儀式
アマヌの岩壁の麓には石造りの祠が建立されていた。
祠は三つの巨石からなり、地上から生えた二つが、もう一つを水平に支えている。
自然の奇跡か、人が成し得た偉業か誰にも分からない。
ただ、アマヌの岩壁を崇める一族はここを聖地とし、祓い清めていた。
夕刻になると、城塞に集まった北方民は一斉に祠の周りに足を運ぶ。
祠は地表から10メートルほどの高さに在り、そこまで直線の石段が続く。石段の先には25メートルプールほどの広さの、木製の舞台が設けられており、その周りには多くの篝火が焚かれ、祠の前に備え付けられた台の上には、木の実や羊の肉などの供え物が並んでいた。
祠の入り口には大きな木戸が取り付けてあり、中に何が収められているかは窺い知れない。
辺りが暗くなり篝火の光が闇を照らし出すと、奇怪な仮面をつけ、色とりどりの鳥の羽に飾られた衣装を纏った四人の踊り子たちが舞台に上がり、楽の音に合わせて舞を始めた。
単調なリズムを繰り返す太鼓の音と、時折笛の音が混じる静かな舞だ。
祠の下では北方民たちが声も立てずに見守り、踊り子たちの衣装の擦れ合う音と太鼓と笛の音色が交わる。
舞が終わると、それまで一つだった太鼓の音が複数に増え、腹に響くような振動が広がった。
激しい太鼓の音が響く舞台。
四人の中、一際立派な衣装を纏い、長い黒髪をたなびかせる踊り子が、祠の木戸の前に立つと、両側に控えていた女たちがゆっくりと木戸を開き、光の届かぬ暗闇が現れた。
黒髪の踊子は一度振り返るとその暗闇の中に消え、木戸が閉じられた。
木戸が閉じられると同時に太鼓は鳴りやみ、祠の前の一つを残し全ての篝火の火が落とされた。
暗闇と静寂の中、残された三人の踊子たちが、歌うような高い声を上げて舞台の上を右往左往したかと思うと、突然止まり、僅かな沈黙の後に舞台に伏し倒れた。
暗がりの中、多くの人が祠の脇から走り出し舞台を囲む。
一つの笛の音が鳴り響く。小さいが鋭く遠くまで聞こえるような音だった。それを呼び水とするかのように多彩な音が鳴り響いた。
沸き上がった音楽は、先ほどの単調で静かな楽の音とは違い、多くの楽器を使った楽しげな音色となる。
舞台の上では踊り子たちの姿は消え、沢山の人々が舞台に上がり踊り出す。その踊りの輪の中心では、二人の恰幅の良い男たちが取っ組み合いを始めた。
その頃には、祠の下に集まった人々も口々に歌い出し歓声を送る。万を超える人々の歌と歓声が、アマヌの岩壁に跳ね返り反響する。
祠の脇で江莉香は感動に打ち震えていた。
「綺麗・・・」
僅かな篝火の光と月明かりの下で行われる祭りは、今まで見たどんな儀式よりも神秘的で美しい。
衣装が綺麗な訳ではない。現代日本人の江莉香から見れば、衣装も踊りも楽器も全てが稚拙でお粗末だ。しかし、そんなことは全く気にならない。
そこには人間の持つ躍動する美しさが込められている。
それだけではない、この儀式は明らかに自分が知っている物語をモチーフにしている。
どうして、こちらの世界に日本と同じような物語が伝承されているのだろう。もしかして、この世界と私の世界は、思っていたよりも遥かに大きな繋がりがあるのではないだろうか。私も偶然この世界に飛ばされたのではなく、何かしらの意義や意味があるのかもしれない。そんな心地にさせられた。
半ば呆然としていた江莉香の肩を、傍に控えていた女の子が叩く。
どうやら、出番が来たみたい。絶対に失敗できない。心臓が早鐘を打ち始める。
広場で行われる賑やかな催しに誘われ木戸が少し開くと、木戸の両端に座り込んでいた男たちが強引に木戸を開いた。
『光あれ』
江莉香は木戸の脇から斜め60度ほどの角度で空に向かって光の魔法を発動させる。反対側からはコルネリアが同じように光の魔法を放つと、その光が交差する一点に黒髪の踊子が現れた。
黒髪の踊子は、魔力に照らされ光り輝く。
その瞬間、地から湧き上がるようなどよめきが起こり、やがて耳を塞がんばかりの歓声へと変わった。
消されていた篝火も再び点火され、舞台は一気に明るさを取り戻していった。
魔法の発動を終えた江莉香は、自分が涙を流していることに気が付いた。
なんという美しさであろうか。
ここまで人の息吹と、大自然の生命力を感じさせる儀式は、見た事も聞いたことも無い。
その演出に一役買った立場なのに、訳の分からない感動を禁じえなかった。
祠から飛び出した黒髪の踊子は、再び現れた三人の踊子たちの輪に戻り、舞を再開する。
それは、最初に舞ったのと同じ静かな舞であったが、今の江莉香の目にはまったく違って見えた。単調で退屈な意味不明の舞ではなく、それは自然の息吹そのものに見えたのだった。
「凄い。これが宗教の力・・・・・・ううん。そんな知的で論理的なものじゃない、これが祈りなんだ。原初の人の力なんだ」
人間とその他の生物との最大の違いは何だろう。
異常に発達した脳構造から生まれた高い知能なのか。
いや、そうじゃないと思う。知能なんてものはチンパンジーにだって存在する。
人間とその他の生き物を分ける最大の境界線がここにある。
それが祈りなんだ。
人以外の生き物が、何かに祈るだろうか。聞いたことも無い。
誰かが言っていた。人のみが神を持つと。
人間は何かに祈るから人間なのだと。
それが神なのか大自然なのか分からないけど、万物の霊長たる人間を遥か見下ろす存在に対しての畏怖。それを想像し思いを馳せる能力こそ、人を人たらしめる根本なんだ。
江莉香は論理ではなく感覚でその事を知り、流れる涙もそのままに、儀式を見守るのだった。
儀式はつつがなく進行していった。
「エリカ。ようやってくれた。アマヌの岩壁も大喜びよ。我が氏の者たちも喜んでおる」
儀式が終わり仮面を脱ぎ捨てたジュリエットが、目をらんらんと輝かせて褒めてくれる。
その瞳には一種の狂気が宿っているように思えた。
彼女が主役の踊子なのは言うまでもない。
「凄いです。凄いです。ジュリエット様。私、感動しました」
「そうであろう。メイガリオーネと言えども、我がアマヌの岩壁の一族に恐れ入ったであろう」
ジュリエットは頭に冠った黒髪のかつらを取り外し、いつもの赤毛に戻る。
かつらは人間の髪の毛ではなく、何かの生物の毛を束ねたような物だ。
「はい。恐れ入りました」
「うむ。トリスタン」
「ははっ」
江莉香の隣でトリスタンが膝をつく。
「お主も、よう考えおった。エリカの呪いを儀式に加えるなど、この身には思いもつかぬことよ。反対しておった爺たちも、これなら不満はあるまいよ」
「ありがたき、お言葉」
「うむ。これでアマヌの岩壁の威信もより高まった。エリカ。約束通りに兵を出そう。トリスタン。我が言葉。全ての族長に伝えよ。我が旗に続けとな」
「御意」
「ありがとうございます」
この部族の助力があれば、砦でを囲んでいる北方民たちもひとたまりも無いだろう。
江莉香は確信した。
夜が明けると、早速、軍の編成が行われる。
アマヌの部族たちは、城塞に集まった時点で馬を引き連れ、既に武装しているので、改めて武器を集める必要はなく、兵糧もドルン河に近づけば王国側から補給できる。数日分の食料だけを持ち寄れば、瞬く間に一軍が編成された。
「凄い数ですね。何人ぐらいいるんだろう」
「掴みで、五千は下回らないかと。援軍として充分すぎる数ですね」
羽黒に跨り、整列した兵士たちを眺める江莉香にアランが教えた。
「五千人。そんなに沢山」
目標数の二倍以上。大成功と言っていいはず。
「はい。間違いないかと」
「それだけいるなら、若殿と砦の将軍の軍を足せば、砦を囲んでいる人より多いですよね」
「はい。間違いなく。あとはセシリア様をお助けし、奴らを蹴散らすだけです」
「そうですよね。勝てますよね」
「確実に勝てます。ご安心を」
「よし。セシリア。待っててね。もう少しだから」
江莉香は視線を西に向けた。その先にはランドリッツェの砦がある。
「エリカ。助かったよ。今回もエリカのお陰だな」
アランとは反対側の隣に馬を止めていたエリックが礼を言う。
「そうかな。大したことしてないけど。でも、昨夜は頑張った。うん」
昨夜の緊張と興奮を思い出す。
「それもあるが、エリカがジュリエット様とすぐに打ち解けてくれたから、これほど早く援軍の要請が出来たんだ。俺やアラン卿だけでは、今頃良くて交渉中、悪くすると斬られるか、叩き出されるかのどちらかだったと思う」
「違いない。エリックの言う通りですよ。さすがはエリカ様。今回の戦役での最殊勲ですよ」
二人に同時に褒められて、照れ笑いがこみあげた。
「そう言われると、悪い気はしないけど。いや、駄目よ。セシリアを助けて砦にこもっている人たちを解放するまでは戦争は終わらない」
江莉香は手綱を持ったまま、にやけた顔を両手で叩いた。
「仰せの通りですね。全てが終わってからの話でしたね」
「そうだな。むしろ、ここからが本番だ」
視線の先でジュリエットが赤い旗を掲げる馬を進める。
「進め。戦士たち。我が旗に続け」
ジュリエットの号令と共に重厚な角笛の音が響き渡り、軍が動き出した。
江莉香たちは馬を進めジュリエットの後ろに付くと、先頭を進む彼女が振り返る。
「エリカ。戦場でのお前の働き、見せてもらうぞ」
「はい。・・・頑張ります」
その言葉は予想以上に江莉香の胸に突き刺さった。
いよいよ、本格的な戦闘だ。
続く
今回は描写中心で苦労しました。
私は描写の文章が苦手です。意味が分かりにくい点がございましたら、遠慮なくご指摘ください。
可能な限り修正いたします。m(_ _)m




