猟犬
「シンクレア卿は、既に御発ちになられました」
聖アンジュ修道院の院長から受け取った言葉は、素っ気ないものだった。
イスマイルは自然と疑いの眼差しを向ける。
「お疑いでしたら、どうぞ中をお検めください」
院長は半身を引いて道を譲る。
「そうさせて頂きましょう」
イスマイルは配下に合図を送り、修道院に足を踏み入れる。
聖堂と宿舎の他に、幾つかの倉庫が並んでいるだけの小さな修道院だ。全てを探しても大した時間はかからなかった。
「お疑いは晴れましたでしょうか」
「失礼致した。シンクレアは何か言っていましたか」
疑いは晴れはしないが、見つからないのであれば、違う方法で探るまでだ。
「はい。王都で囚われの身の、マリエンヌ様をお助けする為に資金を集めていらっしゃるとか」
「それで、院長殿はなんと」
「出来る限りの事は致しますと、お伝えいたしました」
「それだけですか」
「はい。詳しい金額まではお答えしておりません」
「これからどこに向かうとかは」
「特にはお聞きしておりません」
「奴らは、どちらの方向に向かいましたか」
「申し訳ありません。お見送りをしておりませんので、正確には。恐らく南に向かわれたのではないでしょうか。あの道を南に下りますと街道に出ます」
「我々は南から来たのですよ」
イスマイルは院長に揺さぶりをかけてみたが、結果は芳しくなかった。
「そうでしたか。それならば東に向かわれたのかも、時は掛かりますが、そちらも街道に通じております」
院長は動揺することなく東の道を指さす。
「北や西はどうですか」
「どうでしょう。北と西には街道はありません。特に北は・・・ですが、彼らが密偵であればそちらを選ぶやもしれませんね」
「お手間を取らせた。失礼する」
イスマイルは一礼して、修道院を後にした。
手掛かりは見つけた。後はどう対処するかだ。ここで、上手く立ち回らないと奴らを取り逃がしてしまう。
「どうなさいますか。南へ向かいますか」
指図を求める配下に首を横に振る。
「いいや、辺りで奴らを見た者がいないか探すぞ。居ない場合は奴らは修道院に匿われているだろう」
「なぜ修道院が奴らを匿うのでしょう」
「そこまでは分からないが、院長の言い分はおかしい」
「どこがでしょう」
イスマイルの予想に、配下は首をひねった。
「貴様は訪れた騎士に協力すると言っておいて、その騎士が帰る時に見送りもしないのか。たとえ協力するというのが口先だけであったとしても、見送りぐらいはするだろう」
「仰せの通りです」
「すげなく追い払ったのであれば、その様な対応もあり得るがな。院長の協力するという言葉に嘘は感じなかった」
振り返り修道院を睨みつける。
「見送っていないことが事実であれば簡単だ。奴らは未だ修道院の中にいる。見送りは出来まい」
自分の冗談が気に入ったのか、鼻で笑う。
「しかし、何処にも見当たりませんでしたが」
「人、ふたり程度を押し込める隙間はいくらでもある。そこに潜んでいるのだろう」
「なるほど。時を置いてもう一度、踏み込みますか。奴らが油断していれば容易く抑えられるでしょう」
「どうかな。居なかった場合は問題になる。それよりも、立ち去った振りをして、奴らがのこのこ出て来たところを捕まえた方がいいだろう」
「はっ、周囲に兵を伏せます」
「その前に周囲を探す。私の思い違いという事もある」
イスマイルは配下を引き連れて修道院を離れた。
「シンクレア卿。ご不便をおかけしました」
中庭の床石を取り除くと、暗がりの中で白刃が光る。
院長の言葉が終わらぬうちに、エリックは剣を構えたまま飛びだした。
「ご安心ください。イスマイル卿は立ち去りました」
「その様ですね」
周囲をぬかりなく確認した後、エリックは剣を鞘に収めた。後に続いたマリウスも短刀を収める。
二人が匿われたのは、葡萄酒の樽が所狭しと並んでいる石室だった。
夏だというのに、妙に冷える。
「迷惑をおかけしました」
「とんでもない。シンクレア卿に何かあっては、マリエンヌ様のお命にもかかわりますれば」
「資金援助の件、お忘れなく」
「心得ております」
「では、我々も失礼することにします」
「お待ちください。イスマイル卿はまだこの地を離れておりません。当院の周辺でお二人を見た者はいないか探しているご様子。夜が更けるまではお留まりを」
院長は修道士にイスマイルの後を付けさせていた。
「しかし、夜道は」
エリックは難色を示した。
通い慣れた道ならいざ知らず、初めての道を夜に進むのは危険だ。
方向を失えば、後戻りすることもあるだろう。
「ご安心を、道に詳しい案内役にお付けいたします。夜道でも大丈夫です」
「分かりました。ご配慮感謝いたします」
ここまで言われては、抗うのも難しい。
エリックは素直に頷くことにした。
それから、修道院が供してくれた質素な食事を取り、夜の行軍に向けてマリウスと交替で仮眠をとることにした。
最後は体力の勝負になるかもしれない。眠れるうちに眠っておこう。
エリックは修道院の暗がりで、剣を抱いてうずくまった。
夏の長い日が落ち、天に星がまたたくころ、エリックは修道院から借り受けた装備に身を包む。
上半身を守る鎖帷子に革の小手、全身を覆うローブと弓矢を借り受けた。
「まるで盗賊だな」
エリックは弓のしなりを確認しながら、お互いの装束を見て笑いあう。
「より、怪しい格好になりましたね」
「夜は見えないから構わないが、日が登ると逆に目立つな」
「ですね」
マリウスがフードを頭からかぶると、表情が隠れた。
修道院が提供してくれたとはいえ、突然押しかけて武装を持って行くのだから、盗賊と言えば盗賊か。
「シンクレア卿。これをお持ちください」
別れ際、院長から封がされた巻物を手渡たされる。
「手紙ですか」
「紹介状です。当地よりさらに西に向かいますと、レボントスという山がございます。その山の麓に、とある高貴なお方がお暮しです。事情を話せば必ずやシンクレア卿のお力になって下さいます。何卒、マリエンヌ様をお助け下さい」
「ありがとう。そのお方の名は」
「レボントスの御隠居と言えば通じます。その地まではこちらの者が案内いたします」
院長に紹介されたのは、二人の屈強な修道士だった。
「フラ・スッラとフラ・ニルスでございます」
背の高い方がスッラで、身体が大きい方がニルスらしい。
「よろしく。お二人は馬に乗れますか」
いざという時は馬に鞭を当てて逃げなくてはならない。付いてこられないようでは足手まといだ。
「勿論です」
「問題ありません」
二人が同時に頷いた。
月が高く登った頃。
修道院を見渡せる丘陵の上でイスマイルは、その若く引き締まった肉体を、月光に照らされていた。
「動きました」
一番、夜目が利く配下が声を上げた。
「何人だ」
イスマイルは跳ね起き、素早く隣に駆け付ける。
「恐らく三人。いや、四人ですね」
「多いな。別口か」
自分の中に疑問が湧き上がるが、それを即座に否定する。
そのような偶然があるはずがない。あの中の一人はシンクレアだ。
「お待ちを。全員が馬に乗りました。やはり四人です」
「修道院が手を貸しているようだ。厄介な」
無意識の内に舌打ちをする。
シンクレアと従者だけであれば、問答無用で縛り上げることもできるが、修道士が混じっているとなると、手荒な真似も出来ない。
この難しい時期に、教会と揉める行為は愚策であった。
「とにかく後を付ける。隙を見て取り押さえるぞ。ぬかるな」
配下と共に馬に飛び乗る。
討伐軍がメルキアに到達する前に、この件の片を付けたいものだ。
続く




