしたければな。ともかく、其の方たちはやりすぎたのだ。作戦の威力が強すぎたのだ。民草を巻き込んだ結果、その圧力に委員会が屈服したように見えることは、あってはならん。委員会は悪しき前例を避けるため、形の上だけでもマリエンヌ嬢の自害という筋書きで、事を収める外なかったのだ」
「委員会が追い詰められた結果としての芝居であると」
「そうだ。芝居だ。まさに芝居と言える。其の方、芝居は嫌いか」
「下手な芝居には寒気を覚えます。閣下」
「若いな。覚えておくがよい。芝居は政にも欠かせぬものだ。たとえそれが下手な芝居であってもな」
「近衛軍団まで駆り出しての芝居ということですか」
「そうなる。無論、この事、一切他言無用である。心せよ」
「エリカ殿に対してもですか」
「あ奴には儂から話す。貴様は黙っておれ。良いな」
「心得ました」
「よろしい。苦言になってしまったが、儂としては此度の其の方とエリカの手腕を高く評価しておる。今、マリエンヌ嬢が生きておるのも、其の方たちの尽力あればこそ。見捨てておれば、哀れ刑場の露と消えていたであろう。我ら一門の支援も資金もなく、徒手空拳の身でありながらやり遂げるとはな。驚いている」
「はっ。理解いたしました」
納得したわけではないが、状況の整理はできた。
それまで無関心だった一門が、突如として、この件に介入した意図が不明だが、ここが引き際か。
「うむ」
侯爵が下がってよいと手を振ると、ロジェストの腕をアランが掴んだ。
「気は済んだだろう。行くぞ」
「分かったから、手を放せ」
侯爵の面前から下がると、今度は数人の男たちがロジェストたちに近寄る。
その中の一人が、剣呑な声色で話しかけてきた。頭に白いものが混じる壮年の男だ。
「貴様が、ロジェスト・アンバーか」
「貴方は」
身なりはよく身分も高そうではあったが、この屋敷では見慣れない男だ。
「これは申し遅れた。私はランドバール。ペリューニュ家で家宰を仰せつかっている者だ。此度の裁判、貴様とアルカディーナには世話になったな」
男の名乗りにロジェストは目を丸くする。
「ランドバール卿。ここは抑えて下さい」
アランが二人の間に割って入る。
「心得ておるよ。アラン卿。ただ、このディクタトーレ殿に、一言ご挨拶がしたかっただけである」
言葉と表情が一致していない男に対して、ロジェストはいらぬ言葉を投げかける。
「これはこれは。薄情と名高いペリューニュ家の方でしたか。子爵閣下はお元気ですかな」
ロジェストの挑発にランドバールは一歩前に出たので、アランはその肩を抑える。
「堪えて下さい。ランドバール卿。侯爵閣下の御前です。ロジェスト。貴様も下らない挑発をするな」
アランの怒声にロジェストは一歩引き、自分を取り囲む男たちの面を見回す。
身なりも年齢もまちまちだが、恐らくこの男たちは、自分の作戦の標的の家の者たちなのだろう。
「なるほど。合点がいきました。確かに私たちの作戦の威力は絶大だったようですな。マリエンヌ嬢が解放されたのは、あなた方が首をそろえ、侯爵閣下に泣きついたためでしたか」
せせら笑う仕草に、ランドバールは目を怒らせる。
「図に乗るなよ。ロジェスト・アンバー。爪弾きのディクタトーレの分際で。まぁよい。精々一人歩きや夜道には気を付けるといい。王都は物騒だからな」
「ランドバール卿。お言葉が過ぎます」
ランドバールはアランの抗議を無視して続ける。
「我々はアルカディーナをどうこうする気は全くないが、貴様は別だ。覚えておくがいい」
明らかな脅迫にアランも表情を変えたが、更に火に油を注ぐ愚か者がいた。
「そのお言葉が聞きたかった。負け犬の遠吠えほど耳に心地よいものは無いですからな。ぐぇ」
口の減らないロジェストの足の甲を、アランは力いっぱい踏み抜く。その激痛にロジェストは、床を転がりまわるのだった。
続く




