春の黄昏
「なんだと、そんなことになったのか。俺も付いて行けばよかった」
シンクレア家の書斎で、エリックは、エミールからモンテューニュ騎士領で起った騒動の報告を受ける。
当初は同行するつもりだったが、広場の建設現場で揉め事が起こり、そちらの対処を優先させてしまった。
エリカの領地に、ニースの領主の自分が、我が物顔で乗り込むのも気が引けたと言うのもあったが。
「エリック様。あの者どもはエリカ様を領主として認める気がありません。討伐すべきではないでしょうか」
エミールはよほど腹に据えかねたようで、普段は口にしない過激な言が飛び出した。
「少し落ち着け。エリカがそれを望めば、勿論、兵を出す。だが、望まないだろう。そんなことは」
エリカが領主として認められていないことは、初めから分かっていたことだ。
「・・・そうかもしれませんが、このままではエリカ様の御立場が」
彼らとの間には溝がある。その溝を埋めるための訪問だったが、やり方が不味かったのか、変な方向に拗れたようだ。
「分かっている。放置はしない。ところでエリカはどうした。一緒に帰ってきたのか」
「はい。エリック様に相談しましょうと、お伝えしたのですが、一人にしてくれと」
「何処にいる」
「砂浜におられるかとは思いますが」
「わかった」
エリックはそれだけ聞くと、書斎を後にし砂浜に向かった。
一人になりたいのは分かるが、一人では解決できないだろう。
エミールの言った通り、満ち潮の砂浜でうずくまる影を発見する。
「エリカ」
ぼんやりと、寄せては返す波を眺めているエリカに声を掛けた。
「エリック」
声を掛けたエリックに一瞬だけ顔を向けるが、また視線を波に戻した。
「私、やっぱり騎士を辞める。向いてないのよ。初めから分かってた事なのに。魔法使いとか百人長とかで、いっぱいいっぱいなのに、その上、騎士とか領主なんて無理だったのよ」
波の音に負けそうな、弱弱しい言葉が漏れる。
「大変だったな」
「大変て言うか・・・」
「何を言われたんだ」
「私の施しを受ける謂れはないって言われたわ」
「酷いな」
そんなきつい言葉を浴びせられたのか。
「考えてみたらそうよね。あの人たちからしてみたら、見ず知らずの人間から贈り物をもらう謂れなんてないのよね。私、てっきり喜んでくれるとばかり思い込んでた」
「俺もそう思っていた」
「・・・そうなんだ」
「ああ、どう見てもあの者たちは、貧しい暮らしをしていたからな。鉄や衣類は不足しているだろう。それを持って行ったら喜ぶと、俺も考えていた」
そう考えたからこそ、村の備蓄を開放したのだ。
「自分でも気が付かないうちに、あの人たちを見下していたのね。私」
「それは違うぞ」
どうやら、自己嫌悪に陥っているみたいだ。
「違わないわよ。施しって言われて、返す言葉が無かったもん。無意識のうちに、あの人たちを可哀そうな人扱いして、ちょっと裕福になった私が、恵んでやるつもりでいたんだわ。人って本当の事を言われると一番腹が立つのよ。私、施しって言われて腹が立ったから本当の事なのよ」
言葉を紡いでいくうちに、自身の言葉に興奮したらしく、声の調子が上がっていく。
「本当の事は腹が立つか。そうかもしれないな」
「うん。だから、私、騎士を辞める。領地も返す」
エリカはとうとう下を向いてしまった。
「エリカが騎士の位を返上するなら、俺も騎士を辞めないとな」
エリカの隣に腰を下ろして、同じように海を眺めた。
春先の柔らかな日差しを浴びて輝いている。
「・・・へぇ? ・・・どうしてよ。エリックは関係ないでしょ」
下を向いていた首が再び持ち上がる。
「騎士に向いていないのは、お互い様だ。俺もエリカの立場だったら、同じ過ちをしていただろうしな」
「でも、実際にやらかしたのは私よ。人のプライドを踏みにじったのよ。ほんと最低」
「遅いか早いかの違いだと思うぞ。俺もどこかで、同じような失敗をするだろうな。今回は偶然、エリカだっただけだ」
激怒したエミールをエリカが止めたらしいが、俺は止められただろうか。むしろ、もっと大変ことになっていたかもしれない。最悪、刃傷沙汰もあり得た。
「そんな理由で辞めるの」
「駄目か」
「駄目よ。セシリアはどうするのよ。騎士になって迎えに行くんでしょうが」
「俺自身が騎士に相応しくなければ、迎えに行っても仕方ない。そんな男に来られてもセシリーも迷惑だろう」
「相変わらず、変な所で頭が硬いわね。どうしてそんな結論になるのよ」
「どうしてだろうな。でも、エリカに騎士の資格がないなら、俺も同じように資格はないな。それだけは確かだ」
「はぁ」
エリカは大きなため息をついた。
「慰めてくれてるんだろうけど。慰めになってないからね。半分脅迫だからね。それ」
「そんなつもりはないんだが」
エリカの言う通り、元気を出せと言いに来たつもりだったが、言えていない事に気が付いた。今更言うのもおかしい。
「じゃ、どんなつもりなのよ」
「どんなつもりも何も、そのままの意味だ。それに、女の子の慰め方は分からない。レイナを慰めるのとは違うからな」
「当たり前でしょ」
「まぁ、男の慰め方も知らない」
肩をすくめてみせる。
こんな時に何と言えばいいのか、誰か教えてほしいぐらいだ。
「分かった。分かりました。騎士は辞めない。でも、領地は返す」
「誰に」
「誰って。将軍様に決まってるでしょ」
「そんなことをしたら、もっと大変な事になると思うぞ」
エリックは頭によぎる予想を口にした。
「大変な事って何よ」
「領地を返上するなら、理由を聞かれるだろう」
「そうね。聞かれるでしょうね。正直に全部話すわよ」
「それで、領民が手に負えないと言ったとするだろう」
「違うわよ。私にその資格が無いのよ」
自棄になったように、吐き捨てる。
「それは、エリカが決める事じゃないからな。閣下がどう思われるかだ。領主に逆らう住民が居たとお知りになられたら。どうなるか」
「どうなるのよ」
「恐らくだが、討伐されると思うぞ。彼らはただでさえ、海賊騎士ベルトランの末裔を自称しているんだ。討伐されない方が不思議だ」
「本人じゃないでしょ。あの人たちは」
「だが、新しい領主にも反抗するなら、討伐されるんじゃないか。討伐後、また、エリカに授けられるかもしれないぞ。嫌だろう。そんなのは」
「嫌っ」
力一杯の拒否が返ってきた。
「なら、返上しない方がいい。封土を授けた閣下の面子に関わる」
エリックの言葉に、エリカはもう一度ため息をついた。
「もう、引き返せないって事か・・・やっぱりあの時、ちゃんとお断りすればよかった」
「それこそ、言っても仕方のない事だぞ」
「そうなんだけど。なんだかな」
「俺もこの場合どうしたらいいのか分からないな。誰かに相談した方がいい。役に立たなくて済まん」
慰めに来たつもりだがそれも出来ず、解決策も思いつかない。
「別に役立たずとは思わないけど、誰かって誰に相談したらいい。コルネリアはいないし、将軍様には言えないし」
「確かに、ここにコルネリア様がいらっしゃったら、話を聞いてくださるだろう。なにか妙案を出してくださるかもしれない」
「絶対に何か言ってくれるもん」
エリカは拳を握って力説した。
エリカのコルネリア様への信頼は揺ぎ無い。
「俺たちよりも経験豊富なのは、代官職を長く務めたバルテンだが、モンテューニュ騎士領の問題を、彼に聞くのは気が引けるな」
「そうよね。信用してないってわけじゃないけど。言いにくい」
「となると、メッシーナ神父に相談するか」
そもそも、ニースに相談できる相手は少ない。メッシーナ神父は、その数少ない人物の一人だ。
「神父に。どうして」
「神父は村の者たちの悩み事を、日々聞いておられるからな。相談事にはいいと思うが、嫌か? 」
「嫌ってわけじゃないけど」
「こういった事は、相談事に慣れている神父に聞くのが一番かも知れない。エリカが来る前は、俺も良く話を聞いてもらったしな」
発した言葉にエリカは妙な顔つきになる。
何か変な事を言っただろうか。
「相談するだけ相談しよう」
エリックは砂浜から立ち上がり、エリカに向かって手を差し伸べた。
「う、うん。わかった」
「よし。決まりだ」
おずおずと差し出された手を強く握って、エリカを引き上げた。
騎士に叙任され、領主になったというのに、分からないことだらけだ。
あの日の無力な俺から経験を積んで、僅かなりとも成長したはずなのに、悩みは尽きない。いつか、分かる日が来るのだろうか。
続く
(´・ω・`)ショボーン




