私が私であるために
私こと窪塚恵梨香主催の夏フェスが開催されると、仲間たちも連れだって会場に繰り出していく。
学生たちの姿は開幕早々に消え失せ、行きたそうにしているが、絶対に行きたいとは口にしないユリアには、マリエンヌの詩が約束通り演奏されているか確認して欲しいと頼んだ。
私の身を案じる声もあったが、この天幕には教会の人が常駐しているし、音楽にこれっぽっちも興味を示さないクロードウィグが、がっちりガードしてくれているから心配ないわよ。
エリックなんて、お忍びでやってきたセシリアに手を取られると、いそいそと出かけて行ったもんね
あんたはリア充か。
いや、正真正銘のリア充だったは。
ええい。爆発してしまえ。
あの二人の仲が睦まじいのは、おめでたいことなんですけどね。
でも、いいな。うらやま・・・
べっ、別に彼氏が欲しいとかそういうのやないからね。取り残されて、ちょっと寂しいだけなんやからね。
ううっ。
仲良く連れ立って、雑踏の中へと消えていく二人の後姿を眺めていると、それまで考えないようにしていた事柄が、表層に浮かび上がる。
作戦が成功して、いつか二人が上手くいったら、私も誰か相手を探さないとだめなのかな。
女で一人、この異世界で生きていくのは不可能だもんね。いずれ誰かと結婚して、家庭を作らないと。
幸いといえばいいのかは悩むけど、周りには割と歳の近い男の人がいる。
なんだったら、日本で暮らしていた時よりも、男の人と接しているわ。年上から年下まで、まんべんなく。
だから、男の人との出会いは多い。
アラン様は文武両道のイケメン。私が出会った男の人の中で一番いけてる。女の子が放っておかないわ。
ロジェ先生も理屈っぽいところはあるけど、あの頭の切れ方は異常よ。あの人なら日本でもやっていけるんじゃないかな。
エミールも素直で明るい。一緒に過ごしていても肩肘を張る必要はない。
中でも、一番男前なのはコルネリアだわ。コルネリアが男の人だったら迷わず、お嫁に行くのに。
まぁ、冗談はさておいて、総じてみんな大人なのよね。
なんて表現したらいいのか、肝の据わり方と言えばいいのか、気合の入り方と言えばいいのか、それらが段違いに凄い。
みんなに比べたら、日本の同年代の男子はガキに見える。
まぁ、私もその同類だから偉そうなことは言えないか。年下のエリックのほうが、私よりよっぽど大人。
二人の間がひと段落したら、本当に真面目に将来のことを考えないとだめやろね。
そうなると、いつまでもシンクレア家の厄介になるわけにもいかない。そもそも、二人の愛の巣に同居するほどの厚かましさは持ち合わせていない。
ニースかモンテューニュに、自分で家を建てなくっちゃ。
でもなぁ。そんなに簡単に割り切れないわよ。
私はこれまでの人生で、外国の男の人と結婚したいなんて思ったことはなかった。
まして、相手は全員異世界の人。
結婚しても、子供とかできるのかな。まぁ、身体の構造は同じみたいだから、多分大丈夫だと思うけど。
いや、そういう事じゃないのよ。
生き残るために結婚する。そこが問題よ。
正直そんな理由で結婚なんてしたくない。私だって素敵な恋愛をしてから結婚したい。
エリックとセシリー級の大恋愛を求めはしないけど、普通に好きになった人と一緒になりたい。
生きるために、必要に駆られて結婚するのは、なんか違う。
もっと、こう。なんていえばいいのかなぁ。
ああっ。駄目だ。なんだか、暗くなってきた。こんなことではいけない。
やっとの思いで、ここまでこぎ着けた夏フェスなのに、落ち込んでどうするのよ。
夏フェスは、そういった憂鬱を忘れる場なの。祭りよ。お祭り。
アンニュイになるのは、祭りが終わってからのお話。
夏のもの寂しさは、夏の終わりに感じるものよ。
今じゃない。今は真夏のど真ん中。秋の心配をするにはまだ早い。
そして最も大事なことは、このフェスで王都での世論形成をして、裁判で勝利すること。
下らない連座制度に蹴りを入れる最初で最後の機会なんだから、負けられない。
この世界にはこの世界のルールってものがあるのは百も承知だけど、日本人として譲れないものが確かにある。
私って日本人なんだって、こっちに来てから痛感するわ。
こっちの世界の人だって、人を殺すなとか物を盗むなとか、基本的な価値観に齟齬は無いのだけど、たまに全く違う発想をされるから、混乱するのよね。
なぜ? って。
こんなこと、日本にいるときは考えもしなかったのやけど。
うーん。私って何なんだろう。
乗りと勢いと幸運と、エリックやみんなのお陰でここまで来たけど、この世界で一体何をしたらいいんだろう。何がしたいんだろう。
未だに何も見えてこない。
日本にいたころ思い描いていた未来予想図は、次元の彼方へと消え去り、代わりに与えられたのは、目の前の出来事に対処するだけで精一杯の毎日。
こんなはずではなかったのに。
ああ、そうか。
今になって、魔導士の書の作者の気持ちが少しわかった気がする。
あの本は一見すると、私と同じ境遇の日本人が、異世界でも生きていける為の、便利な情報ツールの形をしているけど、実態は「日本及び、自分が存在していた世界の証拠と証明」なんだわ。
自分が存在した世界のルーツを、これでもかと詰め込んだのが「魔導士の書」
だから、多種多彩な情報が網羅されているし、日本語でのみ書かれているんだわ。
この世界の役に立てたいのであれば、日本語にこだわる必要は全くない。こっちの言葉で書いた方が影響力も強いもん。
なのに、こっちの世界では高位聖職者ですら、解読困難な言語で書かれている。まるで初めから読まれることを、拒否しているかのように。
あれは魔導士なりの抵抗だったんだろうな。その気持ちは、今なら痛いほどわかる。
私も抵抗している。戦っている。この世界に。この理不尽に。
あの魔導士は同じ境遇の仲間ってことか。
でも、性格はアレだから、友達にはなれないけどね。
桜の木の下で、泣かされたことは絶対に忘れない。
江梨香はぼんやりと会場を眺めながら、結論の出ない思考のラビリンスを彷徨う。
楽しげな音楽に満ち溢れているのに、なぜか心が乾いていく感触。
その渇きをいやすためか、無意識の内に、座長から送られた楽器を手にしていた。
座長の話だと、この楽器の名前はバルバット。
アコースティック・ギターの親戚のような形をした楽器。
江梨香はおもむろに弦を爪弾き、音色を確認すると、弦を巻き留めている部品をいじり、チューニングを開始した。
それはとても手慣れた所作であった。
バルバットは、ギターの音色とは異なる、エスニック調の柔らかな音色が出る楽器だった。
真ん中には小さいながらも共鳴穴が開いており、それなりの音量が出る。また、ギターに比べると半分以下の本数ではあるが、金属製のフレットもついていた。
これなら、少し練習すれば、ギター感覚で弾けるだろう。
一通り調整が済むと、銀貨を一枚ピック代わりに、バルバットを奏でだす。
ギター好きの父の手ほどきにより、小さいころからアコースティックのギターには親しんでいる。人に自慢できるようなテクニックなどは無いが、簡単なコード弾きぐらいであれば問題はなかった。
適当に幾つかのコード進行を繰り返し、バルバットを自分の手になじませてゆく。
一年以上、演奏とはご無沙汰であったが、指はまだコード進行を忘れていなかった。
その音色を、その流れを。
なじんだところで、日本にいたころ好きだった曲を何曲か歌ってみる。
少しだけ心が晴れていく気がした。
この世界で、生きてゆく勇気を得られた。
真夏の日差しが差し込む異世界の天幕の中で、江梨香は一人、高らかに日本の歌を、自分の歌を歌い続けている。
続く




