騎士団長
穏やかな春の日差しの中、飾り気のない灰色のローブを纏った一人の女が、白く磨き上げられた石畳みを進み、重厚な列柱が立ち並ぶ建物へと入っていく。
女の恰好は建物が持つ壮重さにはふさわしくない質素なものだが、気後れした様子も見せず、入り口を警備していた衛士の敬礼に軽く頷く。
緑色の長い敷物の上を歩き奥へと進むと、ある部屋の扉を叩いた。
「お入り」
室内より応答を確認し扉を開けると、一人の小男が巨大な机を前に多数の書籍の山に埋もれていた。
小男は入ってきた女の姿に、一瞬目を細めると、どことなく意地悪そうに笑った。
「ほうほう、これは珍しい。銀閃のコルネリア。今日はどうしたね」
小柄な見た目とは違い、声は低くかつ大きい。
コルネリアは右手を左肩に当てて礼をした。
「副団長。これより、レキテーヌに向かいます。そのご報告です」
「レキテーヌ? ・・・おやおや、記憶違いでなければ、つい最近も出向いていなかったですか」
副団長と呼ばれた小男は、愉快そうに笑う。
「はい」
ここは、王都エンデュミオンの中心にそびえる王宮の一角。ガーター騎士団に与えられた館であり、コルネリアの目の前に座っている男が、実質的な騎士団の長であった。
「何をしに行くのかな」
「暫くの間、レキテーヌで研究をいたしますので」
「ほうほう、何か良い物でも発見しましたか」
身を乗り出してコルネリアを見上げる仕草は、どことなく犬のようである。
「はい」
「断言ですか。ふんふん、分かりましたよ。滞在先は前と同じなのかな。ええっと何と言いましたかね」
「ニースです」
「そうそう、ニース。ニースでした。最近物忘れがひどくなりましてね。何かに記録しておかなくては。では、お気をつけて。居所を変えるときはまた連絡を」
副団長は机の上に転がっていたペンを手にすると、何かの切れ端に書き込む。
「はい」
コルネリアのニースへの滞在は簡単に了承された。
ガーター騎士団は騎士団と言っても、大貴族や教会が率いる騎士団とは違い、武装した男たちが在籍している訳ではなく、王家が直接、統制下に置いている魔法使いたちの集団であった。
魔法使いという連中は、その力故に少し、いや、かなり常人とはかけ離れた性質を持っている。
彼らは、一人一人が一騎当千の兵として、単騎で戦いの趨勢を決めるような働きをする決定的存在である一方、魔法の研鑽に余念のない真面目な学者でもある。
その優秀な魔法使いと言えども、苦手な事はあった。
魔法使いが苦手なもの。其の最たるものと言えるのが、集団行動であった。
彼らのおよそ半数は、集団生活に必要な要素を何かしら欠落させている。魔法使いが三人いると六つの意見が出ると言われるほど、纏まりがなかった。
王家もこのような連中を一括で統制しようと努力はしているが、見た所その努力は報われていない。
普段のガーター騎士団の騎士たちは、それぞれが好き勝手に行動し、まとまって行動するのは何かの式典か、国王が自ら兵を率いて親征する場合ぐらいであった。
せめてもの救いは、魔法の研究は王都エンデュミオンが最も盛んであるので、大半の騎士たちは王都か、その周辺で暮らしていることぐらいか。
しかし時折、コルネリアの様に地方の田舎に引きこもる魔法使いもいる。特別珍しい事ではなかった。
「では、失礼します」
コルネリアは一礼して踵を返すと、背後から本の山が崩れる音がした。
薄情にも振り向かずに立ち去ろうとすると、呼び止められる。
「ああ、待ちなさい。貴方に言わなければならないことがありました。思い出しました。思い出しましたよ」
「なにか」
コルネリアは大儀そうに振り返ると、副団長はまたもや意地悪な笑みを浮かべた。
「団長がお呼びです」
「団長が・・・」
それまで無表情だったコルネリアの顔に、初めて感情の色が表れた。
「露骨に嫌そうにするでない。いつでもいいから顔を出せと言っておられました。すっかり忘れていた。いや、思い出してよかった。よかった」
「いつでも・・・」
「ここを離れる前には、顔を出してください。それでは確かに伝えましたよ」
副団長はまたもやニヤリとほほ笑むと、団長の言葉を自身に都合よく拡大解釈しようとしたコルネリアの機先を制した。
「・・・わかりました」
「よろしい。それでは、ごきげんよう。団長によろしく」
副団長の不思議な挨拶を受けたコルネリアは、己の不快さを表明すべく、副団長の執務室の扉を気持ち乱暴に閉めたのだった。
「団長ですか・・・」
大きなため息をつく。
彼女はガーター騎士団の総指揮官である団長が苦手であったが、呼び出されたのであれば是非もなく、従うしかなかった。
こんなことは滅多にない。
呼び出されたにもかかわらず、コルネリアは王宮内のガーター騎士団本部を後にした。
ガーター騎士団の団長が、騎士団本部に居ることは極めて稀であり、彼は普段、自宅に籠っている。
何のことはない。騎士団の中でも最も協調性に欠けるのが騎士団長なのだ。これでは配下の魔法使いたちに、まとまりが無いのも無理のない事であった。
コルネリアは王宮を出た足で団長の下へ向かおうとしたが、杖を自宅に置いてきていることに気づき、一旦自宅に戻ることにした。
団長の下を訪れるには杖が必要であった。
彼女の自宅は王都の中でも、チィチュと呼ばれる下町にある。
木と泥で固めた粗末な建物が建ち並ぶ中、周りに比べると立派な石造りの家屋が現れる。
立派と言っても王都ではありふれた作りの民家で、ここがコルネリアの自宅であった。
「姉さん。おかえり」
木戸をくぐると、大人になりたてのような青年が、コルネリアの帰りを迎えた。
「マール。いたのですか」
マールと呼ばれた青年の顔立ちはコルネリアに似ているが、髪の色は透き通るような銀色のコルネリアに対して、赤みががった茶色であった。
「一度戻っただけだよ。また、直ぐに出かけなきゃならない。姉さんは、どうするの。もう出発する? 」
「いえ、所用が出来ました。出発は明日にします」
「分かったよ。用意は出来ているから」
マールは部屋の片隅の大きな袋を指さした。
中にはニースに持って行く荷物が詰められている。
「ありがとう」
「一応。家臣だからね」
「そうでしたね。しっかり働きなさい」
「やってるよ」
「皆の面倒も見るのよ」
「それも、わかってる」
コルネリアは自身の弟の一人を家臣として、王都に住まわせている。
マールは多くの弟妹たちの中で、一番勉強が出来たので、法律を学ぶ私塾に通いながら、王都で官吏の道を探していた。
彼の王都での生活費、私塾の費用は、すべてコルネリアの懐から出ている。また、南の貧しい村で暮らしている両親と弟妹たちのために、俸給の多くが送られていた。
いわば弟のマールは、騎士となったコルネリアと家族を結ぶ、連絡役のような立場であった。
「姉さん」
「何ですか」
「言いにくいんだけど、姉さんは結婚はしないの。好きな人とかいないの」
「唐突ですね。何を言い出すかと思えば」
前後の繋がりのない話題にコルネリアが眉をひそめると、マールは言いにくそうに頭を掻いた。
「いや、母さんが聞いて来いって言ったからね。これまでも縁談の話は全部断っているだろう。きっと姉さんがどうするか心配なんだよ」
「何度も言っているでしょう。考えていません。そう伝えて。それと、留守中にその手の話があったら、いつもの様に御断りの手紙を書いておきなさい。丁寧に」
「分かったよ・・・この話はお袋には言えないな」
「言う必要はありません。では出かけます」
コルネリアは壁に立てかけていた杖を握り家を出る。彼女が不在の間の家の管理は、マールの手に委ねられていた。
往来に出たコルネリアは、王都の北門に向かう辻馬車を拾うとそれに乗り込む。
多くの人が行き交う賑やかな王都を縦断し、北門から城外に出ると、今度は北へと延びる街道を進む馬車に乗り換えた。
滑らかに舗装された石畳の街道を進むと、両側には大きな集落と丁寧に耕された麦畑が広がり、王都に住む人々の胃袋を支える穀倉地帯を形成していた。
そんな、のどかな風景の中に突然、左手に鬱蒼とした黒い森が現れる。
草木一本に至るまで人の手が入った穀倉地帯に、不自然なほど未開の原生林。この黒い森が、コルネリアの目的地だった。
コルネリアが馬車を降り、黒く深い森に向かって進むと、辺りは一変、春の陽気は何処へやら冷たい空気に変わった。
魔力を扱えない普通の人間でもこの森に近づくと、空気が重たくなるような感覚に囚われるのだが、魔力を感知できるコルネリアの目には、膨大な魔力が人為的に集められていることが感じ取れる。
畑と森の境目に立つと、コルネリアは目を見開き手にした杖をかざした。
「ククリアケルセーテ・ネネトニラーダ」
ルーンを唱え、杖で地面を三回叩くと、地面が僅かに光る。
その光に呼応するように、黒い森にぼんやりと緑色の灯火が、コルネリアを誘うように揺らめく。彼女は緑の灯火を目指して、黒い森に足を踏み入れた。
緑の灯はゆらゆらと、森の奥へと進むが、真っすぐ向かうのではなく、右へ左へと頻繁に進路を変えて忙しい。
このように暗い森を進むこと暫し、行く手を巨石に遮られた。其の巨石には青色の塗料で複雑な象形が描かれている。
巨石を回りこみ先に進むと森が開け、円形の広場とその中心に高くそびえる白亜の塔が現れた。
塔の高さは優に三十フェルメを越え、エンデュミオンにそびえるどんな尖塔にも劣らない優美な姿をしていた。
この高さの塔であれば、森の外からも見えるはずなのだが、その様な事は決してなく、この地を訪れた事のない者には、想像だに出来ない光景だ。
塔の周りの石畳には溝が掘られ、その中を銀色の光を放つ液体が、意志を持っているかのように、ゆっくりと流れている。
コルネリアは溝に足を取られないように慎重に進み戸口に立つと、扉は音もなくに奥に向かって開いた。
塔の内部に進むと、暗闇だった空間に灯りがともる。内部は優美な外観とは異なり、混沌を極めていた。
「団長。コルネリア・ヴァレッタ。参りました」
呼びかけても返事はなく、コルネリアの声は、雑然と積み上げられた様々な器具や道具に吸い込まれて消えた。
コルネリアはそれらの道具を、ある種の憎しみと大いなる嫉妬の炎に燃えた瞳で見やる。
奥に進み、上層へと向かう階段を最後まで登りきると、それまでに比べると小ぎれいな部屋にたどり着いた。
部屋には天上から日の光が差し込んでおり明るい。
「団長。お呼びと伺い参上いたしました」
「うわっ」
部屋の奥に向かって呼びかけると、驚いた声と共に何かが床に落ちる音がした。
「びっくりしたな。もう。入るときぐらいは声を掛けてよ」
奥から高い声と軽い足音が近づいてきた。
薄緑の衣装を纏い、世にも珍しい緑色の髪をした少年がそこに立っていた。
「ああ、君か・・・えっと。あれ・・・待って。今思い出すから・・・確か・・・うんーと・・・ロッロッ・・・御免。名前何だっけ」
緑色の少年は、記憶を掘り返すことを早々に諦めてしまった。
呼び出した当の本人が、呼んだ人間の名前を忘れる。
「コルネリアです。団長」
魔法使いには変わり者が多い。そして、優秀だが他者と歩調を合わせる連帯性に乏しい。そう、多くの人から認識されている。それは誇張されてはいるが間違いではない。
その全ての要素を凝縮し、三日三晩ぐつぐつと鍋で煮込んだような存在が、ガーター騎士団の団長であるこの少年であった。
「そうそう。思い出した。コルネリア。覚えにくいからコルちゃんって覚えたんだった、そうだった」
団長といい、副団長といい、ガーター騎士団の首脳部は健忘症でないと務まらないのであろうか。
「お呼びと聞き、参上いたしました」
コルちゃん呼ばわりされたことに苛立ちを覚えるが、声と表情には出さない。
「あれ。そうだったっけ。何の用で? 」
彼の惚けた返事もいつもの事だ。
「それを伺いに来たのですが、御用が無いのであれば私はこれで」
「待って待って、相変わらずせっかちだな。コルちゃんは」
一礼して立ち去ろうとするコルネリアを、楽しそうに笑いながら引き留め、少年は目の前に立った。
身長はコルネリアの胸の高さより、少し上と言ったところだ。
「そうそう、君は小さいころから結論を急ぐ癖があったよね。変わってないなぁ」
「それで、御用は何でしょうか」
「えっとね・・・待って、今思い出すから・・・あれ、何だっけかな・・・そうそう、連れてきてほしいんだ」
少年団長は我が意を得たりと手を打った。
ただ単に、忘れていたことを思い出しただけなのだが。
「連れてくる。誰をですか」
「知らない」
何度目かの惚けた返答に、流石にコルネリアの左頬がひくついた。
「団長が知らないのであれば、お連れすることはできません。では、これで」
コルネリアは本気で帰ろうと踵を返す。
「だから、待ってって。知らないのは名前だよ。ほら、昨日、北の国境線で戦があったそうじゃないか、そこで活躍した魔女がいるとか聞いたんだよ。その魔女を連れてきてほしいんだ」
「色々、言いたいことはありますが、戦があったのは去年の秋から冬にかけてです。今は春です。昨日でも一昨日でもありません」
「えっ、そうなの、春なの。そう言えば、コンスタンツの花が咲いていた。そうか、もう春か。イマージリオの薬の準備をしなきゃ」
一瞬で話が脇道へと逸れていく。
「北のいざこざで活躍した女魔法使いという事でしたら、エリカの事ですね。何処でその話を」
「何処だったかなぁ。王宮で聞いた気がする。いや、教会だったかな。まぁ、どっちでもいいよね」
「分かりました。では、なぜ、エリカに興味が。魔法使いと言っても彼女はまだまだ未熟。団長が気にするほどではありません」
コルネリアは首を傾げる。
エリカは魔法使いとしては将来が有望ではあるが、弟子入りしたてのひよっこ。ここで、団長の口から名前が出るとは驚きであった。
「そんなことはどうでもいいんだよ。コルちゃん」
「その、コルちゃんというのは止めて頂けませんか」
目を細めて抗議すると、団長は両手を腰について胸を張る。
「どうしてさ。可愛いじゃないか。昔からそう呼んでいたよね」
「私はもう、大人ですよ。いつまでも小娘扱いは止めて頂きたい」
「そうか、そう言えばコルちゃんも一人前の淑女に成長したんだよね。時がたつのは早いなぁ」
「団長の物差しで人間を測らないでください」
「分かったよ。ごめんよ。でも、僕は見ての通りのフェリーレだから、人間の物差しはよく分からないんだ」
少年は笑いながら肩をすくめてみせた。
緑の髪の間からは、長い耳が飛び出していた。
続く




