日本人
朝晩の寒さもすっかりやわらぎ、ニースも種まきの時期となり、村人たちが畑仕事に精を出している。
広場で繰り広げられていた建設ラッシュは、宿屋とギルド本部はほぼ完成し、後は内装の細かい所を、仕上げるだけの段階になっていた。
教会は規模が大きいので、半分も進んではいないが、引き続き職人たちが、奮闘している。夏には形になるとの事だ。
江莉香は羽黒に跨り、エリックと共にオルレアーノに至る峠道の視察に向かった。お供にエミールとクロードウィグを連れて行く。
軍団兵の皆さんが奮闘していたトンネル工事が遂に完成したようだ。
何回か現場見学に行ったが、金属製のドリルみたいなものを岩に打ち込んで削っていた。人力だけで掘っていくなんて、ものすごい力と根気だ。
「こちらです。暗いのでお気を付けください」
現場監督のノルデン百人長の案内で、真っ暗なトンネル内に侵入した。
視界がおかしくなったが、トンネルは幸い直線なので、向こう側に光が見える。
「馬に乗ったままでも、充分通れますね」
江莉香は馬上から上に手を伸ばしたが、天井には届かない。
「はい。大型の荷馬車が通過できる幅を確保しております」
明かりを手に先導するノルデン百人長も誇らし気だ。
「岩盤をくり抜くって聞いていたから、岩肌そのままかと思ったら違うんですね。なにこれ。コンクリート? 」
側壁を触ってみると、滑らかに加工されていた。
「よくご存じですね。これは、エンデ・コンクルと呼ばれる、補強材です。水に強く、この様な地形での支えには最適です。これにより壁と天井は支えられ、落盤の心配はありません」
「凄いですね。基本的にやってることは日本道路公団と一緒だ」
感心しながら羽黒を進めると。今度は煉瓦の壁になった。
「あれ、今度は煉瓦になった」
「ここからは、エンデ・コンクルと煉瓦を併用します。地盤が強い場所ではこちらの方が、安上がりで、工期も短く済みます」
「へえ。場所によって工法が違うんですね」
赤色の焼き煉瓦がドーム状に広がっている。
「なんだか、琵琶湖疎水みたい」
小学生の頃に遠足で行った、蹴上にある日本最初の水力発電所を思い出す。明治の建設ながら、今でも現役の水力発電所だ。京都市民は大体、遠足で一度は行く。
峠の短いトンネルを抜けると、そこは山小屋へ続く道だった。山の底が新緑に染まる。
「ここに出るんだ。もう少し進めば山小屋ね」
「ああ、これほど短縮できるなんて、トンネルだったか。凄いものだな」
エリックは出てきたトンネルの入り口を振り返った。
朝に村を出て夕刻前に到着する山小屋が、お昼過ぎにはたどり着けるようになった。
「この隧道により、この先の急勾配路を避けることが出来ます。今までよりも楽に行き来できます」
ノルデンが左手を指した。
その先には、荷馬車がギリギリ通れる幅の峠道が、くねくねと登っていく。距離はさほどでもないが、所によって馬車を降りて押さねばならない難所だ。あの部分をショートカットできると、随分と楽になる。
一行はそのまま進み、山小屋にたどり着いた。
中継地点の山小屋は、工作隊の前線基地の様になっており、多くの資材が積み上げられ、何人かの兵士が働いていた。
「ここから先は、他の部隊が整備をいたします。我々は引き続き、ニースから隧道までの道を補修いたします」
ノルデンはオルレアーノへ至る道を指さした。
どうやら二つ以上の部隊が、街道の整備を行っているようだ。
状況の説明にエリックが頷くと、トンネルから一人の軍団兵が走り出てきた。
「失礼します。百人長。よろしいですか」
「なんだ」
走り寄ってきた兵士がノルデンに耳打ちすると、一瞬眉をひそめた。
「シンクレア卿。案内の途中ですが、少々、問題が起こりました。私は戻ります」
「ああ、分かった。ありがとう」
「では」
ノルデンは一礼すると兵を連れて、小走りにトンネルへと消えていった。
「なにかあったのかな。どうする。行ってみる」
江莉香は羽黒の馬首を変えるか悩む。
「彼らに任せておこう。俺たちが付いて行っても、邪魔になるだけだ」
「確かにそうね」
工事の事はプロに任せておこう。素人の私たちが口出しすることではないわね。
そんなことを考えているとエミールが、口を開く。
「エリック様。山小屋の位置を変えますか」
「どうしてだ」
「ここまで楽に来られましたので、もう少し先に作り替えた方が便利かもしれません」
「先か」
エミールの進言に誘われるように、エリックが馬を進める。トンネルが出来たことにより、山小屋までの距離が短くなった。もう少しオルレアーノに近い場所に作り直してもいいのかもしれない。
エリックはエミールの進言を吟味し結論を出した。
「いや。ここでいい」
そう言うとエリックは馬を降りて、斜面から湧き出る水を溜めている石組に近づく。
「ここは広いし、なにより水場がある。この先には良い水場が無いからな」
そう言って、馬に水を飲ませ始めた。
「確かにそうですね」
エミールも納得した。
暫く、皆で馬に水を与えながら休憩する。
「そう言えば、ここでエリカを助けてから一年になるな」
ふと、エリックが口に出した。
「もう、そんなになるのね。色々あり過ぎて、あっという間だったわ」
言われてみると、もう一年か、長かったような、一瞬だったような。複雑な気分ね。
「どうやって、ここにたどり着いたか覚えてないけど、道を見て安心しちゃったのよね。それで、バタン」
道端に倒れる真似をしてみせた。
「上から下ってきたんだよな」
「そうよ。嵯峨野か大原あたりだろうと、勝手に思い込んでいたからね。あの時は」
「うーん」
エリックが考え込む。
「あっ、ごめん。また、混ぜちゃったわね。今言ったのは私の家の近くの地名なの」
「いや、そうじゃない。父上に聞いた話だと、丁度この上あたりにあるらしいんだ」
エリックは山の上に視線を送る。
「何があるの」
「本の持ち主の住まいが」
「へぇ、そうなんだ」
私たちの間で、本と言えば魔導士の書の事だ。
「折角だし、探してみるか。エリカの故郷の人間が住んでいたかもしれない場所だ」
「探すって、どうやって」
「登って行けば有るんじゃないか」
「そんな適当な」
「登れば登るほど、探す範囲は狭くなるしな」
「ざっくりしてるわね。でも、昔に死んじゃったんでしょ。その人」
生きていたら真っ先に会いに行ったけど、居ないんじゃ意味が無い。
「そうらしいんだが、何か残っているかもしれない」
「言われてみればそうか。魔導士の書、第二弾があるかもしれないわね」
「物は試しだ。行ってみるか。見つからなかったら、その時はその時だ」
エリックの誘いに釣られて、軽い気持ちで腰を上げようとしたが駄目だ。
「駄目駄目。何の用意もしないで山登りは危険よ。私みたいに遭難しちゃう」
「何言ってるんだ。この山で迷ったりしないぞ」
「そういう慢心が、事故に繋がるのよ。水と食べ物は絶対に用意しないと駄目よ。それで、私、死にかけたんだから」
「水ならここに幾らでもあるぞ。汲んでいこう」
エリックは腰の水筒を取り出した。
「うっ・・・いや、そうでなくてね」
「それでは、私が食べ物を用意いたしましょう。軍団兵に頼めば幾らかは融通してくれるでしょう」
気を利かせたエミールが、山小屋にいる軍団兵に話を付けに行った。彼はエリックの家臣になってから、従者スキルが更に磨きが掛かっている。
なんとか、拒否する理由を見つけないと
「もし、遭難して夜になったらどうするの。春だけど夜はまだ寒いわよ」
これならどうよ。余分な上着なんて持ってきてないからね。
「火打石なら持っている」
普段、ほとんど口を開かないクロードウィグが、腰の袋から石を取り出してみせる。
クロードウィグの手の中の物を確認したエリックは振り返った。
「これでいいか」
「・・・いいです」
江莉香は降伏して、魔導士の住みかを探す登山に出発した。
羽黒の背に揺られて山を登る事、一時間。
山登りのリスクを警戒していたのに、あっけなく目的の家を見つけてしまった。
その家は日当たりの良い南側の斜面に、ひっそりと建っていた。
外観は、この辺りで多く見られる農家の形をしていたが、軋む木戸を抉じ開けて中に入ると、最初の違和感を感じた。
玄関から室内が一段高くなっている。
明らかに土足厳禁の造りだ。
この履き物を脱いで建物に入る造りだけで、かつてここに日本人が住んでいたことを、強烈に印象付けていた。
先頭を進むエリックは、土足厳禁などという習慣は聞いたことも無い様子で、気にせずそのまま上がっていく。
靴を脱ぐべきか一瞬迷ったが、埃まみれの床だ。
このままでもいいっか。
失礼します。
そのまま足を踏み出した。
一階は板の間と言うか、フローリングになっていた。
流石に畳は無いか。
私の家にも畳の部屋って仏間しかないし、こっちじゃ、い草を編むなんて誰も出来ないだろう。
備え付けられた家具も、ニースでもよく見かけるありふれた物であった。
今の所、日本人らしさがあるのは土足厳禁だけだ。
長年、人の手が入らなかったため、いたるところが朽ち果て、半ば腐った床がギシギシと不安にさせる音を立てた。
この調子だと、魔導士の書、第二弾は望み薄かもね。
かび臭い室内を抜け、一番奥にある部屋にたどり着き、扉を開けた。
扉を開けた瞬間に飛び込んできた光景に、江莉香の足は止まる。
根っこでも生えたように、その場に釘付けとなった。
奥の部屋は書斎であったらしく、本棚に多くの書籍が差し込まれている。だが、足を止めたのはそれではない。
書斎机の背後。江莉香の視線の正面にそれは翻っていた。
それは、日本人でなくても知っているような物であった。ましてや日本人なら。
先に室内に入ったエリックが、エリカの様子がおかしい事に気づく。
江莉香は部屋の扉を前に、呆然と固まったように動かず、目を見開いていた。
その顔は、呆然と固まっている。
「どうした」
エリックもエリカが凝視している、それに目をやる。
何かの布地に、赤い丸が描かれていた。
珍しい物なのだろうかと首を捻ると、かすれた声が江莉香からこぼれる。
「・・・日の丸・・・」
「ヒノマル? アレの事か」
「うん。日の丸。日本の旗。私の国の旗」
江莉香は咄嗟に口を押さえた。
胸の中に、形容しがたい何かがこみあげてきた。家族、友人、学校、京都、そして、日本。
それは、一言では言えない何かではあった。
江莉香は身体を駆け巡るそれを、必死に押さえつけようとした。
日本にいた頃は、日の丸に何の感情も抱かなかった。むしろ、あまり好きではなかった。
良く言えば単純明快だが、他の国のデザインに比べると構図も色彩のセンスも今一つで、オリンピックやワールドカップ、何かの式典で掲揚されるのを、無感情に眺めていただけだった。
しかし、今はどうだ。
茶色く薄汚れた日の丸の何と美しい事か。
そこには、江莉香の魂の奥底に訴えかけてくる何かがあった。
「大丈夫か」
日の丸を凝視する江莉香を心配して、エリックが声を掛けた。
「うん・・・ちょっと駄目かも・・・私、外に出るね。落ち着いたら戻るから」
「ああ、無理するな」
エリックの言葉を待たずに、逃げ足すように駆けだした。
玄関から勢いよく外に出ると、外を警戒していたクロードウィグが驚いたような視線を向ける。江莉香はその視線から逃れる様に、家の裏手へと走った。
そして、そこにそれは立っていた。
まるで江莉香を待っていたかのように。
傲然と悠然と有無を言わさぬ力を持って。
日の丸を目にしたときの衝撃を、何とかこらえようと必死に我慢していたが、それが、これ以上の我慢を許さなかった。
「なんでかな。なんでそんなに好きなんよ。日本人は・・・こんなの・・・こんなの、泣いてしまうやろ」
江莉香の視界は、眩しいばかりの桜色に飲み込まれた。
微風に誘われるように、ひらひらと花びらが舞う。
そこには、一本の山桜が屹立していた。
暖かな春の日差しの下で、満開の花をつけている。
誘い込まれるようにフラフラと根本まで行き、幹に手を付けたとたんに、感情の堰が決壊した。
江莉香は声を上げて泣いた。
山桜の下で、子供の様に大声をあげて泣いた。
日本に、京都に、家族の元に帰りたい。そう、強く強く願った。
続く
2021/6/8 異世界転生/転移、文芸・SF・その他部門の日計ランキングにおいて本作が、一位に輝きました。
全ては読んでくださった読者様のお陰でございます。
真に感謝に耐えません。
厚く御礼申し上げます。<(_ _)>




