異質な存在
食卓の片隅で、アランは江莉香とロジェストの会話を黙って聞いていた。
やがて、作戦会議を終えたロジェストが帰宅のために立ち上がると、その後に続く。
「ロジェ先生。良ければ飲みなおさないか」
館の前で辻馬車を探していたロジェストに声を掛ける。
「なんだ。珍しい。お前の奢りか」
「高い店でなければ」
「いいだろう。人の金で飲む酒ほど美味いものはない」
二人はエンデュミオンの歓楽街、ラキッチュへと足を向けた。
「ぷはぁ。安い酒だ。エリカ殿の館で飲む葡萄酒とは大違いだな。だが、それがいい」
古びた居酒屋で、ロジェストは安酒のロッシュを飲み干すと、器を卓にたたきつけた。
亭主がそれを横目でにらみつける。
「あの女。センプローズの子飼いだけあって、いい暮らしをしているな。住みかも立派。食事も豪勢。着ているものも上質だ。お前、狙ってみたらどうだ。まだ誰にも嫁いでいないだろう。彼女」
「未婚だ」
「よし。決まりだ」
「勝手に決めないでくれ」
アランも苦笑いを浮かべつつ、安酒を喉に流し込んだ。
「お前なら落とせるだろう。騎士の身分だし、フリードリヒ様の馬廻りで将来も有望。見栄えも良い。少し迫れば、彼女も首を縦に振るだろう」
「あんたはどうなんだ」
「私か。私はお断りだな。いや、気に入らないと言ってるのではないぞ。むしろ気に入っている。背が少し高いが美人だ。鼻は低いがそれも愛嬌。性格もきつめだが、あれぐらいの方が張り合いがある。夫に従順な女が好きな輩も多いが、私は逆だな」
「ならば、迫ってみればいいだろう。誰も止めはしない」
「妙な肩書きが無ければそうしていたかもな」
ロジェストは二杯目を亭主に注文する。
「神秘を司る魔法使いで、教会のアルカディーナ。おまけに砂糖ギルドの代表だと。何をしたらそんな素性の女が出来上がるのやら」
「あんたでも二の足を踏むか」
「二の足を踏むと言うか」
ロジェストは、亭主が注いでくれた二杯目のロッシュに口を付ける。
「お前はエリカ殿をどう見る。連れ合いとしてではなく、何と言えばよいか、そうだな。彼女が男だった場合だ」
「男だった場合? その例えに何の意味があるんだ」
以前エリックと、近い話をしたことを思い出した。
エリックは男も女もないと言っていたが、それには同感だ。
「私もうまく言葉に出来ない。女として見ない彼女をどう思う」
「どうと言われてもな。そうだな、度胸はいい。頭脳も明晰。学園でもなかなかお目に掛れないほどだ。情も深いと言えるだろう」
「そうだな。それだけか」
「他に何かあるのか」
「ある。もっと根源的な話だ」
「もったいぶらずに教えてくれ」
「いいか。ここだけの話だぞ。決して他言無用だ」
「分かったから先を言えよ」
「情けない話だが・・・私はエリカ殿が怖い」
アランはロジェストの顔を見返す。
ふざけているのかと思いきや、その表情は険しい。
「どこが」
「すまん。これもうまくは言えない。だが、私は彼女に異様な気配を感じる」
「魔法使いだからな」
「違う。コルネリア殿には微塵も感じぬわ」
「何が怖いんだ。私には理解できない」
「エリカ殿は何かがおかしい。無論、彼女が異邦人で魔法使いだからかもしれないが、もっと根本的に、何かがおかしいんだ。お前は感じないのか」
「感じない」
「鈍い奴だな。いいか、お前も先ほどの、私とエリカ殿の話を聞いていただろう」
「お役目だからな」
「私は彼女に連座制の拡大解釈をすると言ったんだ」
ロジェストの言葉を受け、アランは椅子に座り直した。
「それなのだが、本気で言っているのか。ペリューニュ子爵を巻きこむなどと。ただでは済まないぞ」
アランとしては、この話がしたくてロジェストを呼び止めたのだ。
「無論本気だ。戯れな訳がなかろう」
「子爵家に命を狙われる。脅しじゃない」
「分かっている。それでもやるつもりだ。この裁判にはそれだけの価値がある」
「私には分からない」
「そうだ。それが普通の反応だ。そこまでして、縁もゆかりもない女に命を張るんだ、普通ではないだろう。私はマリエンヌ嬢に会ったのは、たったの二回だぞ。どこの誰が命を張るんだ」
「ここに一人いるがな」
「もう一人いる」
ロジェストは言葉に力を込めた。
「それがエリカ様か」
「ああ、私は誇り高いディクタトーレ。法と正義と罪人の代理人だ。道半ばで倒れても、私の志は誰かに受け継がれるだろう。そう固く信じている。だが、エリカ殿はどうだ。裁判は初めて。幾ら哀れとはいえ、所縁の薄い女を助けるために、全財産をつぎ込んでいる。何が彼女をそうさせるんだ。法と正義の為か」
「違うだろうな」
興奮し、徐々に声が上ずっていく兄をなだめるように答えた。
「では何のためだ。富か、名声か、ただの情けか。私にはどれも違うように思える。当初はエリカ殿が私の様に、法と正義と罪人の為に戦っていると思っていた。初めて会った時にあの女は、罪無き者は裁かれないと言い放ったのだからな。この私にだ」
ロジェストは自分の胸に、掌を力一杯に叩きつける。
「興奮するな。確かに言っていたな」
「だが、それは彼女のほんの一部でしかないと、今ではわかる。あの女はもっと恐ろしいものと戦っている」
「なんだ・・・まさか国王陛下か」
「違う。そんな生易しい存在ではない」
「陛下が生易しいのか。では、何と戦っている。その、恐ろしいものとはなんだ」
「神だ」
二人の間に、しばし沈黙が流れた。
「・・・酔っぱらいの戯言なら、私は帰る」
「酔ってはいるが戯言ではないぞ。我が不肖の弟よ」
「あんたに不肖呼ばわりされる謂れはないよ。兄さん」
「神としか表現できない。あの女は神、即ちこの世界と戦っているのかもしれない」
「世界と戦う? そんな事をして何になる。神にでもなろうとしているのか」
「そうだ。あの女は古き神を打倒し、新たなる神を目指している。そんな人間を私は知らない。私が拡大解釈の話をしたときに、エリカ殿は驚きはしたが反対はしなかった」
「命の危険を知らないだけだろう」
「そうかも知れない。だがな、命の危険を知っても止めないのではないかとも思うのだ」
「まさか。あのお方は少しばかり頑なではあるが、近しい人間の助言を跳ね除けるほど狭量でもない。北の地で共に戦ったからな。自信がある」
「私は今、共に戦っている。だからお前の話はよく分かる。だが、その異質さまでは変えられないぞ」
ロジェストの低い声がアランに突き刺さった。
「兄さんがエリカ様の何に怯えているのかは分からないが、あの方を危険に晒すのはやめてくれ。あんたの言うとおり、センプローズの子飼いの魔法使いなんだ。それだけではない。彼女が運営するギルドは、一門にとっても要のギルドになるかもしれない。いや、必ずそうなる」
「連座制の拡大解釈はこの裁判の根幹だ。他に良い方法があれば教えてくれ。変更しよう」
「それは兄さんが考えるべき事だろう。そもそもセンプローズはこの裁判に関しては不干渉だ。勝とうが負けようが知った事ではない」
「では、なぜ私に依頼した」
「あんたしか引き受けそうなディクタトーレがいないからだ。学生に任せておけないと、兄さんも言ったじゃないか」
「ふふっ。分かっているではないか」
「褒めているわけではない」
「私には褒め言葉だ」
ニヤリと笑うとロジェストはロッシュを煽る。
「この事は若殿にご報告する」
「好きにしろ。それがお前のお役目だからな」
「若殿からやめるようにお達しがあれば、連座制の拡大解釈はやめてくれ」
「お前がそう進言するのだろう」
「ああ」
「裁判は不利にならざるを得ない」
「ああ」
「だがその場合、エリカ殿がどう動くか誰にも予測できないぞ」
「私とコルネリア様とでどうにかする。いざとなれば縛り上げ引きずってでも、ニースに帰っていただく」
「魔法使いを縛り付けるのか。教会も黙ってはいないぞ」
「死なれるよりかは、遥かにましだ」
「いいだろう。依頼主がいなくなれば、私としても動きようはない。マリエンヌ嬢の処刑を、この目で見届けることぐらいしかな」
アランは無言で兄を見つめる。
「だがなアラン、忘れるな。マリエンヌ嬢の死は、ただの謀反人の娘の死ではない。我々が何かを失った日でもあるのだ。私にしか分からんことかもしれんがな」
「いつもそんな気持ちで弁護しているのか」
兄の意外な一面を目にし、アランの声は張りを失う。
「どうだかな。そうかもしれんし、違うかもしれん。後になって分かる事なのだろうよ」
そう言うとロジェストは、頬杖をついて目を閉じる。
アランは兄の言葉を、酔った勢いと片づけるべきか悩むのだった。
続く




