名前
東メルキアの中心都市トレバンは、二本の川が合流する高台に築かれた城塞都市であった。
南側は急峻な崖になっており、その下で東西から流れて来た川がひとつに交わる。
エリックとマリウスは西側の川を渡り、北側の城門からトレバンに入城した。
当主の伯爵が捕縛されたことは、トレバンにも知れ渡っているようで、城門には多くの兵士が詰め、騒然とした雰囲気だ。
長い行列を並んだ末に、砦よりも厳重な尋問を受けはしたが、エリック達は無事に門を通過した。
トレバンの街の規模はオルレアーノより二回りほど小さいが、城内には多くの人が行き交い活況を呈している。
エリックは街中を回って、何としても金貨百枚を用立てなくてはならない。
ここからが本番だ。
意気込んだが、この日はマリウスの勧めに従い、早々に表通りの立派な宿に入った。
休みの少ない強行軍でたどり着いたため、疲れが溜まっていたからだ。
ここまで来たのであれば、焦っても仕方がない。
翌朝、エリックは商会が用意してくれた衣装に袖を通す。
それまで纏っていた質素な旅装束ではなく、緑と白を基調とした上着をはおり、騎士階級以上のみに装着を許された、パルサーと呼ばれる丈の短いマントを右肩にかける。アラン卿が普段から身につけている衣装だ。
腰にはかつてモレイが贈ってくれた、装飾が施された長剣を佩いた。
長剣の城内への持ち込みには一悶着有ったが、護身具と言い張って乗り切った。
商人でも旅の護身用に剣を持つことは珍しくは無かった。
「どうだろう。おかしくはないか」
エリックはマリウスに装いの確認を求めた。
そこには立派な騎士の姿があった。
「ご立派でございます。何処から見ても高位の騎士のいで立ちです」
「ありがとう。叙任式以来だな。こんな仰々しい格好は。気恥ずかしい」
騎士に成ったからといって、ニースでのエリックの恰好は、代官時代と全く同じく質素なものである。
「お気持ちは分かりますが、今からは普段から着慣れているという態度が大事です。生まれながらの騎士の様に堂々と構えてください」
「そうは言うが・・・」
エリックは生まれながらの騎士の姿を思い浮かべる。
咄嗟に浮かんだのは、フリードリヒとアランの二人であった。
アスティー家の嫡子にして、次期センプローズ一門の頭領たるフリードリヒの堂々たる振る舞い。王都育ちの洗練された発音と、男でも分かる優雅な身のこなしのアラン。
「無理だ」
早々に降参する。
「無理にでも、お願いします」
「駄目だ。直ぐに化けの皮が剥がれる」
「困りました・・・仕方ありません。では、少し練習いたしましょう」
「練習? 騎士の真似をする練習か」
マリウスが何とも言えない表情になる。
「いえ。エリック様は正真正銘の騎士ですから、真似事ではありません。騎士に相応しい振る舞いの練習です」
「ああ、そうだったな」
自分の言葉が恥ずかしくなった。
ニースで暮らしていると、自分が騎士であることを認識することは少ない。村人からの呼びかけは昔のままだし、騎士様と呼ばれるよりも、ギルド長と呼ばれることの方が多い。
その後、暫くの間マリウスを相手に、騎士らしい立ち居振る舞いの練習をし、簡単な決まり事を教えてもらう。
騎士の自分が、騎士でないマリウスから騎士の作法を習うなど、間抜けな話だ。
こんな事になるのだったら、普段から練習しておけばよかった。
「エリック様は堂々と偉そうにして頂ければ大丈夫です。後は私にお任せください」
「堂々と偉そう」
今度は同じ馬廻りのオルヴェーク卿の姿が脳裏をよぎった。
嫌だ。あれは真似をしたくない。
オルヴェーク卿の真似をするぐらいなら若殿の真似をする。アラン卿は真似すら無理だ。一度試みた事はあるが、俺がやると滑稽だ。
エリックはフリードリヒの立ち居振る舞いを参考にすることとした。
二人はトレバンの街に繰り出す。
最初の目的地は、メデス商会。
メルキアで手広く商売を行ってる商会で、宿の近くに大きな店を構えており、ドーリア商会とも取引が活発らしい。
オルレアーノを出る前にフスが紹介状を渡してくれたので、それを持って交渉し、更にメデス商会からトレバンの有力者への繋ぎを頼む算段である。
交渉の大半はマリウスが行ってくれた。
エリックは時折、頷くだけである。
「シンクレア卿。トレバンの有力者を紹介してほしいとのご用命ですが、目的を伺ってもよろしいでしょうか」
フスからの紹介状に目を通したメデス商会の代表が探りを入れる。
ここでは隠すことはない。
エリック自身が答える。
「王都で囚われの身のマリエンヌ殿を、お助けする為の資金を集めている。忠義に厚い家を教えてくれ」
「なるほど。資金集めでございますか。その失礼ですが、シンクレア卿はクールラント御一門ではいらっしゃらない」
「ああ、訳あって、私の一門は明かせないが、私は使いの一人でしかない」
思わせぶりな台詞を口にすると、自然に笑いがこみあげてきた。
そうか、俺はエリカの使い走りをしているか。こいつは参った。エリカめ。帰ってきたら覚えていろよ。
一つ、借りが返せたような気分になった。
「そういう事でしたら、ご紹介いたしましょう。ただ、今は御当主様がご不在ですので、ヘシオドス本家への繋ぎは致しかねます。家臣や懇意の方々でしたら幾人か」
「感謝する」
それで十分だ。金さえ出してくれるのであれば、誰だろうと選り好みはしない。
紹介状を受け取り立ち上がる。
「エリック・シンクレア様。貴方様にお会いできて光栄でした」
メデス商会の代表がエリックの手を取って大げさな挨拶をする。
エリックは言葉少なに頷くのだった。
商会を出た二人は早速、金を出してくれそうな家を片っ端から訪ねて回る。
騎士の装いが功を奏したのか、はたまた手土産の砂糖が気に入って貰えたのか、どの家でも門前払いにされることは無く、一応は話を聞いてくれた。
ただし良かったのはここまで、マリエンヌ嬢の為に資金を出そうと言う者はいない。誰もがそれどころではないという態度だ。
そこまでは不思議ではない。
トレバンの街でも、明日にも討伐軍が来るのではないかという話で持ちきりだ。
遠く王都で捕縛されている娘を気に掛ける余裕はないのだろう。
不思議なのは、エリックが名乗った時の相手の反応であった。
取次の者から、一家の当主まで、少なからず名を訊ね返してくる。エリック・シンクレア卿で間違いないのかと。
そのたびに頷くのだが、何度も続くと怪しむようになる。
「どうして皆、私の名を聞き返すのだ。私の名はメルキアでは変なのか」
三軒目を出ると、遂に耐えきれなくなった。
「そんなはずはありません。エリックというお名前はこの辺りでもよく耳にする名前です」
「では、家名か。シンクレアか」
「ありふれてはいませんが、珍しいとは思えません」
「しかし、皆して問い直す。何かあるのか」
嬉しそうにする者や、片頬を引く付かせる者、中には笑いをこらえる仕草をしたり、胡散臭そうな目を向ける者もいる。
理由は分からないが、良い事ではあるまい。
「申し訳ありません。分かりかねます」
二人して首を捻るが答えは出ない。
もしかしたら、トレバンには同じ名前の有名な男でもいるのかもしれない。そいつが素行の悪い男だったとしたら、出会った人々の反応も納得できる。
俺としてはとんだ迷惑だ。
四軒目でも、それまでと全く同じ反応を返されて、エリックも意気が消沈してきた。
いっそのこと、偽名でも名乗ろうか。いや、もう遅い。今から名前を変えたら、余計に怪しまれる。このままでいくしかないのだろう。
その日は一日、トレバンの街を歩き回り、首を横に振られ名前を問い直されるだけに終始した。
「今日は、もう駄目だ」
エリックは弱音を吐く。
「お気を落とさず。一日目ですし」
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
資金の提供を断られることが問題ではない。
金策を断られる事よりも、名前を問い直されることの方が気になる。
有名なお尋ね者の名前ではないだろうな。
しかし、軽々に聞き返すこともできない。騎士としての振る舞いにそぐわないからだ。
騎士とは面倒な身分だな。エリカが嫌がっていたのはこういう事か。あいつなら気軽に理由を聞き返せるのに。
続く




