音楽祭
乾いた空気と、眩しい日の光に溢れたある日。
王都エンデュミオンで最も優美とされるメッカローナ広場に、木製の巨大な舞台が出現した。
ここ数日、王都の話題をさらった音楽祭がついに開かれるのだ。
前評判を聞きつけ、朝早くから多くの都人が、広場へと足を運ぶ。それは、十日ごとに開かれる教皇の説教を、上回る人数であった。
訪れた人たちの期待と興奮で、広場には異様な空気が立ち込めていた。
「よしよし。お客さんの入りは上々ね」
広場の片隅に張られた天幕の陰から、この音楽祭の仕掛人である江梨香が顔を覗かせる。
外出は危険だが、責任者としてこの音楽祭を欠席するわけにはいかないと、周りを説得しての参加である。
「ものすごい人出だな。既に一個軍団ぐらいの人が集まっているんじゃないか」
天幕の出入り口で、門番よろしく周囲を警戒していたエリックが応えた。
「ふっふっふっ。この段階で、既に半分は成功したわ。後は完成形にするだけよ」
「どうやる」
「それは、演者さんたちがやってくれるから心配ないわ。私たちは見ているだけよ」
「これに、随分つぎ込んだからな」
「うん。過去一お金使ったね。これもエリックのお陰よ。ありがとう。何度でも言うわ」
「俺は石を預かってきただけだよ。しかし、まさか本当に、一千枚もの金貨を使い切るとは思わなかったぞ。裁判のためとはいえ、よくも使い切ったな」
「まあね」
最大の出費は教会への寄進と、参加者への賞金であったが、王都中に掲示された音楽祭の案内や、舞台の設営費用などで、多額の経費が発生していた。
「でも、全部は使ってないわよ。少しだけ残ってる」
「幾らだ」
「ええっと。金貨三十枚程度は」
「たった、それだけか。本当に少しだけだな」
フィリオーネ金貨三十枚と言えば一財産ではあったが、ここ最近の出来事により、二人とも金銭感覚がおかしくなっていた。
「つまり、この数日で九百七十枚もの金貨を使ったわけだ」
「ですです」
「一千枚と大した違いはないと思うんだが」
「そうだね。大して変わんないね」
エリックの指摘に笑いがこぼれる。
「今日のエリカの出番は、最後だけだったな」
「うん。最後に優勝作品を発表して、賞金を授与する役だけやらせてもらう」
「人前に出るのだろう。危険じゃないか」
エリックがそれとなく、周囲を警戒する。
「危険だとは思うけど、これぐらいはやらせてよ。私が言い出したことだしね」
「周りは固めるが、油断はするなよ」
「うん。何かあったらすぐ逃げる」
「頼むぞ。そういえば、どうやって一位の詩を決めるんだ。一つ一つ聞いて回るのか」
「そうしたいけど、全部の詩を聴くなんて無理よ。中央の舞台のほかにも、小さい舞台が幾つもあるんだから」
江梨香はメッカローナ広場を見渡す。
広場には中央の舞台のほかにも、複数の舞台が用意されていた。
「なら、誰が選ぶんだ」
「お客さん」
「客? どうやって」
「簡単よ。演奏して、一番盛り上がった人が優勝」
「確かに簡単だ」
「でしょ。マリエンヌの詩になっているかの確認は、教会の人に頼んだ」
江梨香は多額の寄進と引き換えに、様々な支援を教会から引き出していた。
「高位の聖職者を相手に、要求を出すとはな。エリカらしいというか。神殿教会の祭礼儀典長様と言えば、相当な立場のお方なのだろう」
「ユリアの話だと、そうみたい。オルレアーノの司教様よりも、ずっと偉いんだって」
「そんな方にも、臆さず要求か。よくやるよ」
「交渉ごとに、偉いとか偉くないとか関係ないわよ。むしろ偉い人にこそガツンと行かなきゃ。将軍様の時だってそうしたし。将軍様って侯爵閣下でしょ。偉さで言えば、儀典長様と大して変わらないんじゃないかな」
「相変わらずの怖いもの知らずだ。その結果がこれなんだな」
エリックの視線の先では、教会の修道士たちとドーリア商会の使用人たちが準備作業に動き回っている。彼らを純粋な人手としても活用していた。
「別に、タダ働きさせてるわけじゃないからいいじゃない。金貨五百枚よ。五百枚。これだけ稼ごうと思ったら何年かかるか。それに教会の人だったら教養があるから、詩の確認には最適でしょ。私たちでやってもよかったけど、丸一日の作業になっちゃう。絶対に途中で訳わかんなくなる」
「この日差しの下で、丸一日、詩を聴くのは勘弁してほしいな。それに俺は詩の良し悪し何て分からないし、尋ねられても困るだけだ」
「心配しないで、私も分かんないから」
「俺よりは分かるだろう」
「そうでもないかな。こっちの詩はまだ分かんない。私の国の歌とは全然違うからね」
「エリカの国の歌か。教会と同じか」
「ううん。全然違う。口で説明するのは難しいけど」
「ああ。思い出した。エリカの歌を聞いたことがあるぞ。あれか」
「えっ、どこで」
「家で」
「いつ」
「たまに歌いながら働いているだろう。その時だ」
「嘘。全然記憶にない」
「興奮した時とか、忙しい時とかだな。忙しく動き回っているのに、よく歌なんか歌えると思っていたんだ」
「うわ。恥ずかしい」
江梨香の耳が急激に赤くなった。
「別に恥ずかしがることでもないだろう。意味は分からなかったが、上手いと思ったぞ」
「うにゃん。ありがとう」
嬉しいような恥ずかしいような、言葉にしにくい気持ちになる。
そういえば、エリックの前で下手な芝居をした後、 Que Sera Seraを歌ったことがあったわ。あれに似たことを、知らず知らずにやっていたのか。気を付けよう。
江梨香は天幕の陰から、徐々に増えていく観客たちを満足そうに眺めるのだった。
準備が整い、午後を告げる鐘の音が神殿教会の尖塔から鳴り響くと、中央の舞台には多くの修道士たちが整列した。
その中で一番立派な衣装をまとった聖職者が進み出る。
「これより、聖アグニールに捧げる、音楽の祭典を開催する」
開会の宣言に、集まった観衆たちから大きな歓声と拍手が巻き起る。
中央の舞台に並んだ修道士たちが、神々をたたえる歌を高らかに歌い上げると、音楽祭はスタートした。
無事に開催にこぎつけることができた音楽祭ではあったが、江梨香にとって残念であったのは、音楽祭の名称変更であった。
「監獄の詩」の呼称は少々口が悪かったようで、教会側の強い要請により、取り下げるほかなかった。
代替案として提案された、音楽の聖人、聖アグニールの祭典の名称で落ち着く。
しかし、一つ譲ったのなら、一つ獲得するのが江梨香のドクトリン。
音楽祭の開幕を飾るオープニングソングは、神殿教会お抱えの声楽隊の参加を要請し、これを受諾させた。
無論この策は、教会の関与を誰の目にも明らかにするためのものである。
これにより、音楽祭は半分教会に乗っ取られた形とはなったが、十人委員会からの難癖を完全に排除することができた。
声楽隊の演奏が終了すると、広場のあちらこちらに設けられた舞台の上で、数多くの催しが始まり、メッカローナ広場は音楽に包まれた。
天幕から外に出られない江梨香の前に、王都の主要な劇場の座長たちが挨拶に訪れる。
彼らは、王都のエンターテイナーのまとめ役である。
間に立ったのは、ドーリア商会のジュリオ。
彼に紹介された男たちが、口々にお礼を述べた。
「貴方様と教会のお蔭をもちまして、手前どもも、一稼ぎさせていただけます。ありがとうございます」
「いえいえ。たっぷり稼いでください」
日本のストリート・ミュージシャンと同様に、吟遊詩人たちの主な収入源は、客から直接投げ込まれるお捻りである。
そしてこの音楽祭では、演者に対してのお捻りが許されていた。
つまり、コンテストに入選して賞金を得られなくとも、演者たちは自分の力で稼ぐことができるのだ。
この話をまとめたのは、仲介役のジュリオである。
今日までの彼の手腕は素晴らしく、王都の主だった座長と話を付け、彼らの影響下にある役者や吟遊詩人たちを集めた。
音楽祭の趣旨と課題を伝え、参加の段取りを整え、演者たちの要望を聞きだす。
演者らが出した要望は主に二つ。
音楽祭でのお捻りの受け取りを認めること。課題曲以外を演奏する許可。この二点であった。
これを聞いた江梨香は二つ返事でOKを出す。
曰く。「確かに、同じような詩ばっかり聞いても詰まんないからね。それなら一組につき演じる楽曲は三曲までにしよう。うち、一曲は課題曲を混ぜてください」
この取り決めによりさらに参加者が増え、最終締め切りまでに応募は二百組近くへと膨れ上がり、舞台が一つでは到底回せない。
更なる舞台の増設が求められた。
この難題もジュリオの大車輪の活躍により、解決に至る。
ありとあらゆる箇所に声を掛け、金をばらまき、脅し、賺し、取引をして、短時間で準備を整えたのだった。
彼とドーリア商会の働きなしには、肝心の裁判が音楽祭の開催までに終わっていただろう。
「エリカ様の音楽への造詣と、愛情に感謝いたします」
座長たちは江梨香を持ち上げる。
彼らにしてみれば、自費で音楽祭を企画してくれた相手である。しかもその音楽祭に経費ゼロで参加できるのだ。幾ら言葉を尽くしても、言い過ぎではないのだから。
これに対して江梨香も、満面の笑みでお礼を返す。
この人たちの影響力を利用させてもらうんだから、お礼を言うのはこちらだよね。
「お近づきの証です。どうぞ、こちらをお納めください」
座長の一人が、木製の楽器を江梨香に差し出した。
「えっ。いいんですか。ありがとうございます。大事にしますね」
江梨香は遠慮なく、贈り物の楽器を受け取る。
それは、琵琶とギターのあいのこのような楽器だった。
続く
作戦の第二弾。発動です。




