シンクレアの所領
ヘシオドス家に代々仕える、イスマイル・デュラン・クールラントは、自身に降りかかった不本意な境遇に悶々とした思いを抱いたまま、レキテーヌの地に足を踏み入れた。
戦前に一手柄を挙げようと、要らぬ色気を出したことが、失敗の始まりであった。
トレバンの街で蠢く間諜を、簡単に捕らえられるとの思惑は、曲芸まがいの弓矢によって砕かれ、更に御隠居様に対して余計な一言を口走ったため、戦とは何の関係もない役目を命じられてしまった。
討伐軍相手に指揮を執っているバルザックには、あわせる顔が無い。
一刻も早く戻り、申し開きをしたいのだが、新たに与えられたお役目も重大であった。
ご隠居様は何を思われたのか、センプローズの口車に乗って、高価な宝石をお預けになられてしまったのだ。そして、預けた理由が自身の余計な一言が原因でもあることに、無自覚ではいられなかった。
どうして、シンクレアが属しているであろう一門について話してしまったのか。
小さな復讐心を満たすために、つい口走ってしまった。
あの時、自分が黙っていれば、御隠居様もシンクレアにディアマンテルを預けるなどという話には、ならなかったはずである。
全くもって、余計な一言であった。
イスマイルは、深刻な後悔と自己嫌悪に苛まれる。
ともかく、早急に王都に向かい、マリエンヌ様を弁護しているという、アルカディーナにディアマンテルを渡す。そして、王都の動向を探ってメルキアへ戻るのだ。ついでにシンクレアも叩き伏せる。
決闘の約束は、延期にしたのであって、無効にしたわけではないのだ。流石に、命までは奪わんが、腕の一二本は覚悟しろ。
そんな思いのイスマイルに、エリックの言葉が突き刺さる。
「このまま王都に向かうのではないのか」
「そうしたいのは山々ですが、一度、所領に戻ります。部下にもそう約束していますので」
「後にせよ。今は、一刻も早く品物を届けるのが先決であろう」
この期に及んで寄り道とは、受け入れられない事である。
「大丈夫ですよ。既にこちらで手配した追加の資金は、私の家臣が王都に運んでいます。エリカには、しばらくの間、それで何とかしてもらいましょう。エリカだったら何とかするでしょう。急がずとも、心配いりません」
「そういう事ではない」
「では、どういう事です」
エリックの真っ直ぐな返しに、言葉が詰まる。
早くメルキアへ戻りたいとは、口が裂けても言えぬことであった。
しかし、本当にこやつは自費でマリエンヌ様の裁判費用を工面しているのか。
何が目的なのか一向に分からない。
「どうしてもと仰るのであれば、お止めしません。どうぞ、貴方一人で王都へお向かい下さい。私としてもその方が有難い。言っておきますが、品物は渡しません」
「くっ・・・分かった。早くしろ」
「はいはい。ニースの状況次第。少なくとも二、三日は覚悟してください」
年下の騎士に言い返すことも出来ずにいる自分が情けない。
主導権は完全にエリックの側にあった。
オルレアーノを出た一行は、南へと進路を取る。
これにはイスマイルも僅かではあるが安心した。北や西に向かわれたら、王都への到着は何時になるか分かったものではない。
駒を進めながら、イスマイルはエリックについて考える。
歳は自分よりも明らかに若い。
騎士に取り立てられたばかりとは言うが、馬の扱いには慣れた様子で、武芸の心得も充分。
自分に矢を向けた眼差しに、人を射る迷いは感じられなかった。
若さに似合わぬ殺気だ。まず間違いなく、人を斬ったことがあるはずだ。
あれは、そういう人間の目だ。
元は平民かも知れないが、荒事には慣れた軍団兵の家系に生まれたのだろう。
イスマイルの祖先も、元を辿れば一介の軍団兵であった。
ニースへ向かう田舎道を進むと、イスマイルは有る事に気が付いた。
妙に道が整っている。
主要街道の様に、整えられた石が敷き詰められているわけではないが、道幅は広く、直線を維持しようとしている。小さな川にも例外なく橋がかけられていた。
とても進みやすい。
理由が分かったのは、進行方向から来た軍団兵の一団とすれ違った時だ。
「これは、シンクレア卿」
軍団兵を率いていた百人長が挨拶をすると、エリックは馬から降りた。
「お勤めご苦労様です。見違えるように歩きやすくなりました。まるで街道のようです」
「お褒めの言葉、恐縮ですな。山小屋の建て替えも終わったので、確認してほしい」
「分かりました」
二言三言、言葉を交わしてこの部隊とは別れる。
軍団兵たちは武器の代りに、鍬やつるはしを手にしている。この部隊が、道の保全工事を行っていたようだ。
そして、活動している部隊は一つではなかった。
ニースに向かって進めば進む程、小さな集団があちらこちらで工事を行っている。
よほどに、重要な道らしい。
「この道の先には何があるのだ」
たまらず質問してしまったが、エリックの返答は素っ気ないものであった。
「ニースです」
「他には」
「特にはなにも」
「それだけではあるまい。砦でもあるのか」
一つの村に向かう道を、わざわざ軍団兵が、これほど手厚く整備するはずが無かった。軍団兵の陣営地でもあるのだろう。
しかし、そんな予想はあっさりと否定される。
「ありませんよ」
「では、どうして兵たちが道を整えているのだ」
「私が閣下にお願いしたからです」
お願いしたからといってレキテーヌ侯爵が、軍団兵を差し向けてくれるとは思えないが、何を隠している。
イスマイルのそんな思いも知らずに、エリックは言葉を続けた。
「ああ、ニースの先に、モンテューニュ騎士領が有りますね。ただ、ニースとは道が繋がっていないので、先にあると言っていいのかどうか」
「その騎士領には何がある」
「何もありません」
「そんなはずあるまい」
「では、ご自分でご覧ください。赤い岩と灌木だけの寂しい土地です。ただし、騎士領には入らないでください。領主の許可を得ていませんから、ニースから眺めるだけです」
「どなたが領主なのだ」
「どなたって。エリカが領主ですけど。今は王都に行っていますからニースには不在です」
「アルカディーナ殿が領主なのか」
「そうですね。珍しい事だと思いますよ」
エリカというアルカディーナは、土地持ちの貴族でもあるのか。
それで、この男は協力していたのか。理由が僅かにだが見えてきた。
その後、メルキアに比べると、なだらかで小さな山系を越えニースへと到着した。
ニースを目にしたイスマイルは言葉を失う。
エリックの話では小さな海沿いの村という事であったが、これのどこが小さな村だというのだろう。
村のはずれには軍団の陣営地が作られ、多くの軍団兵が道幅を広げる工事を行い、道沿いの幾つかの小屋の煙突からは盛大に煙が立ち上り、目が痛いほどだ。
村の中心部には、メルキアのデュラン家の所領よりも、遥かに立派な石造りの建物が並ぶ。
建物の一つは教会らしく、多くの職人たちが建て替え作業を行っていた。その隙間を、多くの荷馬車と人が行き交い、まるで、街道沿いの宿場町のような賑わいだ。
ここが、シンクレアの所領なのか。こ奴は一介の成り上がり者ではなかったのか。
イスマイルは困惑したまま馬から降りた。
「出発までは、こちらの宿に泊まって下さい」
エリックが指さしたのは、村の中心にそびえ立つ石造りの建物の一つであった。
「・・・これが、宿」
イスマイルはその威容に唖然とする。
赤色の大きな岩石を積み上げた二階建ての建物が、南の明るく抜けるような青空の下に輝いていた。
一階部分は優に四、五十人は飲み食いできそうな酒場。二階部分には大きな張り出しが付いた窓。
張り出しの上は人が歩けるように作られており、今も一組の男女が張り出しの上で談笑している。
まるで貴族の館のような外観。
トレバンの街にだって、ここまでの宿屋は存在しない。
「はい。村の宿は、これ一つしかありません。教会は建て替え中ですので使えません。ここで、出発までお待ちください」
「あ、ああ」
もはやエリックの説明が、自慢なのか嫌味なのかも分からない。
「宿代は要りませんが、酒を飲むなら、その分はしっかりと徴収します」
「ふざけるな。そんな施しを受けるか」
「では、しっかりとお支払いを。何かあればギルド本部へ。私はそこにいますから」
「ギルド本部?」
「あれです」
エリックは宿の対角線を指さす。
宿と同じ色合いだが、やや、武骨な印象の建物が建っている。
「今は、ニースの政庁も兼ねています。では」
「待て。何のギルドだ」
聞き捨てならない台詞を確認する為、立ち去ろうとするエリックを呼び止めた。
エリックは不思議そうな顔で振り返る。
「はい? ああ、話していませんでしたか。砂糖のギルドです。貴方にも手土産として渡したでしょう。あれはここで作った砂糖です。私はそのギルド長も兼ねています」
「な、んだと」
「それでは、出発まで大人しくしていてください。揉め事は御免です」
言葉を失ったイスマイルをその場に残して、エリックは村人の挨拶を受けながらギルド本部へと消えた。
砂糖を作っているだと。この村はどうなっているのだ。いや、これを村と呼んでいいのだろうか。
イスマイルは手綱を片手に、呆然と広場を見渡すのだった。
続く
誤字報告いつもありがとうごさいます。
バルコニーに該当する単語が思い当たらず、焦りました。
江莉香さんが主体の場合は和製英語とかバンバン使えるんですけど、異世界人には使えないのが悩みどころですね。




