当てが外れた
館の応接室で、アランとの面談は続く。
江莉香は、お気に入りの長椅子に深く腰掛けて、状況の把握に努めた。
マリエンヌの立場は一層深刻化はしてきたけど、やることは変わらないわ。
犯罪者の娘であろうと、犯罪に無関係ならば手助けする。
それだけよ。
裁判の過程で彼女の罪が明らかになれば、手を引かざるを得ないけど、それはその時になって考えよう。
「アラン様。フリードリヒ様にディクタトーレを紹介してほしいとお伝えください」
アランに向かって深々と頭を下げるが、返答はない。
暫くして顔を上げると、彼は腕を組んで難しい顔をしていた。
「お答えする前に、そもそもの疑問があるのですが、よろしいですか」
アランは軽く右手を上げた。
どうやら、すんなりと事は運ばないようだ。
「はい。何でしょう」
「なぜ、そこまでして、ヘシオドス家の息女を助けたいのですか」
「えっ、理由ですか」
「はい」
アランの鋭い視線を受けて、江莉香は言葉に一瞬詰まった。
彼の言葉の意図が、理解できなかったからだ。
「今の段階では、推測の域は出ませんが、ヘシオドス伯が陰謀を企んでいたことは間違いないでしょう。彼らが暗躍したため、北部国境は危険な状況になり、多くの将兵が北の大地に倒れたのです」
アランの表情に変わりは無かったが、声には拭いきれない怒りの色が含まれていた。
「わが身の不甲斐なさを、脇に置いたような物言いになりますが、あの戦いではセシリア様が危険な目に遭われました。あのお方の機転とエリカ様の尽力が無ければ、悲惨な結末となったでしょう。いえ、セシリア様がご無事だったのは、奇跡と言ってよい。私にはそう思えてなりません」
アランは息継ぎもせずに、一気に言葉を吐きだした。
「その原因を作ったヘシオドス伯の縁者を、エリカ様がお助けになられたい理由をお尋ねしたい。あの者たちは、エリカ様にとっても敵のはずですが」
なんだ。そんな事か。
もっと難しい事を聞かれるかと思って、身構えてしまったわ。
江莉香は深呼吸をしてから、言葉を紡ぎたした。
「理由は大きくは二つです」
「是非、お聞かせください」
「一つは、マリエンヌが陰謀に関わり合いが無いからです。罪を犯したのは父親でしょう。罪人の娘が、娘だという理由だけで、罪無く死刑にされるのは座視できません」
「彼女に罪はあります」
「えっ、陰謀に関わっているって事ですか。それなら話は変わりますけど・・・」
アランが断言したので、江莉香の目は泳いだ。
「違います。陰謀に関わっていなかったとしてもです。大逆を働いた者の縁者である。それだけで罪人たり得るのですよ。特に上の世界ではね」
アランはここに居ない誰かを笑うように、唇の端を上げた。
「上の世界ですか」
「はい。上の世界の話です」
上流階級の流儀ってやつなのかな。なるほどね。
「アラン様の仰りたいことは理解いたしました。でも、これとそれは、私には関係ありません。マリエンヌがセシリアを害したのなら、私がこの手で彼女を八つ裂きにします。でも、彼女の父親が企んだだけであれば、八つ裂きにされるべきは父親であって、娘ではありません」
「父親の暴走を止められなかったのです。娘としての罪があるでしょう」
「それは、マリエンヌが陰謀を知っていた場合ですよね」
「知っていようが、知らなかろうが、それこそ関係の無い事だと思われますが」
「私は知らなかったのであれば、罪には問えないと思います」
「問えるのですよ。この国では」
「納得できません」
「エリカ様が納得することでもありません」
徐々に二人の会話の口調は、厳しくなっていく。
落ち着くために、アランは一旦話題を変えた。
「申し訳ありませんが、お話を伺う限りではエリカ様の動機が、今一つ理解できません。マリエンヌ殿が哀れだからですか」
「違います」
どうして、そんな上から目線で助けないといけないのよ。
人助けって、上から目線でするものではないでしょう。いや、私も最近になって気が付いたことだけど。
「では、違いをお教え願いたい」
「簡単な事なんですけどね。分かりませんか」
「あいにく」
アランは椅子の背に身体を預け、両手を広げた。
「いいですか」
江莉香は反動をつけて長椅子から立ち上がった。
「あの時私は、セシリアの命が危ないから、嫌々ながらも戦に参加しました。其の事は後悔していない。むしろ参加しなかったら後悔していたでしょう。なぜだか分かりますか」
「勿論です」
「答えをどうぞ」
「私がですか」
江莉香の挑むようなな態度に、アランは僅かに眉をひそめた。
「はい」
「ご友人の危機を見過ごせなかった、という事でよろしいですか」
「exactly」
江莉香は指を鳴らして、アランを見据える。
「私は友人は見捨てないわ。将軍様にもそう宣誓している。マリエンヌは私の友人よ・・・だから助ける。以上」
他に理由などあるはずもない。
理屈はぐちゃぐちゃ取り付けられるけど、そんなものは物事の枝葉の話よ。
友人を助ける。これ以上に理由が必要とは思えないのだけど。
「・・・友人」
「はい」
「罪人ですよ。彼女は」
「だからなに」
江莉香は冷たく言い放つ。
関係ないわよ。そんな事。
「貴方や周りにも累が及ぶやもしれないのです。お分かりになっていないようですね。十人委員会がこれまで捕縛した人数は、百人にも届く勢いなのですよ。百一人目が貴方かもしれない」
「分かりませんね。委員会とやらは、罪人の父親を持つ、娘の友人まで逮捕するつもりなの」
「事の重大さから、あり得ない話ではないのです。この事をフリードリヒ様がお知りになられれば、同じ様に仰るでしょう」
フリードリヒの名前が出てきたので、江莉香は本題を思い出した。
「とにかく、フリードリヒ様にディクタトーレの件を、お願いしてください」
そう言った問題は、動いてから対処すべき事よ。
今は行動あるのみ。
「お断りいたします。このような戯言、お話しするまでもありません」
「戯言とは心外です」
江莉香のトーンが一段階高くなる。
「失礼。言葉が過ぎました。謝罪します。ただし、お伝え出来ないことには変わりありません」
「どうしてですか。聞くだけ聞いてください」
「その必要を感じません」
「そんなの、アラン様の勝手な言い分でしょ」
遂に江莉香は声を荒げたが、アランは動じることなく、静かに、だが強い口調で答える。
「勝手な言い分ではありません。私はこの場にフリードリヒ様の名代として伺っているのです。僭越ながら私の言葉は、フリードリヒ様のお言葉としてお聞きください」
「なによそれ」
隣で二人の会話を黙って聞いていたコルネリアは、深いため息をついた。
出会って数日しかたっていない、見も知らぬ女を友人と言い切るエリカに呆れる、と同時に奇妙な納得を覚えてしまう。
彼女が動く理由に、小難しい理屈など要らない。
アランは大人の理屈を並べて自重を促すが、今のエリカにそれは通用しない。
なぜならエリカがここまで頑なな態度に出るのは、理屈ではなく、良く言えば純真、悪く言えば幼稚な心の叫びだからだ。
「少し、落ち着きなさい。エリカ」
「私は落ち着いているわよ」
落ち着きのない者が言い放つ、お手本のような返答が返ってきた。
「顔を真っ赤にして、何を言っている。その茹った頭を冷やしなさい。顔でも洗ってくるのです・・・ユリア」
「はい」
コルネリアの指示を受けたユリアは、心得ましたとばかりに席を立つ。
「暫し休憩をいたしましょう。エリカ様」
ユリアは江莉香の腕を取って、応接室から連れ出した。
江莉香が部屋を出たのを確認すると、アランも腕を広げて深呼吸をし、コルネリアに謝罪した。
「醜態を晒しました。お許しを」
「問題ない」
コルネリアは鷹揚に片手を振る。
醜態をさらしたのは、江莉香の方であろう。
「やはり、ディクタトーレの件は難しいか」
「はい。ガエダ辺境伯に比べれば軽微ですが、我等も大きな損害を被ったのです。その一味の娘を弁護するなどと、あり得ない事です」
「そうであろうな」
こうなることは、依頼する前から分かり切っていたことである。
センプローズ一門から紹介されたディクタトーレを雇うという事は、一門がヘシオドス家の行いを許したことに繋がる。
これは単なる紹介にとどまらず、大きな政治的判断になる。
今の状況下では、到底あり得ない事であろう。
そのことを江莉香に伝えても良かったが、話しても聞かないことが予想できた。
そしてその予想は、眼前で的中した。
これが脈が無いと知りつつも、コルネリアが江莉香を止めなかった理由であった。
彼女が勝手な行動に移る前に、事情を知らないセンプローズ一門を巻きこむ算段をしたのだ。
「コルネリア様からも、ご説得頂けませんか」
「しています。ただ、言い出したら聞かぬからな。あの女」
「ヘシオドス家の娘を弁護せよなどと、本気で仰っているのでしょうか」
「エリカはいつでも本気です。アラン卿の目に入ったであろう。両の目を血走らせたあの顔を。何よりの証だ」
「そうではありますが・・・」
「理解できぬか」
「恐れながら」
「恐れ入る必要はありません。私にも理解できない」
コルネリアの砕けた口調に、アランは噴き出した。
「困りましたね」
「いかにも、ただ、このまま放置しておくと、今よりもひどい事態になるであろう。私の経験の上での話だが」
「どのような事態になると、お考えでしょうか」
アランは遜った対応を心掛ける。
「当てにしていた一門からの紹介を、断られたのだ。後は自力で何とかしようとするだろう」
コルネリアの見立てでは、江莉香はこの程度で大人しく引っ込むような性格ではない。
「誰か、別のディクタトーレを探されるという事ですね」
「間違いなくそうするでしょう。その過程で、良からぬ者に出くわすやもしれぬ。後は・・・」
あえてその後の言葉を途切れさせたが、意図は十二分にアランに伝わる。
今よりも収拾のつかない事態に、陥るやもしれないということだ。
「・・・困りました。あのご様子ですと、あり得ない話ではありません」
「どうする」
「どうすると仰られても。アルカディーナの称号を得ているエリカ様を、館に監禁するわけにも参りません」
「すれば良いではないか。その方法が一番の解決策です。事態が終わるまで、そこの椅子にでも縛り付けておけばよい。泣き喚くであろうが、一門に累が及ぶことに比べれば安いものです」
つい先ほどまで、江莉香が腰を掛けていた長椅子を指さした。
「ご冗談を。アルカディーナを縛り付けるなどと。教会の耳に入ればアスティー家と言えども、ただでは済みません」
「エリカも偉くなったものですね」
「ご自身にご自覚が無いようなのですが」
アランは心底困ったように、頬を叩いた。
「アラン卿。フリードリヒ殿にお伝え願いたい」
この提案を待っていたアランは姿勢を正した。
「承りましょう」
「この一件は私に預けてくれぬか。決して一門の悪いようにはしない」
「お伝えいたします。どのようになさるおつもりですか、お聞かせください」
「難しい話ではない。下手にディクタトーレを探し回られるぐらいであれば、こちらで充てがってやればよいのです」
「しかし、我々からは・・・」
アランは難色を示した。
「分かっている。一門に関わりない者を探そう」
「探すにいたしましても、簡単には見つかりますまい・・・探す振りをして、時を稼ぎますか」
「エリカを侮るでない。そのような、小手先の手段が通じる相手ではありません」
「失礼を。では、どのように」
「なにも、有力なディクタトーレである必要はないでしょう」
「・・・となりますと、無名のディクタトーレを起用するのですね」
コルネリアは軽く頷く。
「無名の者であれば、貴族同士の力関係にも影響力が少なく、委員会も目くじらを立てないであろう。ディクタトーレを雇うことが出来たのであれば、エリカも納得する・・・はずだ」
後半の部分には、やや自信が無い。
「これが無難な解決方法だと考えます。どうであろう」
「一理あります。そのような人物に心当たりがお有りなのですね」
「私の直接の知り合いではないが、何人かに声を掛けるつもりだ。勿論、他の諸侯の首輪の繋がっていない者たちに限っての事です。仮にその者たちが断れば、エリカも打つ手はないでしょう」
コルネリアの提案に、アランは大きく頷いた。
「分かりました。この場でのご返答はできかねますが、コルネリア様の案に沿うように、私からもフリードリヒ様に働きかけましょう。お任せください」
「ご苦労だが頼みます」
水桶に頭を突っ込んだ江莉香が、濡れた髪を拭きながら、中庭で小石を蹴っ飛ばしている間、二人は相談を続けたのであった。
続く
この後中庭の江莉香は、感情に任せて大きめの石を蹴っ飛ばして、痛みでうずくまるんでしょうなぁ。
( ̄▽ ̄)//
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