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空想

 オルレアーノを旅立って数日が経つと、エリックの前に山岳地帯が現れる。


 「あの山地を越えれば、メルキアの東部です」


 マリウスが指さす山々は深い森に覆われていた。


 「思ったより近かったな」


 ここまでの旅は順調だ。

 マリウスは何処で覚えたのか乗馬も巧みで、エリックの後を難なく付いてこれる。そのお陰で、予定よりも早く到着できそうだ。

 石畳の街道を進んでいくと、徐々に行き交う人の数が減る。

 昨夜、泊まった宿では、メルキアでの不穏なうわさが聞けた。何も知らないはずの庶民たちも、異変の匂いをかぎ取っているようだ。

 山に近づくほど、道は細く曲がりくねる。

 これなら改修されたニース、オルレアーノ間の道の方が進みやすい。


 エリック達が慎重に駒を進めていると、山頂に近づくにつれ木々が少なくなり、代わりに岩が目立ち始める。

 進む程に大きな岩が目に飛び込んでくる。大人が三人がかりでも抱えきれないような巨石がそびえ立つ。

 街道はそんな岩場の間を縫うように伸びていた。

 二人は馬を降りてさらに登っていくと、たまに旅人とすれ違う。

 どうやら、街道が止められていることはなさそうだ。


 「凄い所だな」


 見晴らしの良い場所で、エリックは振り返る。

 眼下は初夏の日差しに輝く森、左右は砂色の岩の柱という奇妙な風景だ。

 これまで登ってきた道のりを眺めながら、額の汗を拭った。


 「かなり登ってきたが、そろそろか」

 

 腰にぶら下げた水筒から水を飲み、この先を訊ねる。


 「はい。もうすぐ領内への出入りを見張る砦があります」

 「最初の関門だな。予定通りいくぞ」

 「お任せを」


 一息をついた二人が再び岩場を進むと、石を積み上げた小さな砦が現れる。

 両側を二つの巨石に挟まれた天然の要害だが、ドルン河沿いのランドリッツェの砦とは違い、中隊規模の兵しか配置できないだろう。

 砦には赤色の旗が翻り、槍を手にした数名の兵士が行き交う旅人たちを見張っていた。


 「止まれ。何処から来た。目的は」


 二人に尋問の順番が回ってきた。


 「私共はオルレアーノからやってきました行商人でございます」


 マリウスが笑顔で答える。

 

 「行商人? 荷が無いではないか。何を扱っている」

 「はい。砂糖を商っております」

 「見せろ」

 

 兵士の言葉を受けて、エリックはオルレアーノから運んできた砂糖の袋の口を広げた。

 二人は揉め事を避けるために、砂糖の行商人としてメルキアへ入るつもりであった。

 年上のマリウスが行商人で、エリックは手伝いの振りをしている。

 

 「これで全部か」

 「はい。砂糖は非常に高価でございますから、これが全てでございます。私共はこれらをトレバンの街で商うつもりにございます」


 マリウスは一番偉そうにしている兵士の懐に、そっと小さな袋を捻じ込む。中には砂糖が詰め込まれていた。


 「砂糖は南の国の特産品です。僅かな量でもアス銀貨数枚分の価値がございます」

 「確かに、砂糖など滅多に口に出来ない」


 兵士は袋を握って量を確認した。


 「はい。お楽しみいただければと」

 「よし。通行料は一人銅貨5枚だ。気をつけて行くがいい」

 「ありがとうございます」


 二人は兵士に通行料を支払うと、無事に砦を通り抜けることが出来た。


 「上手くいきましたね」


 マリウスの言葉に頷く。


 「ああ、予想よりも監視が緩い。もっと尋問されるかと思っていた」

 「砂糖の力です。手ぶらでしたら怪しまれていたでしょう」

 「そうだな。あの兵士も喜んでいるだろう。オルレアーノでは銀貨二枚程度だが、メルキアではもっと高いだろう」

 「はい。三倍から四倍の値はするでしょう」

 「砂糖は儲かるな。出ていく金も大きいが、入ってくる金も大きい」

 「仰せの通りです」


 なかなか実際の手元には現れないので実感は薄いのだが、帳簿の上では、大金が出たり入ったりしている。


 「たまには行商人の真似事も楽しいですね」

 「真似というか、俺たちが砂糖の商人だという事は間違いじゃない。毎日毎日、寝ても覚めても砂糖と格闘している」

 「そう言えばそうでした」


 笑いながら進むと、街道はいつしか下り坂になっていた。

 この坂を下りきればメルキアだ。

 エリックが進む先には、緑豊かな盆地が広がっていた。

 

 

 「何と言えばいいのか。ここは暑いな」


 山を下ると急に気温が上がったようだ。汗が止まらない。

 風が吹かないというのもあるが、重い熱気が纏わりついてくるようだ。


 「メルキアは四方が山ですからね。風が通り抜けないのでしょう」


 マリウスも流れる汗を拭った。

 ニースは海から毎日のように風が吹きつける。風のない日が稀だ。

 

 「ただし、冬になりますと北の山脈から猛烈な北風が吹き下ろします。冬の寒さは厳しいのです」

 「夏が暑くて冬は寒いのか。大変だな」


 エリックは北に目を向ける。

 雲に覆われて見えないが、あの向こうには夏にも溶けない雪を抱いた高山が広がっているのだろう。

 街道が平坦になると、道の両側には広大な麦畑が広がっていた。

 畑では多くの領民が働いている。

 気候は厳しいのかもしれないが、豊かな土地だ。

 この地を治めるヘシオドス家の豊かさが窺い知れた。

 これだけ豊かな土地を支配しているのに、どうしてヘシオドス伯は陰謀などを企んだのだろう。

 エリックの中に素朴な疑問が浮ぶ。


 コルネリアの手紙によれば、ヘシオドス伯はガエダ辺境伯家の乗っ取りを考えていたらしい。

 辺境伯家の領地は、メルキアかそれ以上の大きさがあるだろう。だが、それを手に入れて何がしたいのだろうか。

 領地が広がると、手にする富も増えるだろうが、良い事ばかりではない。

 辺境伯には、ドルン河の守り手としての役割がある。

 北部国境の防衛は苦労が多い責務だ。

 ガエダ辺境伯の軍団だけでは守り切れない。我々レキテーヌの第五軍団が後備えにいるからこそ守れる厳しいものだ。

 川向こうにはジュリエットのような優秀な(おさ)に率いられた部族だっている。戦になれば一筋縄ではいかない。

 大貴族であるヘシオドス伯が、それを知らないはずはない。

 何が目的なのだろう。

 まさかとは思うが領地を広げ、ゆくゆくは国王陛下にとって代わるつもりであったのか。だから謀反人として捕縛されたのかもしれない。

 そんなことが出来ると本気で考えていたとすれば、ヘシオドス伯は相当な愚か者だ。そのような暴挙を、我等センプローズ一門が許すわけがない。

 必ず叩き潰していた。

 それともメッシーナ神父が事あるごとに口にする、人の欲望には限りが無いという事なのだろうか。

 もっと豊かな土地、もっと大きな領地、伯爵よりも上の爵位。それを欲しての事なのだろうか。分からない。


 翻ってみて俺はどうなのだろう。

 ギルドを大きくし、力を付けてセシリーを迎えに行く。

 その(あと)はどうする。

 更なる力を求めるのだろうか。

 今の様に多くの人たちの助けがあれば、それも不可能ではないだろう。

 ギルドから得た資金で配下を増やし、大きな武勲を立てて領地を増やす。一つ一つ積み上げていけば、王都にも屋敷を構えるような身分になれるかもしれない。 

 かつて東方の小領主に過ぎなかった、センプローズ一門が駆け上がった栄光の道を、俺自身でなぞるのだろうか。 


 「興味ないな」


 独り言が零れる。

 俺もセシリーもエリカだって、そんな分不相応な立場は望んでいない。


 どれ程旨い食べ物でも、満腹で口にすれば苦しいだけだ。

 俺たちの胃袋はそれほど大きくはない。腹痛を覚悟して貪り食う事はしない。

 ニースとモンテューニュが豊かになればそれでいい。

 それとも、エリカやセシリーは更なる高みを目指しているのだろうか。

 尋ねたことはないな。

 いや、尋ねなくともセシリーがそんなものを望んでいるとは思えない。エリカも考えていないだろう。

 ただ、エリカの場合は周りが放っておかないかもしれない。教会がいい例だ。

 俺が大貴族になる姿は想像もできないが、エリカが大貴族になる姿はうっすらと思い描ける。

 これが、俺とエリカとの違いだ。


 ヘシオドス伯は王家にとって代われはしないが、何かの間違いでエリカが王家に嫁いだら、ロンダー王国はエリカに乗っ取られる。

 これは予想ではなく、確実にそうなるだろう。

 エリックは、自分の荒唐無稽な空想に吹き出しそうになった。


 ヘシオドス伯とやっていることは同じのはずなのに、不思議と腹は立たない。

 ああ、やっぱりなとすら思える。

 俺とセシリーがエリカの前で跪く日が来るかもしれない。

 そうなったら少し愉快だ。あいつは、やめてくれと俺たちに必死に懇願するだろう。絶対にそうだ。表情も含めて、その姿が容易に想像できる。

 どちらが偉いのか分からないな。


 マリウスを従えてメルキアの街道を進むエリックは、空想を交えながら漠然とした未来に目を向けていた。



               続く

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[一言]  「砂糖は南の国の特産品です。僅かな量でもアス銀貨数枚分の価値がございます」  「確かに、砂糖など滅多と口に出来ない」  兵士は袋を握って量を確認した。  「はい。お楽しみいた…
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