バルテンの事情
バルテン・クロイツは隠居先のマリエンヌの街で、パトローネのセンプローズ将軍からの招聘を受ける。何事かと、マリエンヌからオルレアーノへ小雪を蹴散らし馳せ参じると、そこで思いがけない頼みごとを受けた。
「バルテン・クロイツ。すまぬが、ニースである男を補佐してくれんか」
将軍の執務室で、挨拶もそこそこに本題が始まる。その場には、跡取りのフリードリヒも同席していた。
「補佐でございますか」
想像していた用件とはかけ離れた内容に、困惑したが同時に安心もした。
てっきり、後をまかせた息子が、何か不始末をしでかしたものと、考えていたからだ。
「分かっておる。其方は既に引退した身だ。だが、重臣どもと相談した結果。其方に頼むしかないとなったのだ」
「お気遣いありがとうございます。閣下。既に身を引いた、老骨ではございますが、お役に立てるのであれば喜んで」
バルテンの返答に、将軍は大きく頷いた。
「感謝する。バルテン・クロイツ。事は重大だ。経験豊富な者にしか任せられないのだ」
「それで、どなたの補佐をすれば、よろしいのでしょうか」
「うむ。先の戦役で手柄を立て、騎士に叙任し封土を授けた者がおる。名をエリック・シンクレア。元は平民で、故郷のニースの村の代官を任せていた。歳は十七、八で、まだ若い」
「それは、若すぎませぬか。一体どんな功績で、叙任なされたのですか」
先の戦役での、軍団の苦戦ぶりは息子から聞いている。その戦で功績を立て、叙任されたなど言うので、どんな歴戦の戦士なのかと思ってみれば、大人とも呼べない若輩者であった。
しかも、平民から騎士となり、更に封土を授けられたとなると、生半可な功績ではない。戦局を大きく左右する働きをした、という事だ。
バルテンは、そのエリックとやらに興味を覚え、同時に、自分の補佐の必要度も理解できた。
いかに、功績が高いとはいえ、若すぎる。
その後、将軍とフリードリヒの二人から、エリックの功績を聞かされた。
「なるほど、若殿の使者として援軍を引き出し、敵陣よりお嬢様をお助けしたのですか。素晴らしい功績でございますな」
「うむ。真面目で忠義に厚い男だ。覚えておらんか。昔、我が軍団で百人長を務めていたブレグ・シンクレアの息子なのだ」
「おお、ブレグの息子ですか。もうそんな歳に、あ奴も鼻が高い事でしょう」
懐かしい戦友の名を聞いた。
「そうであろう。ブレグにはニースで代官を任せておったが、二年ほど前に世を去った。その後を継いだのが、息子のエリックという訳だ」
「そうでしたか。ブレグが、知りませんでした」
この歳になると、知人の訃報に接することが多くなりすぎる。
「其方には、その息子の後見役を頼みたいのだ」
「ブレグの息子の後見役ですか、人生とは分からぬものですな。しかし、功績を立てたとは言え、閣下自らが後見役の世話するとは、余程、ブレグの息子に期待しておられるのですね」
一門の長としての義務にしても、待遇が手厚い。期待の表れなのだろう。
そう納得しかけたのだが、将軍は言葉を濁した。
「期待・・・。そうだな、期待はしておる。これから大きく伸びてもらい、次代を支えてもらわねばならぬからな。だが、それだけなら其方ではなく、他の者でも良かったのだ」
「と、仰いますと」
「もっと大きな懸念があるのだ。ニースには」
いつもの将軍らしからず、歯切れが悪い。
そう考えていると、フリードリヒが一歩前に出た。
「バルテン。私から説明しよう。其方にはエリックの補佐をしてもらいたいのだが、同時に、ある人物にも気を配ってほしいのだ」
「はて、ある人物とはどなたですか」
「先の戦役で、エリック以上の働きをした者がニースにいるのだ。名をエリカ・クボヅカ。聞いたことはあるか」
「いえ、初耳にございます」
バルテンは首を振る。
隠居すると、途端に世間の動きから取り残される。オルレアーノでは有名なのだろうが、聞き覚えのない、おかしな名だ。
「そうか、この者は、近頃一門に迎えた魔法使いなのだが、北方民、アマヌの一族より援軍を引き出した張本人でな。彼女の働きによって、我等は勝利できたと言っても過言ではない」
「なんと・・・」
知らぬ存在とばかり思ったが、フリードリヒの言葉に思い当たる節があった。
「そう言えば、噂で聞いた気がいたします。魔法の力により、北方民を調伏した女魔法使いがいたとか。その方でございますか」
噂話は本当であったのか。
「そうだ。噂とは違い、北方民の調伏はしておらんが、アマヌの族長から、一族に迎えられるほど信頼されたようだ。さらに、騎士への叙任後、教会よりアルカディーナの称号を受け、ドーリア商会にも顔が利く」
「それは・・・・・・」
フリードリヒの説明に、バルテンは絶句した。
女魔法使いで、北方民の一族で、騎士に叙任され、教会より聖列を受け、商会に顔が利く。一体どんな人物だと言うのだ。
想像がつかない。
「その、女魔法使い殿は、どのようなお方なのでしょうか」
「どのような女か・・・どう思う」
将軍は、バルテンの質問を息子に振った。
「はっ、何と申せばよいか、言葉に困りますね。若く美しい娘ではございますが、見た目と中身が、全く違うと申しますか。異邦人だという事を割り引いても、変わり者としか」
「そうよな。一言で言うのであれば、変わり者よ」
息子の感想に将軍が同意した。
「魔法使いの方々は、皆、どこかしら、おかしな者が多うございますからな」
魔法使いは奇跡の力により、大なり小なり、人とは違う生き物となる。狂人の一歩手前という者も少なくない。
バルテンは二人に同意する。しかし、二人の反応は予想と違った。
将軍は首を何度も横に振り、フリードリヒは、笑いながら頭を掻いた。
「いや、そうではない。魔法が使えるとか使えないとか、そのような些末な問題ではない」
将軍は、困ったような表情で語りだした。
魔法の有無が些末な問題? どういう意味なのだ。
「もっと、手前、根本的に変わり者なのだ。そうよな・・・儂がエリカに、騎士への叙任と共に、封土を授ける事を告げた時だ。あ奴は何と言ったと思う」
「さて、もっと大きな街をよこせ、とでも言いましたか」
それだけの力がある魔法使いであれば、言いそうなことを想像した。
「それであれば、まだ理解できる。あ奴は拒否したのだ」
「拒否。何を拒否したのですか」
「騎士への叙任そのものをだ」
「は? ・・・いえ、失礼しました」
困惑するバルテンを見ながら、フリードリヒが笑い出し、将軍は顔をしかめて続ける。
「そうなるであろう。儂もこれまで何人もの功績あるものを、騎士に任じてきたが、形式でも謙遜でもなく、本心から叙任を断られた事など一度も無いわ。更に、騎士への叙任よりも、手持ちが無いから金をくれと言ったのだ。あ奴は」
父親の言葉が面白かったのか、フリードリヒは更に笑いを強めた。
「騎士の位より、金ですか」
「そうだ」
騎士の位の代りに金をよこせとは。それはそれで困った要求ではある。相当な金額に違いない。
「幾らですか」
「特には言わなんだ。恐らく貰えるのであれば、幾らでも良かったのであろう。今、思えばフィリオーネ金貨を十枚ほど与えれば、大喜びしたであろう」
将軍は、その時の事を思い出したのか、やや、不機嫌になる。
「金貨十枚・・・」
俄かには信じられない言葉であった。
戦の勝敗を左右したほどの功績を立てて置いて、騎士の位より、金貨十枚を欲しがる者など居るのだろうか。
余程、物を知らない子供でもない限り、あり得ない話であった。これほどまでに、釣り合いの取れない天秤も無いだろう。
「しかし、分かりませんな。平民出身なら男、女、関わらず、騎士の位には憧れるものでしょう。無いのですか。騎士への敬意と申しますか、憧れのような物が」
「全くない。微塵も感じられぬ」
「それほどですか」
確かに変わり者だ。
騎士となれば、多くの権利が保障され、平民とはあらゆる待遇が違う。誰もが騎士となれるのであれば、拒みはしない。普段から優遇される魔法使いと言えども、それは変わらないであろう。
バルテンが考え込んでいると、将軍とフリードリヒの会話が続く。
「ただ、エリカを平民出身と申してよいかは疑問だがな」
「そうですね。おそらく、本国では名のある一族に連なる者でしょう。変わり者ですが、同時に恐ろしく頭が切れます。やや、感情に流されやすく、思い込みが激しいようではありますが」
「うむ。これまでの功績を考えるに、我等が口出しするよりも、好きにやらせた方がよいだろう」
「同感です。ただ」
「そうだ。決して目を離してはならん。放置しておけば、どこへ向かうやら、皆目、見当がつかぬ」
「仰せの通りです」
「そこでだ、バルテン」
「はっ」
「其方にはエリックの補佐をしながら、エリカの動静に目を配ってほしいのだ。なにか、おかしな動きがあれば、直ちに報せよ」
「はっ、それは、そのエリカ殿に不審な点があるという事ですか」
「そうではない。一門への裏切りなどは起こすまいよ。いや、それも断言は出来ぬが、義理堅い一面は持っておる。エリカは行き倒れてたところをエリックに助けられた。以後、エリックを一貫して支えておる。その点は信用しておる。信用できぬのは、その思考と動きなのだ。騎士となったからには、一定の独立権が認められておる。頭ごなしの細かい指図は難しい。そこで、バルテン。貴様に頼むのだ」
「はっ、最後のご奉公として全力を尽くしましょう」
「助かる」
珍しく将軍が頭を下げた。それほどの任務だという事だ。
「それで、肝心のエリカ殿を補佐するのは誰なのでしょう」
バルテンの素朴な疑問は、重苦しい沈黙によって迎えられた。
「正直に言おう」
しばしの沈黙の後、将軍が口を開く。
「エリカを後見できる候補は、見つかっておらぬ」
「しかし、お話を伺う限り、最重要の人選ではございませんか」
「そうなのだ。これまでに、エリカを後見していた人物は居た。居たのだが、我等の一門の者ではない。だが、適任と言えば、これ以上の適任者はおらなんだので、その者に任せていた。そうだな」
「はい。いささか、頼り過ぎたと申せましょう」
そのような人物がいたのであれば、引き続きその者に任せればよいのではないだろうか。幾ら一門ではないとはいえ、替える必要を感じない。
「どなたですか。伺っても」
「よい。エリカの後見役を務めていたのは、ガーター騎士団に籍を置くコルネリアという名の騎士殿だ」
「国王陛下直属のガーター騎士団の騎士殿でございますか。という事はエリカ様は、恐れ多くも、王家に連なる方なのですね」
バルテンの声に恐れが生まれた。
確かに、そのような人物の後見役など、おいそれとは見つからない。
「違う。血筋は関係ない。先にも言ったが、元は行き倒れの異邦人だ。エリカを後見しているのは、コルネリア殿の気まぐれによるところが大きい。そして、今、コルネリア殿は王都に帰っており、ニースには不在。エリカは野放しだ。危険すぎる」
幾ら魔法使いと言えども、若い娘に対する評価ではない。まるで、飼い主の手を離れた、獰猛な猟犬扱いだ。
「なるほど」
「あえて言えば、其方に補佐を頼むエリックが、エリカの後見人だ。エリカを助け、行く宛てのない彼女を、女中として雇ってやったらしい。それ以降、エリカは一貫してニースで暮らしている。気心も知れておろう」
「そうですね。あの二人は、かなり仲が良いでしょう。一度、王都で暮らさないかと誘いましたが、断られました。ニースでやることがある、とかでしたね」
「若殿の誘いを断ったのですか」
「そうだ。まぁ、私の誘い方にも問題はあったがな」
「故にエリカの封土は、ニースに隣接するモンテューニュの地を与えたのだ」
「モンテューニュ・・・どこかで」
聞き覚えのある地名に、記憶をたどる。
「まさか・・・あの、モンテューニュ騎士領ですか。かつて海賊が跋扈していたという」
バルテンの言葉に将軍は頷いた。
「そうだ。ニースの近くの騎士領は、モンテューニュしかなかったからな。やむを得ない仕儀であった」
「その、エリカ殿は納得なされたのでしょうか」
折角、功績を立てて騎士に叙任され自領まで得たというのに、肝心の封土が、よりによって悪名高きモンテューニュ騎士領とは。
気分を害するで済めばよいが。
「聞くところによると、自領に人が住んでおらぬと聞いて、喜んでおるとの話だ」
無人の領地を喜ぶだと。益々分からない。お二人の仰る通り、余程の変わり者なのだろう。
その後、最近、出回っている安い砂糖の出元がニースであり。その地でギルドを起こし、ビーンから砂糖を作りだしたのがエリカであると聞かされ、バルテンは再び絶句したのであった。と同時に、想像以上の困難な任務になるであろうことを理解した。
バルテンは戦に赴く覚悟で、ニースの地へと赴き、問題のエリカという女魔法使いと接したのだ。
そこからは毎日のように、驚きと困惑の兄妹が、交互に、又は同時に訪れる。
今もそうだ。
「はい。バルテンさん、ノルデンさん。良かったら食べてみて」
夕刻近く。
ニースに新しく建設した、宿とギルド本部が完成した祝いの宴の席で、昔なじみのノルデン百人長と酒を酌み交わしていると、女中の様な恰好をしたエリカから、大皿に乗せられた、黄色の物体を薦められる。
「あの。エリカ様。これはいったい」
見慣れない、奇妙な食べ物に躊躇する。
「これはですね。テバリの天ぷら。新鮮な魚に小麦粉を付けて、ザイト油で揚げた高級料理ですよ」
油で揚げた? それは確かに高価な料理だ。
「揚げ料理ですか。いただきましょう」
「はい。お口に合えば」
ノルデンと共に、一つ掴んで口にいれると、塩味の利いた香ばしい油が広がった。
エリカの言う通り、内陸では口に出来ない新鮮な魚と、高価なザイト油を惜しげもなく使った料理。滅多に口に出来ない、馳走であった。
「どうですか」
「はい。美味いですな。酒が進む味です」
「そうでしょう。そうでしょう。でもまだまだ、研究段階なんです。完成したらもっと美味しくなりますよ」
エリカは笑顔を残して立ち去る。
他の者にも、デバリのテンプラとやらを配って歩くためだ。その姿はどう見ても、どこにでもいる酒場の娘だ。
「よくわからん、お人ですな」
ノルデンがテンプラを頬張った後に、ロッシュを豪快に流し込む。
「お前もそう思うか」
「はい。あのお姿だけなら、どう見てもただの町娘です。噂に聞いた稀代の魔法使いには見えません」
「まったくだ、儂の知る限りでも、あのような魔法使いはおらぬ」
「そうでしょうな。私も我々の作業を見て、何をしているかを、一瞬で理解する者に会ったのは初めてです。それでいて興味津々ですからね。訳が分からない」
「工作隊の作業を、見ただけで理解できるのか」
工作隊の仕事は、一見ただの力仕事に見えるが、そうではない。高い知識と技術の集合体だ。
「はい。理解した上で質問してきます。我々の限界を探るような質問でしてね。まるで、それ以上の作業を見たことがあるようです」
ノルデンが力なく首を振った。
もしかして、落ち込んでいるのか。珍しい。
「一体、どこの国からやって来たのやら。村の者は、神々の国からやって来たなどと口にしているが」
「さて、なんにしても、ただの小娘と侮ると、痛い目を見ますな。我々が」
「それは同感だ」
バルテンも残りのテンプラを飲み込むと、ロッシュを勢いよく煽った。
酒がいくらでも進む味わいだ。
日は長くなり、寒さも和らぎ、季節は春へと移り変わりつつある。
続く
毎日投稿。十日目に到達いたしました。
やはり、連続投稿はPVや評価を得るためには良い手段であることが、データからも判明いたしました。
私の場合は、毎日書ける訳ではないので、書き溜めた文章を修正し、小出しに投稿することで達成いたしました。
次回からは、通常の投稿ペースに戻ります。




