見えない力
「確かに二人連れの男を見たのだな」
「へえ。馬に跨った若い二人連れなら、この道を真っすぐに」
鋤を肩に担いだまま、農夫は頷く。
「よし、見つけたぞ」
田舎道を通る者に片っ端から声を掛けていたイスマイルは、ついに有益な情報を手にした。
「この先には何がある」
「何もありゃしませんて。葡萄畑と小さな修道院が一つあるだけで」
「修道院だと」
「へえ。聖アンジュ様をお祀りしている修道院でさ」
「助かった。礼だ。受け取れ」
イスマイルは馬上から銅貨を投げ渡すと、農夫は鋤を放り出して受け取った。
「行くぞ」
愛馬に鞭を当てると、五人の配下が後に続いた。
エリック・シンクレアは、予想以上に北寄りの道を選んでいる。
これ以上北に向かうと、南に抜ける道は限られるはずだが、追手を想定しているとするならば、賢い選択だろう。若いのに用心深い男だ。
目撃情報を手にすることができたのは、神々のお導きだろう。
西メルキア特有の勾配の激しい田舎道を駆けあがり、馬たちの息が切れた頃に、修道院が視界に入った。
「頼もう」
馬から飛び降りたイスマイルは、修道院の門扉を激しく叩いた。
エリカへの資金援助の話を取りまとめたエリックが、院長に暇乞いをしようとすると、一人の修道士が院長に耳打ちをした。
「なんと・・・」
院長は僅かに沈黙した後エリックに向き合う。
「シンクレア卿。イスマイル卿という騎士様が、貴方を探しているとのことですが、お心当たりは」
「イスマイル卿・・・」
首を傾げるエリックに、マリウスが耳打ちをした。
「ああ、トレバンの街でお会いした騎士殿か。私を探しておられるのか」
「はい。お心当たりは」
「ありません。イスマイル卿には資金提供を断られました。そうだったな」
マリウスに確認すると、彼は頷いた。
「只今、我が修道院にイスマイル卿がお越しです。彼の御仁が申されるには、シンクレア卿はメルキアに仇成すの密偵だとか」
「密偵・・・」
院長の言葉に、僅かなうしろめたさを覚えた。
自分は密偵になったつもりは無いが、メルキアへ向かう許可を貰うために、密偵をすると言ったのは確かだ。
「私は密偵ではありません」
「イスマイル卿は密偵だと」
「そう仰られても」
エリックは肩をすくめた。
「身の潔白を証明できますか」
「この旅が終われば、私は私の主に旅の報告をせねばなりません。その報告はメルキアの話になるでしょう。それを密偵行為と言われればそうかもしれません」
「シンクレア卿の主をお尋ねしても」
「それは出来ない」
「何故でしょう」
「そう命じられているからです」
「いいですか」
院長は重々しく机の上で両の手を合わせた。
「正直にお答えいただけない場合、私は貴方をイスマイル卿に引き渡せねばなりません。しかし、貴方様が真にマリエンヌ様のために尽力されているのであれば、話は変わります。我々は同じ目的を持った仲間です」
「なるほど」
今度はエリックが両腕を組んだ。
将軍閣下の命に従えば身が危なくなり、わが身を庇えば命に背くことになる。
余人であれば難しい選択のはずだが、エリックは迷わなかった。
背もたれに身体を預け言い放つ。
「院長殿のお好きになさるがいいでしょう」
「シンクレア卿」
「密偵と決めつけられても、私はそれを否定はできない。口では幾らでも言えるが、証明は出来ない。当然のことだが、主命に背くつもりもない」
エリックの開き直った態度に、院長を始め修道士たちからの厳しい視線が集まる。
「ただ、私の身に何かあれば、マリエンヌ殿を助ける者はいなくなるでしょう。それでも良いのであれば、院長殿のお好きに。引き渡すも良し、追い払うも貴方の自由だ」
ここで、院長がイスマイル卿とやらを引き入れたら、俺たちは剣に懸けて突破して見せるが、マリエンヌ嬢の命は露と消えるのだろうな。
運の無い事だ。
このような事態になれば、エリカも俺の言い分に耳を貸して帰って来るだろう。
今は捕縛されない事だけに集中しよう。
追手が幾人かは知らないが、多くても十名程度だろう。相手がよほどの手練れでもない限り、頭を潰せば何とでもできる。
流石に目の前の院長に手を上げるつもりは無いが、剣を携えた追手であれば躊躇いもない。斬り捨てでも血路を切り開くだけだ。
無意識のうちに腰の剣に手を当て、どこか他人事のように院長の顔を見据える。
追い詰められているのはエリックのはずだが、更に追い詰められたのは院長であった。
エリックの態度は、院長にマリエンヌの生死を決めさせることに他ならない。
「貴方様がいなくても、王都にアルカディーナ様がいらっしゃるのでは」
院長の必死の言葉に、エリックは吹き出す。マリウスも笑っていた。
二人の若い男が、年配の聖職者相手に遠慮なく笑う、異様な光景がしばらく続いた。
「いや。失礼しました。余りに可笑しかったもので」
辛抱強く耐えている院長にエリックは謝罪し、その後をマリウスが受けた。
「院長様。シンクレア卿に何かあったら、それこそエリカ様が黙ってはおられませんよ。マリエンヌ様とは関わりなく、貴方に復讐なさいます」
「復讐ですと。お言葉が過ぎるのではありませんか」
院長の言葉を無視して、二人は楽しそうに語り合う。
「俺に何かあったらエリカは復讐するかな。案外、放っておくかもしれないぞ」
「何を仰るやら。私もお仕えしてまだ日は浅いですが、あのエリカ様ですよ。仇成すものには必ず仕返しをするでしょう。断言できます」
「俺たちが受けた仕打ちに対して、復讐するか」
「はい。恐らく利子は元本の十倍かと」
「そんなにか。俺もエリカから金を借りているが、利子は二倍だったぞ」
「エリック様ですからその利率です。仇成すものには十倍が妥当でしょう」
「とんでもない高利貸しだな。エリカの奴は」
「そういうお方ではありませんか」
「否定してやりたいが、俺にも確信はないな」
笑いを治めたマリウスが院長に向きなおる。
「院長様にお伝えせねばなりませんね。アルカディーナ様ですが、今は王都におられますが、普段はこちらのシンクレア卿の館でお暮しになられておられます」
「なっ」
顔をひきつらせた院長に向かって、エリックが追い打ちをかける。
「もう、一年以上になるか。あの頃はアルカディーナなんて大層な肩書きは無かったが」
「ですので、シンクレア卿の破滅は、マリエンヌ様の破滅と同じでございます。よろしくご推察くださいますよう」
マリウスの言葉を受けた院長は立ち上がり、周りの修道士に命じた。
「お二人を隠し部屋に。儂が騎士殿とお話をする」
先導の修道士について行きながらエリックは考える。
アルカディーナの威名とマリウスの機転で、どうやら密偵として引き渡されずには済みそうだ。
やはり、教会の中ではアルカディーナの称号は絶大な威力を発揮する。
エリカのお陰で助かったともいえるが、感謝なんてしないぞ。そもそも、俺たちがこんな所で金策に走り回ったり、密偵扱いされているのもエリカのせいだからな。
しかし、ここまで一門の名前を出さずに乗り切ることができている。
これは、意外な事だな。
自分達にも少しは力がついたのかもしれない。
続く




