拍手
マリエンヌの訃報に接した江梨香は寝室に引きこもった。
誰にも会いたくない。一人になりたかった。
朝昼晩と三度にわたって提供される食事も喉を通らない。水をわずかに流し込んだだけ。
遺体の引き渡しについての交渉は難航を極めているらしく、委員会からの返答はないらしい。
何日たったのだろう。
二日か、三日か。分からない。
そんな風に閉じこもっていると、寝室の外がにわかに騒がしくなる。
隣の部屋に控えてくれているユリアと誰かが、言い争いをしているようだ。
何事かと、ベッドから身を起こすと、戸が開き多くの人が転がり込んできた。
「エリカ。大変だ。すぐに来るんだ。大変なことが起きた」
「エリカ様。お急ぎを」
「エリカ。寝ている場合ではない。すぐに来るのです」
「わたくし何が何だか分かりません。とにかく早く」
エリックにエミール。コルネリアにセシリアが一斉に口を開く。
厩戸皇子だって聞き分けが出来ない勢いだ。
「どうしたの」
みんなの先頭にいたエリックに問いかける。
「マリエンヌ殿が来られた」
ああ、そうか。
ロジェ先生が遺体を引き取ってくれたのね。よかった。これで埋葬してあげられる。
「分かったわ。支度するから少し待って」
「そんなのいいから早くしろ。大変なんだ」
「急がなくたって、誰も逃げはしないでしょ」
「それはそうだが」
「エリック卿。エリカは事の重大さを理解していません。いいですか。エリカ。よく聞きなさい。マリエンヌ殿は生きておられます」
「はぁ? 」
悪いとは思ったけど、コルネリアに対して、小馬鹿にしたような返事を返してしまった。
だって、今まで聞いた冗談の中で、最高に面白くない冗談だもん。私はそういう冗談は嫌いです。
そんな私を見てセシリアが間に張り込む。
「コルネリア様。エリカは信じておりません。いいですか。マリエンヌ様は生きておられます」
「・・・どこで」
「ここで」
いくらセシリーでも、貴方の心の中とか言ったらぶっ飛ばすかんね。
ん? 今なんて言いはった。
「ここって、どこよ」
「この屋敷においでです。今、お父様とお話になって・・・」
セシリアの言葉に、私の体は私の指示よりも早く動いた。
脊髄反射だってもう少し鈍いに違いない。
光の速さでベッドから立ち上がり、裸足のまま寝室を飛び出した。
時間感覚を喪失していたため、今が夜であることに気が付いたが、そんなことにかまっている暇はない。
転がるように、もつれるように、月明かりに照らされた廊下を走る。
途中で本当に足がもつれて転倒した。
でも、痛くない。全く痛くないのよ。
アドレナリンが全開だ。
助け起こそうとするエリックを張り倒す勢いで立ち上がり、また走った。
今日ほど、無駄に裾の長いスカートを忌々しいと思ったことはない。走る人のことを一切考えていないデザインやわ。
そして、勝手知ったる他人の家。
将軍様の応接室へと突撃する。
立派な装飾が施された扉は、両側に大きく開いていた。
「マリエンヌ」
入室の挨拶という礼儀は、小惑星イトカワの周回軌道上にまで投げ飛ばし、雪崩れ込む。
部屋の中には、夜だというのに多くの人が集まっていた。
集まった人たちの視線を一斉に浴びるが、気にしている余裕はない。
人垣をかき分けていくと、将軍様の前に誰かが立っている。
心臓の鼓動がさらに一オクターブ跳ね上がった。
「おう、エリカ。来たな」
将軍様が私の姿を認め声を掛けると、会話していた人が振り返る。
私の足は、自分の網膜に映った情報が理解できなかったのか、急停止した。
こら、動け。
そこには、淡い茶色の髪をなびかせた女の人が立っていた。
「エリカ」
女の人が走り寄ってきて抱き着く。
「うえっ、あっ、はえ」
日本語でもロンダー語でもない、意味をなさない音しか出ない。
「会いたかったわ。エリカ」
私の目の前にマリエンヌがいた。
何回見直してもマリエンヌだ。
どこからどう見ても、マリエンヌだった。
「ハハッ。流石のエリカも固まっておるわ」
将軍様が愉快そうに笑う。
私は何がどうなってるか、全く理解できない。頭の中は真っ白を通り越して、金色にスパークしていた。
「夢。夢じゃないわよね」
「ええ」
一番の懸念を口にすると、マリエンヌが頷く。
良かった。夢ではないみたい。いや、油断はできない。もしかして・・・
「私の気がふれたわけでもないわよね」
「はい」
気がふれてないのだとしたら・・・
「生きているのよね」
「生きています」
最後の確認だ。
「本当に? 」
「本当です」
そうか。夢でも妄想でもないのね。
私はマリエンヌを抱きしめ返す。
見た目ではわからなかったが、マリエンヌは物凄くやせ細っている。比喩表現ではなく文字通り、折れてしまいそうな体格。
骨と皮だけのよう。
この感触が、これが夢ではなく、現実であると私に教えた。
その後のことは、何も覚えていない。
意識が完全に飛んだみたい。
声を出して泣いたことだけは、なんとなく覚えている。なんだったら人生最大級の号泣だったろう。
エリックは江梨香に張り飛ばされた頬をさすりながら、抱き合って泣いている二人の女を眺める。
暫くするとそんな光景に対して、誰かが拍手を始めた。
その拍手は、あっという間に部屋全体に広がった。
勿論俺も拍手をする。万感の思いを込めて。手が痛くなるほど大きく拍手をした。
巻き起こる拍手の中、何か熱いものがこみあげてきたので、歯を食いしばって何とか堪える。男が泣くわけにはいかない。
「エリカ。よかったですね」
隣にいたセシリアが目頭を押さえて泣いている。
「ああ・・・本当に良かった・・・」
震えそうになる声を必死に抑えながら答える。
「はい。良かったです。本当に・・・」
鳴りやまぬ拍手の中考える。
これは、エリカの頑張りが報われたといっていいのだろう。
しかし、詳しい状況が分からない。
マリエンヌ様は委員会によって、始末されたと聞かされていた。でも、実際には生きてここにおられる。どういうことなのだろう。
始末されそうになったところを、逃げてこられたのだろうか。誰か、脱出の手引きをした者がいたのだろうか。
脱獄してきた割には、マリエンヌ様は落ち着いているし、閣下の表情も朗らかだ。
強硬手段に打って出たようには見えない。
ともかく。難しい話はあとでもいいだろう。
今は、二人を祝福すればいい。
俺も奔走した甲斐があったというものだ。自分のことのように嬉しい。エミールやマリウスたちの頑張りも報われた。
多くの人が手助けしたとはいえ、エリカのやつ。まさか成し遂げるとはな。
謀反人の娘を助けると言い出した時は、耳を疑ったものだが。
それに何の意味があるのかすら、理解できなかった。
しかし、こうして見ると意味があったな。
よくよく考えてみれば、罪を犯してもいないのに罪に問われるなんておかしいことだ。
エリカに言われるまで思いもしなかった。
勝利を信じてなかったわけではないが、ここまで見事に成し遂げるとは思っていなかった。
難しい戦いだったろうに。
国境線で剣を振り回している方が、よっぽど楽だった。
俺は綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしながら泣きじゃくるエリカを見て、良い光景だと思ってしまった。
いつもの澄ました顔より、よっぽどいい貌だ。
でもこれは、エリカには黙っておこう。
うっかり口にしようものなら、よく分からない神聖語の罵声が飛んでくるからな。
エリックはセシリアと並んで、いつまでも拍手を続けるのだった。
続く
当方初の三連続投稿でございました。
いつも誤字報告ありがとうございます。




