換金
「エリック。エリック。どうしよう」
予想外の高額回答にショックを受けた江梨香は、隣に腰かけていたエリックの肩を叩く。
しかし、返事がない。
どうしたのかと覗き込むと、顔をこわばらせディアマンテルを凝視しているエリックがいた。
額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「エリックってば」
もう一度肩を叩くと、エリックは油の切れた機械人形のように、少しづつこちらに顔を向けた。
「な、なんだ」
ショックの大きさは同じぐらいだったみたい。
「どうするの。これ」
「どうするって・・・こんなに価値があるものとは思ってなかった。いくら綺麗な宝石とはいえ、石だぞ。魔道具の材料になると言っても、これはまだ宝石のままだ。どうしてこんな値段になるんだ」
エリックの言葉を質問と捉えたシェパードさんが、アリオンの雫について語りだした。
その話によると、このアリオンの雫は随分と由緒正しいダイヤモンドらしい。
百年以上昔にいたとされる伝説の魔法使いによって研磨された石で、その美しさだけではなく、歴代の所有者も有名人ばかりらしい。
誰が、いつ、誰から入手したかなどの来歴がしっかりしている石は、どこから出てきたのか分からない石よりも高価になるとのことだった。
有名人が所有していたこと自体が、価値の向上につながるらしい。
なっ、なるほど、これはあれよ。お父さんが持っているギターと同じ。
中島みゆきスペシャル。
あれと同じに違いない。
江梨香は家に転がっていた、父のギターコレクションを思い出す。
父が若いころに買ったらしい多数のギターの中に、一本だけやけに特別扱いしているギターがあった。
それが、中島みゆきモデルのギター。
シンガーソングライターの中島みゆきが愛用している物と同じモデルであった。
お父さんが持っているのは、復刻版のレプリカモデルらしいけど、それが本物だったらえらいことになる。
アリオンの雫は、言うなれば中島みゆきご本人様のオリジナルギター。
中島みゆき愛用のギターと、お父さんのレプリカギター。全く同じモデルでも、価値は天と地ほど違うもんね。
桁が違うのも納得。
江梨香が自分を無理やり納得させようとする中、シェパードは残りの石の説明を進めた。
結果として、アリオンの雫以外のダイヤモンドは、全部あわせて総額フィリオーネ金貨1,600枚相当になる。
アリオンの雫の金額に価値観が破壊されているので、大きな反応を示せなかった。
結構大きな石がほかにもあるのに、すべて合わせてもアリオンの雫の半分にもいかないのか。
うーん。ダイヤモンドの鑑定はわかんないわね。
価値の基準が全く分からず、値上げ交渉をしようなんて心持は、空の彼方へ飛んで行った。
「で、どうするんだ」
今度はエリックが江梨香に問いかける。
「どうするって」
「このディアマンテルを売るのか、売らないのか。江梨香が決めてくれ。俺は預かってきただけだからな。裁判に金貨がいくら必要なのかなんて知らないぞ」
エリックから責任という名のボールが飛んできた。
「そういわれても・・・」
うーん。どうしよう。
ボールを受け取った江梨香は、腕を組んで考え込む。
目の前のダイヤモンドの時価総額は、なんとフィリオーネ金貨5,000枚以上。
すべて換金したら重くて持ち運べないレベルの枚数だ。
運搬するには羽黒を呼んでこないと。
裁判の活動費は目標額をはるかに超えて、もはや訳わかんないレベルにまで到達してしまった。
しかし、確実に勝訴するためには、どれぐらい資金を集めたらいいんだろう。
裁判の状況は、ロジェ先生の作戦が炸裂して、一回はイーブンに持ち込めたけど、討伐軍が勝利した報せが届いてからは、検察側が強気の姿勢を取り戻した。
あちらが想定している通りに裁判が進行しているようで、流れはあまり良くない気がする。
それをひっくり返すためには、多額の活動資金が必要だ。少なくて困ることはあっても、多くて困ることはないのだから。
そういう意味でも、エリックの上洛は、ジャストタイミングだった。
多額の資金があれば、禁断の手法、陪審員の買収だって可能かもしれないし、連座制の拡大解釈作戦のさらなる展開にも有効だろう。
裁判でズルはしたくないけど、人の命がかかっているのなら、個人的なこだわりは悲劇への片道切符になりかねない。
一度失われた命は、金貨一億枚を積んでも蘇ることは絶対にない。いざとなれば、法の正義には目をつむってでも、勝訴への道のりを突貫するしかないのよ。
そのためにも、資金は多ければ多いほどいい。いいに決まっている。金貨5,000枚は、勝利への大きな架け橋になってくれると思う。是非とも活用したい。
だけどね。
簡単には決められないのよ。
その最大の理由は、これらが私の持ち物ではないってこと。
私の持ち物だったら、満面の笑みで売却するのだけど、これはヘシオドス家の資産。
エリックの話だと、ヘシオドス家のご隠居様が、孫のマリエンヌのために供出してくれた品。
言うなれば、マリエンヌの持ち物なのよね。本来、私がどうこう出来る品物ではない。
しかし、資金は必要。エリックの頑張りを無駄にすることも絶対にできない。お金やダイヤモンドを提供してくれた人たちの期待にも応えなくてはならない。
数分間悩み続けた江梨香は、組んでいた腕をほどいた。
「決めました。アリオンの雫以外を売ります」
「・・・承りました。ご利用ありがとうございます」
江梨香の宣言にシェパードが一瞬、落胆の色を浮かべたが、深々と頭を下げ表情を隠した。
「いいのか」
エリックの問いかけに頷き、江梨香は慎重な手つきでアリオンの雫を掌に乗せた。
「流石にこれはお金に換えられない」
「そうだな。フィリオーネ金貨1,600枚もあれば十分だろうし、全て売り払うのも気が引けるか」
「うん。元々、私たちの持ち物じゃないしね。これは、マリエンヌの出所祝いにとっておく。無事釈放されたときにマリエンヌに返すわ」
「いきなりこんなものを渡されたら、そのマリエンヌ様も驚くだろうな」
「うん。サプライズアイテムとしては最高の品よ。これさえあれば、他の財産が没収されたとしても生活には困らないでしょ」
「一生安泰だ」
エリックが力強く頷く。
「よし。そうしよう。セシリー。これを収める箱とかない? あったら貸してほしいの」
「用意いたします」
セシリアが答えると、そばで控えていた使用人が部屋を出て行った。
これほどの価値のある宝石。袋に入れたままにしておくのはまずい。厳重に保管しないと。
こうして、江梨香たちは大金を確保することに成功したのだった。
続く
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