吟遊詩人
二人は逗留している宿の酒場で、少し早めの夕食を取ることにした。
トレバンでも一二を争う宿らしく、酒場も大きく料理も立派なものが出てくる。日暮れ前だが、酒場は既に多くの客で溢れていた。
酒場の奥に演台があり、奇抜な恰好をした芸人たちが一芸を披露して祝儀を求める。
エリックがぼんやりと演台に目をやると、大男がナイフ投げの芸を披露し、客たちから喝采を浴びていた。
「面白い事をしている。うちの酒場でもやってもらいたいものだ」
エリックは炒った豆を口にしながら葡萄酒を舐めると、向かいに座ったマリウスが同意した。
「村の人も喜ぶでしょう。そういえば、ニースの酒場にも立派な演台がありましたね」
「あったな。母上が作らせた。若いころは客にせがまれると歌を歌ったらしい」
「アリシア様がですか」
「ああ、母上は歌うのが好きだからな。ニースが今よりも大きくなれば旅芸人も頻繁に訪れるだろう」
「必ずそうなります」
断言するマリウスを少しからかいたくなった。
「どうしてそう思う。ニースには砂糖はあるが街道から外れた村。レキテーヌの端っこだ。砂糖以外の人の行き来は多くない」
「今はそうですが、近いうちにレキテーヌの中心になりますよ」
「それは大げさだ」
「大げさではありません。モンテューニュに港が出来れば、ニースは海路に組み込まれます。海路であれば、外国との交易ですら可能です。多くの国からの船が砂糖を求めてモンテューニュに押し寄せるでしょう。富が動けば人も動きます」
「動くのは分かったが、それならニースではなくモンテューニュが栄えることになるだろう」
「モンテューニュはニースへの入り口です。どちらも栄えるでしょう。富が人を呼び、人が富を呼ぶのです」
思いのほかマリウスは熱弁を振るった。
「夢のある話だ。そんな風に考えていたのか。驚いたな」
「まあ全部、モリーニさんの受け売りなんですけどね」
マリウスが肩をすくめて見せたので笑ってしまった。
「ハハッ、道理で聞いた記憶があるはずだ。王都のジュリオ殿も同じ事を言っていた」
「問題があるとすると、ニースとモンテューニュをどうやって繋ぐかですね。岩場に道を通す工事になりますから、時間が掛かります」
「道に関しては、エリカ次第だな。領民から領主として認められることが先だろうし、工事は当分無いだろう」
「お金もかかりますしね」
「そうだな。その金も、よく分からない女の為に気前よく散財中だ。いつになる事やら・・・ああ、すまん」
中身が空になった器に、マリウスが葡萄酒を注ぐ。
「エリック様。金策の件ですが、明日はどういたしましょう」
「今日の様なやり方では駄目だ。違う方法を考えないと」
「皆さま、お話は聞いて下さるのですが、お金の話になりますと中々」
「金貨百枚ともなれば、誰しも二の足を踏むだろう。まして話を持ってきたのが面識のない私だからな」
エリックも交渉相手に対して、自分に金貨を渡せなどと無茶は言っていない。
マリエンヌの窮状を伝え、王都で弁護を試みている人物がいるから、その者を援助してくれと頼んでいるのである。
送金の方法は彼らのやり方に任せていた。逆に金貨百枚を渡される方が困る。
「一門の名前を出すことが出来れば、今よりも信用されるかもしれないが・・・」
ため息をつきそうになるのを堪え、葡萄酒を流し込む。
いい葡萄酒だ。夏になると葡萄酒は悪くなりやすいが、ここの酒は美味い。
一日中トレバンの街を廻ったエリックは、身体よりも心が疲れていた。
成果が無い事もあるが、偉そうに金を出せと説いて回る自分の姿にも違和感を覚える。しかし、騎士がむやみに頭を下げて回る姿もおかしい。
そんな騎士は見た事がないし、そもそもとして、助けを求めるべきはヘシオドスであって我々ではない。
話の持って行き方を間違えていると感じるが、では、どのように話せばいいかまでは分からない。
そして何よりも、自分の名前を聞いた時の相手の態度だ。
一門の名を出さないようにと気配りをしていたが、自分の名前までは気にしていなかった。結果としてそれは間違いであった。
なにか、適当な偽名を名乗るべきだった。そうすれば、上手く事が運んだかもしれない。
そこから、マリウスと明日の方針について話しながら酒と食事を進めしばらく時がたった。
「エリック・シンクレア」
酔いが回った頭を片肘を付いて支えると、唐突に名前を呼ばれたので反射的に頭が上げる。
誰かに呼びかけられたが、席の周りには誰もいない。
マリウスも驚いたようで、あたりを見回しているが、こちらに話しかけてくる者の姿はない。
気のせいかと思いかけた途端に、再び呼びかけられた。
聞き間違いではない。
声の方に視線を向けると、楽器を手にした男と女が演台の上で叙事詩を奏でていた。
彼らは吟遊詩人。
物語と歌を重ねる芸を生業とする者たちだ。
二人が歌う叙事詩の中に、エリックの名前が出てくる。
どういうことだと耳を澄ますと、とんでもない内容の叙事詩だった。
北の邪悪な魔法使いが見目麗しい姫君を攫い、姫を慕う騎士が助けに向かうという筋書きだ。
その騎士の名前がエリック・シンクレアであった。
「なっ・・・何だこれは・・・」
それ以上の言葉が出ない。
暫くの間その場で凍り付く。
エリックの衝撃をよそに物語は進んでいく。
話が進むと騎士を助ける妖精が出てきた。その妖精の名前がエリカ。
騎士は妖精の力を借りて熊の眷属を呼び出し、悪しき魔法使いを倒し姫を救い出してしまった。
もしかしなくても、先の北方戦役を叙事詩に仕立て上げているのだろう。
最後に吟遊詩人たちは、エリックの武勇を称える歌を歌うのだが、多くの観客が声を揃えて歌う。多くの客が声を揃えて歌うという事は、これが初めてではなく、何度も吟じていたのだろう。
何度も吟じるという事は人気があるという事だ。だから多くのトレバンの市民がエリックの名を耳にしたのだろう。
「これのせいか・・・」
この叙事詩が街で流行っていたから、皆一様に名前を聞き返したり、奇妙な反応をしたのか。
俺だって伝説の勇者と同姓同名の男が家にやってきたら、無表情ではいられない。名前を聞き返してしまうかもしれない。
謎は解けたが全く嬉しくないぞ。
エリックにとってこの叙事詩は、完全に拷問であった。
「凄まじい話になっていますね」
あまりの改編具合にマリウスも呆れ顔だ。
「話を変えるのなら、名前も変えるのが筋だろう。どうして名前は変えないんだ。おかしいだろう」
名前さえ変えてくれたら、北部戦役の話とすら気が付かなかっただろうに。ただの音として聞き流して終わったはずだ。
どうしてこんな事になっているんだ。
「・・・仰せの通りで。しかし、エリカ様の名前まで、そのままなのですね」
「俺は今、あの二人を殴りたい」
目を怒らせたエリックは、二人の吟遊詩人を親の仇のような眼差しで睨みつける。殺気すらこもっていただろう。
「駄目ですよ。堪えてください」
「くそ。戻るぞ」
エリックは逃げる様に部屋に戻った。
「何なんだあれは。あの二人は私に何か恨みでもあるのか」
全身を使って怒りを表す。こんな辱めは初めてだ。短気なオルヴェーク卿なら剣を鞘走らせたに違いない。俺だって出来る事ならそうしている。
「落ち着いてください。彼らがエリック様を知っているはずはありません」
「なら、あれは何なんだ」
なだめるマリウスに怒りをぶつける。
「・・・もしかして、オルレアーノで流行っていたというエリカを称える与太話があれか」
かつて仕官に来た男が口にした話を思い出した。
「ああ、なるほど。それなら私も聞いたことがあります。エリカ様が魔法の力で北方民を調略したとかなんとか。その話が流れ流れて、今の話に変化したのでしょう」
「話を変えるなら。名前も変えてくれ」
エリックは天井に向かって絶叫した。
続く
すまん。エリック。
いつも誤字報告、誠にありがとうございます。<(_ _)>
皆さまのお陰お持ちまして、作品としての体裁が整っております。




