陰謀の裏側
翌日、マリエンヌの為に出来るだけのことをしようと決心した江莉香は、彼女を弁護してくれそうな、ディクタトーレを探すことにした。
有力者が行う仕事らしいので、有力者に聞くほうが話が早い。
江莉香が知っている有力者は王都に一人しかいない。将軍の跡取りの若殿だけだ。
若殿こと、フリードリヒに面会の予約をしたいが、忙しい彼の事、普通に希望を出したら二、三日待たされることもあり得る。
一秒でも無駄にしたくない江莉香は、アポイントメントのお願いの文言に頭を悩ます。
「なんて、書いたらいいのかな」
朝食の席で、コルネリアとユリアに相談する。
「後々に、言質を取られるような文言はやめなさい」
「言質? 例えば」
若殿が言質なんてとってくるかな。
「マリエンヌを助けたいなどと書いてはいけない。仮に手紙が良からぬことを考える者の手に渡っては、大変な事になります」
「若殿に出す手紙なんだから、若殿しか読まないでしょう。それでも駄目なの」
「用心に越したことはない。マリエンヌやクールラント一門には触れないように書くのです」
難しい注文を付けられてしまった。
「マリエンヌに触れないようにしたら「至急お会いしたいです」しか書けないけど、これで大丈夫なの」
「弱いでしょうね。面会希望者が複数いた場合、後に回されるかもしれぬ」
一年前の事を思い出す。
あの時も前日に面会の予約をして、当日も小部屋で待たされたが、今回はそれは困る。一刻も早く若殿に面会して手を打たないと、取り返しがつかなくなるかもしれない。
手紙の文言に頭を悩ませていると、ユリアが意見を述べる。
「ありのままに書けないのであれば、諷意を込めた詩などは如何でしょう」
「諷意? 詩? 」
「はい」
言いたいことは、なんとなくわかるけど・・・
江莉香は困惑の色を強めた。
「どうやって書くの。私、詩なんて学校の授業でしかやったことない」
「学校で習われたのですか。それなら大丈夫です。詩にいたしましょう」
笑顔で太鼓判を押してくれたけど、ユリアは根本的に日本の学校教育を全く分かっていない。
中学、高校と六年間英語の勉強をしても、多くの人は片言の英語しか話せないのが、日本の教育なのよ。
あれは受験用に勉強するものであって、アメリカ人との会話は想定していないの。
詩だって同じよ。そもそも習ったといっても、私が知っている詩は、日本の俳句とか短歌。五、七、五の言葉の連なり。
こっちの詩とは似ても似つかない文芸なの。
それだって季語がどうしたとか、韻を踏んでいるかとか、うろ覚えよ。小学生の頃はゲーム感覚で百人一首のほとんどを覚えたけど、今では半分も怪しい。
歌の意味も分からず、言葉の流れだけで覚えていたからね。しょうがない。
その程度の私に、マリエンヌの窮地を詩にして書けるわけがない。ハードルが高すぎて、下をくぐるしかないわよ。
「私にそんな学はありません。ユリアが書いて」
詩と言われて、若干投げやりになる。
「よろしいのですか」
「私よりは詳しいでしょ」
「うけたまわりました。精一杯務めさせていただきます」
急に気合が入ったような表情になる。
もしかして、やりたかったのかな。
「では、マリエンヌ様について分かることはありますか」
やる気に満ちたユリアが、ペンを片手に問いかける。
「えっ、特にはないけど。今は捕まっているとか、王都で暮らしていたとか、良い所の育ちの人ぐらいしか」
考えてみれば、私はマリエンヌの事を何も知らない。
「困りましたね。フリードリヒ様に伝わるように書かなくてはなりませんが、それだけで伝わるかどうか」
「他の情報か・・・そう言えばマリエンヌの地元ってどこだったけ」
一番情報を持っているのはコルネリアだ。彼女に聞く方がいい。
「ヘシオドス家の本領という事であれば、トレバンですね。東メルキア地方の中心の街だ。訪れたことはないが、万年雪を頂くメルキア山系の麓に建設された、美しい街と聞きます」
メルキア地方? どこかで聞いたような気がする。
記憶を探っていると、私よりも記憶力のいいユリアが手を打った。
「ああ、それは使えます。マリエンヌ様はメルキアの歌を歌ってらっしゃいました。あれは、故郷の歌だったのですね。納得です」
ああ、中庭で歌っていた歌のことね。思い出したわ。
「でも、使うったって、どう使うの」
確かに使えそうな気がするけど、具体的には分からない。
メルキアの歌をそのまま手紙に書いたら、詩を送りつけてくる、夢見る痛い奴になるんじゃないかな。
「お任せください。メルキアの歌を使ってマリエンヌ様の窮状を、ほのめかしましょう。あの歌は多くの人に広まっていますから、フリードリヒ様もお気づきになられるかと。少なくとも不審には思われるはずです」
「なるほど」
良くは分からないが、ユリアが使えるというからには使えるのだろう。
手紙の件は、ユリアにお願いすることにした。
ユリアは素早く諷意を込めた手紙を書き上げる。
内容を確認してくれと言われたが、私には何が何だか分からないので、そのままOKを出して、クロードウィグに頼んでアスティー家に届けてもらった。
これで面会の優先度を上げてくれたらいいのだけど、意味が通じてなかったら後回しにされるだろうな。
江莉香の予想に反してフリードリヒの反応は早かった。
手紙が先方に届くと、壁に向かって打ち込んだテニスボールぐらいの速さで、アスティー家から使いの人が館に訪れる。
「ご無沙汰をしております。エリカ様。コルネリア様。ユリア」
優雅に一礼して見せたのは、若殿の馬廻りを務めているアラン卿だった。
赤色の立派な衣装を身に着け、腰には白銀に光る剣を佩き、所作も洗練されている。絵にかいたような騎士の姿であった。
今日は若殿の名代として訪れたという。
「無粋で申し訳ありません。早速ですが、お手紙の趣旨をお伺いしたい」
応接室に通されたアランは、挨拶もそこそこに本題に入ろうとした。
という事は、ユリアの諷意で何かしら感じ取る事があったのかな。
あれだけの事で、よく分かるわね。上流階級の会話には付いて行く自信がありません。
そんな事を考えながらアラン様には、私がうっかりマリエンヌに怪我をさせ、お尋ね者とは知らずに介抱し、マリエンヌの存在を知ったコルネリアが、彼女を逮捕したという、一連の流れを説明した。
「ヘシオドス家の息女が捕縛された話は、我等にも伝わっておりましたが、エリカ様がお捕まえになられたのですね」
「えっ、違い・・」
「そうです。エリカの尽力によって捕らえることが出来たのです」
反論しようとすると、上からコルネリアの声がかぶさってきた。
思わず、コルネリアに視線を送ると、怖い顔を向けるので言葉に詰まった。
「見事なご奉公です。後の事はお任せを」
アラン様が勝手に話を進める。
まだ何もお願いしていないんですけど。
「お願いします」
またもや、コルネリアが勝手に返事をした。
「ちょっと待って。私の話も聞いてください」
「分かっております。エリカ様に累が及ばぬように、各所に根回しを行います。むしろ、これは立派な功績です。ご安心を」
やっぱり話がかみ合っていない。
累が及ぶことを心配しているんじゃないわよ。いや、少しは心配しているけど、私の場合は不可抗力でしょうが。
「違うんです。私はマリエンヌの為に・・・えっと何だっけ。弁護士はなんて言ったかな」
咄嗟の事で、単語が出てこない。
「デェ・・・テュ、ああ、そうそう。ディクタトーレ」
言い慣れない単語は覚えにくい。
「ディクタトーレの先生を雇いたいんです。雇いたいんですが、私には伝手がありません。ディクタトーレを雇うためにもアスティー家からの紹介状が欲しいんです」
やっと言えた。
「ディクタトーレをお雇いになる・・・なぜでしょうか」
なんとか言葉が出てきたというのに、アラン様は心底不思議そうな顔をしている。
「私としては、マリエンヌが陰謀に加わっていないのであれば、罪に問わないでほしいんです。彼女を弁護する為に、ディクタトーレの先生を雇いたいんです」
江莉香の言葉に、部屋には不気味な沈黙が訪れた。
アランは困ったような笑顔を浮かべ、コルネリアは額を押さえ、ユリアはそんな二人を見て視線を左右に振る。
弁護士の先生を雇うぐらいなら問題ないでしょう。私が矢面に立つわけじゃないんだから。
しばらくの沈黙の後に、アランが咳払いをした。
「これは、お話すべきか悩むのではありますが、ヘシオドス家の息女・・・マリエンヌ殿でしたか。彼女に罪がないとは言えないやもしれません」
「どういうことですか」
アランから、聞き捨てにならない台詞が飛び出した。
「これは、他言無用に願います。まだ、確証がある訳ではないので、噂話の一つとしてお聞き頂きたい」
「了解です」
アランは一度、瞼を閉じて決心を固める。
「ガエダ辺境伯家のお家騒動の一件。コルネリア様の推論は概ね正しいですが、その裏にもう一枚あると考えられています」
もう一枚、裏ですか。なんだろう。
「ヘシオドス伯は将来的に、陰謀を企てた辺境伯家の三男を断罪し、自身の息子の一人を辺境伯家の跡取りとして送り込むつもりだったようなのです。簡単に言いますと、ヘシオドス家によるガエダ辺境伯家の乗っ取りを、企んでいたようなのです」
「はえ」
アラン様の言葉に、頭がこんがらがって来た。
ヘシオドス伯は三男の陰謀に加担したんじゃなくて、三男を利用して辺境伯家に自分の子供を送り込もうとしたって事?
陰謀の裏に、もう一つ陰謀があったって事なの?
今まで主犯が三男で、ヘシオドス伯が共犯だと思っていたけど、アラン様の言う事が本当なら、ヘシオドス伯が主犯てことになる。
それって、かなり・・・
口ごもっていると、コルネリアが代弁してくれた。
「悪辣な策ですね」
「はい。その過程でマリエンヌ殿にも嫌疑が掛かっております」
思ったより、状況は不利になって来た。
こっちの司法制度はよく分からないけど、主犯格の縁者か。連座の対象としては無理は無いのかもしれない。
見せしめのためにも、マリエンヌを死刑にするかもしれないわね。
だからといって挫けるつもりは無いわよ。
事態の変化に戸惑ったが、江莉香は背筋を伸ばして気合を入れ直すのだった。
続く




