追跡
聖アンジュ修道院を出発したエリック達は、月明かりを頼りに田舎道を西へと進む。
灯りをともして足元を確かめたいが、灯火は遠くからも目立つ。
追手が近くに潜んでいないとも限らない。修道院から離れるまでは、用心するに越したことはないだろう。
無言のまま馬を急がせる。
小さな村を抜け、道なりにどんどん坂を登っていくと、風景は果樹園から雑木林へと変化した。
「ここまで来ればいいだろう。灯りを付けよう」
エリックの提案に、スッラが大きな手持ち角灯に灯りをともした。
淡い光が周囲を照らす。
その光は意外なほど遠くまで届いた。
「見えました」
「何処だ」
イスマイルは配下の指さした方を探るが、何も見えない。
「確かに何かの灯りです。あっ、またです」
「確認した・・・離れているな」
何かの陰の間から、微かに灯りが揺れている。かなりの距離だ。
理想を言えば先回りをして、行く手を遮りたいところだが、この闇の中ではそれも難しい。
夜道だというのにシンクレアの歩みも速い。優秀な道案内がついているのだろう。
「我々も灯りをつけますか」
配下の伺いにイスマイルは悩んだ。
灯りをともせば速く進めるが、シンクレアに追手が迫っていることが露見するかもしれない。
そうなれば、奴らも馬に鞭を当てるだろう。
向こうが道を知らないのであれば、力まかせに追いかけても事足りるが、案内役がいるとなるとそうもいかない。逃げられるかもしれない。
イスマイルにしても、この辺りの地理に詳しい訳ではなかった。
「いや、もうしばらくはこのまま追跡する。灯りがあれば、奴らを見失うことも無いだろう」
「はっ」
目論見としては、奴らが休息を取ったあたりで一気に距離を詰めたいところだ。
状況が許せば、そのまま捕縛したい。
しかし、エリックはイスマイルの目論見をかわす。
先行する四人は、夜道を一切休まずに進み続け、先に音を上げたのはイスマイルの馬たちであった。
「若君。これ以上は馬が持ちません」
配下の一人が馬から飛び降りると、馬の口に水筒を当てる。
馬は多くの水を必要とする生き物だ。荒い息を吐きながら、馬はあっという間に水を飲み干す。
イスマイルの愛馬も余力は少なそうであった。
「休養が足りなかったか」
こまめに休ませてはいたが、夕刻まで修道院の付近で聞き込みをしていたため、馬の疲労が限界を迎えたようだ。
一方、シンクレア達は夜の出発まで十分な休養を取れていたはず。
このままでは、徐々に離されてしまう。一度、姿を見失うと再度発見できるかは神頼みだ。余力のあるうちに追いつくべきであった。
イスマイルは自身の失敗を悟る。
これ以上の追跡は難しい。馬を潰してはトレバンへの帰還に支障が出てしまう。
イスマイルにとっての最大の関心事は間諜の捕獲ではなく、やがて襲来するであろう討伐軍への対処であったからだ。
苦渋の決断を迫られたところに、配下の一人から朗報がもたらされた。
「若君。シンクレアの灯りが大きくなりました。動きもありません。もしかすると向こうも休息に入ったのでは」
遠望すると、確かに前よりも灯りが強い。焚火の火かもしれない。
「よし。これが最後の機会だ。距離を詰める。狙いはシンクレアただ一人。一息に確保するぞ」
限界を迎えた配下の馬を木に繋ぎ留め、イスマイルだけが馬上のまま灯りに近づく。
焚火は田舎道を僅かに外れた、見通しの良い坂の上の草地で焚かれていた。
燃え盛る焚火の背後には巨石があり、風を防ぐのに丁度よい。
焚火に照らされた二つの影が、巨石に映って揺れる。
イスマイルは木々の陰から、周囲を窺う。
「あと二人いるはずだが、何処だ」
修道士が二人ついているはずだが、姿が見えない。
踏み込む決断を下せない主君を、配下が心配そうに窺う。
その視線を受けて、イスマイルも決断を下す。
修道士は水でも汲んでいるのかもしれない。まさか騎士であるシンクレアが雑用をして、他の者が休んでいるとも思えない。あの陰のどちらかがシンクレアであろう。
「問答無用だ。手向かった場合は切り捨てても構わん。絶対に逃がすな」
「はっ」
イスマイルが剣を抜くと、配下も手にした剣や縄を握り直した。
「行くぞ」
潜んでいた木の陰から六人の男たちが飛びだし、焚火に駆け寄る。
「エリック・シンクレア」
イスマイルは馬を走らせると、通り過ぎざまに剣の平で影の一つを打った。
刃がついていないとはいえ、鉄の塊で叩くのだ。運が悪ければそのまま死に至る。しかし、手加減をしている余裕はない。
影は何の抵抗もなく、あっさりと吹き飛んだ。
「なっ」
手応えがおかしい。軽すぎる。
イスマイルは手綱を引いて馬を止めると、目に飛び込んできたのはフードに包まれたガラクタであった。
もう一つの人影も同じように、人の形に整えられたまやかしだ。
「罠だ」
イスマイルの叫びと共に、一本の矢が音を立てて地面に突き刺さり、頭上から声が降り注いだ。
「こんな夜分に何用ですか。イスマイル卿」
首を上げると、巨石の上で馬に跨った騎士が弓に矢をつがえ、狙いをイスマイルに定めていた。
「動かないでいただきたい。この距離であれば、私は的を外したりはしない」
イスマイルの顔と、シンクレアの矢じりとの距離は七フェルメもない。イスマイルでも必中の距離であった。
「おのれ」
動きを封じられたイスマイルの背後で、短い叫び声が起こる。
振り返ると配下の内の二人が、棍棒を手にした修道士に殴り倒されている。
背後から不意打ちをされたのだ。
「抵抗はやめて、馬から降りてください。イスマイル卿。それが部下と貴方の為です」
「謀ったな。エリック・シンクレア」
暗闇の中、焚火の灯りに顔を照らされたイスマイルは、罠に嵌められた憤りに絶叫する。
時は戻り、エリック達が灯りをともしてしばらく進んだ頃。
修道士のニルスは馬から降りると、おもむろに地面に耳を当てた。
「フラ・ニルス。何をしておいでですか」
「お静かに」
ニルスの唐突な行動にマリウスが声を掛けると、スッラが制止する。
エリックとマリウスが戸惑っていると、地面に頭をこすりつけていたニルスが顔を上げる。
「何人だ」
慣れた様子のスッラが訊ねる。
「五人ぐらいだな」
「イスマイル卿か」
「恐らくな。全員馬だ」
「イスマイル卿は配下を五人引き連れていた。数は合う」
「ああ、確実にこちらを捉えている」
「灯りを見られたか。厄介だな」
二人の会話を聞いたエリックは得心する。
地面に耳を当てて、僅かな空気の震えから獲物を探す工夫は村の狩人も行っていた。ニルスもそれが得意なのだろう。
「追手ですか」
「はい。修道院を見張っていたのでしょう」
ニルスは耳に着いた土を払う。
エリックは馬首を返して後方を確認したが、闇に包まれ何も見えない。
「どういたしますか」
マリウスが馬を寄せる
「このまま進むしかないだろう」
「灯りは」
「今消すと、こちらが追手に気づいたと知らせるようなものだ。向こうは灯りをともしていない。灯りがある分、我々が有利だ。引き離すぞ」
「はっ」
四人は角灯を頼りに足を速めた。
初めて通る道だが、スッラが夜道にもかかわらず的確に先導し、ニルスが時折、地面に耳を当てて後ろとの距離を測る。
そのお陰で余裕をもって進むことができた。
しかし、イスマイル卿もさるもの。こちらの灯りを頼りに食らいついてくる。このままでは夜が明けてしまう。そうなっては向こうが有利となるだろう。
いつまでも追いかけられるのも、落ち着かない。
そんな事を考えていたエリックの眼前に巨石が現れた。
「この辺りでお帰り願いたいな」
「どうしますか」
マリウスの言葉に一瞬考え込む。
「相手は多くても六人。頭を押さえればどうにかなるだろう。そうだな。罠を張ることにしよう」
「どのような罠を」
「難しく考える必要はない。餌を蒔いて罠にかける。鹿と同じだ」
「何をすればよろしいですか」
「焚火をおこしてくれ。盛大に燃える様に大きくな。焚火の灯りに吸い寄せられたところで、あの岩の上から私が矢を射かけよう」
「分かりました」
マリウスは乾いた枝を探しに木々の間に入った。
「危険ですので、お二人は離れていてください」
エリックの言葉にスッラが進み出る。
「我々も何かお役に立ちましょう」
「いえ、仕損じるかもしれません。安全な場所でお待ちいただきたい」
「シンクレア卿が追手の矢面に立たれるのなら、我等は背後に回りましょう。焚火に意識が集まっているのであれば、背後は無防備です。容易く包囲できます」
スッラの後を継いだニルスが、腰に差した護身用の棍棒を叩いた。
どうやら隙を見て、後ろから殴りつけるつもりのようだ。随分と好戦的な修道士だな。しかし、申し出としては有難い。
「分かりました。お願いします」
「お任せを」
二人の修道士は暗闇へと消えていった。
エリックはマリウスと共に焚火を作り、炎が大きく燃え上がったのを確認すると、配置についたのだった。
続く
本作の外伝をスタートいたしました。よろしければご一読ください。<(_ _)>




