賊
油断していたわけではない。甘く考えていたわけでもない。
ただ、誰かが自分に害意をもって襲い掛かるという状況が、完全には理解できていなかった。
まして白昼堂々、大人数で襲撃されるとは思わなかった。
いや、思いたくなかった。
三回目の公判も有利な展開で終わらせることができた江梨香は、そそくさと円卓の坂を下る。
一刻も早く館に帰りたい。
先頭をオルヴェークが進み、最後尾はアラン。
江梨香はオルヴェークの次を進み、両脇をクロードウィグとエミールが固める。その後ろにコルネリアとユリアだ。
二人の周りはロジェ先生と学生たちが固める。一見すると、どちらがターゲットか分かりにくいはず。
これならば、襲う方も目標が絞れず戸惑うはず。そういう作戦だった。
だから、大通りに出た途端に、どこからともなく集まってきた襲撃者を目の当たりにした時、その大胆さに意表をつかれたのだ。
襲撃者たちが手にした短刀が、夏の日差しを跳ね返す。
その光に照らされ、江梨香の思考回路のチャンネルは音を立てて切り替わった。
ざっと見たところ、襲撃者の数は十数人はいるだろう。それ以上に増えるかもしれない。
先方はどうやら、全員まとめて始末するつもりのよう。
私が何とかしないといけない。
その一念のみで、江梨香はオルヴェーク卿をも追い越して一行の先頭に立つと、あらかじめ考えていた防衛戦闘を試みた。
それは、初めて魔法が発現した時と同じ魔法。光の魔法だ。
この魔法であれば、竜巻を起こす風の魔法とは違い、相手に怪我を与える心配が少ないと思った。
オルヴェークの狼狽えた呼びかけを片耳に引っ掛け、江梨香は賊に向かって左腕を突き出す。突き出しはしたが、そこで固まってしまった。
用意していた光の魔法を発動できない。
なぜなら、賊の中の一人。自分の正面にいた賊の目を見てしまったからだ。
光の加減からか、黄色ががったトパーズのような色合いを放つ瞳を。
その瞬間、頭から冷水をかけられたような衝撃を覚え、あることを思い出した。
私はこれまで人に向かって魔法を放ったことがない。
一度目は狼相手に無意識だったし、魔法を覚えた後も、藁束や誰もいない空間に向かって放ったのであって、明確に人を狙って魔法を発動させたことが無い。
そのことに気が付いて、思考がフリーズしたのだ。
どうしよう。
コルネリアとユリアに危害が及ばないようにしなくてはならない思いと、人に対して絶大な力を行使する事への恐怖。
焦燥と葛藤の中で、視界がゆがむ。
一秒にも満たない刹那の中で、唐突に聞き覚えのある声が頭に響いた。
『手間のかかる嬢ちゃんだな。自分で何とかするって決めたんだろうが。バシッとやれよ。それとも俺が代わりにやってやろうか』
そのあざけるような声色に、めちゃくちゃ腹が立った。
うっさい。あんたは出て来るな。
江梨香は右手を左腕にそえ、覚悟を決める。
『光よ』
王宮へと続く大通りの中央付近。
襲撃犯が多く集まっているところに、江梨香の魔法が発現した。
まるで光の爆弾が炸裂したような閃光が、大通りを切り裂き、男たちの断末魔のような悲鳴が響き渡る。
かつてセンプローズ将軍に対して、専守防衛を唱えていた女の姿はそこにはなかった。
先手必勝。
初手、最大限の攻撃。
囲まれる前に、前方に向かって逃げる。
これが一番確実で、被害が少ないはず。
江梨香の予測は的中した。
四方から押し寄せようとした賊の半数が、江梨香が放った閃光を直接見てしまった。
目の前で強力なストロボを焚かれたようなものだ。視界は白と赤で埋め尽くされ何も見えないだろう。
江梨香の正面に布陣した賊たちは、手にした武器を放り出してのたうち回る。
「エリカ様。アスティー家へ」
オルヴェーク卿が、両手を突き出したままで固まっている江梨香を、抱きかかえるようにエスコートした。
大通りからだと滞在先の館よりも、アスティー家の方が近い。
一行は、両目を抑え狼狽える賊たちを突き飛ばし、全力で走った。
だが人間、そう長くは走れない。
アスティー家までのおよそ五百メートルの距離が、途方もなく遠くに感じる。
何度も振り返り、追手はいないか、遅れた者はいないかを確認する。
息も絶え絶えになりながら、なんとかアスティー家の敷地内に転がり込むと、そのまま前庭を通り抜け、立派な玄関前にたどり着いた。
ここまでくれば安全だろう。
安心すると急に足に力が入らなくなり、江梨香は転がるように座り込んだ。
「ご無事ですか。エリカ様」
痛む脇腹を抑え息を整えていると、クロードウィグに米俵のように抱えられ運ばれていたユリアが、着地と同時に抱き付いてきた。
「・・・大丈夫・・・よ」
疲労と恐怖で喉がカラカラになり、うまく声が出ない。
初めて命を狙われた。
襲撃犯と対峙した時に感じた恐怖は、先の戦争とはまた違うものだった。
より陰湿な感じ。
「賊の前に飛び出すなんて無茶です。死んでしまいます」
「うん・・・ごめんね・・・私のせいで・・・迷惑かけて」
ローブに顔を押し付けるユリアの頭を撫でてやると、笑顔のコルネリアが近寄る。
「よくやりました。エリカ。思い切りのよい見事な力でした。あれほどの強力な光。大したものです。流石の魔法量だ」
この人も全力ダッシュしたはずなのに、涼しい顔をしている。多少息が荒い程度だ。
基礎体力が違うのよね。こっちに来てから私も体力ついたんだけどな。
息が上がっているので無言で頷く。
「あとは私に任せなさい」
そう告げると、コルネリアはアスティー家から出ていこうとするので、慌てて声をかけた。
「待って。どこに行くの」
「エリカが魔法を使いましたからね。十人委員会と騎士団に報告する。往来での魔法の発動は禁止されているが、事が事です。事情を話せば咎は及ばぬ」
「えっと、私も行った方がいいよね」
「何を言っている。また、襲われたらどうするのです。ここで大人しくしていなさい」
そう言い残すと、コルネリアはアスティー家から王宮へ向かうべく背を向けた。
「待って。待って。エミール。クロードウィグ。二人はコルネリアについて行って。お願いよ」
いくらコルネリアが歴戦の魔法使いとはいえ、一人歩きは危険すぎる。
「わかりました」
江梨香の命を受けたエミールは、剣を掴みコルネリアの後を追った。
「クロードウィグもお願い」
「離れると危険だ。また、襲ってくる」
普段は命令に背くことのないクロードウィグだが、今回は動こうとはしなかった。
「私は大丈夫よ。このお屋敷にはたくさん人がいるし。誰も襲ってこないから」
事実、一行が襲われたことを知って、アスティー家の周りには武装した人々が集まりだす。
「ライミーレも襲われない」
クロードウィグは、コルネリアのことをライミーレと呼ぶ。
「私と間違えられるかもしれないでしょ。いいから行って」
江梨香の言葉に、渋々といった様子でクロードウィグも屋敷から出て行った。
その後ろ姿に一息つくと、屋敷の中からフリードリヒが多くの側近を引き連れて現れた。
「エリカ。大事ないか」
「はい。私は平気です。お騒がせいたしました」
フリードリヒに頭を下げる。
「構わぬ。しかし往来での襲撃とは大胆な奴らだ。エリカよ。心配はいらぬ、これよりはこの屋敷で過ごすがいい。ここであれば誰も手出しは出来ぬ」
「でも、ご迷惑を・・・」
断ろうとしたが、フリードリヒは江梨香の言葉を聞いておらず、傍らに控えていた家臣に、江梨香の部屋を用意するように命じた。
更にオルヴェーク卿を招き寄せ物騒な命令を下した。
「オルヴェーク。其方は襲撃された場所に戻り、賊の手掛かりを探せ。もしも賊が残っているようであれば捕らえよ。邏卒どもに先を越されるな」
「はっ。人数をお借りしても」
「許す。お前たちも共に行け」
「はっ」
フリードリヒの左右を固めていた騎士たちが、オルヴェークの後に続き屋敷を出ていった。
次にアランを呼び寄せ、襲撃時の詳しい状況を尋ねる。
その冷静かつ迅速に対応する姿に、頼もしさを覚えた。
アランとの会話が終わり、家臣の一人がフリードリヒに耳打ちをすると、形の良い眉が跳ね上がった。
「なんだと。いつのことだ」
「四日前になります」
「そうか。父上にもお報せせよ。大至急だ」
「はっ」
一礼した家臣が、早足で立ち去る。
江梨香はフリードリヒの表情に、不吉な色を見つけた。悪い報せに違いない。
「何かありましたか」
「いや、大したことではない」
「もしかして、私のせいですか」
江梨香の泣きそうな顔を哀れに思ったのか、フリードリヒが微笑みを浮かべた。
「違う。討伐軍が国境の砦を落としたようだ。これでメルキア本領への道が開かれたことになる。ヘシオドス家にとっては悪い報せだろう」
そうか、討伐軍が勝ったのね。裁判への影響は未知数だけど、朗報とは言えない。マリエンヌの故郷が戦乱に巻き込まれてしまう。
「エリカは気に病む必要は無い」
「でも」
「新たなる報せが届けば、其方にも伝えよう」
「ありがとうございます」
一度に色々なことが起こりすぎて、脳が情報を処理しきれない。
次の動きが分からず、江梨香は途方に暮れた。
続く
いつも誤字報告ありがとうございます。




