わたくしにできること
この話は、描写を投稿時から大幅に改変しております。ストーリーには変化はございません。
エリックの絶叫を真正面から浴びたジュリエットは目を瞬かせた。
その瞳からは殺意が完全に消え、短刀を握った腕から力が抜けると、張りつめた空気が弛緩した。
「お前は、嫁を助けたいのか」
「そうだ」
返答を聞いたジュリエットは、無言で頭をエリックの首元に叩きつける。わずかな距離を一瞬で詰めた頭頂部が、鼻の頭に当たり火花が散った。
予想外の攻撃にエリックはたまらず後ろによろけた。
「それを先に言え。愚か者」
ジュリエットはエリックの腕を振り払い怒鳴った。
「王国がなんだの将軍がなんだのと、下らぬことを並べおって。嫁を助けたいのであれば、そう言えばよかろう。トリスタン」
「ははっ。この者の策を受け入れますか」
「うむ。仔細は任せた。この身はしばし休むぞ」
「ははっ。お任せを」
ジュリエットは用は済んだとばかりに立ち去ろうとする。
急な状況変化に付いて行けないエリックは、ジュリエットとトリスタンを交互に見返した。
「おい、お前。名は何と言った」
立ち去るかに見えたジュリエットが顔だけをエリックに向ける。
「はっ、エリック。エリック・シンクレア・センプローズです」
「エリックよ。王国の者はいつもつまらぬ小細工を弄する。この身はそれが嫌いだ。覚えておけ」
返事も待たずにジュリエットは立ち去った。
取って付けたような損得では彼らは動かないが、どんなに小さくても心の底からの叫びには応えてくれる。
エリックは北方民の考え方の一端を垣間見た気がした。
「では、エリック。準備しろ」
トリスタンがエリックの前に立ち腕を回し始める。
「私はいつでも」
「そうか」
返事をした途端にトリスタンの拳が顔面目掛けて飛んできた。
それはジュリエットを倍する速さの拳であった。
咄嗟に両腕を上げて、顔への直撃は防ぎはしたが、その勢いを完全には止めきれず後ずさりした。
「何をする」
「なぜ防ぐ」
二人は同時に言葉を発した。
激高するエリックとは裏腹に、トリスタンは冷たい視線を向ける。
「何の真似です」
エリックは剣にこそ手をかけなかったが、姿勢を低くし戦闘態勢をとる。
「貴様こそ準備すると言ったではないか」
「私を殴るのが準備と仰るか」
「そうだ。貴様が我等の捕虜の振りをして潜入するのであろうが、そんな身綺麗な捕虜がいるのか」
「なっ」
思いがけない台詞にエリックは固まる。
「おい」
トリスタンが周りに指示を出すと、複数の男たちがエリックを取り囲んで押さえつけた。
「喜べ。おひい様の慈悲により、お前の策の通りに動いてやる」
押さえつけられ身動きが取れないエリックに、トリスタンの拳が再び飛んできた。
避けようがない。
衝撃と共に視界が暗転する。
「ただし、今し方の、おひい様に対する無礼は許さんがな」
それは、エリックが意識を失う前に聞いた最後の台詞だった。
包囲軍の中で脱出の機会をうかがっていたセシリアは、ラミ族と共に暮らしている内にある事柄を感じ取った。それは、包囲に積極的な部族とそうでない部族があるという事だ。
積極的なのは、最大勢力のベルベル族とその支族たち。
消極的なのが、セシリアが身を寄せているラミ族であった。
別にラミ族が王国に同情的な訳ではない。
彼らの目的は、ドルン河を南に渡って略奪することであって、砦には興味がないだけだ。
砦が簡単に落ちない上に、対岸に王国軍が展開したことによって、南への渡河が難しくなり、この戦いへの興味が無くなったのだ。
ただ、強力な部族であるベルベル族への配慮と、戦いの雰囲気という惰性で包囲しているだけであった。
彼らとの暮らしでそれを感じ取ったセシリアは、ラミ族を包囲軍から抜けさせることを思いつく。
彼らが戦場から離脱すれば、それに紛れて自分も安全にこの場を去れる。
ラミ族が離脱したら、同じようにやる気を失っている部族が後に続くかもしれない。そうなれば、ベルベル族も砦の包囲を解いて撤退するだろう。
北方民たちが砦周辺からいなくなれば、王国軍に合流できるはずだ。
セシリアは、族長のイングヴァルに事あるごとに撤退した方がいいと囁くのだが、イングヴァルは困ったように顔をしかめるだけであった。
イングヴァル自身はとっくに戦に飽きているのだが、止められない。
他の部族との兼ね合いもあるのだろうが、最大の理由は呪いであった。
イングヴァルは何日かに一回、アダンダたち巫女に戦いの趨勢を占わせていたのだが、これの答えが芳しくないのだ。
ラミ族の老呪い師が、火にくべられ亀裂の入った鹿の骨を注意深く観察する。
「フキツダ」
最年長の巫女の言葉に、盛大にため息をつく族長の陰でセシリアも小さくため息をついた。
今回も駄目でした。
引き上げたいイングヴァルは、この戦いが不吉という答えが欲しいのに、占いはいつも吉と出てしまう。引くに引けないのが今のラミ族です。
今回は引き上げるとどうなるかを占うと、不吉と出ました。
ため息もつきたくなります。
北方民の人々が動物の骨を使って占いをすることは話に聞いてはいましたが、見るのは初めてですね。
王国とは違い、北方民の魔法使いの主な役割は、魔法ではなく占いのようですね。
わたくしは占いなど、やったことはありません。求められているものが違うのですね。焼け焦げた鹿の骨から、何が見えるのでしょうね。少し面白いです
王国でも戦いの前に吉凶を占うことがありますが、答えは指導者たちの都合の良い結果ばかりです。しかし、族長の望んでいない答えが出るところを見ると、本当に占っているのですね。
困りました。
占いの結果では口の挟みようがありません。
わたくしは、もう一度ため息をつきました。
占いを行う天幕から外に出ると、ドルン河と対岸の王国の陣営地が視界に入ります。
この景色を見るたびに思うのです。
エリックは今頃どうしているのかしら。兄さまの馬廻りとして対岸いるのは間違いありません。どうにかわたくしがここに居ることを伝えたい。
エリカやコルネリア様はどうしているのでしょう。もしかしたらエリックと共に助けに来てくれているかもしれません。
空を舞う魔法でもあればよかったのに。そうすれば、この様な憂鬱を置き去りにして河を渡ってゆけるのに。
そんなことを考えながらぼんやりと川岸を歩いていますと、足元に影が立ちました。
「リディアナ」
声を掛けたのはアダンダでした。
肩の傷も良くなり動けるようになりましたね。このような感慨は思い上がりなのかもしれませんが、助けてよかった。この戦でわたくしが行えた唯一の功績です。
「ドウシタノ」
わたくしは、彼女たちとの生活で上達した北方語で答えます。
「イクサ、ヤメタイノカ」
「えっ? 」
アダンダのまっすくな問いかけに言葉に詰まりました。
「バローナニ、タタカイヤメロト、イッテイタ」
バローナ、族長の事ですね。ああ、わたくしとイングヴァルの話を聞いていたのですか。
隠すつもりはありませんが、言いふらすことでもないのでアダンダには黙っていました。
わたくしはアダンダに向かって頷く。
「ナゼ」
なぜ?
何故と尋ねられても困ります。
わたくしとしては戦う理由が無いからなのですが、それを説明するためには正体を明かさなくてはなりません。
どうしたものでしょう。
正体は明かせないですけど、この娘に嘘もつきたくない。
「タタカイ、キライ」
「タタカイガ、キライ? 」
アダンダが小さく眉をひそめました。
この返答は北方人としては失格なのかもしれません。
「フーン」
話せる範囲の真実を告げると、納得したようにアダンダが一歩近づき小声で言いました。
「ワタシモ、キライ」
わたくしは思わずアダンダの顔を見返しました。
北方民とは、悪く言えば野蛮で残虐、良く言えば勇猛果敢な恐れ知らず。そんな印象でした。
この陣営にいると、その思いを更に強くいたしましたが、まさか、戦いが嫌いな人もいるなんて。
驚きです。
「ホントウ? 」
「ホントウ」
わたくしたちはお互いの顔を見合わせました。
アダンダはいたずらっぽい笑みを浮かべ、わたくしはきっとポカンとした顔をしていたのでしょう。
どちらが先に声を出して笑ったかは分かりません。
ほとんど同時だったのでしょう。
わたくしたちはドルン河のほとりで笑い合いました。
ああ、この娘を死なせたくない。
そう思ったのです。
きっと彼女も同じことを思ってくれたでしょう。
わたくしは立場も忘れて、彼女と友達になれたような気がいたしました。
ひとしきり笑い合いうと、アダンダがわたくしの思いに同調してくれました。
ありがとう。アダンダ。とても心強いです。
アダンダが協力してくれることになりましたが、特段、良い策が思いついたわけでもなく、打つ手は限られています。
わたくしたちは暫く思案した後、もっとも単純な手を打つことにしました。
ラミ族と同じように、この包囲戦に疲れている部族を探し、仲間を増やすのです。
撤退したい北方民が増えれば、厭戦気分が包囲軍全体に広がるでしょう。そうなれば、後は自然と分散して包囲が解かれるかもしれません。
今はそう信じて動きましょう。
わたくしはアダンダの助けを借り、戦いに飽きたと思われる部族を回り始めました。
他所の部族の族長に直接会うのは難しいですが、魔法使い、彼らの言葉でライミーレ同士の交流は活発のようです。呪いで使う香木を持って行くと、喜んで会ってくれます。
その場で「ラミ族は戦いに飽きている。あなた方はどうか」という話をすると、まだまだ、やる気満々の者たちもいれば、早く帰りたいと考える者もいました。
同調してくれそうな部族を探しては、イングヴァルに耳打ちするのです。
こう言っては何ですが、わたくしとしてはラミ族だけが退却して下されば、それで良いのです。包囲軍の解体などという大それたことは考えてはいません。
実際に他の部族が残ろうが、引き揚げようがどちらでも構いません。
イングヴァルが退却を決断してくれれば、それでよいのです。
ラミ族の兵士は見た所、五百人から六百人ほど、万を超える軍勢の中ではささやかな数ですが、それでも包囲している者が減れば、後はお父様や兄さまのお役目でしょう。
わたくしに出来ることは、これで精一杯です。
効果があったのか、偶然同じような思いを抱くものが増えたのかは分かりませんが、徐々にではあるが、わたくしたちに同調するような部族が現れ始めました。
砦への攻撃にも身が入らず、ただ囲んで騒いでいるだけの部族が増え始めたように見受けられます。
ですが喜んでいたのもつかの間、包囲軍が俄かに活気づく事態が起きてしまったのです。
何と言う事でしょうか。新しい、北方民がやって来ました。
周囲の北方民たちが「エングンダ。エングンダ」と言って騒ぐ中、わたくしは臍を噛む思いに包まれました。
「ああっ、もう。余計な事をしてくれましたね」
両手を額に当てて嘆くと、自然に王国語が漏れてしまいます。
折角、厭戦気分が広がり始めたというのに、ここで、新しい援軍が来て包囲軍の士気が上がれば、全てが水と流れてしまうでしょう。
しかし、怒っていても仕方ありません。
わたくしはアダンダと連れ立って、援軍にやって来た北方民の集団に近づきました。
せめて、ここ数日の努力を無駄にした者たちの姿をこの目に留めておきましょう。
北方民の呪いの初歩は憎い相手を見る事だそうです。ここは、彼らの風習に倣いましょう。許しませんからね。
援軍の先頭は赤い髪の少女。
その堂々たる騎乗と自信にあふれる表情から、彼女が指導者であると理解いたしました。
「バロリアーナ」
アダンダが感心したように声を上げます。
語感から女の族長を指すのでしょう。
確かに女の族長は珍しい。初めてみました。
その後ろに立派な旗を掲げた男が続きます。
全体で何人ぐらいいるのかしら。少ない数だといいのですけど。
わたくしの願いも虚しく、新たなる北方民の数はラミ族よりも多いように見受けられます。皆、体格の良い戦士たちで、こんな者たちが援軍だと、持ちこたえている砦も危ないかもしれません。
早く何とかしないと。
「なっ・・・」
援軍の先頭集団に、縄で縛られた男が見えた瞬間、頭を棍棒で殴られたような衝撃を覚える。
男は縛られたまま馬に乗せられ、まるで見世物のように連行されている。淡い茶色の髪、泥だらけの顔に、着ている軍団服は無残にも引き裂かれ、酷い乱暴の後が見て取れた。
「エリック」
自分の瞳に映るものが信じられず叫んでしまう。
我を忘れて駆け寄ろとするが、足がもつれて転んだ。
慌てて立ち上がる、セシリアの視線の先をエリックが連行されていった。
見間違いではありません。
間違いなくエリックです。
北方民に捕まってしまうなんて、何があったのかしら。
ああ、どうしましょう。
瞬きする間に色々な感情が押し寄せて、息も出来ません。
驚き、悲しみ、喜び。
一度に押し寄せて胸が苦しい。
それらが、落ち着き最後にわたくしの心に残ったのは、恐ろしい思いでした。
今まで抱いたことのない思い。
そうです。わたくしは生まれて初めて、誰かに強い憎しみの心を、否、明確な殺意を覚えたのです。
エリックをあのような目に合わせた者たちを、わたくしは決して許しはしない。
セシリアは血走った両眼を大きく見開き、通り過ぎる一行を睨んだのだった。
続く
この話は叙述とセシリアのモノローグが不規則に交差し読みにくく、また、そのようなご指摘もいただきましたので、大幅に改変いたしました。
少しは読みやすくなったかと存じます。
不完全なものを投稿してしまい、申し訳ございません。
ご意見、ご感想、ご指摘、大歓迎でございます。お気軽にどうぞ。
(過去の後書き)
セシリアのモノローグと叙述が不自然に交錯して読みにくくなってしまいました。申し訳ありません。
なんとかしようと頑張りましたが、中途半端な感じになってしまいました。
全部を叙述にすると堅苦しいし、かといって全部モノローグも変だしで、困りました。
まだまだ、修行がありませんなぁ。(ノД`)・゜・。




