ジュリオの誤算
王都エンデュミオン。
港近くのドーリア家の一室で、ジュリオ・ドーリア・マントーヴァは新たにもたらされた情報を前に愕然とした。
手にしていたペンが滑り落ち、机の上で音を立てる。
「その報せに間違いはないのか」
自分の下で働いている商会員に、もう一度尋ねる。
「はい。間違いございません。エリカ様はド・ヴェール商会を通じ、フィリオーネ金貨にして5,000枚相当の資金を確保いたしました」
「フィリオーネ金貨、5,000枚・・・あり得ぬ」
にわかには信じられぬほどの額だ。その十分の一でも大金といえる。
「誰からの情報だ」
「シンクレア卿の側近、エミール様から直接伺いました」
情報源の確かさに、眩暈を覚える。
ドーリア商会は江梨香が屋敷を引き払った後も、毎日のように江梨香とその周辺に接触し、情報の収集に努めていた。
「エミール殿か・・・ならば、信じるほかあるまい」
思考を切り替えるべく、ジュリオは椅子から立ち上がった。
「ド・ヴェール商会を通じてとなれば、シンクレア卿が持ち込んだのは宝石だな」
「はい。ディアマンテルです」
「よりにもよって、ディアマンテルか」
「それも相当なお品と思われます」
確かにその通りである。ほかの宝石では、金貨5,000枚などという馬鹿げた数字にはならない。
「どこから手に入れたのだ」
ディアマンテルなどという代物は、そうそう転がっているものではない。
「どうやらヘシオドス家の有力者と交渉したらしく」
「どなただ」
「そこまでは。エミール様は、ご隠居様とだけ」
「すぐに調べろ」
「はい」
商会員を下がらせた後、ジュリオは窓辺に立つ。
その窓からはエンデュミオンの港が一望でき、夏の日差しに水面と船の帆が、美しく輝いていた。
その美しさとは裏腹に、ジュリオの思考は暗く沈む。
これは大きな失態だ。
ドーリア商会は、ニースのギルドへ恩を売る、絶好の機会を逃してしまったことになる。
ジュリオは舌打ちをする。
王都を本拠とする商会としては、この不毛な裁判に多額の資金が必要なことは分かっており、江梨香が遠からず資金不足に陥ると予想していた。
そして江梨香が資金難に陥った時期を見計らって迂回融資を行い、それとなく、しかし大きな貸しを作る算段であった。
そのための準備は、かなり早い段階で済ませておいた。
ジュリオは既にフィリオーネ金貨200枚を即金で用立ており、同額の追加融資の準備も終了していた。後は資金を提供する時期を見極めるだけであった。
その矢先の、自力で金貨5,000枚もの資金を確保したとの報せだ。
「私としたことが、シンクレア卿を軽く見ていたのか・・・」
複数の情報筋からエリック・シンクレア卿が、メルキア地方に金策に赴いていることは、掴んでいた。
しかし、その成果については芳しくないだろうとの予測を立てていた。
そもそも、所縁もない土地での金策など、難事を通り越してもはや不可能の領域である。
金貨十枚も集めることができれば、上出来とすら言えるだろう。
ジュリオは彼自身の経験から、そう判断していた。
それが今回、完全に裏目に出てしまった。
今から巻き返せるか。いや、時期を逸している
エリカ殿は既に大金を手にしている。
今更、金貨400枚程度の追加資金など、感謝こそすれ感激はしないだろう。
ならば、もたもたせずに、素早く資金投下しておけばよかったのか。
いや、それも違う。
遅かれ早かれ、向こうは金貨5,000枚の資金力を手にしたのだ。金貨400枚程度の融資は、即金で返済される可能性すらある。
一時は感謝されるであろうが、こちらが望んでいるような関係にはならない。
商会としては、ギルドの商会への依存度を上げていきたいのだ。少なくとも取り換えが利く存在のままでは困る。
そのために策を弄したのだが、都合よく事は進まなかった。
まさか、自前で資金調達を成し遂げるとは。
やはり、あの二人を、特にシンクレア卿を甘く見ていたことが要因であろう。
剣を振り回すだけの、向こうみずな突撃騎士ではないということだ。
ジュリオは仕事を覚えたての頃を思い出す。
香辛料の仕入れで多くの利益を確保しようと、無茶な要求を重ねてしまい話は流れた。あの時も、取引相手を軽く見て失敗したのだ。
この認識は、直ちに改めなければならない。
裏に回って、資金援助で恩を売る手法は中止だ。効果が薄い。
商売の鉄則は、お客に足りないものを提供する事である。有り余っているものを提供しても、買い叩かれるだけだ。
次の手を考ねばならぬ。
そうなると、ある程度は表立って行動しなければならないかもしれない。十人委員会に目を付けられる可能性が高まるが、損失と利益を鑑みるに、まだ、ニースのギルドに肩入れするほうが良いだろう。
少なくとも、このまま手をこまねいているわけにはいかない。
失敗は失敗として、違う事柄で取り戻すしかないのだ。
そう結論付けたジュリオは、事の次第を会頭に報告すべく部屋を出た。
その日の夕刻、ジュリオはアスティー家の門を叩いた。
父である会頭に相談したところ、座ったままで事を成そうとしたからだと、厳しく叱責された。
大事な情報は人を介さず、自分の目と耳と足で集めなくてはならない。椅子の上で物事を画策するなど、十年早いと。
実に耳に痛い言葉であった。
去年の秋には、自ら赴いてニースの状況を確認したのに、今回は目立つことを恐れるあまり、エリカとの接触を避けてきた。彼女が王都に滞在しているにもかかわらずだ。その判断が間違いであった。
表立って行動すると決めた以上、自分の足で稼ぐしかない。
思えばシンクレア卿も自分の足で稼ぎ、ディアマンテルという巨大な成果を上げたのだ。大いに見習うべきであろう。
「マリエンヌ様の裁判についてですが、当商会の方で何かお手伝いできることはございますか。何でもおっしゃってください」
ギルド長と副ギルド長の前で、ジュリオはすべての小細工を放棄して尋ねる。
いささか時機を逸してはいるが、そのようなことに拘泥している余裕はない。
「エリカは何かあるか」
「えっと。特には・・・無いかな」
二人の言葉に大いに肝を冷やす。
「どんな些細なことでも構いません。お手伝いできることがあれば」
「でも、商会にも迷惑がかかっちゃうので。この裁判って控えめに言っても、王様に喧嘩を売ってるところがあるからね」
「そうなのか」
今更ながらエリックが驚く。
「直接は売ってないけど、広い目で見れば売ってると言えなくもないかもしれない」
「なんでもかんでも売るな」
「最初に売ってきたのは向こうだもん。私は言い値で買っただけ」
「買うなよ。そんな調子だから全財産をつぎ込む羽目になるんだ」
「ううっ。ごめんなさい」
江梨香がしょんぼりと肩を落とす。
「これからの裁判のお見立てはどうでしょうか。勝訴出来そうですか」
「はい。勝てそうです。作戦もばっちりです」
ジュリオの探りの言葉に、うって変わって明確な返答が返ってきた。
やはり多額の資金を得て、自信を付けているようだ。
「どのような作戦でしょう。ああ、もちろん差し支えなければで結構です」
「別にいいですよ」
それから江梨香の作戦案を聞いたジュリオは、戦慄を禁じえなかった。それは、金貨5,000枚以上の衝撃となって押し寄せる。
「そんな方法が・・・」
「上手くいくかどうかわかりませんが、やってみるつもりです」
ジュリオは必死に情報を整理する。
吟遊詩人たちが流行を作り出すことは珍しいことではない。
金持ちがお気に入りの詩人たちを囲い込むこともよく聞く話だ。
しかし、ある種の目的をもって詩を流行らせるなどとは、聞いたこともない。そこに資金をつぎ込むとは正気を疑う事柄だ。
だが、そこにこそ商会が食い込む隙間があるのではないか。
頭を巡らせたジュリオの脳裏に、一つの策が浮上する。
「エリカ様。私どもから一つご提案申し上げてよろしいでしょうか」
「はい。もちろんです。どんな意見でも大歓迎よ」
「では、遠慮なく」
ジュリオは勢いをつけるべく、大きく息を吸い込んだ。
ここが勝負どころだ。
「王都の吟遊詩人を集めて、大きな催しになさればよろしいのではないでしょうか」
「催し? 」
「はい。例えばですが、マリエンヌ様に関わる詩を広く集め、良い出来の詩には賞金を出してみてはいかがでしょう。賞金の額によっては、王都中の吟遊詩人たちがこぞって参加するかもしれません。多くの詩人たちが集まれば、都の人々の関心を集めることができるでしょう」
「なるほど、面白い案じゃないか」
「ありがとうございます。必ずや裁判のお役に立つかと」
エリックが大いに同意するのを見て、手ごたえを覚える。
問題の江梨香はというと、頭を下げて身震いをしていた。
「いかがでしょうか」
ジュリオの声を待たず江梨香は椅子から飛び上がり、神聖語で叫んだ。
「夏フェス。サマソニ。京都大作戦。それならチマチマ、一人一人に声をかけなくても済むわよ。フェスにすれば、名を上げたい詩人たちが、向こうから寄って来るわ」
「我々にお任せいただければ、王都の話題を集める催しにして見せます」
「お願いします」
勢いよく下げられた江梨香の頭に、ジュリオは内心で快哉を叫んだ。
ここからすべてを取り返す。
続く
今年は開催されるといいなぁ。




