申し訳ございません
エミールの報告を受けた江莉香は、椅子に座り込み、金貨を並べた机に額を押し付けて頭を抱える。
最近このポーズか増えていることに江莉香は、気づいていない。
エミールの話だと、エリックは討伐軍が出発する前にメルキアに入ったはずなので、危険になればすぐに退避するだろうとのことで、僅かに安心したが、危険であることには変わりはない。
状況説明の手紙を書いた時に、エリックからの支援があればいいなと、若干、甘えた心が無かったわけではない。だがそれは、エリックのポケットマネーからの支援であって、戦争が始まるかもしれない、どこだかよく知らない地方で、金貨百枚分の金策をしてもらいたいなどとは、露ほども考えてはいなかった。
エミールが話した、金貨百五十枚必要という内容が、想像以上にインパクトがあったのかもしれない。
ありがたいです。ありがたいんだけど。何もそこまでしてくれなくたって。
「どうしよう。今更、帰ってきてとも言えないし」
言いたくとも、そもそも連絡手段がない。
ここが日本なら、ラインでも利用すれば、秒でエリックと繋がるのだが、こちらの世界では夢物語ですらない。
神の御業。想像の範疇外の連絡方法。
こちらでの情報の伝わる速度は、人が移動する速さと同じなのだから。
今からメルキアまで連絡しようと思ったら、連絡が届く頃には、エリックはニースに戻っているかもしれない。それほどまでのタイムラグがある。
しくじった。完全に見誤った。
エリックの人の良さを甘く見ていた。
そうよね。見も知らぬ異邦人の私を、何の交換条件も無く面倒を見てくれるような人だもんね。あんな手紙書いたら、助けてくれないわけがなかった。でも、まさかメルキアまで金策に行くなんて。しかも、討伐軍の情報を知っていながら行くとは。どこまで親切なのよ。日本でも会ったことないわよ。エリックみたいな人。
「本当に大丈夫なの。戦争に巻き込まれたりしない」
「大丈夫ですよ。エリック様も、そんな場所には近づいたりしません」
「そうかもしれないけど、万が一って事もあるし」
「マリウスがメルキアの土地に詳しいらしいので、エリック様もメルキア行きを決断されました。討伐軍は南からメルキアへ入ろうとするはずです。南に近づかなければ、巻き込まれるということも無いでしょう」
「でもでも、何かの間違いで、討伐軍に会っちゃったらどうするの。そこで敵と間違えられるかもしれない」
「その時は名乗ればよいのです。センプローズは兵こそ送り込んではいませんが、何人か一門の者が討伐軍にいるらしいのです。その者たちに話を通せばよいのではありませんか。ご心配には及びません」
「んんんっ」
エミールの言い分は理路整然として説得力があるように思えるけど、だからと言って心配が減る訳ではなかった。
エリックの身に何かあるかもしれないと考えると、頭に血が上りそうになる。
ああもう、どうしたらいいのよ。
もしもエリックに何かあったら、私だって生きてはいけない。エリックあっての私、ニースあっての生活基盤。大体、どの面下げて、セシリアに事の次第を話せばいいのかわかんない。何かあったら、切腹したって足りないわよ。
よし、とにかくセシリアに説明して謝罪しないと。ビンタ一発で済めば、温情判決だ。ぐーで殴られたって、文句は言えない。
江莉香は決死の覚悟で、アスティー家の門をたたくのであった。
「ごめんなさい。私のせいでこんな事になって」
黙って説明を聞いていたセシリアは、頭を下げるエリカに向かって、小さくため息をついた。
「どうして、エリカが謝るの。エリックの事は、兄さまからお聞きしています。お父様がお許しになったのであれば、わたくしから言うべきことは何もありません」
「あっ、もう知ってたんだ」
意外な事実に驚く。
情報が早い。
「ええ、伺ったのは先ほどですけど。聞けば、エリックが自分から言い出したのでしょう」
「そうかもしれないけど、私が余計な心配をかけちゃったし」
「そうですね。そこは反省してください。あの人はそういう人です。昔から困っている人は見捨てませんし、危険なことには鈍感なところがありますから」
「ごめんなさい」
「心配はいりません。その程度の事で、エリックに何かあるはずがありません」
「でも」
「何もありません」
セシリアが挑むように言葉を寄せる。
表情は笑顔だが、目が笑っていない。
「はっ、はい」
後ろめたさで腰が引けているので、声もひっくり返る。
「しかし、エリカの為にメルキアまで赴くとは・・・戻ってきたらエリックには、しっかりと理由を伺う事に致しましょう。どういうおつもりなのかを」
「いや、それは、私が・・・」
「エリックに、直接、伺う事に、致しましょう」
「了解です」
なんというか、危険な所へ行ったことよりも、私の為に行動していることに、腹を立てていらっしゃるご様子。
いや、そんなんじゃないから。と、いいたいけど、この状況下だと説得力が皆無だわ。余計な口答えはせずに、恭順の意を示さないと。
「とにかく、飛び出していったのであれば、信じて待つしかありません。エリカは信じられませんか」
気持ちとしては、もちろん信じているんだけど、ここでの即答は不味い。分かっていない振りをしなくっちゃ。
「えっと、何をでしょう」
「エリックの事をです。きっと無事に金策も成し遂げて帰ってきます」
いや、お金のことはどうでもいいから、無事に帰ってきてほしいです。はい。
そういいたいけど、ここでの返事は。
「仰る通りです」
「今、エリカのやるべきことは、エリックの働きを無にすることのないように、全力を尽くすことではないですか」
「はい。その通りです」
小刻みに頷いて同意を表す。
「今は、マリエンヌ様を無事にお助けすることが、エリカの最も気にする事でしょう。エリックを始め、多くの人が助力してくれているのですから」
「はい」
「資金はエリックがきっと何とかしてくれるはずです。エリカはエリックが集めた資金を元に、何をなさねばならないかを、考えるべきでしょう。謀反の疑いを掛けられたお方を助けるのは、並大抵のことではありません。兄さまも厳しいだろうと仰っていました。それでも、エリカが始めた事です。最後の最後まで、この件から逃げることは許されませんよ」
「逃げるつもりなんてないもん」
逃げるというワードに反応して、つい、強がりが口から出てしまった。
「それを伺って安心いたしました。エリックも討伐軍が出る中、所縁の薄いメルキアで危険を冒した甲斐があるというものです」
ううっ、駄目押しのプレッシャーを掛けられてしまった。
エリックにここまでさせて、しくじったら許さんと言われているに等しい。正論過ぎてなんにも言えへん。
「頑張ります」
「はい。頑張ってください。わたくしに出来ることがあれば、なんなりと仰ってください。わたくしもエリックと同様に、エリカの味方ですよ」
物凄く可愛い笑顔で言ってくれたけど、内心はらわた煮えくりかえっているんだろうな。色々な意味で失敗した。
本当にごめんなさい。
ビンタは喰らわなかったが、精神にそれ以上のダメージを負って、江莉香はアスティー家を辞したのだった。
屋敷を後にした江莉香は、とぼとぼと都大路を歩く。
「はぁ。失敗したなぁ」
小さな橋の上で立ち止まり、欄干から川面に視線を落とす。
「もっと、しっかりと説明すればよかった。でも、メルキアに行くなんて思っても見なかったし。今考えたら、私がニースに戻った方が良かった。つい、エミールに甘えちゃったのが、最大のミスだわ。やっぱり、自分の事は自分でしないといけない。最近、人任せにしている事が多い気がする」
ブツブツと愚痴を呟く江莉香の元に、軽快な足音が近づき、傍らで急停止した。
「どうしたの」
少年とも少女ともつかないような声色に、江莉香が視線を向けると、そこには鮮やかな緑色の、大きな帽子をかぶった少年が立っていた。いや、美少年だ。
「えっ、なに。わたし?」
突然話しかけられ、辺りを見渡す。
私に話しかけているのは間違いないみたい。
「そうだよ。君だよ。落ち込んでいるのかい」
「別に落ち込んでなんかいないわよ」
人懐っこい笑顔に、つい返事をしてしまった。
この子、どこの子。知らない子。
「そうは見えなかったよ。今にもそこの川に身を投げそうに見えた」
明るい声で、失礼な事をいわれた。
「はぁ? 川に身を投げるったって、小川よ。この川」
江莉香は水深が一メートルにも満たない小川に目を向ける。
めっちゃ浅い。余程の根性がないと、入水自殺は難しそう。私、泳ぐの得意だし。
「だから、飛び込むなら、もっと大きな川にした方がいいと思ったんだ」
「あほか。誰が飛び込むか」
薄目で少年を見据える。
「ハハッ、ならいいんだ。落ち込んで泣いている人がいたら、僕の顔を半分お食べよって、言わなきゃいけないらしいからね。心配していたんだ」
「はぁ、なにを言って・・・ん? 待って。顔半分って・・・」
物凄い違和感に、眩暈に似た感触に襲われた。
そんな江莉香の姿を見て、目の前の少年が満足そうに微笑んだ。
「アハッ、じゃあまたね」
「あっ、ちょっと」
江莉香の制止を振り切って、緑の帽子の美少年は人混みの中へと走り去った。
一体何なの。あの子。
続く




