影武者
外出禁止令が出され、館に引きこもっていた江莉香の下に一人の騎士が現れた。
「ご無沙汰をしております。エリカ様」
優雅で機敏な挨拶。高い身長に立派な衣装。ナチュラルに偉そうな態度と、悪気なく人を見下したような冷たい視線。
間違いない。オルヴェーク卿だ。
こんにちは。北部戦役以来ですね。
用件を尋ねると、オルヴェーク卿も、若殿から私の護衛の任を受けたらしい。
館に籠っていれば大丈夫だと思うけれど、アラン様一人だけだと、休む暇もないからね。交代要員ってことなのかな。
どちらにせよ、お手数をおかけします。
若殿にもご迷惑をおかけしているから、終わったらお詫びに行かないとね。
私が滞在している館は、分不相応にも広い中庭がついている上等なアパルトマン。
だから、一日中家に引きこもっても全く気にならない。
散歩がしたければ、テニスコート二面分ぐらいの広さがある中庭を歩けばいい。必要な品は館の管理人さんたちに頼めば、その日のうちに揃えてくれる。
至れり尽くせりだ。
門や勝手口は、ドーリア商会が手配してくれたガードマンの人たちが警備してくれるし、館の中にはアラン様やエミールも居るから、そうそう誰かが襲い掛かってくることもないと思う。
それでも油断してはいけないと、周りから何度も忠告された。
もちろん私だって死にたくないから、忠告には素直に従う。
裁判の二日目からは、ロジェ先生もこの館に滞在している。一番狙われるのは、この裁判を主導している先生だもんね。
ただ、彼の場合は、私と違って引き籠ってばかりもいられない。
十人委員会との折衝や、情報提供者との接触、牢に繋がれたマリエンヌの様子も見てもらわないといけない。
だからロジェ先生が外出する場合は、クロードウィグに護衛についてもらった。
この人が護衛しているところに襲い掛かる物好きも、そうはいないと思う。
私はと言うと館の中でも、常にユリアかコルネリアのどちらかと、共に行動しろとのお達しだ。そのコルネリアと弟のマールの二人も館で暮らすようになり、ずいぶんと賑やかになった。
館に通う学生のみんなにも、一人歩きは止めて、二人組で行動することを徹底してもらう。
そして、この件から抜けたい人は、すぐにでも抜けてもいいと伝えた。
私とロジェ先生は、意地でやっているところがあるからいいけれど、周りの人、特に学生のみんなは、身の危険を顧みずに取り組むことでもないだろう。
裁判の勉強なら、他の公判でもできる。
わざわざ難易度の高い本件に、参加する必要もないと思う。
また、絶対にやらないけど、いざとなれば王都からバックレられる私とは違い、みんなには王都での生活がある。
ここまで協力してくれただけでも感謝感激です。手持ちが心細いけど、できる限りのお礼はするつもり。
そのことを話したけど、ここを去る人はいなかった。
大半の人が立ち去ると思っていたから、これには正直驚いた。
伝わらなかったのかと思い、二回も話したもんね。
なのに、迷っている人もおらず、しまいには勝訴の暁にはお礼をはずんでくれと、冗談が飛び出す始末。
私が、もちろん任せとけと安請け合いをしたら、ドッと笑って囃し立てる。私も一緒に笑った。
みんな肝が据わってるわね。
そもそも、謀反人の弁護をしようなんて連中は、そんなものなのかもしれない。先を見越してうまく立ち回れる人は、本件に参加すらしないだろう。
ここにいるのはいかれた奴か、リスクヘッジが苦手な人しかいないのよね。私も同じだから親近感が湧くわ。
そうは言っても最低限のフォローはしないといけない。
事態が悪化して、みんなが王都での暮らしがままならなくなったら、将軍様に頼んでオルレアーノで暮らせるようにお願いしよう。ニースやモンテューニュで良かったら喜んで迎えるし、エリックも駄目だとは言わないと思う。
こうして、引きこもり生活をしていたわけだけど、館から出ないといけない日がある。
それが裁判の日。
裁判は、三日に一回か、四日に一回のペースで、晴れの日に行われている。雨が降ったらお休みよ。
流石にこの日は、外出しないわけにはいかないのよね。
私が裁判に顔を出さなくなったらマリエンヌが不安がるだろうし、彼女を少しでも勇気づけるためにも、多少の危険は仕方ない。
そう考えていたのだけど、その決心が大きく揺らぐことになった。
三回目の公判の日。
コルネリアから地味な色合いのローブを渡される。
「エリカはこれを着なさい」
「これ? でも、こんなのを着たら暑くない」
手触りからしても厚手のローブ。ちょっとした外出で羽織るようなものではなく、旅とかで使う丈夫なものだ。
「暑くても我慢しなさい。顔も出してはいけません」
「顔も? 」
「そうです。頭からしっかりと被るのです」
この気温で、風通しの悪いローブを頭からすっぽり被るの。
日よけにはいいけど、熱中症にならないか心配。
「死にたくなければ、言うことを聞きなさい」
えっ、どういう事と口にしかけると、コルネリアが手渡された物と全く同じ色のローブを身にまとっていることに気が付く。
嫌な予感が脳裏を駆け巡る。
その予感を口にする前に、今度はユリアが食堂に入ってきた。
「コルネリア様。これでよろしいですか」
ユリアも同じ色の地味なローブを纏っていた。
「上出来です。しかし、よいのですか。ユリア。とても危険ですよ」
「はい。覚悟の上です。私もお役に立ちたいのです。それに二人よりも三人の方が、混乱させられます」
「・・・すまぬ」
「ちょっと待って。ちょっと待ってよ」
江梨香は二人の会話に割って入る。
二人で盛り上がっているところ申し訳ないのだけれど、これって、もしかしてなんだけど。
「私の身代わり・・・なんじゃ」
「身代わりではない。計略だ」
コルネリアはいつもの無表情を崩さない。
「三人とも同じ服装の女がいれば、賊もどれが狙うべき対象か迷うでしょう」
嫌な予感が的中した。
コルネリアとユリアは、私の影武者をやろうとしている。
「駄目駄目駄目。間違えられて殺されちゃうかもしれないでしょ。絶対にダメ」
そんな危険な真似はさせられない。
身に危険が及ぶかもしれないのは、私の問題であって、コルネリアやユリアには関係のないことよ。
江梨香は絶対に認めないと、むきになって言い募ろうとするが、コルネリアに一喝された。
「くどくど言わない。これはすべてエリカが招いたことです。受け入れなさい」
コルネリアは手にした杖で床を打ち鳴らす。
乾いた音と共に、杖先から魔力の波紋が広がり江梨香を打ちのめした。
自分が招いたことと言われると、返す言葉が見つからない。
幾度となく止めろと言われていたのに、事態をここまで強行したのは自分自身。
「それとも今後の裁判はロジェスト殿に任せ、大人しく館に残りますか。ならばこのローブは必要ない」
コルネリアの迫力に、江莉香は進退が窮まった顔をする。
どうしたらいいのよ。
この件の言い出しっぺとしては、最後まで見届ける義務がある。身の危険があろうとも、途中退場なんかはしない。
今日の裁判の傍聴人が、私一人だったとしても出席する。これは絶対。
だからといって、代わりにコルネリアとユリアの身に危険が及ぶことも、許容できない。
こんなことに、答えなんか出るはずがないわよ。
「二人に何かあったら」
辛うじてそれだけを絞り出す。
「標的の見分けがつかねば、賊も襲撃を躊躇うだろう。ユリアの身は私が責任をもって守ります。エリカは自分の心配だけをしていなさい。その腕輪がただの飾りでないと、見せてみよ」
コルネリアの強力な眼差しを浴び、江梨香は反射的に左腕をさすった。
自分の身は自分で守るのが、魔法使いの最低限の義務。そう教えられてはいた。その点に関しては全く異論はない。
腕力の自信はゼロだけど、魔力の自信ならそれなりに。
「だけど」
「この策は私の独断ではない。トリエステル卿とオルヴェーク卿も既に承知の上」
どうして承知しちゃうかな。あの二人は。断りなさいよ。
自分のことは棚に上げて、騎士の二人に怒りを覚える。
コルネリアは王様直属の魔法使いなのよ。私以上に何かあったらまずいでしょうが。ユリアなんか年下の女の子なのよ。影武者の真似事なんて。
どうにかしないと。
エリカは態勢を立て直そうとした。
「そうよ。ユリアは背が小さいんだから、私と同じ格好をしても仕方ないじゃない。騙せないわよ」
せめてユリアだけでもやめさせないと。
私とコルネリアは、いざとなれば魔法をぶっ放せるから何とかなるかもしれない、いや、なんとかするけど、ユリアにはそれも望めない。
彼女の身長は150㎝ぐらいで小柄。同じローブを身にまとったとしても、襲撃犯が間違えるとは思えない。
一縷の望みをかけてそういうが、コルネリアとユリアの二人に否定される。
「ユリアが望んだことです。私は彼女の意思を尊重する」
「そうです。それに見分けに迷うだけでも効果があります」
ひと時の押し問答の末、江梨香はコルネリアの作戦を受け入れるしかなかった。
その気はなくても周りに迷惑をかけていることを、再認識させられる。助けようとしてくれる気持ちはうれしいが、自分にそんな価値は無いと、暗澹たる思いで館を出たのだった。
これは、私がどうにかしないと。
具体的には・・・
続く




