桜
サクラの木の下で声を上げて泣くエリカを見て、エリックは自身の軽はずみな行いを後悔した。
遠く離れた異郷の地で、やっと見つけた同郷の痕跡、エリカがこうなってしまう事は、想像できたはずだった。
それなのに、散歩のような軽い気持ちで、誘ってしまった。
俺は人の気持ちが理解できない、冷たい人間だった。
「エリカ・・・すまない」
うずくまって泣くエリカの背中に手を置いた。
ふるえる背中に置いた掌から、エリカの孤独と絶望が伝わってきた。
「ごめん。エリカの気持ちを考えていなかった。ごめん」
後悔と慚愧の念に襲われ許しを請い両肩を抱くと、エリカは振り返り、エリックにかじりついて泣いた。
其の泣き顔に、さらなる自責の念が膨れ上がる。
俺の力の持てる限りを使って、何としてでも、エリカを故郷に帰してやらねばならない。
それぐらいしか、詫びる方法が思いつかなかった。
どれぐらいそうしていたであろう。徐々にエリカの嗚咽が小さくなった。
そして、エリカは胸にうずめていた顔を離した。
「なんか、ごめん。我慢できなくなっちゃった」
「すまない。俺が軽はずみな事を言ったばかりに、辛いことを思い出させてしまった」
「ううん。別に、エリックのせいじゃないわよ。気にしないで」
「すまない」
「だからいいって・・・日の丸見た時は何とか踏みとどまれたんだけど、これは無理よ。この木は反則」
エリカは顔を上げてサクラの木を見上げた。
「サクラか、エリカの故郷にも咲いているんだな」
「なに、こっちでも桜って言うんだ」
エリカが驚いて見つめ返す。
「ああ、忠誠と潔さを表す木だ。家紋に使う者も多い」
「なにそれ、その印象、絶対に日本人が絡んでる。私たちはこの木が好きすぎるからね。国中にこの木を植えるわ・・・春になったらこの木の下で、みんなでお花見をするのよ」
涙を零しがら微笑む。
「エリカの故郷の木だったのか。だから魔導士もここに植えたんだな」
「気持ちは痛いほどわかる。特に今なら。私も一本だけ植えろって言われたら、迷わず桜にする」
「エリカ。思ったんだが、俺はどうにかしてエリカの故郷への道を探すよ」
このような事で償いになるとは思わないが、それでもこの決意だけは伝えておこう。
だが、折角の決意にエリカは首を傾げた。
「はい? ・・・道を探すったって無理よ・・・気持ちは嬉しいけど」
「無理でもなんとかしてみせる」
やってみないと分からない。いや、無理だと分かっていてもやるしかない。何もしてこなかった今までが間違っていた。
これは完全に俺の甘えだ。
「だから無理よ。馬とか船でたどり着ける距離じゃないもん。空を飛んだって無理」
「いや、それでも何か手があるはずだ。エリカがここに来れたのだから、きっと帰る方法だってある」
「そう言われれば・・・そうだけど」
「だから安心しろ。きっと、家族の元に帰れる。帰してみせるから」
どんな手を使ってでも、エリカを故郷に、家族の元に帰して見せる。
「う、うん。ありがとう。エリックッ・・・」
エリカの瞳からまた、涙が零れた。
「それに、エリカと魔導士が居たんだから、他にもロンダー王国に来ている人間がいるかもしれない。その人を探そう」
「探すって、日本人を探すって事? 」
「そうだ。ここに二人もいるんだ。三人目もいるだろう。どこかに必ず」
聞いたことはないが、国中探せば何処かにいるはずだ。
「確かに、教会で使う神聖語は明らかに私の国の言葉だし、他にもいると考えた方が自然よね」
「ああ、その人を探そう。きっと向こう側も探しているはずだ。必ず見つかる。見つけてみせる」
「うん。そうよね。私も会ってみたい」
「良し。決まりだ。早速、探しに行こう」
立ち上がりエリカに向かって、手を差し伸べた。
「探しに行こうって・・・えっ、今から」
「今からだ」
こんな場合は、思い立ったらすぐに実行しなくてはいけない。グズグズしていたら後回しになってしまう。
「ニースはどうすんのよ」
「何とかなる」
そんなことは、後から考えればいいんだ。
「なんとかって。そんな。無責任な」
「同郷の人に会ってみたいんだろ」
「そりゃ、会ってみたいけど」
「なら、問題ない。行こう」
「う、うん」
エリカの故郷への帰り道と、同郷の人を探し出して見せる。それが、俺が俺に課した義務なんだ。
満開のサクラの木の下でそう誓った。
家に戻るなりエリックは、エリカの故郷への道と同郷の人間を探すことを、村の主立った者たちに宣言した。
皆一様に困惑した表情を浮かべる。
「お話は分かりましたが、具体的にはどうなさるおつもりですか」
バルテンが皆を代表して口を開く。
「まず、エリカの故郷の場所を知っている人を探し、同時に同郷の者も探す」
「探すと言いましても、あてはあるのでしょうか」
「一度、王都に行ってみる。王都ならば、エリカの同郷の者がいるかもしれないし、故郷への道も何か知っている者がいるだろう」
四方の国から色々な人が集まるのは、何と言っても王都エンデュミオンだろう。何かの手掛かりがあるはずだ。
「確かに、それはそうですな。王都であればエリカ様の同郷人もいらっしゃるかもしれません」
「そうだ。必ず見つけてみせる」
エリックの声が高くなったところで、モリーニが手を挙げた。
「恐れ入りますが、エリック様も行かれるのですか」
「当然だ。私の甘えと怠慢が引き起こしたことだ。私が責任を取る」
自分の失態を、他の者に後始末させる訳にはいかない。俺自身が行動しなくて誰がするんだ。
「お、お待ちください。ご決意はご立派であるとは存じますが、お二人に王都に行かれてはギルドの運営に支障が出ます。どなたかお一人はニースに残っていただけませんか」
「エリカ一人では心配だ。私だけではエリカの故郷への道は分からないし、同郷の者かどうかの判断も出来ない。二人で行くしかないだろう」
「ご心配は御もっともでございますが、エリカ様だけで王都に向かわれるのでは、駄目なのでしょうか。護衛や向こうでのお世話に関しましては、我等商会が全力でお支え致しますので」
食い下がるモリーニに向かって首を振った。
「これは、私の責務だ。エリカ一人だけをエンデュミオンに向かわせるわけにはいかない。分かってほしい」
「エリカ様の故郷と同郷人の探索に、どれ程のお時間が掛かるとお考えですか」
不承不承の態で引き下がるモリーニに変わり、バルテンが質問した。
「分からない。王都に向かって帰るだけでも、速くて半月、海が荒れたら一月は掛かる。王都での捜索が一月だとするのであれば、最低二月は掛かるだろう。見つからなければそれ以上だ」
エリックの予想にモリーニが血相を変える。
「お待ちください、二月でも厳しいのに、それ以上は無茶でございます。前の戦役時よりも日々の業務が増えております。ギルド長と副ギルド長のお二人が居なければ、ギルドは立ち行きません。私共だけでは無理にございます」
「そうですな。ニースの領主としてのお役目もございます。二月の不在は統治に支障が出ます。お考え直しを」
モリーニとバルテンが一斉に反対し、エリックは返答に窮した。
「エリック様。ニースは騎士領になったばかりでございます。今が一番大事な時でございますぞ。そのさなかに軍役でもないのに長期の不在は、領主としての責を考えますと難しいのではないでしょうか」
「しかし」
反駁しようとするエリックに対して、バルテンはさらに語気を強めた。
「せめてもう暫し、ニースが落ち着くまで、堪えていただくわけにはまいりませんか。モンテューニュの者たちの事もございます。何か事が起こった場合。領主であるお二人が不在では、事が立ち行きませんぞ」
強硬な反対を受けて、エリックは迷う。
エリカの故郷への道を探るのも大事。ニースの統治も大事。これらは比べられるものではなかった。
エリカの故郷への道を探すことを放棄するつもりは一切ないが、自重を求める二人には頷くしかなかった。
夕食後、いつもの様にエリカとの相談の時間であったが、今日に限っては二人とも口を開かなかった。
本来であれば、王都行の話をしたかったのだが、周りの言い分ももっともな事であった。
いつの間にか日は落ち、窓には三日月がのぼっていた。
昼間の決意は、周りの反対によって押さえつけられた形だ。それを跳ね除ける強さも覚悟も無い。何と声を掛けたらいいのか分からず、頭を悩ませているとエリカが口を開く。
「なんか、御免ね。気を使わせちゃったみたいで」
「いや、俺のほうこそ。すまん。役に立たなくて」
通り一遍の謝罪しか思いつかず、言葉が途切れ沈黙が流れた。
エリカに助けられることは数えきれないのに、エリカを助けることは出来ない。エリックはそんな無力感に包まれた。
「一度泣いたらね・・・」
「・・・ああ」
エリカが真っすぐにこちらを見る。まだ目は赤く腫れあがっていた。
「なんか、すっきりしちゃった。だから、大丈夫よ」
そんなはずはない。今までの苦しい思いが、一気に押し寄せたのだ。一回泣いたぐらいでどうにかなるはずがなかった。
俺まで落ち込んでいるから、気を使ってくれているのだ。
エリックは不甲斐ない自分を殴りたくなった。
「エリカが前に言っていたことが分かったよ」
言葉が、そこで途切れる。
「なにが」
「騎士になりたくないと言っていただろう。その意味が」
椅子から立ち上がり、窓辺から春の月を眺める。
「エリカが初めて魔法を使った後に、俺たちは王都に行ったろう」
「行ったわね」
「あの時は誰も止めなかった。俺が王都に向かっても迷惑する奴はいなかった。だが、ギルドを作り、騎士になり、封土を授かると、昔のようにはいかない」
「それはそうよ。いろんな責任があるんだもん」
「責任か・・・俺はその言葉の意味を理解していなかった。身分が上がれば、もっと自由で、誰からも束縛されないと思っていた。騎士になれば、色々な事を自由に振舞えると、そんな風に考えていた。でも、違うんだな」
「そうだね。お互いに偉くなっちゃったもんね」
エリカが困ったように笑った。
「全くだ。不便なものだな。領主というものは」
まるで自分をニースに縛り付ける銀の鎖だ。
断ち切りたいという思いと、断ち切れない思いが、同じ強さで存在していた。
「それが分かったって事は、エリックが大人になったって事なのかもね」
「大人にか。自分ではとっくに大人だと思っていたが、まだまだ子供だったよ」
「とにかく気にしないで、ニースがもう少し落ち着いたら王都に行ってみるから」
「だが・・・」
「別に、エリックの責任じゃないわよ。私が泣いたのは。私が泣いちゃったのは、同じ日本人のせいよ。会ったことないけど、魔導士の根性悪のせいよ」
「魔導士の根性が悪い? どうしてだ」
ここでどうして、魔導士の話が出てくるんだ。
「だって、普通の日本人は書斎に日の丸なんて掲げないわよ。右翼団体の事務所じゃないんだから。あれはね、私みたいな、こっちに来ちゃった日本人に見せるためにワザと掲げてあったのよ。性格悪っ」
「そんなことをするか」
「普通はしないわよ。だから性格が悪いって言ってるの。本ではお世話になってるけど、会ってみたら絶対、嫌な人だったと思う。ぶん殴ってやりたい」
徐々にいつもの元気が戻ってきた。
「まぁ、駄目押しの一撃は、桜の木だったけどね。あれは意地悪じゃなくて、本当に植えたくて植えたんでしょうね。私もそうするもん。もしかしたら魔導士も、春になったら桜を見て日本を思い返していたのかも」
エリカは遠い目をする。
あの山のサクラを思い浮かべているのだろう。
「ならば、ニースにもサクラを植えるか」
「えっ、いいの。私は嬉しいけど」
「構わないさ。この家を新しくする時に、たくさん植えよう」
特に食べられる果実が出来る訳でもないサクラは、ここニースの人々にはあまり人気のない木だ。
好んで植える者はいなかった。
だが、ニースの領主は俺なんだ。俺が植えたいから植える。これぐらいの我儘は許されるだろう。
ニースをサクラの木で埋め尽くしてやる。これが今の俺に出来る、せめてもの償いだ。
そして、出来るだけ早く、王都に探しに行こう。
領主としてギルド長としての責務はあるが、これだけは譲れないことだ。
続く
決断したからと言って、少年漫画のようには行きませんなぁ。
(。-`ω-)<うーん。リアルにやり過ぎてる感が否めません。ちょっと反省。
我ながらもっと、発想の飛躍が欲しいですね。




