初公判
江莉香は王都の屋敷で、有り金を机の上に並べて腕組みをする。
机の周りには、ディクタトーレのロジェスト。学生手伝いの代表のマール。そして、相談役のコルネリアとユリアが陣取っていた。
このメンバーで話し合って方針を決めている。
その席で、三日後にマリエンヌの初公判が開かれるとの通知をロジェ先生から受け取り、ここからが正念場ですよと、念を押されてしまった。
いよいよ本番か。
ロジェ先生に新しく到着した資金を見せると、現状での活動資金には問題はない。普通に弁護する分には十分と言われた。
しかし、普通に弁護して無罪が勝ち取れるのか。
心配性の蛇が、心の中で問いかけてくる。
普通に弁護して無罪が勝ち取れるのなら、この世界に罪人なんかはいないぞと。
これには楽観論者を自認している江莉香としても、同意せざるを得ない。
目的はマリエンヌの解放であって、裁判を行うこと自体ではない。資金は多いに越したことはなかった。
それにしても、裁判にはお金がかかる。
資料作成、証人の確保、十人委員会との折衝、その全てに資金が掛かる。あらかじめ説明は受けていたけど、実際に支払うとなると、重みが全然違う。
今まで、一生懸命働いて貯めたお金が、朝露のように消えて無くなっていく。何とも言えない、焦燥感に苛まれるのよね。
そして、資金の少なくない額が、賄賂などの裁判とは直接関係のない部分に、吸い取られていくのも腹立たしい。
マリエンヌの待遇改善に掛る費用も、生活費ではなく袖の下だ。
王都では行政や有力者相手には、何をするにも袖の下。
誰もタダでは動いてくれないと、頭では分かっているけど、いい加減うんざりして来た。
袖の下を支払ってマリエンヌの無罪を勝ち取れるのであれば、法の正義や公平性には、一旦目をつむって我慢もしよう。だが、賄賂を支払ったからといって、無罪になるとは限らない。払うだけ、無駄の場合だって多いと思う。
そして、賄賂欲しさに集まってくる連中の何と多い事か。
近頃は毎日のように、助力を装った、金銭せびりの手紙が届く。
ロジェ先生が一瞥の元に破り捨てているが、私一人だとどうしていいのか分からなかった。
悪質な詐欺に、引っかかっていたかもしれないと思うと、憎たらしさが倍増する。
ロジェ先生が破り捨てた後は、私も踏みつけることにしている。
適正な成果に対して、正当な支払いをするのが真のエコノミックアニマル。効果も不明な事柄に支払う銅貨は、一枚たりともないんだから。
積み上げた金貨と銀貨を睨みつけていると、ロジェ先生が質問をした。
「エリカ殿。追加の資金があるとのことですが、どうします。その資金を当てにして大きく動くか、当てにせずに小さく動くか。大きく動けば事態が大きく動きます。小さく動けば小さく動く」
「うっ、うーん」
ある種の方程式のような言葉に、唸り声にも似たため息が零れる。
私だって、出来る事なら大きく動いて事態を動かしたい。その為には追加の資金が必要なのも分かる。
エリックの事だから、メルキアくんだりまで出向いて「何も有りませんでした」と、手ぶらで帰ってくることはないと思う。
セシリアの言葉を借りる訳じゃないけど、何とかして資金をかき集めるてくれるに違いない。そこんとこは疑ってないのよね。
と言うか、成果が出るまでは、例えメルキアが騒乱の巷になっても、帰ってこないんじゃないかと、そっちの方が心配。
「こんな金額で戻れるか」とか言いそう。
ああ、言いそう。変な所で頑固だからね。大丈夫かな。
頭を悩ませていると、コルネリアの明確な言葉が鳴り響く。
「そのようなことは、エリック卿の資金が到着してから考えればよい」
「ですよね」
正に、捕らぬ狸の皮算用。悩むだけ無駄かも。
「今は、三日後に備えることが先決」
コルネリアが言い放つと、ロジェ先生は頷いた。
「そうですね。今後の動きは、追加の資金を拝見してからにいたしましょう。ただし、裁判には流れというものがあります。流れに乗り損ねた後に、資金が到着しても役に立たぬことがあります。ご注意を」
「うっ、うう。分かりました」
そんなの注意して、どうにかなるものなのかな。
ロジェ先生と違って私、裁判初めてなんですけど。
あっという間に時は流れ、初公判の日。
江莉香は皆と共に、緊張の面持ちで円卓への道を登る。
私もここ何日かは、マールのお師匠さんに弟子入りして、裁判の流れを勉強して来た。
日本の時代劇でのお白洲は、初公判、速判決だったけど、こっちの裁判は意外と言っては失礼だけど、ちゃんと審議の時間がとられている。
まず、罪状が読み上げられ、認否の確認。
その後、検察側と弁護側の弁舌合戦。
科学的捜査なんてものはないから、物的証拠よりもディクタトーレによる弁論が大きな役割を果たしている。
面白いのは、裁判が大きくなると、陪審員みたいな人たちが現れる所だ。
庶民相手の小さな裁判は、裁判官が判決を出すのだけど、大貴族の謀反みたいな裁判になると、貴族や教会の偉い人、有力な市民から選ばれた人たちが話し合って判決を出すらしい。
この話を初めて聴いたとき、「そりゃ、裁判資金はいくらあっても足りないわ」と、思いました。まる。
これって要するに、陪審員の人たち相手に、多数派工作をしろって事でしょうが。
多数派工作には、山吹色の菓子が物を言うのは考えるまでもない。
「窪塚屋、そちも悪よのう」「いえいえ、御代官様ほどでは」「ヌワッハハ」「ホッホッホ」
このやり取りができないと駄目。
お金持ちに支払う賄賂の額は、どんなに安くたって金貨数十枚が相場と聞いた。
はい。あっという間に試合終了。
地獄の沙汰も金次第とは、よくぞ言ったもんだわ。
この話を聞いたときに、心が折れかかったけど、ロジェ先生がいうには、それだけではないとの事。自分は多数派工作なんぞしなくても、勝訴を勝ち取ってきたとの頼もしいお言葉。
先生。お願いします。
円卓には、普段よりも多くの人が集まる。
やはり、謀反の裁判なんてものは、こっちの世界でも注目されるものらしい。
今日は他の裁判は全てお休みで、ヘシオドス家の裁判のみが開かれるとの事だ。
興味本位の一般市民が多数、詰めかけていた。
公判が始まると、裁判官が罪状を読み上げ、被告人たちが引き出される。
主犯格のヘシオドス伯爵が引き出される。
着ている衣装は元は高価だっただろうと思わせるのだが、長い拘留生活でボロボロだ。
だが、頭をしっかりと上げ胸を張り、集まった人々を、敵意溢れる眼差しで睨みつけてくる。
なかなか迫力のある人だ。もっと、しょぼくれた感じで想像していた。
私のお父さんと同じ年ぐらいかな。
正直、この人には一切の同情が無いのよね。むしろ下手な陰謀に家族を巻き込んだ、くそ親父って感じよ。まぁ、罪状が本当の場合はだけど。
陰謀が嘘か真かまでは、私の領分ではない。
大貴族の権力闘争なんて、別世界の出来事よ。そっちはそっちで、勝手にやって下さいな。
私は、陰謀に加担した訳でもないのに、娘というだけで捕らえられたマリエンヌを、何としても助け出すだけ。
仮に陰謀話が嘘だったら、こちらの手間がすべてなくなるから、無関心という訳ではないのだけど、流石にそれは希望的観測にすぎる。
陰謀話は黒で、娘は白。
この路線で、行動あるのみ。
続いて、息子さんが引き出された。恐らく彼がマリエンヌの兄だろう。
こちらは父親とは違い、下を向いたままで、顔までは分からなかった。
最後にマリエンヌが引き出される。
「マリエンヌ。マリエンヌ」
私は力一杯の声で彼女に向かって呼びかけた。
周囲がびっくりしたけど、構うものか。
飛び跳ねながら、大きく手を振る。
私の呼びかけに、マリエンヌの顔が動き、目と目が合った。
その瞬間にマリエンヌがほほ笑んだので、なおも叫ぼうとするが、マールに両肩を押さえられた。
「エリカ様。お静かに願います。円卓で騒ぐと、外に放り出されてしまいます」
「あっ、そうか。ごめんなさい」
慌てて口をつぐむ。
罪状を読み上げていた検察官らしきおじさんが、私をじろりと睨みつけていた。
危ない危ない。
待っててね。絶対に助け出して見せるから。
暑い日差しの中、江莉香はマリエンヌに向かって、勝利のVサインをして見せるのだった。
続く
さあ、戦闘開始でございます。




