急転
自分の名前にまつわる衝撃の事実に打ちのめされたはしたが、金策を止めるわけにはいかない。
危険を覚悟してメルキアまでやって来たのだ。この程度の事で腹を立てても始まらない。
ただし、交渉に関してはマリウスに任せることにした。
俺は、余計な事は言わない様にしよう。
エリックは翌日もトレバンの街を、資金集めに奔走した。
数多くの家を廻り、裁判費用の捻出を頼む。
多くの家では断られたが、中にはマリエンヌの境遇に同情を寄せる者もいる。それらの人々が供出した金額を纏めると、金貨十枚程度にはなった。
まだまだ目標の額には程遠いが、金貨十枚は大金だ。オルレアーノであれば一年は遊んで暮らせるだろう。
初めて訪れた土地で、見知らぬ人々と交渉して集めた金額だ。
エリックは軽い達成感を覚えた。
トレバンの街に到着して五日目。
山の端が白みかけた頃、エリックは寝床から起き上がる。
ニースで暮らしている時よりも早くに寝床に潜り込んでいる為か、夜明け前に目が覚める。
寝室の木戸を開くと、植物の良い香りが部屋の中に入ってきた。朝方の涼しい空気を胸いっぱいに吸い込む。
朝食を済ませた二人が広場に繰り出すと、トレバンの街は到着した頃とは様相が違っていた。
「昨日よりも増えたか」
「はい。明らかに」
二人の視線の前を数人の兵士が歩いていく。
広場には、兜こそ被ってはいないが、槍や弓矢を携えた男たちがあちらこちらにたむろっていた。
「もたもたしていると、討伐軍と鉢合わせになるかもしれない」
「はっ」
エリック達は足早に広場を離れる。
討伐軍が差し向けられたら、ヘシオドス家は一戦構えるつもりのようだ。
急がなくてはならない。
エリック達が目当ての家の門を叩くと、ここにも変化が現れていた。
昨日までは名を告げ手土産の砂糖を渡すと、待たされることはあっても、面会できないことは無かったが、今日は違う。
「旦那様は、只今ご不在にございます」
「そうですか。いつ頃お戻りになられますか」
身なりの整った家令らしき男が丁寧に詫びるが、マリウスも食い下がる。
「本日はお戻りになられません。お帰りも未定にございます」
「失礼ですが、御主人はどちらに」
「お答えいたしかねます。申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ失礼いたしました」
家令は一礼と共に門を閉める。
これで二軒連続で同じ対応だ。マリウスは首を振りながらエリックの元に戻る。
「ご不在のようです。お帰りも未定だとか」
「風向きが変わったか」
エリックは腕を組んで口を抑える。
海の上で漁をしていると、突然風向きが変わることは珍しくない。一度変わった風向きの中で無理に漁を続けても、上手くいくとは限らない。
風向きによっては諦めることも大事だ。
改めて周りを見渡す。
トレバンの人々も街頭に集まり、何事かを相談している。
昨日に比べても明らかに空気が固い。
エリックはそこから戦いの匂いをかぎ取った。
「仕方ない。金額は足りないが街を出よう。これ以上は危険だ」
「分かりました。オルレアーノにお戻りになられますか」
「いや、紹介先には町の外のものがあっただろう」
「確かにございます。ええっと・・・」
マリウスは肩から下げた布袋の中を確認する。
「これですね。聖アンジュ修道院。ここから北にある修道院のようです」
「よし、最後にそこを回って帰ろう。エリカには悪いが時間切れだ」
「分かりました。出立の準備をいたします」
二人はトレバンでの金策に見切りをつけ、街を出る事にした。予定よりも短い、わずか五日の滞在であった。
エリックが街を出た頃。
トレバンの南側、城壁と断崖によって守られた城塞では、一人の巨漢が矢継ぎ早に指示を出していた。
「南部の国境の街道は全て封鎖しろ。砦には各二個中隊を配備だ。討伐軍が襲来したら狼煙で知らせるのだ。一日持ちこたえれば援軍が到着する。それまでは何としても死守するのだ」
男の肌は浅黒く、二の腕には刀傷が刻み込まれていた。
「予備は全てここに集結させろ。兵糧の確保はどうなっておる」
巨大な机に両手をつき、一杯に広げられた地図から目を離さない。
「バルザック様。討伐軍へ探りを入れていた者が戻りました」
「おう。ここに通せ。直接聞きたい」
バルザックと呼ばれた男の前に、薄汚れた男が片膝をついた。走ってきたのか息が上がっていた。
「ご苦労だった。で、どうであった」
「調べがつきました。討伐軍の指揮官はローゼン伯にございます」
「誠か。王陛下の軍は」
「はっ、ご出座されておりません」
「よし。朗報である」
バルザックの声は一際大きくなった。
「皆の者よく聞け。王陛下のご出座がないのであれば遠慮はいらぬ。我が領土を荒そうとする不届き者共を存分に蹴散らすぞ」
「「おう」」
周りから威勢の良い言葉が沸き上がった。
「ローゼン伯などに諸侯を纏め上げる力は無い。討伐軍は数が多いだけの烏合の衆である。一度攻めあぐねれば、いずれ和睦という運びとなろう。兄上には悪いが人柱になってもらう。それで手打ちだ」
彼の名はバルザック・ヘシオドス。現当主、ルキウス・ヘシオドスの実弟である。
王都で捕縛された兄に代り、トレバンの領主代行の座についていた。
彼の指揮の元、ヘシオドス家は討伐軍に対して徹底抗戦の構えを見せていた。
「領内の騎士は全て参集させよ。しのごの抜かす騎士は儂がこの手で手打ちにしてくれる」
気勢を上げるバルザックに若い騎士が近寄った。
「バルザック様。お耳に入れたいことが」
「どうした。手短にせよ」
「はっ、昨日、当家にエリック・シンクレアと名乗る騎士が現れまして」
「・・・その騎士がどうした。何者だ」
バルザックはエリックの名を知らなかった。
「正体は不明にございます。ただ、その者は王都で囚われておられますマリエンヌ様を弁護するために、資金を集めていると申しておりました」
「マリエンヌの弁護だと。何故」
「その騎士が申しますには、王都でマリエンヌ様をお助けしようと動いている者がいるそうです。その者の意を汲んでの要請であると」
「信用に値せぬ話だな。それで貴様は何と答えたのだ」
「はっ、私も信じられませんでしたので追い返しました」
「それでよい」
「ただ、おかしな点がございます」
「どこがだ」
「エリック・シンクレアという名に聞き覚えがございます。この者は最近巷で流行りの叙事詩に出てくる騎士と同名でございます」
若い騎士の言葉に、バルザックは眉をひそめる。
「それがどうした。偶然であろう」
「そうかもしれませんが、気になります。あの叙事詩は先の北部戦役を題材にした歌でございます。奴がもし本物のエリック・シンクレアであった場合、問題が・・・」
「回りくどいぞ。分かるように申せ」
「はっ、件の騎士は一門の名を名乗りませんでしたが、私の予想が正しいとするならば、この騎士はセンプローズ一門の騎士でございます」
「センプローズだと」
バルザックの言葉に、周りは静まり返る。
「なぜ分かる」
「噂話ではございますが、センプローズ一門には魔法使いを束ねる騎士がいるとか。その者の名がエリック・シンクレアでございます。先の戦で大手柄を立てたとか」
「魔法使いを束ねる騎士だと・・・」
返事に疑いの色が混じる。
そのような騎士がいるなどと、聞いたことも無い。
「あくまでも噂ではございます。しかし、その者を主役にした叙事詩が作られていると考えますと、偶然というにはあまりにも」
「どのような男であった」
「はっ、私よりも年若い騎士にございました。身なりは立派で手土産に砂糖を持ってまいりました。一見しても裕福で、力の有る騎士かと見受けられます」
「剣は。腕前はどうである」
「達人ではないでしょうが、使えるかと」
「ふん。貴様はセンプローズの騎士が、この街で蠢いていると申すのだな」
「はい。目的は分かりかねますが・・・」
「分かり切っておろう。そ奴は間諜だ。マリエンヌの名を使い我等を探っておったのだ。センプローズが我等を助けるなどとあり得ぬ」
バルザックはドスドスと足を音を立てて部屋をうろつく。
この時に彼が恐れたのは、センプローズ一門によるヘシオドス家の切り崩し工作である。今は一族の力を結集しなくてはならない時期だ。
エリックがどの家に接触したのかを確かめなくてはならない。
南部での戦いに集中する為にも、それは必須であった。
「イスマイル。其方、そのエリック何某の顔を覚えておるな」
「はい。はっきりと記憶しております」
「よし。其方に命じる。センプローズの犬を捕らえよ」
「御意」
イスマイルと呼ばれた騎士は一礼と共に部屋を出た。
一頭の若き猟犬が解き放たれたのだ。
続く
なんか余計にややこしくなっていますね。(/・ω・)/




