建設現場巡り
冬の寒空の下、建設現場と化したニースの広場に、百人近い軍団兵が整列した。
シンクレア家からエリックが現れると、彼らは一斉に敬礼をする。
自分一人に対して、これほど大勢の兵士から敬意を表されたことは、経験したことが無かった。
エリックは少なからず動揺したが、それを表に出さぬように、敬礼を返した。
「シンクレア卿。第一工作隊百人長、ノルデン・ズトラルフであります」
「エリック・シンクレアだ。遠いところ済まない」
軍団兵たちの先頭に立っていた百人長が、一歩前に出て挨拶をした。
小柄ながら逞しい身体つきに、男らしい豊かな髭。経験豊富な男に見える。
「早速ですが、ニースへ至る峠道の痛みは、相当進んでおります。路肩の崩落。表土の喪失。植生の進行。挙げればきりがありません」
「そ、そうか」
ノルデン百人長は、世間話をする気は一切ないようで、本題に切り込んできた。
「これより、峠道を補修、改良し、準街道として整備いたします。つきましては我等、第一工作隊の、御領内での駐留許可を願います」
「許可した、許可する」
エリックは、ノルデン百人長の押しの強さに圧倒された。
「ありがとうございます。それでは工事についてご説明いたしたく、ご同行願います」
「わかった」
「グラッセン」
エリックの返答を待たずに、ノルデン百人長が大声で呼びかける。
「はっ」
呼びかけに、隊列より若い兵士が飛び出す。
「貴様は、駐屯地の設営にかかれ」
「了解いたしました」
グラッセンと呼ばれた兵士は敬礼をすると、回れ右をして駆け足で北に向かう。その後を軍団兵たちが続いた。
その動きには無駄がなく、よく訓練されている。
「流石は工作隊。軍団の足腰と呼ばれるだけのことはある」
「恐縮です」
エリックの感嘆に、ノルデン百人長は素っ気なく答えた。
相当、気難しい男に違いない。
軍団直属の工兵隊の任務は、多岐にわたる。
陣営地の設営、塹壕掘り、街道の敷設、架橋、水路の開削、城塞の建設。中には都市建設まで含まれている。
歴戦の戦士たちは語る。
ロンダー王国軍団兵の強さの秘密は、歩兵の精強さでも、騎兵の勇猛さでもなく、優秀な工作隊の存在あってこそであると。
そう、言わしめるほど、軍団の中でもかなり特殊な部隊で、工作隊の指揮官たちは兵士と言うよりは、石工ギルドの親方のような人物が多いと聞く。
エリックの目の前に立つノルデンは、正にそのような男に見える。
ノルデンは百人長でありながら、剣を持たず。腰には金槌や指矩、他にも何に使うのか不明な器具が、括り付けてある。
これが、彼の剣であり槍なのだろう。
彼らは、バルテンからの提案を受け、エリックが将軍に派遣の要請をした部隊である。
北方戦役後、焼却されていたランドリッツェの橋を、僅か十日で再建したのも、この部隊であったらしい。
望みうる中で、最高の部隊だ。
エリックは、ノルデンと共に峠道を歩き、改良点についての説明を受けた。
そして、峠道が一番高くなるあたりで、ノルデンが突然道を外れて、木々の中に入っていく。
「シンクレア卿。こちらへ」
木々の向こうからノルデンが呼びかけるので、仕方なく後に続くと、小さめの沢に当たった。
沢の向こうは、草木が生い茂る白い岩壁が立ちはだかっていた。
「ここに、橋をかけて、この岩壁を貫きます。橋は短く済みますので、木造でよろしいかと」
沢と岩壁を指さし、ノルデンが事も無げに言い放った。
「ん? 」
エリックは当初、ノルデンの言葉の意味が理解できなかった。
いや、前半は理解した。
橋をかける。それはいい。木造。それも了解だ。こんな小さな沢に、わざわざ石の橋をかける必要も無いだろう。しかし、次が分からない。岩壁を貫く。どうやって。
「貫くと言うのは、壁に穴をあけるという事か」
「はい。この進路を取ると、計算では三ファクサの行程を短縮できます」
「待ってくれ。そんなことが出来るのか」
エリックの疑問に、ノルデンは誇りを傷つけられたような顔をする。
「可能です。六十フェルメほど、掘り進めば反対側に到達します。特に難しくありません」
「だが、見たところ全て岩です。そんな簡単に」
白い岩壁が目の前にそそり立っている。どれ程の人手と時間が掛かるんだ。
「あの岩は、ホーク岩と呼ばれる岩ですが、見た目ほど固くはありません。ご安心を、崩れぬように内部はしっかりと補強いたします」
エリックの懸念と、ノルデンの懸念は違うようだ。
こうまで言われれば、任せるしかない。何と言っても、この様な作業の専属の部隊なのだ。門外漢の俺が口出しすることでもない。
「完成後、こちら側を本道といたします。これまでより楽に峠が越せます」
「わ、わかった」
エリックは終始、ノルデンの押しの強さに圧倒された。押しの強さは、ある意味でエリカに似てはいるが、彼女よりも強い。
エリカの提案は、何処かに迷いや自信の無さが滲み出てくるが、ノルデンにはそれが全くなかった。出来ることを、出来ると言っているだけだ。
長い経験と実績から来る、こちらを威圧するかのような、揺ぎ無い自信。
身体は小さいが、心は巨大な岩みたいな男だ。
街道の整備はノルデンの裁量にすべて任せることとし、エリックは教会に足を向ける。
本来であれば、教会の設計には口出しは出来ないし、また、その必要も無いのだが、城壁としての役割があるため確認しなくてはならない。
ニースの教会も、当初の設計を大幅に変更し巨大化した。
元々、ニースに巨大修道院の建設を求めていた教会側は、この変更を歓迎し、ニースの教会の敷地は、それまでの四倍の広さに増加した。
その為に、教会に隣接していた家を、五軒ばかり移転させなくてはならなくなる。家主たちは渋ったが、教会の増改築と言われれば、逆らうのは困難だ。
エリックは償いとして立ち退く家族に、今年の税の免除を言い渡し、なんとか穏便に事を済ませた。それでも、新しい家を建てる場所では揉めたのだが。
教会に近づくと、エリカの領地から切り出された、薄紅色の石材が山と積み上げられている。
村の者がエリカの領地から切り出し、運び込まれた岩の塊を、職人たちが用途に合わせて四角に削る。
辺りは、岩を削る音と、粉になった岩屑が濛々と舞い上がっている。
ここで、形を整えられた石材が、外壁の全てと内装の多くを賄うのだ。
今まで、薄紅色をした教会など見たことが無い。ニース独特の教会になるだろう。
「ああ、エリック様」
建設現場に近づくエリックに、メッシーナ神父が気が付いた。
「メッシーナ神父。どうですか」
「はい。全体の縄張りは終わりました。これから新しい礼拝堂の建設に取り掛かります。完成後、古い礼拝堂を解体し、宿舎と倉庫を順次建設いたします」
「立派な礼拝堂になりそうですね」
「はい。オルレアーノの教会を見習い、礼拝堂の奥に鐘楼を建てることといたしました。高さは十八フェルメの予定です」
「そんなに高くなるのですか」
鐘楼を持っている教会は大きな街に限られる。ましてや、そんなに高い鐘楼はさらに少なかった。
「はい。村が襲われたときは、物見櫓を兼ねますからね。高い方がよろしいでしょう」
「ありがとうございます」
確かに、それだけの高さがあれば、相当遠くまで見渡せるだろう。
「残念ながら、学び舎の建設は、一番最後になる予定です。エリカ様には申し訳ありませんが」
「作っていただけるだけでも、有難いですよ。エリカも急いではいないでしょう。私からも伝えておきましょう」
しばらく前にエリカの要請で、教会の中に学び舎のような物が作られ、修道士たちが村の子供たちに、読み書きを教えていた。
やがて、子供たちの中から、ギルドを支える人材が現れることを、願ってのことだった。
本来であれば、冬の手の空いている時期こそ、子供たちに教える絶好の機会なのだが、こうも慌ただしい中では難しいだろう。
「そう言っていただけて、安心いたしました。読み書きができる者を、一人でも多くとの仰せだったので」
メッシーナ神父が安心したように息を吐いた。
神父としても、アルカディーナの称号を授けられたエリカからの要請に応えられないのは、憂慮すべき問題なのだろう。
その辺りをエリカは理解していないかもしれないな。
エリックはさらに教会に近づき、全体像を把握しようとした。
前の冬までは、神父を入れても五人しかいなかった小さな教会も、完成後は四十人以上の修道士を抱える大きさにまで、膨らむだろう。
彼らはノルトビーンの世話と、新たなる畑の開墾をしてくれている。ギルドにとっても重要な人たちだ。
それだけの数の修道士が、ここで共同生活するのだ。ニースで一番大きな建物になる事は、疑いようもなかった。
エリックはメッシーナ神父に一礼し、今度はギルド本部の建設現場に向かう。
こちらは、ドーリア商会から派遣された職人たちが作業をしていた。
本部の構造はほとんどは宿屋と同じだが、こちらの方がより質素だ。
飾り気のない、二階建ての建物が組み上げの最中だった。
一階は、頑丈な石壁に囲まれた砂糖の保管庫と、帳簿などを管理する部屋。二階は応接間と会議を行う部屋になる予定だ。
質素ではあるが、この建物がニースの中心的建物となるだろう。
エリックはぐるっと広場を見渡し、近い将来に現れるであろう、新しいニースの姿を想像した。
教会と本部の間を貫く道は北に向かい、ノルトビーンの畑を通り過ぎ、進路を西に変えると、エリカの領地モンテューニュ騎士領に至る。東に向かう道は峠を越えオルレアーノに至り、西に向かう道は海岸へと至る。南側はシンクレア家と宿屋が一繋ぎとなる。
広場を中心に頑丈な建物で囲む構造は、賊が襲い掛かってきたとしても、村人たちが逃げ込むに十分な広さを確保していた。
「まるで、小さな城塞だ」
いや、それ以上に、無駄のない造りだ。
城塞の欠点は、戦が無い間は無用の長物になりやすい所だ。精々、物資の集積所としての役割と、周囲の安全を確保する能力しかない。
しかし、この城塞はどうだ。日々の生活に不可欠な建物ばかりだ。それでいて、下手な砦よりも守りが固いだろう。
エリックは、騎士として百人長として、このニースの城塞を落とす方法を考えてみた。
周囲は分厚い石壁に囲まれ、二階からは、矢の雨が降って来る。火をつけて混乱させようにも、石壁に防がれる。その石壁を崩そうにも、ただの壁ではない。砦の城壁と同じ厚さの石壁だ。簡単には破れないだろう。周囲に堀を巡らし水を張れば、近づくことさえ容易ではない。更に包囲しようにも、その全長は長く、完全に包囲するには千の軍勢が必要だ。
そんな数の賊など、聞いたことも無い。
この城塞を占領するためには、三方に開かれた門が閉まる前に、内部に侵入するしかない。それでも広場に立てば、そこには遮るものも無く、四方八方からの矢の雨に晒され、侵入者は無事では済まない。
「弓が扱える兵を増やさないとな」
今はロランが、騎馬の訓練に力を入れているが、その次は弓矢の訓練だ。剣や槍の出番は最後になるだろう。むしろ、弓だけでもしっかりと放てるようになれば、この城塞は易々と落ちたりしないだろう。
改めて感じるが、どうしてこんな大事になったのだろう。
エリックは腕を組んで、事の発端を思い返す。
そうだ、これはたった一言の言葉から始まったのだ。
シンクレア家を屋敷に建て替える話に、エリカ一人が声を上げた。
ただ、一言「反対」と。
他の誰かの反対であれば、その場の数が物を言い、聞き流されたかもしれないが、口にしたのはエリカだ。
誰が聞き流せるというのか。
そこから不思議な事に、屋敷の話は流れるどころか、どんどん大きくなっていた。
バルテンが、建物を連結させて砦とする案を提案し、そこから教会と商会の協力を引き出した。
シンクレア家は手付かずのままだが、それ以外の計画が一気に進行した。
その計画は戦役前、エリカと相談して立てたものだ。
エリックは改めて事前の計画と準備の重要さを、噛み締めるのだった。
計画さえ立てて置けば、問題が起こったり、状況が変化したとしても、それに合わせて手直しをすればいいだけなのだ。
そこから、こんな状況にもなるのだから。
続く
計画を立てていると修正は簡単。
計画が無い所を変更すると迷走。




