再び王都へ
コルネリアの要請と、エリックの勧めに従って、江莉香は王都に出向き、日本と日本人の手掛かりを求める旅に出かけることとした。
村の主要人物たちに、王都行を告げた時の反響は小さく無かったが、反対の声は出なかった。
領主兼ギルド長のエリックはニースに残ることで、統治と運営に支障はないと判断されたからであろう。また、江莉香一人で王都に向かう訳ではなく、コルネリアの付き添いがあったことも、多くの者たちを安心させた。
こうして、江莉香は数日の間、王都への旅支度に追われる。
旅支度と言っても、衣類を鞄に詰め込むわけではなく、溜まっていた仕事を大車輪で片付ける事であったが。
会議で幹部連中と相談した結果。ギルド運営の基本方針は変えず、これまで通り砂糖の増産を目指すことが確認された。
そして、それらの業務は、新しくギルド員になった者たちへ、指示という形で降り注ぐ。
「オルレアーノでの売り上げは横ばいだけど、商会の売り上げが上がっているから、増産した砂糖は商会に回して」
「上がった利益は、ビーンの買い付けと商会への返済が最優先よ。余剰金は教会に預けたままでいいから。ニースに運ぶ必要はないわ」
「間接税とかの各種支払いは商会を通して行うから。商会からの手紙はしっかりと確認しておいてね」
江莉香は新しく雇ったギルド員を引き連れて、ニースの村を廻りながら、細かく具体的な指示を出す。
「木炭の在庫が心もとないわね。このままじゃ、村で作るだけじゃ足りなくなりそう。仕入れ先にお願いして蓄えを増やしておいてね。新しい仕入れ先についてはエリックに聞いて。近くの村にお願いしているみたいだから」
「ビーンの仕入れ先をもう少し増やさなきゃね。アルノ河流域の、全部の村に声を掛けるつもりでお願いします」
「仕入れ価格の交渉は今まで通りの値幅でやって下さい。安く買いたたく必要はないけど、高過ぎたら買わなくていいから。特に少しずつ価格が上昇しだしたら一度、買い付けは止めるからそのつもりで。価格帯に関してはエリックが指示を出すから、その通りにしてね」
「えっ、買い付けを止める理由? ・・・売り手さんが儲けるつもりの高値提示なら断ればいいだけだから問題ないけど、そうじゃなくて供給不足による値上がりは危険よ。マーケットにビーンが不足すると、豚肉とか他の物の値が上がっちゃうからね。砂糖作りは儲かるけど、やり過ぎは良くないわ」
「なになに。マーケットの意味が分からない・・・そっか。なんて言えばいいのかな。市場って解釈じゃ、意味が小さいのよね。そうね、こう考えてみて。不作になったら、食べ物の量が足りないから値段が上がってみんな困るでしょ。それと同じ意味よ」
「形とか色とか大きさとかビーンの出来は気にしなくていいからね。とにかく量を集めておいて」
「買い集めたビーンは、アルノ河を下ってフレジュスに集めてからニースに運び込むのよ。街道は工事が完了するまでは、極力避けてね。街道が完成したら便利な方でいいわよ」
新人たちは矢継ぎ早に出される指示を、書き留めるのに必死だ。
彼らの大半は砂糖のギルドに勤めようと思ったのではなく、新しく騎士となったエリックと江莉香に仕えるつもりでやって来た人々だ。
想像と違う仕事と生活の上に、今回の怒涛の指示だ。
半ばパニック状態に陥ってしまった。
「申し訳ありません。エリカ様。もう一度、お願いします」
亜麻色の髪の若い男が、板を片手に汗をにじませ懇願する。
板には江莉香の指示が書きなぐられている。余りの指示の多さと細かさに、記録が間に合わないのだろう。
「分かりにくかった? ごめん。もう一度言うね。ああ、それとも私が書いた方がいいかな」
江莉香の言葉に、周りの人間の顔が引きつる。
「いいえ。我々がエリカ様のお言葉を筆記いたしますので、そのままでお願いします」
先ほどの男が、必死の形相で制止した。
周りの者たちも似たり寄ったりの態度だ。
「でも、分かりにくいでしょ。私が書くよ」
「大丈夫です。我々が記録いたします。出来ましたら、もう少しゆっくり話していただければ助かります」
「そう。分かった」
江莉香の言葉に、皆は胸をなでおろした。
彼女に文字を書かせると余計に大変な事になる事は、短い付き合いであるが、この場に居る皆が理解していた。
彼女は文字を書くのが苦手で、細部の意味が分かりにくく、ともすると神聖語を混ぜて書くのだ。
この中に神聖語を読める人間はいない。
そんな難解な文章を、修道士と頭を突き合わせて悩みながら解読するより、どんなに大変でも、自分たちで筆記した方が圧倒的に楽であった。
そんなギルド員たちの心境も知らず、江莉香の指示は止まらない。
「王都に持って行く砂糖は少なくていいから、それよりもカマボコの数を確保しておいて。持って行くのは、砂糖入りの方よ。間違えないでね」
「若殿とセシリアへの献上品は用意できた? ・・・OKこれでいいわ。ありがとう」
「王都で買い出ししてほしいリスト、じゃない目録は出来てる? よしよし、見せてみて・・・これじゃ駄目よ。お土産と必要物資は分けて書いて。こんがらがっちゃう」
「私への連絡は、ドーリア商会本店と王都のアスティー家の両方に出してね。どっちかなら絶対に捉まるから。緊急事態の時は尚更よ。直ぐに帰って来るから遠慮しないで」
「持って行くラジック石の大きさ? そんなの適当でいいわよ。綺麗に整形して、私が持てる大きさでお願いします。王都で売れるかどうか聞くだけだから、ああ、出来るだけ色むらの無い、明るい色がいいらしいから、そんな感じでよろしく」
せっかく王都に行くんだから、ただ行くだけではコスパが悪い。日本人を探すついでに商売もしよう。
江莉香は当初の目的を忘れたように、準備に余念がなかった。
コルネリアの来訪から一週間、ようやく準備が整った。
この一週間の間に、片付けられる用事は全て片付けることが出来た。王都の方にも既に江莉香が向かうことが知らされている。ドーリア商会本店が受け入れ態勢を整えているだろう。
「それでは行ってきます」
江莉香は見送る人たちに挨拶をして船に乗り込んだ。
エリックが皆を代表して答える。
「気をつけてな。こっちは心配するな。気が済むまで探すといい」
「うん。ありがとう。そんなに時間はかけないから」
ニースに荷物を運び込んだ船に便乗する形でフレジュスに向かい、そこからはドーリア商会の船で王都を目指す手筈が整っていた。
江莉香に同行するのは、案内役のコルネリアに、唯一の家臣クロードウィグ、エリックの名代を任されたエミール。最後に王都初体験のユリアであった。
贈り物と蒲鉾に商品サンプルを満載した船は、ついでに江莉香も乗せてフレジュスの港街に到着する。そこからはドーリア商会が用意した二本の立派なマストを有した船が、特等席を空けて待っていた。
翌朝、江莉香たちを乗せた船は、木綿のセイルに風を一杯に受けて、王都エンデュミオンを目指し出港した。
船は波を蹴って静かに沖へと走りだす。しかし、それは束の間の事であった。
「完全に止まったわね」
「止まりましたね」
江莉香はユリアと共に、船べりから身を乗り出して海面を観察する。
船は波に揺られるだけで進んでいるようには見えない。
「帆船ですからね。風が吹かないと進めない」
コルネリアが晴れ渡った空を見上げながら答える。
フレジュスの港街を出港した船は、朝の内は風に乗って機嫌よく進んでいたが、日が天に昇り出すと徐々に風は弱まり、気温が一番高い時刻あたりで、完全に凪いだ。
風が無いとこの世界の船は、一ミリも前進しない。ただ、潮の流れに乗って流されるだけである。
船員たちが大きなオールで、海面を漕いで進むという手段がないわけではないが、比較的、舷側の高いこの船には向いていない方式だ。
「何と言いますか。止まられると揺れが気になるのよね」
この世界では比較的大型船のこの船も、江莉香の尺度で言えば、申し訳ないが大きなヨットだ。
ちょっとした波でも結構揺れる。
脳裏には前回の船酔いの悪夢が蘇る。
「そうだ。風の魔法で前に進めないかな」
江莉香は海面から顔を上げてコルネリアに尋ねた。
そうよ。こんな時の為の魔法じゃない。マストに風の魔法を発現させたら推進力が得られるんじゃないかな。
「・・・あまり勧めはしませんが、やってみなさい。竜巻は駄目ですよ」
コルネリアは暗に蒐での失敗を引き合いに出した。
「分かってます。あの時は焦ってああなっただけだもん」
「エリカ様の魔法が見られるのですか。私初めて拝見します」
ユリアが、嬉しそうに声を上げた。
「あれ、そうだったっけ」
「はい。お話には伺っていましたが、見た事はありません」
ユリアは両手を組んで、目をキラキラさせた。
いや、そこまで期待されても困るんですけどね。光の魔法と違って見える訳でもないし。
まぁ、いっか。
「こうしていても暇だし、やってみますか」
「では、お手並み拝見」
江莉香は腕まくりをしてやる気を見せると、コルネリアは静かに笑った。
決断すると行動が速いのが江莉香の持ち味である。暇そうにしている船長を捕まえ、マストに風を送る事を告げると、不審の眼差しを向けられた。
「魔法使い様ってのは、そんなことまで出来るんですかい」
そんな事が起こせるなら苦労は無いとばかりに、船長は眉をひそめた。
「たぶん大丈夫です」
「たぶんですかい。やるのは構いませんが、船は壊さんでくださいよ」
「分かってますって」
渋々と言った態で許可が下りた。
信用無いな。
これでも前よりは、魔法の発動は上達してるんだけどな。
江莉香は船尾に立ち、腕輪をはめた腕を前に突き出し念じた。
江莉香の魔法はコルネリアの魔法、いや、他の魔法使いの使う魔法とは根本的に違っている。魔力を帯たルーンを唱えるのではなく、腕輪に魔力を流し込んで念じるのだ。
つまり、腕輪にお願いするのが江莉香の魔法である。
それ故、未だに自分の事を魔法使いだとは思えない。
「腕輪さん。マストに向かって風をお願いします。風速10メートルぐらいで」
魔力を腕輪に流し込み念じると、徐々に視界に霞が掛かる。
コルネリアに聞いた限りでは、彼女にはこんな現象は起らないらしい。
やっぱり私のやり方は変則的なんだろうな。
そして魔力が一定量に達すると、自然に口が動く。
「風よ」
自分が意図していないのに、自分の口が勝手に動くこの感触、何度体験しても慣れないわね。
呪文とも呼べない呼びかけに、空気の流れが発生するのを感じ取った。
江莉香の後方、北西の向きから空気の塊が押し寄せてくると、眼前のマストに当たり、水分の足りない朝顔の様に萎びていた帆が、風を受けて膨らんだ。
「おおっ」
江莉香の魔法を見物していた乗組員から歓声が上がる。
「そのままを維持しなさい」
傍らのコルネリアの声に江莉香は頷かなかった。
声を出したり首を動かしたりもできないほどの、集中力を必要とされるからだ。
江莉香の起こした風を帆に受けて、船が走り出し、船員たちは江莉香に喝采を送った。
江莉香の魔法の力を受けて、徐々に船足が速まる。
その姿は周りの船からしてみると、不気味な光景であったろう。無風の海の上を、帆を膨らませた船が静かに進んでいくのだ。
「つっはぁ。もう駄目」
二十分ほど魔力を発動させていた江莉香は、力尽きてしゃがみこんだ。
全身から汗が滝のように流れる。
いい機会だから、限界まで挑戦してみたけど、想像以上にしんどい。汗は止まらないわ、息苦しいわで大変だ。マラソンに参加したような気分よ。
「思ったより頑張りましたね。たいしたものだ」
コルネリアが感心して拍手する。
顔を上げたエリカの目の前で、帆がまたもや力なく垂れさがっていった。
魔法の推進力を失った船は、やがて止まるだろう。
江莉香は汗を拭い息を整えてから立ち上がる。
「行けると思ったんだけどな。これは使えないわね」
「そうでもありませんぞ。エリカ様」
船長がニコニコしながら近寄って来た。
なんだろう。認めてくれたのかな。
「でも、直ぐに力尽きたら意味ないです。あんまり進めなかったし」
江莉香は遠くに見える海岸線に目を向けた。
見た感じでは、ほとんど進んでいない。
「進めた距離は僅かですが、進めたことは良い事ですぞ。何日も風のない海を漂った経験から言えば、僅かにでも進めるだけでも、気分が違うってもんです」
何日も、何も出来ずにただ海の上を漂うなんて、想像したくないわね。
「そんなものですか」
「流石、魔法使い様ですな。恐れ入った」
船長と船員は予想以上にご機嫌になる。
あまり役に立たなかったけど、喜んでくれたみたい。
「魔法の風が一日中吹くようにできればいいのにね」
「エリカもそう思いますか」
何気ない感想に、コルネリアが食い気味に身を乗り出す。
「うん。そうすれば目的地まで早く行けるしね。でも、練習しても今の倍ぐらいの長さが限界かな。魔力よりも集中力が続かない」
「その通りだ。長い時間発動する魔法は、魔力よりも先に意識が途切れ効力を失う」
「コルネリアもそうなの」
「ええ、しかし、その腕輪の力をもってしても厳しいのか」
コルネリアは心無しか、残念そうに腕輪に視線を送る。
「うーん。なんて言えばいいのかな。魔法は腕輪さんの仕事なんだけど、魔力を送るのは私の仕事って感じ。腕輪と繋がると頭の奥がしびれる感じがするの」
「なるほど、繋がりですか。一つ理解しました」
何かに納得したように、コルネリアは頷くのだった。
その後、船長の機嫌が天気にも影響したのか、日が暮れる頃には再び風が起こり船は波を蹴って進みだした。
いつもこの調子で、風が吹いてくれると助かるんだけどね。
続く
誤字報告、いつもありがとうございます。
感謝の念に堪えません。<(_ _)>
少しでも減らすように努力いたします。




