窪塚法律事務所
江莉香が滞在している屋敷は、エンデュミオンの中でも、比較的静かな住宅地に建っているが、ここ数日の人の出入りは激しく騒がしい。
日が高いうちは常に門が開け放たれており、誰でも簡単に中まで入ることが出来た。
屋敷に入ってすぐの、一番広い部屋である食堂には、多くの机が並べられ、その上には所狭しと、書物や筆記用具が散乱しており、食堂としての機能を喪失していた。
食堂では常に何人かの人間が、動き回ったり、討論をしたり、事務作業をしていた。
その中には江莉香の姿もあった。
自分の机で、最近買った高級な金属製のペンを走らせる。ここ数日は、毎日のように文章を書いている。金属製のペンは高い買い物だが、耐久性はやはり一番よい。
これは村に持って帰ろう。
江莉香はゆっくりと丁寧に文章を綴る。
書いているのは、嘆願書。
マリエンヌの裁判は、無罪放免が理想ではあるが、情勢を鑑みるとそれは難しそうである。次善の策として、減刑を得られるようにと、各方面に嘆願して回っている。
謀反話を言いふらすような行動だが、討伐軍の話が出たと同時に、王都でもヘシオドス家の謀反の話は広まりを見せたため、少なくともその点においては、こそこそする必要はなくなった。
同時に若殿からの束縛も緩まり、アランからの小言も減ったように感じる。
一門からの資金援助はなく、金策も相変わらず許されてはいないが、行政府要所への陳情や、嘆願書の提出ぐらいは大目に見てもらえるようになった。
江莉香は、このわずかな変化を反撃のチャンスと考え、王都の有力者に向けて、お手紙攻勢を掛けることにした。
ゆっくりと、丁寧に、願いを込めて言葉を綴っていく。
誰かに助けを求められるだけでも、大きな前進よね。
少なくとも何もしないよりは百倍マシ。仲間は一人でも多い方がいいもんね。
ヘシオドス家は大貴族故に、懇意の有力者からの救いの手が他にもあるかもしれない。その中に混ざってしまえば、私が悪目立ちすることはないだろう。
江莉香はマリエンヌを逮捕した十人委員会は元より、センプローズ一門と友好関係にある貴族、そして教会の有力者。送れる限りの相手に向かって手紙を書く。
ここ数日の勉強の甲斐もあってか、以前よりはスムーズに手紙を書くことが出来た。
内容はマリエンヌの解放の一点に絞る。
これも、ロジェ先生やマールたち学生と議論した末の結論だ。
当初、江莉香が結成した弁護団は、マリエンヌだけを助ける派と、ヘシオドス家全体を弁護する派の、二派に分かれた。
江莉香はマリエンヌだけを助ける派であったが、マールたち学生が、ヘシオドス家の弁護の過程で、マリエンヌを助けるプランを提出したのだ。
彼らの言い分は、最初にヘシオドス家全体を救うという、大きな要求を出して争った後に、譲歩すると見せかけて、本来の目的を達成するという作戦であった。
話だけ聞くと、悪くないように思える。
裁判でもなんでもそうだが、争いごとは舐められたら終わりである。
舐められないためには、こちらがややこしい存在であることを、相手に認識させることが一番だ。世の中にはごね得なんて言葉もあるのだから。ゴリゴリに粘ったと見せかけて、相手に花を持たせ、本来の目標を達成する。交渉のテクニックとしては有りだ。
しかし、江莉香は最終的にはこのプランを却下した。
決め手となったのは、資金問題である。
ただでさえ、資金力に問題を抱えているのに、これ以上に大きな風呂敷は広げられない。口だけならどうにかなるが、王都での活動には一々金がかかるのである。
大風呂敷を広げて、途中で資金不足で頓挫するぐらいなら、初めから余計なことを考えずに、一点集中攻撃を仕掛けることが、江莉香の基本ドクトリンであった。
それほどまでに資金不足は深刻であった。
「ううっ、このままではやばい」
教会関係者宛の手紙を書き終えた江莉香は、今度は机の上に並べた有り金と、出納帳を前に頭を抱える。
ニースでの暮らしとは違い、何をするにもお金がかかるのが、貨幣経済が浸透している王都だ。
今しがた書いた手紙だって、安くはない。
一通、二通なら問題はないが、数が増えれば増えるほど、それはボディーブローのように効いてくる。
江莉香はため息をついた。
本当にお腹が痛くなってきた。
最近は、あまりよく眠れない。眠っても嫌な夢を見ることが増えた。
いざとなったら、アスティー家のお屋敷に乗り込んで、若殿に直談判するしかないのかもしれない。
何か若殿を説得できる材料はないかな。
腕を組んで考え込む。
うーん。何も思いつかない。
普段の接点がないから、若殿の考えとかが読めない。取引をしようにも、相手が何を望んでいるのかが分からなければ、話の持って行きようがないのよね。
冷静に考えてみて、若殿がヘシオドス家に肩入れしても利益があるとは思えない。不利益ならいくらでも思いつくけど。
その不利益を上回る、利益が出るのであれば協力してくれるかもしれないけど、不利益を乗り越えるレベルの利益って段階で、難易度が高すぎる。
ドルン河の戦いよりも打つ手が思いつかないって、どないなってはるんや。
戦争より裁判の方が厳しいとは、思いもよらなかった。
「戦争は共通の目標があったからなぁ」
戦争は人を団結させるってどこかで聞いたことあるけど、あれはほんとだわ。
問答無用の武力行使には、小難しい理屈がいらないからね。今思い返せば、みんなとの意見のすり合わせが凄く楽だった。
資金不足という現実から逃避するように、思考を走らせていた江莉香の元に、待ちに待っていた追加資金が到着した。
エミールが王都に到着したのだ。
「エミール。お疲れ様。待ってたよー。ごめんね。大変なこと頼んじゃって」
くたびれた様子のエミールの元に駆け寄った。
「お待たせいたしました。エリカ様。エリカ様の全財産を持って参りました」
旅の疲れを見せまいと、エミールは笑顔で江莉香に全財産の入った袋を手渡す。
受け取る袋はズシリと重い。
袋には、エリカの焦りを払うに、十分な重さがあった。
これで、なんとかなる。いや、なんとかして見せる。
「うん。ありがとう。エリックや、村のみんなは元気だった」
「はい。皆さまお元気です」
「よかった。それで・・・その、エリックは怒ってなかった。勝手にこんなことやって・・・」
袋を机の上に置いた江莉香は、別の心配事を口にする。
王都で本来の目的ではないことに、かまけている自覚が一応あったからだ。
ただでさえ、ギルドの仕事をエリックに全て丸投げしているのに、王都で日本人を探すこともせず、知り合ったばかりの女性の弁護に血道をあげている。そもそも、ガーター騎士団の騎士団長にすら会っていない。
何しに王都へ行ったんだと言われたら、完膚なきまでに返す言葉がございません。
「怒ってはおられませんでした」
「本当? 本当に怒ってなかった?」
大事なことなので、二回聞く。
「はい。本当です。ですが・・・」
「ですが。なに」
食い気味に、一歩前へ踏み出してしまった。
「やや、呆れてはおられました。その、見知らぬ女を助けるために大金を使う事にですが」
「ううっ、やっぱりそうよね。ごめんなさい」
「それから、エリック様からのご伝言です」
「なになに」
早く帰って来いとかかな。
「金の事は心配するな、とのことです」
「ん?」
エミールの言葉の意味が分からず、頭の上にクエスチョンマークが点灯した。確かに無事に資金は手元に届いたけど、ニュアンスがおかしい。
内心で首を傾げていた江莉香は、エミールの次の言葉で思考回路がオーバーフローした。
「エリック様は、ヘシオドス家の本拠のあるメルキアへ、金策に出向かれました。直に追加の資金を手配して下さるでしょう」
「えっ、えええっ」
江莉香の叫び声に、部屋にいた者すべての視線が集まる。
「ちょっと待って。メルキアに行ったってどういうことなの。どうしてそんな事に」
「どうしてと申されましても、金貨百枚なんて大金、ニースでは融通できません。幹部会議で話し合った結果、エリック様が自らメルキアに赴くこととなりました」
エミールが幹部会議から、オルレアーノでのやり取りまで話して聞かせると、江莉香の顔は青ざめていた。
「だって・・・メルキアには討伐軍が出るって・・・」
「はい。我々も将軍閣下より伺っております」
「知っていたの? それでも行ったの? 」
「はい。討伐軍の到着前に撤収するおつもりなのでしょう」
「そんな簡単に」
「大丈夫ですよ。幸いギルド員のマリウスが、メルキアに詳しいようですので」
続く
いつも誤字報告ありがとうございます。




