魔法の価値
儀式から数日たちエリックの生活はセンプローズの屋敷を中心に営まれていた。
フリードリヒはエリカの処遇に困っているようだ。
彼女が魔法使いであることが明白であれば、すぐさまセンプローズのクリエンティスに勧誘しただろう。魔法使い一人抱え込むのは千人のクリエンティスを得ることに匹敵する。一門の勢力を簡単に増やすことができる。なりふり構わない勧誘が行われるはずであったが、出た結果は「判らない」という結果とは言えないものだった。
ただ、手放すこともできず客人として遇していた。
そして、あの日からエリカの元へ足しげく通う人がいる。
「おはようございます。コルネリア様」
エリックは朝一に門を叩く灰色のローブをまとった女性に挨拶した。
「おはよう。エリック。エリカ嬢はいらっしゃるかい」
「はい。食事も終わりましたので、案内します」
エリックはフリードリヒからの命令通りエリカの護衛役として働いていた。
コルネリアはよほど、エリカのことが気になるらしく、あれから一日も欠かさず屋敷に通い、実験と称しては様々な事をエリカに試していた。フリードリヒの依頼かと思っていたがどうやらコルネリアの要望らしい。センプローズとしてもエリカの正体が判るのであれば拒否する理由もない。
朝の内はコルネリアの魔法研究に立ち会い、昼からは学園から帰ってきたセシリアがエリカと外出するのに付き添う。そんな穏やかな日々が続いた。ある日。
「セシリアはどんな魔法が使えるの」
エリカはカフィのカップから口を離して尋ねた。
セシリアは帰宅するとエリカとコルネリアをカフィに誘った。三人は屋敷の庭園で日差しを浴びながら魔法談議を始める。魔法の話となるとエリックに言えることは何もない。黙って自分のカフィに口をつける。
「わたくしの魔法ですか」
セシリアは少し考えてコルネリアを見た。
「エリカになら話しても問題ないでしょう」
コルネリアが許可を出した。どうやら自分の魔法について語るのはあまりよくないことらしい。
「わたくしは火と水それに風のエレメントを操れます。まだまだ未熟ですが」
「凄い。三つもエレメントを操れるの。二つでも凄いんですよね」
エリカはコルネリアに確認する。
「そうです。セシリア様は大いなる才能の持ち主です」
「そんなことはありません。どれも未熟でコルネリア様の足元にも及びません」
セシリアははにかみながら謙遜してみせた。
「エリカは光のエレメントが使えるのですよね。光はとても珍しいエレメントです」
「そうなの? コルネリアさんも使えるみたいだけど」
二人はいつの間にかお互いを友人として認め合ったようで口調も気軽なものに変わっていた。
「ええ。コルネリア様の光のエレメントは王都でも上位の強さです。お若いのに導師の称号も取りざたされていますし」
「まだまだですよ」
コルネリアは澄ましてカフィを啜るがまんざらでもない様子だった。
「研究熱心ですしね」
エリカも笑って同意した。
「エリカはどんな魔法使いになりたいですか」
セシリアの何気ない一言が油に火を投げ込むことになるとはエリックも思わなかった。
エリカは間髪容れずにこう言ったのだ。
「私。魔法使いになる気ないわよ」
「「はい? 」」
二人の女性の言葉が完全に同調した。エリックはたまたまカフィを口に運んでいたので声が出なかったが、代わりに気管にカフィが入り盛大にむせ返るのだった。
私の返事に二人はシンクロした返事を返してきた。隣ではエリックが盛大に咳き込んでいる。
そんなに変なこと言ったかな。
「それは、どういう意味ですか」
セシリアが食い気味に尋ねてきた。
どうと言われても、そのままの意味なんやけどね。
コルネリアと話していて知ったのだが、魔法というものは生まれ持った才能と厳しく長い修練の末に獲得できる技能だ。コルネリアは6歳の頃に魔法に目覚め以来十数年、その研鑽に励んだらしい。それはとても立派で尊敬できることなんだけど。
「魔法って何の役に立つの」
コルネリアから魔法の基礎を聞きかじった江莉香の、それが結論であった。
「なんのって」
セシリアが絶句する。
「エリカ。いくら何でもお二人に失礼だぞ」
態勢を立て直したエリックが怒る。
「ごめんなさい。二人を侮辱するつもりはないのよ」
慌てて頭を下げる。
「エリカ。それはどういう意味ですか」
コルネリアが静かにカップを皿に戻した。声のトーンがいつも以上に淡々としている。それが逆に怖い。
やばい。虎の尻尾を踏んでしまった。
「どういう意味って言うか。セシリアは火とか水を使えるのよね」
「ええ」
「それは、簡単に言ってしまえば、火や水を何もないところから召喚するのでしょう」
「何もないところからではありません。己の魔力と世界に満ちるエレメントを結合させて行使するのです」
コルネリアがすかさず訂正する。
「そうでした。でも、その結果として火とか水とかが出てくるのよね。それって不思議で神秘的で面白いけど、何の役に立つの? 」
「何の役って」
セシリアが再び絶句した。
そうなのだ。例えば火の魔法が使えたとする。それで江莉香の今の生活に何の役に立つのだろうか。せいぜい火を起こすときに火打石をキンキンしなくて済む程度だ。ライターもしくはチャッカマンかな。仮に凄く修行して凄い勢いで火が使えたとする。
これ本当にどこで使うの?
火炎放射器の様に火が飛び出たとして今の生活で使える場面が思いつかん。魔法を使えることにそれなりの憧れや興味はあるが、別に江莉香は戦車になりたい訳ではない。いやこの場合はゴジラか。
水のエレメントを行使したとしても同様だ。アリシアの畑の水やりが簡単になったり、見えない水筒を常に持参しているのと同じだ。便利と言えば便利だがその程度だ。これまた凄く修行して水が大量に出たとする。神秘的で人の力とは思えないが、何の役に立つ。別に江莉香は散水機や消防車になりたい訳ではない。
つまり、全て代用可能な技能なのだ。
稀有な才能と長い修練の結果。代用可能な技能に力を入れるのは非効率だ。狼の前で光が出た結果、命が助かったから役には立っているのだが、どうやら自分には魔法の才能がないらしい。なぜか使えた、という事実があるだけで、それでは頑張って長い時間をかけて修行して魔法使いになろう、とは残念ながらならない。それより他にやりたいことが多い。
そうそう何度も狼に襲われないだろうし。
もしかしたら私の想像もつかない画期的な使い方があるのかもしれないが、それだって一朝一夕に身につくものでもあるまい。人生をかけた修行が必要なんじゃないのかな。
こちらの世界では魔法使いはとても尊敬されており社会的地位も高いようなので、江莉香は魔法そのものより、そこに価値を見出した。今の自分の待遇もそこに起因しているのだ。
これらのことを相手の侮辱にならないように気をつけながら話した。
「面白い。実に面白いですよ。エリカ」
コルネリアは滅多に見せない笑顔で江莉香の話を聞いた。
あかん。めっちゃ怒ってはる。
エリックは石像みたいに固まっているし、セシリアは俯いて何かブツブツ言い始めた。みんな、余計なこと言ってごめんなさい。
エリックは絶句しながらエリカの話を聞いた。
魔法は役に立たないという彼女の主張はエリックにとって受け入れられない主張であったが、反論する言葉が見いだせなかった。
これまでも変わっているとは感じていたがここまでとは。
魔法の力を特に何でもないと語るエリカに不信感を覚えると同時に、魔法の力が無くても自身の価値に変わりがないと言っているようで、そのことに強い衝撃を覚えた。
自分の価値は自分で決めろ。そう言われた気がした。
エリカの暴走で会はお開きとなった。
日が暮れ、エリックは当てがわれた長屋へと歩みを進めると、庭の片隅でうずくまる小さな人影を見つけた。
「セシリアお嬢様? 」
声をかけると、うずくまった人影が動いた。
「ああ。エリック」
面を上げたセシリアの顔は涙に濡れていた。
「どうなさいました」
慌てて駆け寄る。
「何でもありません。ただ、悲しくなっただけです」
「悲しく。エリカのことですか」
あれ以来セシリアの様子が少しおかしいことには気が付いていた。
「そうではありません。ただ。エリカが羨ましくて、自分があまりに惨めで」
そう言うとまた顔を伏せて泣き出した。
「惨め・・・・・・」
大貴族の令嬢が浮かべる感情ではない気がした。
エリックの疑問を知ってか知らずかセシリアは己が胸の内を漏らし始める。
「そうではありませんか、わたくしは本来このような場所にいられる者ではありません。それが魔法の力で今の生活を手にしました。もう、お腹を空かせることもありませんし、誰かにぶたれたりもしません。それはとてもありがたい事です。でも・・・・・・」
しばらく沈黙した後、エリックを見据えた。
「本当に欲しいものは手に入らないのだわ」
エリックは嗚咽にむせぶセシリアを衝動的に抱きしめた。
「エリック。エリック」
セシリアもエリックにしがみついて泣いた。二人は庭の片隅で人知れず抱き合うのだった。
月が手の平分移動したころ、エリックは決心してセシリアに声をかけた。
「セシリー」
それまでと違う呼びかけにセシリアは驚いて顔を上げた。
「エリック」
「セシリー。俺はニースの村を大きく豊かにする。そして必ず出世してお前を迎えに行く。それまで待っていてくれ」
セシリアは泣きながらほほ笑んだ。
「ふふ、ありがとうエリック。嬉しいわ。しかし、わたくしセシリア・インセスト・センプローズはあなたを待つことはできません。全てはお父様や兄さまの思惑次第でしょう。でも、でも、あなたのセシリーはいつまでも待っているわ。必ず迎えに来て」
「ああ。必ずだ。約束する」
「うん」
エリックがセシリアの顎を上げると、セシリアは目を閉じた。
エリックはその小さく淡い色の唇に自分の唇を重ねた。
「ふふ、夢でも見ているみたい。エリックがわたくしにキスしてくれるなんて」
「夢じゃないさ。そして必ず、大殿に認めてもらえる人間になる。なってみせる」
「そう、信じてる。でも、一つだけお願いがあるの」
「なんだ」
「あなたの出世のためにエリカを利用しないでね。それでは今のわたくしと同じ目に彼女を合わせることになるわ」
エリックは少し痛いところを突かれた。
これまでの事を思い返してもエリカの力によるところが大きい。
「わかっているよ」
しかし、そんなことではいつまで経っても、しがない平民のままだ、セシリーを迎えになど行けない。エリックは決意を胸に刻んだ。
「そもそもエリカは俺が利用できるような人ではないさ。聞いただろうお前も。魔法って何の役に立つの、だぞ」
「そうね、考えたこともなかったわ。ただ、立派な魔法使いになることしか。でも立派な魔法使いって何なのかしらね」
「わからない。たぶん解らなくても問題ない程度の事なんだろうな」
そう言って笑い合うと二人はまたキスをするのだった。
続く
なろう系に限らずの魔法って9割兵器のような気がします。分かりやすい敵が出てこないこの話では江莉香みたいな感想になるんじゃないかと思って書きました。
エリックとセシリアの話は書いていて、私の中の市原悦子先生が叫びまわっております。
あら。まぁ。私、見てしまいました。
感想とかあれば、お書きいただけると嬉しいです。