交差する思惑
聖アナーニー司教座教会の一室。
質素な装飾に、不釣り合いなまでに大きな色ガラスの窓から光が差す部屋で、黒い僧服を纏った男が、小太りの男に話しかける。
「フラ・ボスケッティ。何としても我等がアルカディーナの領地に、神々の家を建てるのです」
「はい司教。急ぎ礼拝堂を建てます」
「違いますよ。フラ・ボスケッティ。我等が修行と祈りの館を立てるのです」
司教の言葉にボスケッティは驚く。
「いきなりでございますか。しかしながらモンテューニュの地には、子羊たちが住んではおらぬ様子でございますが」
「なればこそですよ」
司教は声をひそめたが、力は逆に込めた。
「おお、なるほど。承りました」
ボスケッティ神父は司教の意図に気づき、笑顔を作ると深く頭を下げた。
「頼みますよ、来年にはもう一度エンデュミオンに、ご挨拶に伺わなくてはならないでしょうからね」
司教は席を立ち微笑んだ。
ニースの教会の一室で、シスター・ユリアはボスケッティ神父からの手紙を開いた。
そこには、江莉香の領地。モンテューニュ騎士領を廻り、修道院を建設できそうな場所を報告しろとの、内容が書かれてあった。
追ってオルレアーノから、専門の修道士が派遣されるらしい。
その修道士の、案内が出来る様になっておけとの事だ。
「どうしたらいいのでしょう」
ユリアは、手紙をメッシーナ神父に見せて相談する。
「エリカ様の領地に修道院ですか。ボスケッティ神父も、お気の早い事ですね」
「はい。神父様は行かれたことは、ございますか」
「ええ。何度か足を運びましたが、山と谷、そして岩が転がっているだけの寂しい土地です。昔は小さな集落がありましたが、今もあるかどうかは分かりません」
「それで、修道院を建てられそうな場所はありましたか」
「どうでしょう。私も全てを見て回ったわけではありません。これも貴方に課せられた試練と考え、モンテューニュを見て回ってきなさい。きっと、役に立つでしょう。そうです。良い機会ですから領主様と一緒に回ってみればどうです」
「アルカディーナ様とですか」
「ええ。ここ数日、押し寄せる仕官希望者の相手をなさって、お疲れのようです。良い気晴らしとなるでしょう」
「はい。そうですね。ありがとうございます」
「モンテューニュは、かつて海賊が跋扈していた土地です。念のために護衛をしっかり付けるのですよ」
「心得ております」
元気よくシスターユリアが、部屋を飛び出していった。
その足でエリカ様の元に向かうのでしょう。
「やれやれ、上は何を焦っておられるのか。神々の思し召しとも思えませんね」
最近の教会は、信仰をおざなりにしている様子が見て取れる。嘆かわしい事です。
メッシーナ神父は手にした聖典を開き、とっくに暗唱できている聖句の朗読を始めた。
ニースにはシスター・ユリアに、近い立場の人間がもう一人いた。
「モンテューニュ領を視察しろか」
モリーニは、自宅で早飛脚で届けられた手紙を閉じた。
差出人は王都のモレイからであった。
ニースが発展するにつれ、オルレアーノからの指示に加え、王都からの指示も増えてきた。これからもますます増えるだろう。
本店の目的は容易に想像できる。
それは、港だ。
砂糖を効率よく売りさばくためには、積出の港が必要だ。
国中から船を使ってノルトビーンを運び込み、ニースで砂糖を作る。出来上がった砂糖は再び船を使い国中へ、いや、他国も含めたより広い世界に向けて流せるだろう。
これが実現した場合、ドーリア商会は王都の有力商会に比肩する存在となる。
自分の立場も、それに合わせて強化されていく。
モリーニは、そんな将来を想像して身震いをした。
去年までは村々を廻る行商をしていたのだが、ニースに来てから運命が大きく変わったのを感じる。
本店の期待に応えるため、自身の将来の為にも、何としても、大きな船が接岸できる港を作らなくてはならない。
本店はニースに近いモンテューニュに、港を作ることも視野に入れたのだろう。
商会としては、ギルドの支配圏内であれば、港があるのはニースだろうとモンテューニュだろうと違いは無い。作りやすい方に作るまでだ。
「エリカ様に、領内を見て回る、お許しを貰うか」
外には冷たい風が吹いているのだが、今のモリーニには寒さは感じられない。
こうして江莉香は、ユリアとモリーニから、ほぼ同時に領内の視察を許可してくれるように頼まれたのだ。
「領地の見回りか。そうね。私もまだ、見てないから行ってみるか。寒いけど。だからって春になるまで、ほっとく訳にもいかないわよね。私の領地なんだし」
台所の竈の近くに机を設置して、ギルドの帳簿をチェックしていた江莉香は、手にした羽ペンを器用に回転させる。
この場所が家の中で一番暖かい。
江莉香は冬の寒さが嫌いだ。
京都盆地の冬は、底冷えが基本。重たい冷気が、僅かな隙間から入りこみ、ゆっくりと、確実に忍び寄って来る。北国の様に痛くも辛くもないが、只々不快な寒さが味わいの一つだ。
そんな京都盆地に比べてニースの冬は、強い北風に小雪が混ざると、寒さが身に染みるのだが、無風だとそうでもない。
「よし。風が弱い日に行ってみますか」
江莉香は、よく晴れた風の弱い日を見計らって、自分に与えられたモンテューニュ騎士領に、足を踏み入れた。
モンテューニュ騎士領は、ニースの西隣にあたる土地だ。
海から船で回るか、陸路を馬で進むか迷ったが、馬で行くことにした。
ニースとモンテューニュの間には小高い山があるので、それを北側から回りこむ道を選んだ。
江莉香に同行したのは、ユリアとモリーニの他に護衛としてクロードウィグとエミール。そしてエリックであった。
「これが、エリカの領地か。聞いていた通り何もないな」
川沿いの大きな岩を回りこみながら、エリックが進めそうな道を探す。
「ほんとね。岩と崖と谷。これならだれも住んでないはずよね」
江莉香は四苦八苦しながら羽黒を操り、その後に続く。
「でも、良かったのか、こんな領地で。本当に何もないぞ。海岸にたどり着くのも一苦労だ」
「うん。これでいい。これなら何かあっても、笑って済ませられるからね」
「何かってなんだ」
「例えばだけど、ニースで山が崩れて、畑とか埋まったら困るわよね。それが家とかだったら大惨事よ。でも、ここなら山が崩れようが谷が埋まろうが、ふーんで終わるじゃない。誰も困らない。私も困らない。最高」
「これ以上崩れたら、先に進めないけどな」
「ですね」
エリックがエミールと共に手にした鉈で、立ち塞がる草を払いのけた。
岩と灌木が、所々で行く手を遮る。
「次からは海から回りこんだ方がよさそうだよね。まさか、道も無いとは思ってなかった」
「人が住んでなければ、道は無いからな」
進めそうな場所を発見したエリックが、後ろに合図を送ると、モリーニとユリアが近づいてくる。
「これは、道作りから始めなければなりませんね。思ったより時間が掛かりそうです」
「そうですね。岩ばかりで何もありません。あっ、失礼いたしました」
自身の失言にユリアが身を縮めた。
「謝らなくていいって。ボスケッティ神父も、この状況を見たら修道院は諦めるでしょ。道すらないんだから」
江莉香が笑って手を振ると、モリーニが首を傾げる。
「はて、それはどうでしょうか。教会はニースに修道院を作ると言い出した時も、山を削り海を埋めてでも作ると息まいておりましたから、この程度の障害では挫けないのではないでしょうか」
「確かに、道がなければ作ればいいじゃないとか言いそうね」
モリーニの見解に、江莉香は苦笑いを浮かべた。
「はい。教会はエリカ様に相当入れ込んでおられますから、手間は惜しまないでしょう」
「当然です。エリカ様はアルカディーナ様になられたお方です。この地にエリカ様のお名前を冠した修道会を立ち上げても、不思議ではありません」
ユリアが誇らしげに宣言すると、モリーニは肩をすくめてみせた。
「だそうですよ。エリカ様」
「私の名前が付いた修道会とか、聞いただけで頭が痛くなる。絶対に作らないでよ」
「そんな。私はエリカ様の修道会が出来たら、真っ先に加わるつもりです」
「加わって何するのよ」
「勿論、エリカ様の英知と高等神聖語を学ぶのです。叙任式でのエリカ様の聖句の朗読。感動いたしました。あれ程美しい神聖語は聞いたことがありません」
「おだてても何も出ないから。私は神聖語が母語なんだから、上手いといわれても、それ褒めてないからね」
私は日本人。日本語が上手いとか言われても、全然嬉しくない。
むしろ日本語もまともに話せなかったら、何語なら話せるのって話になって、ちょっと馬鹿にされている感じがする。
まあ、ユリアは微塵も思ってないようだけど。
「神聖語が母語。ああっ、一度でいいから言ってみたいです。やはり修道会を開きましょう。そして、この世界に神聖語を広めるのです」
現にユリアが夢見心地で目を閉じている。
「駄目。認めないからね」
「そんな、お願いですエリカ様。アルカディーナ様」
「駄目ったら駄目。後、その呼び方止めてよね。それでなくても、変な肩書きが一杯あるんだから」
「おおーい。海が見えたぞ」
ユリアとじゃれ合っていると、先を進んでいたエリックが大声を出して手招きする。
やっと、海にでた。
続く




