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ご隠居

 夏の朝日を浴びながら、修道士のスッラを先頭に、イスマイルを二番手に付けさせ先を進む。

 彼は虜ではあるが、縛ることはせず、馬も剣もそのままにしてある。逃げようと思えば馬に鞭を当てるだけでよい。

 エリックとしては、仮に逃走を図ったとしても捨て置くつもりだ。配下もいないイスマイル卿は、大した脅威ではない。

 むしろ逃げてもらいたいぐらいだ。そうすれば、決闘の約束も水に流れ、面倒事が一つ片付く。

 彼の後ろを進んでいるのは、突然斬りかかれることを警戒してのこと。流石に後ろから斬りかかられては、防ぎようもない。


 しかし、イスマイル卿は逃げるそぶりを見せない。

 周囲を窺ったり、こちらを油断させようともせず、口元を引き締めて進んでいく。

 もしかしたら弓矢を恐れてのことかもしれないが、これは買いかぶりだ。

 馬を進めながら、走り去る目標に向けて矢を放っても、当たりはしないだろう。そもそも、弓も矢も背中に回している。咄嗟に放つことなど出来ない。

 仮に逃げたとして、急いで弓を手にして矢をつがえ、弦を引き絞り狙いを定めたとする。その頃にはイスマイル卿は二十フェルメ以上の距離であろう。

 十回放って、一回命中すれば運がいい方だ。

 俺が命中させられるのは、至近距離の動かない目標だ。走り去る騎影に向けてなど、とてもじゃないが無理な相談だ。


 そんな思いも知らずに、イスマイルは胸を張って駒を進める。

 服装が立派なイスマイル卿に比べると、エリック達の旅装はみすぼらしい。


 誰かとすれ違ったら、虜になった騎士ではなく、従者を引き連れた騎士に見えるだろう。そこまで考えての事ではないだろうが、虜になっても意地を張り続ける姿には感心した。

 これが生まれながらの騎士なのかもしれない。

 何度か話しかけるのだが、イスマイルの返答は無視か、素っ気ないものだった。面識のない騎兵同士が、挨拶代わりにする馬の苦労話にも乗ってこない。

 無言で前方を睨みつけて、エリックの努力を無駄なものとしていた。


 会話する気分ではないのは分かるのだが、こちらが敵でないことを知ってもらいたいものだ。

 むしろヘシオドス家に対して、救いの手を差し伸べているつもりなのだが、この状況下では難しいか。こちらの事を間諜と信じて疑わないのだからな。

 エリックが小さくため息をつくと、マリウスが苦笑いし、フラ・ニルスは肩をすくめて見せた。フラ・スッラは我関せずとばかりに、目の前に広がる風景について、一方的にしゃべっていた。


 起伏のある森と集落をいくつか越えると、眼下に小さな盆地が現れた。盆地の北側には赤茶けた岩山がそびえ立つ。



 「シンクレア卿。あれがレボントス山です。今日は一段とよく見えます」


 先頭を進んでいるスッラが、声を弾ませて教えてくれる。


 「面白い形ですね。何というか、子供が作った石の祠みたいだ」


 エリックは馬を止めレボントス山を遠望した。

 岩山は、大きな岩を幾つも積み上げたような形をしていた。この岩が地面から突き出る風景は、メルキア独特のものだ。

 赤い岩山の周りに果樹園が広がり、赤と緑の鮮やかな対比を見せていた。


 「はい。レボントス山はその昔、巨人アルケトスが神々との戦いの折、神々に対して投げつけるための岩を集めた時に出来た山です。ですから岩の大きさが、ほとんど同じであるといわれています」

 「同じ大きさ。それは凄い」


 言われてみると、そんな気がしてくる。巨人が地中から手ごろな岩を掘り起こしたのだろうか。


 「巨人アルケトスの話は聞いたことがあります。最期は自分が投げた岩に当たって死んだとか」


 マリウスの合いの手に、スッラが嬉しそうに話し続ける。


 「はい。神々との戦いで天高く放り投げた岩が、長い年月の後に、投げたアルケトス本人に当たりました。神々に逆らった罰です。レボントスの岩がそれだと伝わっております」

 「ああ、そうだった。面白い話だ。子供のころに石を放り上げて、真似をしてみたものだ。あんな大きな岩が当たれば、巨人といえどもひとたまりもないか」

 「ですね」

 「はい。ご隠居様は、あの山の麓に館を構えておられます」


 坂を下りレボントス山に近づくと小さな集落が現れた。集落はレボントス山に向かって、段々畑を形成している。

 一行が両側に畑を眺めながら、緩やかな坂を上っていくと、レボントス山と同じ、鮮やかな赤色の屋根が目に飛び込んできた。


 「到着いたしました」

 「案内、ご苦労でした」


 エリックは下馬して館に近づく。

 館と呼ぶには小さい二階建ての建物だ。ニースのシンクレア家と同じ程度だろう。

 館は胸ほどの高さの生垣に囲まれており、自然と中まで見通せる。貴人が住んでいるようには見えなかった。

 生垣の向こうの前庭は、畑になっており、様々な作物が植えられている。裕福な村長の家みたいだ。

 その畑で何かが動いた。

 三歩ばかり右に動くと、作物の隙間に人影が見えた。


 「もし。どなたかおられるか」


 騎士の作法も忘れて、マリウスを介さず直接話しかけてしまう。しかし、エリックの声が届かなかったのか、動きに変化はない。うずくまったままで、土をいじっているらしい。

 何度目かの呼びかけでようやく気が付いたのか、人影が立ち上がる。が、こちらに気が付いたわけではないようで、建物の裏に行ってしまった。


 「どちら様ですかいな」


 困惑していると、別の方向から声を掛けられる。

 振り返ると、館の戸口に女が立っていた。服装からして女中のようだ。

 すかさず進み出でたマリウスが、修道院長の紹介状と共に来訪目的を伝えると、しばらく待たされたが、一行は館の中に招き入れられた。


 進み出た老僕に剣を預けたエリックは、館の内部に目を奪われた。

 外から見た館はありふれた田舎屋敷であったが、中は別世界だ。

 壁のいたるところにガラスの窓が備え付けられ、燦燦と日の光が降り注いでいる。

 磨き上げられた床には、踏みつけることを躊躇してしまうほど、色とりどりの石が敷き詰められ、まるで絵の上を歩いているような気分だ。

 そこかしこに大理石の神像が、エリック達を出迎える様に飾られ、主の富力の高さを見せつけていた。


 女中に案内され、応接室と思われる部屋に通される。

 主用の椅子の他に、立派な長椅子が二つ並べられていた。

 当然という顔でイスマイル卿は、そのうちの一つに腰を下ろす。その姿は完全に一行の主人だ。

 エリックも、もう一つの席に腰を下ろす。

 ここで、ある失敗に気が付いた。


 しまった。着替えていない。

 追手がなくなった段階で、暑苦しい小手や鎖帷子は脱いでいたが、旅装であることには変わりなく、貴人と面会する格好とはいえない。

 着替えるべきかと悩んでいると、扉が開き女中と共に背の低い老婆が入って来た。


 彼女がレボントスの御隠居様なのだろう。

 もしかしたら、先ほど前庭で見かけたのは、このお方かもしれない。

 エリックとイスマイルは立ち上がり頭を垂れると、老婆は小さく頷きながら主の席に着いた。

 挨拶を終え、これまで訪れた家々に話したことを繰り返す。何度も同じ話をしたので手慣れたものとなっていた。

 ご隠居様は耳が遠いようなので、ゆっくりと短く話す。


 「可哀そうに。これも貴族の娘の定めか」


 エリックの話が終わると、ご隠居は掠れた声でつぶやいた。

 視線を天井にさまよわせ、ここではない何処かに視線を向けている。


 「報せご苦労であった。マリーの身の上は、神々のご慈悲に縋るしかないだろう」


 ご隠居は頭を落とし、やや突き放したように呟く。その態度はエリックの予想に大きく反していた。


 「お待ちください。諦めるには早いと存じます。王都ではマリエンヌ様の為に力を尽くしている者がございます」


 院長の話と違うぞ。ご隠居様は早々に諦めておられる。


 「ありがたい事だ。しかし、無駄であろう」

 「・・・無駄とは、どういう事でございますか」

 

 そのような事は、やって見なくては分からないだろう。

 ご隠居はエリックの疑問に、直接返してはくれなかった。


 「其方たち、騎士殿には縁のない話であろう。縁がない方が良いのだ。今頃、マリーは天の国に旅立っておるやもしれぬ」

 

 全てを達観したような言葉に、少し腹が立った。

 

 「ご無礼を。その様な不吉な言葉は口になさらない方が、よろしいのではありませんか」

 「口に出すと、不吉が形を成して襲い掛かるか」

 「はい。私はヘシオドス家ともクールラント一門ともゆかりのない者ですが、こうして助力しようと走り回っております。王都でマリエンヌ様を弁護しようとしている者もおります。諦めなさるのは、いささか早計かと」

 「ゆかりが無い・・・では、なぜ走り回っておる。誰の指図であるか」

 「誰の指図でもありません」

 「益々分からぬ。騎士殿・・・そう言えば一門の名を伺っておらぬな。名乗られよ」

 「それは・・・」

 「この者はセンプローズ一門でございます。ご隠居様」


 口ごもるエリックをしり目に、イスマイルが横から口を挟んだ。


 「センプローズ・・・アスティー家か。御当主のユスティニアヌス殿はご壮健か」

 「・・・はい。ご壮健でいらっしゃいます」


 エリックは不承不承の態で頷いた。

 余計な事をいってくれる。外で待たせておけばよかった。


 「では彼にお伝えいただこう。ご厚意は感謝する。言葉だけで申し訳ないが」

 「お待ちください。私は将軍閣下のご意向で動いているわけではありません」

 

 大きな誤解を生みそうなので慌てふためく。

 この事が閣下の耳に入れば、どんなお咎めが有るか知れたものでしない。


 「では誰だ。騎士殿」

 「・・・自分の意思でございます」


 エリカの行いが事の発端ではあるが、誰からの指示でもない。あえて言えば己の意思であった。


 「マリーの知人であったか」

 「違います。お会いしたこともございません」


 ご隠居は眉をひそめ、イスマイルが鼻で笑ったあと口を開いた。


 「自分の意思で、会ったこともない者の為に奔走していると。お主、自分が何を言っているか分かっておるのか。支離滅裂にもほどがあるわ」

 「貴方には説明したはずだ。王都でマリエンヌ様を助けようとしている者の為に動いているのです。支離滅裂などではない」

 「では、その者の名をお伝えせよ。誰なのだ」

 

 捕らえられた憂さを晴らす為であろうか、イスマイルは楽しげであった。


 「エリカ・クボヅカ。先日、教会よりアルカディーナの称号を賜りました」

 「そのアルカディーナは何が狙いだ。ヘシオドス家からの寄進でも望んでいるのか」

 「無礼な決めつけは止めて頂きたい」

 「では何だ。いってみろ」

 

 イスマイルの挑発に乗ってしまった形となる。

 エリカの狙いだって? そんなもの、決まっているだろう。



               続く

 \( ̄▽ ̄)/「いいね」始めました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとうございます。 [気になる点] ①ふと気になったんですが、エリカ(教会が認めた聖女)がマリエンヌを救う為に活動してるのにヘシオドス家が非協力的。  、、、ヘシオドス家、教会も敵…
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