神父の説得
メッシーナ神父は北の地の生まれだ。
少年の頃に地元の修道会に入り、長く苦しい修行の日々の末に、ニースの神父に任じられたのは、二十年以上も前になる。
それ以来、ニースの村の一員として村人と寄り添い、神々の恩寵と教えを説いてきた。
ブレグとアリシアの婚姻の誓いを承認し、二人の間に生まれたエリックに洗礼を施したのも、ブレグの葬儀を取り仕切ったのも、彼であった。
すっかり、村の一員として溶け込んでいるメッシーナ神父の元に、エリックとエリカが連れ立って訪れた。
二人の表情は冴えない。何か良くないことが起こったのだろう。
建て直しが終わっていない、古い教会の一室に二人を通した。分厚い石の壁に囲まれた部屋は、外の喧騒から守られていた。
「どうなさったのですか」
中々、用件を切り出さない二人に問いかける。
神父にとって村人は全員が家族であり、洗礼を施した子供たちは息子であり娘であった。
その息子たちの中でも、特に目をかけて見守っていたエリックが、騎士となり、ここニースの領主となった。できうる限りのことはするつもりだ。
また、アルカディーナの称号を受けたエリカは、同じ教会の同胞と言える。力を貸すのは当然だ。
そんな思いを眼差しに乗せ、二人の言葉を待つ。
いつもの快活さはどこへやら、何かを言おうとしたが口ごもるエリカの代りに、エリックがモンテューニュ騎士領で起きた騒動を語ってくれた。
「なるほど。憐れみを受けることを、拒否されたのですね」
「私が悪いんです。あの人たちの気持ちも考えずに」
メッシーナ神父はエリカの言葉に頷くと共に、ある種の懐かしさを覚えた。
こちらの善意が相手方に通じないなどというのは、神々に仕えるものが、一番最初に遭遇する挫折と言える。
今のエリカの姿は、意気揚々と街で伝道に努めたはいいが、思いもよらず失敗してしまった、新入りシスターの姿に重なり微笑ましい。
神父も同じような思いを少なからず体験している。
「まあまあ。そう、ご自分をお責めずにならず。困っている人を助けることは、悪い事ではありません。見て見ぬ振りをすることこそ、忌むべき悪徳。エリカ様のなさりようは、決して間違ってなどおりません」
「ありがとうございます」
新人を慰めるときと同じ言葉を掛けると、エリカは救われたような表情をした。
「ただ、彼らにも彼らの矜持がございます。その辺りが揉めた原因なのでしょうね」
「はい。そう思います」
「困っている人たちを無償で助けるというお気持ちは尊いものですが、この場合は取引になさった方が良かったのかもしれません」
「取引ですか」
「はい。何でもいいので何かと交換という事にしておけば、彼らも受け取りやすかったかもしれませんよ」
神父の言葉を受けたエリカは、愕然とした表情を浮かべた。
「本当ですね・・・ああっもう、どうして気が付かなかったのかな」
「それは、エリカ様に下心が無いからですよ。下心の無い者は、この様な手練手管など思いついたりは致しません」
「そうかな。取りあえず贈り物をして、機嫌を取っておこうとか、考えていました」
普段よりも卑屈なエリカの話は、だんだんと懺悔めいてきた。
「エリカ様は、彼らと仲良くしたかったからでしょう」
「・・・はい」
「人と人とが助け合い手を取り合う事は、神々の教えに沿う立派な行いです。お話は分かりました。領主と領民がいがみ合っていては、お互いの不幸です。この件は私にお任せください」
「どうするのですか」
「私が赴いて、彼らとお話をしてみましょう」
「えっと、それは嬉しい申し出ですけど、もしかしたら危険かもしれません」
エリカの視線が、あちらこちらへと散らばる。
「大丈夫ですよ。もう、十年近くも前になりますが、彼の地を訪れたことがございます。エリカ様と対峙した男にも心当たりがございます。お任せください」
心配そうな表情を浮かべる二人に微笑みかけた。
拗れた関係を取り持つことは根気のいる作業ではあるが、これもまた、伝道の一つの姿である。
翌日、メッシーナ神父はモンテューニュ騎士領に足を踏み入れた。
随分と久しぶりの事だ。
神父の安全を気にしていたエリカから、家臣であるクロードウィグを護衛に連れて行ってほしいと懇願されたが、それを断り単独で赴くことにした。
危険であれば、尚更一人で赴くべきなのだ。
それが、宗教者としてのメッシーナ神父の矜持であった。
神父はロバの背に揺られ、ゆっくりと入り江の集落に向かった。約十年ぶりに訪れたが、集落は時間が止まったかのように昔のままだ。
「ジル。ジル殿はいらっしゃいますか」
集落で最初に出会った女に声を掛けると、背後から足音が聞こえた。
振り返ると、入り江から巨大な網を引きずる男が現れる。
「ニースの神父か・・・何用だ。ここには近づくなと言ったはずだ」
「お久しぶりですね。ジル殿。貴方が中々、教会に来て下さらないので、こちらから伺いましたよ」
「あの女領主とやらにでも頼まれたか」
ジルと呼ばれた男は、担いでいた網を地面に下ろす。
「随分と冷たい対応をなさったようですね。いつも元気なエリカ様が、珍しく肩を落としておられましたよ」
「知ったことではない」
興味ないとばかりに、ジルは網を広げて破れを繕い始めた。
「メルダー様にご挨拶したいのですが、お元気ですか」
ジルは入り江に浮かぶ小舟に視線を送ると、一人の若者が、銛を片手に水の中を窺っていた。
「おお、しばらく見ないうちにご立派になられましたね。もう、十三歳になられましたか」
神父は手をかざして、遠望する。
「十四だ」
「十四歳ですか。時がたつのも早い。立派なモンテューニュ家の跡取りですね」
「何が言いたいのだ。回りくどい言い回しは好かぬ」
「そうでしたね。では、伺いましょう。ジル殿はメルダー様を今後どうなさるおつもりですか」
「神父には関わりない」
「これはしたり。メルダー様に洗礼をほどこしたのは私なのですよ。あの方の行く末を案じるのは当然です」
神父の言葉が気に入らなかったのか、ジルは横を向いてしまった。
「ジル殿。これは良い機会だと思います」
メッシーナ神父はジルと視線を合わせるためにしゃがみこんだ。
「何の機会だ」
「長年、放置されていたモンテューニュ騎士領を再興させるためにですよ」
「放置などしておらん。我等がいる」
「そうですね。ですが、このままでは隠れ住んでいるのと変わりませんよ」
「我等はこの地を守っている。新しい領主など認めぬ」
「あくまでも、領主はメルダー様だと仰るのですね」
「当然だ」
「しかし、エリカ様はセンプローズ将軍からこの地を託されました。覚悟なさった方がいい」
「我等を討伐でもするか。いつでも攻め来るがいい。眼にもの見せてくれる」
ジルは繕いの手を止めずに、鼻で笑った。
「甘いですな。そんなもので済むとお思いですか」
力の入った神父の言葉にジルが視線を上げた。
「どういう意味だ」
「ジル殿。一度、メルダー様を連れてニースにいらっしゃい。私の言っている意味が言葉ではなく、心でわかりますよ」
「行かぬ」
「ニースと敵対するおつもりであれば、なおの事ニースを見ておくべきでしょう。今のニースは、貴方の知っているニースではありませんよ。新しく領主となられたエリック様と、それを支えるエリカ様の尽力で、近いうちに町になるでしょう」
「町だと」
「ええ。それ以上にもなるやもしれません。今のニースを見ておきなさい。それはメルダー様にとっても、良い経験となるでしょう。貴方もメルダー様をこのまま、一介の漁師の頭で終わらせるおつもりではないのでしょう」
ジルの顔が僅かにゆがむ。
「ご来訪を、お待ちしておりますよ。領主様には私からお伝えいたしましょう。エリカ様はとてもお優しい方です。あなた方がニースを訪れても誰も、蔑んだりは致しません」
ジルの表情に明らかに迷いの色が浮き上がる。
「もしも来られないようであれば、私が何度でもお誘いに参ります。何度でも」
「要らぬ、おせっかいだ」
「ホッホッ。私たち神々に仕えるものは、おせっかいなものが多いとご存じなはずですよ」
神父は笑いながら立ち上がった。
「では、久しぶりにメルダー様にご挨拶をいたしましょうか。どのような若君にお育ちになられたのか、とても楽しみです」
不貞腐れた様に考え込むジルを置いて、神父は海に向かって足を運んだ。
数日後、ジルに伴われたメルダーがニースの地に足を踏み入れた。
修道士から報告を受けたメッシーナ神父は、急いで砂浜に向かうと人だかりが出来ている。
「ようこそいらっしゃいました。直ぐに領主様がいらっしゃいますよ」
メルダーを庇うように立つジルに声を掛けると、その言葉が終わらぬうちに、馬蹄が轟き複数の騎馬が現れる。
先頭を走っていた騎士が颯爽と馬から飛び降りた。
「いらっしゃいました。あのお方がニースの領主。エリック・シンクレア・センプローズ様です」
メッシーナ神父が間に入り、挨拶が取り交わされると、場所を完成したばかりのギルド本部に移し、エリカも交えての正式な会談の場が設けられた。
ギルド本部での話し合いの結果、モンテューニュ騎士領の者がニースに魚を売りに来るという協定が結ばれ、ニースの者がモンテューニュ騎士領を訪れることも許されることが確認された。
エリカをモンテューニュの領主として認める認めないの話は、最後まで議題にすら上がらなかった。
無論。意図しての事であった。
この話は一旦、保留することが、神父を加えたニースの主立った者たちとの話し合いで確認されていた。
会談の終了後、酒場では歓迎の宴が繰り広げられ、メルダーは少年らしい好奇心を発揮したのだった。
ニースの中心部で繰り広げられている建設作業に圧倒された様子で、しきりに質問をし、生まれて初めて食べた砂糖菓子に目を丸くする。
付き添いのジルも、石造りのギルド本部や、拡張される教会に驚きを隠せない様子であった。
夕方前にメルダーたちは、エリカがおっかなびっくり提供した土産物を、船に満載して帰っていった。
受け渡しの際にも、僅かなやり取りはあったが、今回は受け取ってくれた。
「神父様。ありがとうございました」
船を見送っていたエリカが、神父に向かって頭を下げた。
「頭をお上げください。エリカ様。お役に立てたのであれば、何よりですよ」
「はい。助かりました。あのままだと私のせいで、討伐だとか何だとかの話になりそうだったので、気が気じゃなかったです」
「ご安心ください。その懸念はなくなりました」
「ありがとうございます。これを機会に仲良くしていければいいんですけど」
エリカは心配げに、遠ざかる船に目をやった。
「きっとそうなります。エリカ様が領主としての度量をお見せになられたのです。彼らも徐々に理解してくれますよ」
「そうですね。そうですよね」
ようやく、エリカの顔にいつもの笑顔が戻ったのを見て、メッシーナ神父は満足げに頷くのだった。
続く
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これらも全て、ご意見を下さった皆様のお陰と存じ上げ奉ります。
心より、御礼申し上げます。
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