大討論会
マリウスの語りによる、エリックのメルキア漫遊記が拍手をもって終了すると、学生のカレイは隣に座っていたマールに話しかける。
「ねぇ、マール。今回の裁判を叙事詩にしたら盛り上がりそうだね。一族の存亡の危機にさらされた哀れな姫君を、異郷の魔法使いと若き騎士がお助けする話になるよ。手伝いをしている僕たちも叙事詩に登場できるかも。エリカ様が妖精なら、僕たちはさしずめ熊の眷属といった役回りだ。でも悪くないだろう」
カレイの言葉にマールは大きな声で答える。
「悪くない。叙事詩が我々の勝利で終わるのなら、むしろ巨大な竜に立ち向かう勇者のようで痛快だよ」
「うん。そんな詩が聞けたら最高だね」
何気なく二人の会話を聞いていた江梨香に天啓が舞い降りた。
「それよ」
大きな声が長屋に木霊する。
江梨香は立ち上がり、カレイに詰め寄る。
「な、なにがでしょう」
「カレイ。貴方最高よ。よく思いついたわね。そうよ。そうすればいいのよ。向こうが権力でごり押しするなら、こっちは数で勝負よ。これなら連座制の拡大解釈にもマッチングするわね。悪くない。ううん。悪くないどころか強力な手札になる。よしよし」
一人で得心が行った江梨香は、周りの疑問を放置して歩き回る。
「問題は、どうやってこの話を広めたらいいのかな。戦争と違って盛り上がりに欠けるから詩にはしにくいだろうし」
「おい。エリカ。何か思いついたのなら、俺たちにもわかるように説明してくれ」
江梨香の奇怪な行動に慣れているエリックが、皆を代表して問うた。
「ごめん。少しだけ待って。今まとめてるから」
その後もしばらくブツブツ呟きながら、部屋の中を歩き回る。
「エリカは、いつもこうなのですか」
セシリアの問いに、エリックは頷く。
「ああ、エリカが何か思いついたときは、いつもあんな感じだ。先に言っておくけど、とんでもないことを言い出すから覚悟しておいてくれ」
「とんでもないことですか。なんでしょう」
「俺達には思いもよらないことさ。お陰でこっちは、エリカの意図を理解するのに時間がかかるよ」
江梨香はジョッキを片手に、部屋の中で行ったり来たりを繰り返す。
その姿は檻に閉じ込められたマレー虎のようであった。
「エリック。確認なんだけど、詩はどの程度広がっていたの。メルキア中で流行ってた? 」
「そこまでではない。現に聖アンジュ修道院の院長殿は俺の名前を知らなかった。詳しいことはイスマイル卿に聞いてくれ」
「そうね。現地の人に聞くのが一番だった。どうですか、イスマイル様」
唐突に話を振られたイスマイルは、態勢を整えるのに時間がかかった。
「私の知る限りでは、トレバンの街では広まっていた」
「イスマイル様はどこでエリックの名前を聞きましたか。やっぱり酒場ですか」
江梨香はイスマイルに顔を近づけてさらなる確認を迫ると、イスマイルはその振る舞いに身をのけぞらせた。
「違う。街で流行っていると、人づてに聞いただけで」
「人づて。直接には聞いていないのにエリックの名前は覚えていたのですね」
「何人かから聞かされたからな」
「酒場以外でもエリックの名前が広がっていたってことね。よしよし。見えてきた。見えてきたわよ。」
不敵な笑みをたたえた江梨香は、ロジェストに向き直る。
「ロジェ先生。次の作戦が決まりました」
「・・・伺いましょう」
ロジェストは、あまり乗り気でない表情を浮かべた。
「王都にいる吟遊詩人をありったけかき集めて、詩を作ってもらいます。勿論、この裁判の詩をです。マリエンヌに同情的な詩を流行らせて、王都の人たちの心をつかみましょう」
「裁判の詩。それが役に立つのか」
ロジェストは江梨香の話が理解出来ずに困惑した。
「立ちます。この裁判は元々人々の関心が高い裁判だって、ロジェ先生も仰ったじゃないですか。それをさらに広めて、私たちに有利な世論を作り上げるのです」
「何を作り出すと仰った」
「世論です。せろん」
江梨香は該当する単語が無い場合は、躊躇なく日本語を使用し、その意味を説明するのだった。
「世論ってのは人々の間で、なんとなぁーく流れている感情や認識のことです。今回はそれを意図的に作り上げます。要するにマリエンヌが無罪ではないのかって雰囲気を、もしくは可哀そうだから助けてあげようって雰囲気を王都に広めましょう。これができれば、偉い人たちだって無茶は出来ないはずです。無視したら王都の人たちの反感を買います」
一息に述べる江梨香にロジェストの制止が入る。
「待て待て。君が言っていることはおかしい。論理的ではない。そもそも、この裁判を主導している者たちは、王都の人々の反感なぞ気にも留めない。吟遊詩人をかき集めて詩を流行らせたからと言って、何も変わりはしない。鼻先であしらわれるだけだ」
至極真っ当な正論を叩きこまれるが、江梨香は怯まなかった。
「確かにこれだけだと、偉い人が無視して終わるかもしれません。いえ、終わるでしょう。でも、私たちにはロジェ先生の作戦があります」
「何がおっしゃりたいのか、見当もつかない」
「マリエンヌ無罪の風潮と、連座制拡大解釈の二本があれば、偉い人たちの意見を変えることは出来なくとも、その周りを動揺させることはできるでしょう。連座制は無限に解釈すれば、誰もが罪の対象になってしまいます。それは嫌ですよね」
「無論だ。そのための拡大解釈です」
「そういう人たちに逃げ場を提供するのが、マリエンヌ無罪の雰囲気なのです。自分がマリエンヌ無罪に傾いているわけではない、王都の民衆がそう思っている。自分はそれをお伝えしているだけだと。そう、言い逃れができますよね。特に、私たちの標的にされたペリューニュ子爵には突き刺さります。後はペリューニュ子爵と同じような境遇の貴族たちが、この流れに飛びつくでしょう。この作戦は、自分が無罪だと言っているわけではないってところが、ポイント高いんですよ。発言の責任を、他人におっかぶせることができるからです。ロジェ先生が追い詰めて、吟遊詩人が逃げ場所を与えるのです。そうすることによって、私たちの統制下で事態を動かすことができます」
ロジェストは大きく目を見開いて江梨香を見据える。そんなロジェストをしり目に江梨香はなおも続けた。
「先生の見立て通り、私たちが裁判で直接争っても委員会が態度をやわらげることはないでしょう。有罪が確定している事件だったらなおさらです。勝つためには搦め手でいくしかありません。だから私たちは、本来敵になるはずの人たちを、こちら側に取り込みましょう。偉い人たちも、周りを切り崩されたら、そうそう無茶なことはできないはずです。向こうの外堀を埋めるのです。本丸が無傷でも外堀を埋められた城は、案外もろいものです。大阪城だってこれで陥落したから間違いなし。そのためにも吟遊詩人の、詩の力を借りましょう」
「言いたいことは理解したが、そのような危険な賭けに吟遊詩人たちを巻き込むのかね」
「巻き込みはしますが、危険は少ないと思います」
「なぜだ。十人委員会に逆らうのだぞ」
「別にそこまでしてもらわなくてもいいですよ。詩人の皆さんには、マリエンヌの悲劇を歌ってもらうだけです。無罪にしろとか、冤罪だとか言っているわけではないです。ただ悲しく哀れな、悲劇の姫君として歌ってもらうのです」
「詭弁だ」
「詭弁ではありません。悲劇の詩だけなら、偉い人に怒られることはあり得ません。この程度で怒られるのであれば、ロジェ先生の職業は成立しません。だって、明らかな犯人ですら弁護なさるのでしょう。私も円卓に通い、ディクタトーレが弁護している殺人事件の裁判を聞きました。あれを見るに、無罪を主張すること自体は許されています。違いますか」
「・・・確かに、そうではあるが・・・」
江梨香の怒涛の論理展開に、ロジェストがついに沈黙した。
「連座制の拡大解釈と、エンターテインメントを利用した世論構築。この二つの作戦の組み合わせにより、マリエンヌの無罪は勝ち取れます」
江梨香は皆に向かってVサインをして見せた。
「エリカ殿・・・君は・・・君はいったい、何者なんだ。どこからそんな発想が・・・」
「ただのしがない大学生です。目下のところ留年中ですけどね。中退もありうる」
ロジェストの呻きに、さして面白くもない冗談で返すと、今度はマールたち学生連中が、一斉に江梨香に食って掛かる。
ジョッキ片手に仁王立ちした江梨香は、その一つ一つに答えていくのだった。
祝いの宴会から一転して大討論会になった長屋の片隅で、エリックはセシリアに囁く。
「なっ。エリカのやつ、とんでもないことを言い出しただろう。予想通りだった」
「わたくしにはエリカが何を言っているのか、半分も分かりません。エリックにはわかりますか」
「俺もわからない。ただ言えるとすれば、あいつには俺たちには見えないものが見えているのかもな」
「見えないものが見える・・・エリカには何が見えているのでしょう」
「それはこの先のお楽しみに取っておこう。楽しくないこともあるけど」
「そんな・・・」
「エリカなら、どうにか切り抜けるだろう」
「随分、エリカを信頼しているのですね」
セシリアは拗ねたようにエリックを睨む。
「信頼というか、なんというか」
「信頼でなければなんですか」
「・・・もしかして怒っているのか」
鈍いエリックがようやくセシリアの変化に気が付いた。
「怒ってなどいません。さあ。信頼でなければなんですか。わたくしにもわかるように言いなさい」
「やっぱり怒っているだろう。どうして怒るんだよ」
「怒ってなどいません」
恋人たちの痴話喧嘩に、江梨香の威勢の良い声が割って入る。
「作戦の大枠は決まったわ。次はどうやって実行するかだけど、みんなの意見を頂戴。なんでもいいわよ。少々お金がかかっても問題なし。なんたって金貨1,600枚の大型予算がついているんだから」
資金不足を解消した反動か、江梨香は大規模作戦に舵を切ったのだった。
続く
今回は少し長くなりましたね。
誤字報告、いつも感謝です。




