元女誑しの彼は臆病な嘘つき少女が愛おしい
昼休みを知らせるチャイムがなった。
俺はチャイムが鳴るのと同時に席から立ち上がり、今日も一人、中庭へと向かう。
ねえ、ミミ。俺は今でもずっと、君を待ち続けてる。
◆◇◆
昔から何かと要領が良かった俺は、今まで人生であまり苦労をしてこなかった。
その上、顔もそれなりに整っていたおかげで、大概のことは微笑むだけで上手くいった。
そうして同じことを繰り返す日々が退屈に感じられて、暇つぶしのつもりで何人もの女子と遊んだりもしたけど、結局何も得られずに、ただただ退屈に時を過ごしていた。
そうして気づけば、俺は学園で有名な女誑しと言われるようになっていた。
そんな俺が人生初めての挫折を味わったのは、ある一人の少女に失恋した事だった。
少女の名前はリリィ。
明るくて、無邪気で、よく笑う彼女は俺にはとても眩しい存在だった。
憧れと、恋慕。
その気持ちが隠せない程に大きくなった頃には、俺の失恋は確定していた。
リリィが好きなのは俺じゃない他の男。
それをよりによってリリィ本人から聞いた時、俺は決めたのだ。
彼女を幸せに出来るのが俺じゃないなら、俺はその手助けをしようと。
彼女が好きで、彼女に幸せになって欲しいから。
例え自分が、それでリリィから嫌われようとも。
今思うと、自分でも無茶なことをしたと思う。
沢山の人がいる中で自分の想い人にあんな事をやらかしたんだから。
ただ、不思議と後悔はなかった。
そうして彼女らがようやくカップルになったのを見て、俺は虚無に襲われた。
それは多分、ある種の達成感のようなものだったと思う。彼女の幸せに俺が貢献したのだという、なんとも浅ましい思い。
ただそんな心とは裏腹に周囲は寄って集って俺のことを騒ぎ立てた。それが面倒で、人目へつかない所へと一人逃げた先で、俺はやけに凪いだ目をした彼女と出会った。
彼女は言った。
「それじゃあ、一日にひとつだけあなたのことについて質問してもいい?」と。
これ以上、会話を続けるのが億劫で「質問だけなら」と渋々頷いた俺に、君は心底嬉しそうに笑って「それじゃあまた明日」と言った。
正直なことを言うと、最初は面倒なことになったとしか思っていなかった。
よりによってこの時期に告白してきたことについては、多少は興味が湧いたけど、それ以上にウンザリする気持ちの方がずっと大きかった。
だから最初の頃は質問にも適当に答えていたし、適当に笑って時をやり過ごしていた。
でも、彼女は俺が最初に抱いた印象よりもずっと賢い人だった。
毎日質問をしてくる割に踏み込んだ質問はしてこないし、俺が少しでも微妙な反応をすればそれとなく話題を逸らして、もう二度とその話題に触れることは無い。
彼女はそうして度々、細かな気遣いをみせた。
そんな彼女の、言動は幼いのにふとした時に感じる思慮深さは俺にとってえらくチグハグなものに見えた。
それから、俺は彼女がどんな人なのかを知りたくて、よく観察するようになった。
彼女は観察すれば観察するほど、本当に不思議な人だった。
よく笑い、無邪気にはしゃぐのに、纏っている雰囲気は静かな夜を思わせるもので、俺はどんどん彼女に魅せられていった。
その上、彼女は学園中で流れている俺の噂について、何も触れなかった。本当は知っていて黙っているのか、それとも本当になにも知らないのかそれは分からなかったが、俺にとって中庭での時間は心地よかった。
それに、強がっていても結局考えるのはリリィのことばかりで、そういうことを考えなくても良いあの時間は気が楽だった。
そして、気づけば中庭に行くのが一日の楽しみになっていた。
そうした日々が続いたある日、俺の耳にある噂が入ってきた。
それが「実はロストはわざと嫌われ者になってリリィとトラントの仲を取り持った」というものだった。
まあ、実際は噂でもなんでもなく事実なのだが、問題はそこではない。何故そんな噂が流れたのか、それが一番の問題だ。
俺はリリィとトラントが結ばれる前も後も一度もそういうことを周りに話したことはない。
勿論、リリィに片思いしていたやつらにも言っていない。
それなのに現実として今、俺の目論見が噂として広まっている。
どこからその噂がたったのかを探ってゆくと、ある意外な人物に辿り着いた。
噂を流していたのは、俺を嫌っているはずのリリィだったのだ。
思わぬ相手にどう反応しようかと考えあぐねていると、予想外なことにリリィ達の方から声をかけられた。
多少の困惑はあったものの、何故あんな噂を流したのかその真意を聞きたくて俺は久しぶりに二人に会うことを決めた。
トラントとリリィに放課後、人目につかない空き教室に呼び出され、何を言われるのかと構えれば、二人の第一声は俺に対する謝罪だった。
リリィは顔を真っ青にさせながら、「ごめんなさい」とただ一言謝った。
トラントは優しい彼にしては珍しく、男らしい精悍な顔つきでしっかりと俺に目を合わせて謝罪をした。
それに複雑なものを感じなかった訳では無い。
俺はリリィに幸せになって欲しくてあんなことをしたわけだから。
それに、俺は確かにあの時リリィのことが好きだったからトラントが俺を殴るのも仕方が無いことだと思う。
俺自身、それについての自覚はある。
謝らなくてもいい、と笑っても二人は暫く暗い顔をしていた。
そんな顔をさせたかった訳じゃなくて、俺は女誑しと言われていた頃のように明るく軽そうに振舞って「これじゃあ仲直りができない」と言えば二人は慌てて否定してくれた。
それがなぜだかどうしようもなく嬉しくて、俺はその時に初めて、なんだかんだ言っても、二人と友達を辞めたくないのだということに気づいた。
そして、自分が二人の幸せを願えるようになっていることにも。
信仰にも似た恋だった―――。
俺と違って、毎日を本当に楽しそうに過ごす彼女に憧れて、一緒にいても飽きることの無い彼女に惹かれて、リリィが幸せなら俺はどうなってもいいと、いっそ盲目的とも言える想いを抱いていた。
あの想いが恋じゃなかった、なんてことは言わない。
確かに俺はリリィが好きだったし、愛おしく思っていた。
今だってあの時こうしていたら、と思うことはよくある。
でも、同時にこうも思うのだ。
仮にリリィと俺が結ばれても幸せな結末にはならなかったと。
だって、俺の想いはトラントのように見ていて暖かい気持ちになるようなものじゃなくて、もっと浅ましくて、自分本位なものだったから。
けれど、今この胸にある感情はそんなものではなくて、もっと純粋な―――。
「ねえ」
自然と口角が上がるのを感じながら、俺は不思議そうに俺を見る二人に言った。
「リリィ、トラント、末永く幸せにね」
きっと俺はニヤリといたずらっ子のような笑みを浮かべていたことだろう。
そんな俺に二人はやっと満面の笑みを向けてくれた。
二人の笑顔を見て、そう遠くない未来、この恋にしっかりと別れを告げられる日が来ると悟った。
きっと、前を向こうと思えたきっかけは中庭で毎日しているあの少しのやりとりなんだろうな、なんて思いながら。
さて、普通の物語ならめでたしめでたし、とここで終われたことだろう。
ところが、どっこい。俺の話はここからが本番だ。
俺はリリィとトラントと無事和解を終えてから、本来の目的を思い出し、二人に対してどうして俺があんなことをした理由が分かったのか、と質問をした。
が、二人はその質問に口を噤んでしまう。
もしかして二人以外の誰かが俺のことを教えたのか、と質問攻めにしてみたものの、なかなか二人は口を割らなかった。
それどころか、それとなく話の焦点をずらされた。
結局、その日はそれについてはなんの話も聞けないまま二人と別れた。
一体誰がどうやって何の目的で?と頭を悩ませながら迎えた次の日。
それでも変わらず、俺はいつも通り中庭でミミと話をしていた。
ミミの今日の質問は「将来の夢について」だった。
いつも気楽に答えられる質問しかしてこないミミにしては考えさせられる質問だな、と思いながらも自分の将来の夢について考える。
今、一番確実なのは家を継ぐことだろうな。でも、それって将来の夢って言えるのか?
結果的に曖昧な答えしか返せなかった俺に、ミミは「そっかぁ」と呟く。
ミミは俺に必要以上に踏み込んでこない代わりに、自分のことについても踏み込ませない雰囲気を持っている。
だから俺はこうして毎日のようにミミと二人で話しているにも関わらず、彼女の普段の様子も、彼女のクラスさえも知らなかった。
だからだろうか。
俺に何も教えてくれないミミを知りたくて、俺は初めてその日、自分から彼女に質問をした。
俺の質問にミミはポカンと口を開けたまま固まってしまった。
何にそんなに驚いたのか分からないまま、彼女の返答を待っていると、彼女は数秒してからボソリと呟いた。
「私、は、幸せな家族かな」
「幸せな家族·····?」
まったく予想外の答えに言葉を繰り返すと、彼女は何かに気づいたようにハッとして、「やっぱりケーキ屋さんかな!」と意見を変えた。
最初の答えよりそっちの方がよっぽど彼女らしくて思わずからかうと、彼女は怒りながらも少しだけ安心した顔をしていた。
ミミの答えが気にならなかった、といえば嘘になる。
あの返答はミミらしくなかったし、なによりあの時の彼女の表情は、いつもより陰が深くなっていたから。
それでも、今の段階で彼女にそのことについて質問しても、それとなく逸らされるだろうという確信が俺にはあった。
大丈夫。どうせ明日も、これからも彼女に会うんだ。
徐々にミミという人物を知ってゆけばいい。
そんなことを思いながらその日、俺はミミと別れたわけだが、そんな俺の甘い考えはバッサリと切り捨てられることになる。
次の日、中庭にミミは来なかった。
体調を崩したのかもしれないと思って、でもミミが来るかもしれないという僅かな期待もあって、俺はその日中庭で一人、昼休みをすごした。
それから一週間が経ち、二週間が経ってもミミが中庭に来ることは無かった。
そこでようやく、彼女に避けられているという事実に気づいた。
何が原因かなんて、幾つも心当たりがありすぎて「どうして急に来なくなったんだ」と怒ることも嘆くことも出来なかった。
俺の噂を知ったか、女誑しと言われる俺に愛想がつきたか、それとも知らない間に俺が彼女を苛立たせるような態度をとったか。
·····もしかしたら単純に俺のことが嫌になっただけなのかもしれない。
とにかくその事実だけが俺を打ちのめした。
皮肉なことに彼女と中庭で話さなくなって、時間が経てば経つほど、俺の評価は上がっていった。
きっと、リリィ達のおかげなのだろう。
でも俺は学園での評価なんかより、今ミミが何を思っているのか、それだけが気がかりだった。
彼女と話せなくなって、俺がどれだけ彼女との会話に日々を支えられているかということが痛いくらいにわかった。
彼女のいない日常は気が狂いそうだった。
勿論、何度かミミを探して教室を回ったことはあった。
学年が同じだということだけはわかっていた為、きっとすぐ見つかると思っていた。
でも実際は見つかるどころか、どの教室にも「ミミ」という名前の生徒はいないということが分かりもう、意味がわからなかった。
ただただ彼女に会いたくて、あの笑顔を見たくて、俺は彼女を探しながらも、毎日誰もいない中庭に向かった。
その頃ら辺から、一度は噂によって俺の前から去っていった女子達がまた俺の前に現れ始めた。
そういう女子達がまるで何事も無かったかのように猫撫で声で俺に話しかけるのを見て、俺は過去の自分の失態を自覚した。
中にはリリィがトラントと結ばれたのなら、また彼女制度を再開してと強請ってくる女子もいた。
無論、女子達にはしっかりと、そういうことはもうしないと伝えたし、彼女制度も断った。
彼女たちは不満だったようだが、俺は意見を変えるつもりは無い。
そしてその日の放課後。
あんな事をしていた男に愛想をつかすのも当然だ、と改めて再確認して一人で勝手に落ち込んでいたその時、奇跡が起きた。
下駄箱に彼女が現れたのだ。
ずっと会いたいと願っていた、ミミが。
彼女は中庭で会う時よりも大人っぽい雰囲気だった。
髪はおろしていたし、俺の知ってるミミよりずっと落ち着いていて、パッと見ただけでは別人にも見える。
でも、俺はずっとこの一ヶ月程ミミを探していたのだ。
見間違えるはずがない。
なによりも、彼女の纏う雰囲気は紛れもなくミミのものだった。
咄嗟に手を掴んで、彼女を引き止める。
「君はミミ、だろ?」
今すぐ抱きしめたい衝動を我慢して、俺は恐る恐る彼女に声をかけた。
「·····え?」
俺の言葉に彼女は目を見開く。
「前まで俺と昼休みによく話してた」
「人違いです」
「は?」
思わずでた声は、低く唸るようなものになってしまった。
そんな訳ない、と眉を顰めれば彼女は俺に生徒手帳を見せた。
「私の名前はミスティです。それに、貴方とは話したことはありません。あの、私急いでるので失礼します」
「あ、ああ。·····ごめん」
どうして、なんで。だって確かに君は―――。
そう問いかけたいのに、俺はその場で呆然と突っ立っていることしか出来なかった。
そんな俺に彼女は頭を下げてその場から去ってゆく。
まるで、俺の事など気にも留めていないというように。
彼女が俺に敬語を使い、他人行儀に接したことで、俺はこの世の終わりを告げられたような感覚に陥った。
心の奥底では、再会したら彼女に笑いかけてもらえるとでも思っていたのかもしれない。
だから、俺は今こんなにも絶望しているのだろう。
そうして、俺はようやく気づく。
自分はミミのことが好きなのだということに。
いや、本当はもうとっくに気づいていた。
クラスも知らないあの少女のことが愛しくて仕方がないことに。
でも俺は自分を呑み込む勢いで急成長するこの感情が怖くて、出会った時と変わらない態度で接し続けることしか出来なかった。
自分の気持ちに目を逸らし続けた。
その結果、彼女には愛想をつかされ、まともに話すことも出来なくなる始末。
どこまでいっても愚かな俺は、いつだって手遅れになってから大切なことに気づく。
どれくらいそうしてそこに立っていただろうか。
不意に胸に強い感情が込み上げてきた。
諦めたくない。
十七年間生きてきて感じたことがないほど、強くどこまでも純粋な感情だった。
思えば、今まで自分はなにかに執着したことがなかった。
自分じゃなくても、誰かが大切にしてくれるなら、幸せにしてくれるなら、それでいいと思っていた。
でも今回は違う。
誰でもない、俺自身が彼女を幸せにしたい。
リリィに抱いていた感情よりももっと、ドロリとしていて、熱く煮えたぎるような感情。
このまま、彼女との関係を終わらせたくない。
彼女を他の男に、渡したくない。
心の中で明確に言葉にして表すと、カチリとなにかが嵌った気がした。
ごめんね、ミミ。君を逃がしてやれそうにない。
胸に込み上げるドロドロとした執着心に一旦蓋をして、俺は自分がこれからどうするべきか、考えを巡らせた。
次の日、俺はリリィとトラントを前回使った空き教室に呼び出した。
「用事ってなに?僕たちにできることなら協力するよ」
首を傾げるトラントに俺は「ミスティっていう生徒についてなんだけど」と話し出す。
その時、何故かリリィがビクッ、と肩を揺らしたのが見えた。
トラントからはなんの反応もない。
「どのクラスにいるか知らない?」
トラントは困ったように笑い、何も言わない。
リリィも固い顔つきで黙り込んでいる。
明らかに違和感のある二人の反応は、先日話をそらされた時の雰囲気を彷彿とさせる。
このなにかを誤魔化そうとする空気感·····。
「·····二人ともミスティのことを知ってるんだね?というか、知り合い?」
数秒の沈黙の後、俺の質問に諦めたようにため息をついたのはトラントだった。
「そう。俺達とミスティは知り合いだよ」
トラントが彼女のことを呼び捨てで呼んでいることに何も思わなかった訳では無いが、さすがにそこで話の流れを止めるほど俺は空気が読めない訳では無い。
俺は黙って話の続きを促した。
「そもそもミスティと知り合ったきっかけは君だよ」
「·····俺?」
掴めそうで掴めない答えにもどかしく思っていると、トラントの隣に立つリリィが戸惑った顔で「トラントくん」と彼に呼びかける。
「リリィ、君もわかってるだろう?ロストに黙っていても事態はなにも良くならないよ」
「で、でも」
「リリィ。彼女の幸せを願うのならこれが最善だと僕は思うよ」
トラントの言葉にリリィはしばらく視線を彷徨わせると、ギュッと目を瞑った。
「わかった」
彼女の言葉にトラントは短く息をつくと、俺と目を合わせた。
「なにから、話そうか」
トラントの言葉に俺は最も優先すべき質問を考える。
「·····ミミの、彼女の腕にある痣。あれはなに?」
そうして一番最初に口をついて出た質問がそれだった。
再会して、すぐは気づくことが出来なかった。
なにより、彼女にあんな態度を取られたショックで注意力が散漫になっていたのだろう。
でも、一人になってゆっくりと彼女とのやりとりを思い出してみた時に、彼女の腕に無数の痣があったことに気づいた。
そういえば、彼女は中庭で話していた時も何度か痣を作ってきていて、理由を聞けば「転んじゃった」と笑っていた。
だが、あの無数の痣のことを考えれば、彼女のあれは明らかに人に付けられたものだということが推測出来た。
本当に彼女のことについて何も知らない俺は、ひとまず自分の気持ちよりも彼女の周囲で何が起こっているのかを把握することを優先させた。
俺の質問が予想外だったのか、二人は少しだけ驚いた顔をした。
俺がニコリと笑って話を促すと口を開いたのはリリィだった。
「本当はこれはミスティの個人的な問題だから、私がロストに話すのは良くないことだと思う。でも、このままじゃ、ミスティはきっと全てを一人で背負い込もうとしちゃう。·····だから、私はロストに話すよ」
覚悟を秘めた瞳を向けられ、俺はそれに応えるようにしっかりと頷いた。
そうしてリリィが話した彼女の家庭状況は俺が思っていた以上に深刻なものだった。
何一つ知らなかった、彼女を取り巻く環境。
話を聞き終わって真っ先に浮かんだのは、最後に中庭で会った時に彼女が言った夢だった。
「幸せな家族」というのは彼女の本心そのものだったんだ。
今すぐ彼女に会って、抱きしめたいと思う感情と彼女の事情に何一つ気づけず呑気に過ごしていた自分への怒りで俺の心中は荒れ狂っていた。
「それと、この前の質問の答えだけど、僕達に君のことを教えてくれたのは彼女だよ」
そんな中、トラントからさらりと告げられた言葉に俺は固まった。
「今、なんて·····?」
「だから、僕達が今こうして話せているのは彼女のおかげだってこと」
暫くはトラントの言っていることが理解できなかった。
「だって、彼女は·····」
そんなこと一言も言わなかった。
中庭で話していた時も今までも、一度も。
それどころか、噂にさえ一度も触れたことは無かったのに。
どうして彼女が俺の考えを知っていたのか、どうして一度も俺の噂に触れなかったのか。
彼女に聞きたいことは沢山ある。
でも一番聞きたいのは、どうしてそんなことをしたのか、だ。
どうして、何故自分が辛い目にあっているというのに、俺の手助けをしようと思えるのか。
混乱する俺を冷静にさせたのはトラントの言葉だった。
「面倒臭い理屈はどうあれ、僕達は彼女に幸せになって欲しい。自分の幸せをおざなりにしてしまいがちな彼女に。
ロスト、それは君だって一緒だろう?」
「·····ああ」
頷いた俺に二人は頬を綻ばせた。
ミスティ、君が俺と俺の大切な友人との縁を繋げてくれたというのなら、俺は俺のやり方で君を幸せにしたい。
だから。
俺は俺の出来ることを精一杯しよう。
それから、俺はすぐに行動した。
彼女の状況が少しでも楽になるように。
まず最初に彼女の屋敷に仕える初老の使用人と接触をとった。
学園で女誑しと言われるだけあって俺は人心掌握には自信がある。
その使用人とはすぐに仲良くなることが出来た。
元々、その人は現在の屋敷の状態にストレスが溜まっていたらしく、吐き出せる人を探していたらしい。
俺は彼の相談に乗ると共に、現状を理解することに務め、時々アドバイスをした。
それから毎日のように飲み歩きをしていたミスティの父親とも接触をした。
そして話を聞くうちに、ミスティの父親の深層心理として誰かに強く愛されたいという想いがある事が分かった。
つまり、相手は必ずしもミスティの母親じゃなくても良いらしい。
それがわかると俺は早速、彼好みの女性を見繕った。
もちろん、女性には同意を得ている。
女性が彼に愛を囁き始めると、彼は精神的に安定し始めたらしく、家で暴れることが減ってきたと初老の使用人から報告を受けた。
それらを辛抱強く続けた結果、最近ようやくミスティの父親が離婚に賛成の意を示し始めたらしい。
そんな俺の一連の行動を見ていたトラントから「それ、グレーゾーンだからね」と大いに引かれたが、無視してやった。
それから三日後、ミスティと会う約束をしたと二人から連絡があり、俺は教室でリリィ達と彼女を待った。
取り敢えず、呼んだら来てと言われて俺が彼女たちから少し離れたところで待機していると、扉の開く音がした。
聞こえてきたミミ、いやミスティの声に俺の心臓はバクバクと音を立てる。
彼女は離婚のことを相当喜んでいるらしく、はしゃいでいるようだった。
·····それは良い。それは良いんだけど、ただ一つ気になることがある。
トラント、ミスティと親しく話しすぎじゃないか?
俺が下駄箱で話しかけた時とは随分違って彼女と親しげに話すトラントにみっともなく嫉妬していると、そのトラントから「入ってきていいよ」と呼ばれた。
多少の緊張を覚えながら、部屋に足を踏み入れるとミスティと目が合った。
驚いたようにこちらを見るミスティを認識した瞬間、胸の奥底から閉じ込めていたはずのドロリとした感情が零れるのを感じた。
彼女から目を逸らせないでいると、なにやらリリィがミスティに責められていたので慌てて弁護しておく。実際、半ば無理やり俺が聞き出したのは事実だし。
そうして否定している間も彼女との久しぶりの距離感にどうしていいのか分からなかった。
下手に触れたら壊してしまいそうで、なにも出来ないままで二人きりになると、彼女が「その、もう分かってるんですよね?」と俺に話しかけた
俺はそれに頷く。
「この前、お会いした時に嘘をついて申し訳ありませんでした。私がミミです。とは言っても、ミミは偽名で本当の名前はミスティと言います」
中庭で話した時とは随分違う距離感に俺は少しの焦燥と苛立ちを抱く。
「·····今まで付き纏っていたのに謝罪もしないで申し訳ありませんでした。あと、偽名を使っていたことも」
彼女が頭を下げた。
まるで振り出しに戻ったかのような距離感と彼女の聞きなれない敬語が嫌で俺は少し乱雑な口調で「君の素はそっちなの?」と質問する。
「えっと、はい。一応、普段はこんな喋り方です」
彼女は俺の質問に頭をあげると、そう答えた。
「敬語やめて」
「あ、はい。·····じゃなくて、うん」
感情のままに話せば、彼女は僅かに表情を固くした。
ああ、違う。そんな顔をさせたかったんじゃない。
それに、こんな話し方をしたい訳でもない。
俺は一度、深呼吸してから一番聞きたかったこと―――どうして俺の前から居なくなったのかを彼女に尋ねた。
少し責めるような口調になったのは許して欲しい。こっちも余裕が無いんだ。
すると彼女は俺の選択肢になかった答えを言った。
俺が迷惑に感じると思ったからだ、と。
「俺は一度もそんなこと言ったことも思ったこともない」
「いや、でも楽しそうにしてなかったし」
「俺は俺なりに楽しんでたんだけど」
彼女の返答に全てありのまま答えると、彼女は黙ってしまう。
言葉遣いは戻ってもミスティは未だに他人行儀に接し続ける。
そんな彼女の態度に俺はどうすれば良いのか分からなくなってしまった。
·····どうしたら君はあの時みたいに笑ってくれる?
そう聞きたかったのに、口から零れ出した言葉は全く予想外のものだった。
「俺のことは今でも好き?」
「は?」
彼女がポカンと口を開けて呆ける。
俺自身もびっくりしている。
けど、一度口から出てしまえばそればかり気になってしまって、俺はもう一度同じ質問をした。
「今でも、俺のこと好き?」
俯いて何も言わない彼女に俺は焦れったくなって急かすように彼女に近づく。
「答えて」
すると、ミスティはまた敬語に戻ってしまう。
俺はそんな彼女にまた我儘を言うように、敬語を使うなと強請る。
それでもまだ距離をおこうとする彼女の顎をすくいあげて強制的に目を合わせた。
俺を見て欲しくてそうしたのに、惹き込まれたのは俺の方だった。
それ程に彼女の瞳はあまりに澄んでいて、あまりに、美しかった。まるで彼女の人柄そのものを表すようなその瞳に、俺は惹き付けられる。
ずっと、こうして君に触れたかった。
ずっと、君に逢いたかった。
中庭での時間は、俺にとってなによりも大切な時間だったんだよ。
そんな言葉が浮かんでは消えてゆく。
お互いがなにも言葉を発さないで、どれくらいの時間が経っただろうか。
それはあまりに突然のことだった。
静寂の中で彼女の声が聞こえた。
「好き」
自分が今、聞いたことが信じられなくて、何が起きたのか理解できなくて、俺はしばらく呆然としていた。
でも目の前の彼女は瞳をうるませて頬も赤らめていて·····、今聞いたことが俺の願望からの幻聴ではないと分かる。
「良かった、嫌われたかと思った」
思わず心の声が零れてしまう。
良かった、なんて言葉じゃ生ぬるい。なんて表現すればいいか分からないほど、嬉しい。
嫌われて、なかったんだ。
自分でも満面の笑みを浮かべているであろうことを自覚しながら、だらしなく頬を緩ませているとミスティが小さく鼻を啜った。
「嫌いに、なれるわけ、ないっ·····!」
叫ぶようにそう言うと、ミスティはポロポロと涙を零す。
綺麗だな、幸せだな、と思う心のままに俺はミスティの手を包み込んだ。
その手に、腕に痣がないことに密かに安心する。
「俺も、ミスティのことが好きだよ。世界中で一番」
「·····な、何言ってるんですかぁ」
涙声の返答に俺は、ミスティにしっかりと伝われと祈りながら言葉を紡ぐ。
「君が中庭に来なくなって、気が狂うかと思うくらい恋しかった。俺、ミスティが来なくなってからもずっと君のことを中庭で待ってたんだよ」
「う、嘘·····」
「嘘じゃない。ねぇ、もう一度言って?俺のこと、好き?」
「す、好き·····」
消え入りそうな声が聞こえてきた。
ああ、もう俺幸せすぎて、死んじゃう·····。
どうしようもなく愛おしさが込み上げてきて、俺は彼女を抱きしめた。
ずっと、こうしたかった。美しい心を持つ君をこうして、抱きしめたかった。君に触れたかった。やっと、やっとこうして抱きしめることが出来る。
俺の行動に固まった彼女の耳元で「好きだよ」と囁けば彼女は林檎のように真っ赤になった。どうしよう。めっちゃ可愛い。
戸惑う彼女が可愛くて、俺の腕の中に彼女がいることが信じられなくて、俺は今までのことを思い出す。
「やっと会えたと思ったのに、他人のような態度を取られて、そそくさと逃げられて·····、あの時俺がどれだけ絶望したか」
「ちょ、ちょっと待ってください!でも私、本当は貴方と中庭で話してる時みたいな性格じゃなくて·····!」
「うん。だから?」
「だ、だから·····?!いや、その、だから貴方が好きになったのは私じゃなくて」
「確かにミスティだよ」
俺はミスティの言葉をやんわりと遮る。
ミスティ、俺は自分をほったらかして他人の幸せを祈ってしまう君の心に、人に迷惑をかけまいと明るく振る舞う君に、心底惹かれて、恋に落ちたんだ。
「君がどんな態度をとろうと、君の本質は何も変わらない。僕が好きになったのは、紛れもない君自身だよ」
ポカンと口を開けているミスティがまた俺の前から逃げてしまわないように俺は少しだけ抱きしめる力を強めた。
もうあんな思いはしたくない。
「ねえ、もう俺から離れないでね。俺、ミスティがいなくなったら今度こそ狂ってしまう」
「待ってください、ちょっと一旦落ち着かせてくだ」
「敬語」
「落ち着かせて」
「やーだ」
彼女とこうしてまたやり取りできる幸せをかみ締めていると、彼女からリリィのことについて聞かれた。
そうだった、そもそもリリィ達に俺のことを伝えたのは彼女だ。彼女はきっと俺の想いを知っているのだろう。
だから俺はしっかりと彼女に正直な自分の気持ちを伝える。
彼女の心に少しも陰を落とさぬように。
「確かに好きだったよ。でも、俺は略奪は絶対にしない主義なの。それに、彼女以上にミスティのことを好きになっちゃったんだ。仕方ないだろう?」
というか。
彼女がそれを言うのなら俺にもひとつ言いたいことがある。
俺がトラントへの不満を告げれば、彼女は狼狽えながらも反論する。
「でも君はまだ再会してから俺の名前を呼んでくれてないじゃないか」
反論しようとしたら、ただの素直な願望が出てしまった。
でも、俺は君にあの時のように名前で呼んで欲しいんだ。
だから俺は彼女に何度も乞う。
それを何度か繰り返すと、彼女は覚悟を決めたようにぎゅっと目を瞑った。
「ロスト」
聞こえてきた可愛らしい声が俺の名前を呼んでいることに俺は満ち足りた気分になる。
「うん、ミスティ。好きだよ」
きっと、この恋は綺麗な感情だけじゃない。
現に俺の心には今、彼女を愛しいと思う反面、もうどこにも行かないようどこかに閉じ込めてしまいたいという衝動もある。
それでも彼女を愛しいと思う気持ちに偽りはないから。
「ねえ、ミスティ。キスしてもいい?」
ミスティが「あ、う」と呻いている間に俺は逃げられないように、彼女を囲い込む。
「無言は肯定と見なす」
そうして触れた彼女の唇は、何ものにも変えがたく、どんな果実よりも甘かった。
思わずまた口づける。
彼女はしばらく顔を真っ赤にして呆然としていた。
隙だらけの愛らしいその姿に俺は今すぐミスティを連れ去りたい衝動に駆られる。
そうしたら、俺の部屋でトロトロになるまで甘やかして、可愛がるのに。
ああ、でも、やっとだ。やっと―――
「やっと手に入れた、俺の最愛」
◆◇◆
ねえ、ミスティ。
君は自分ばかりが俺に頼ってるって言うけど、君がいることで俺がどれだけ救われているか知ってる?
もう、俺は君がいなくなることを考えただけでも気が狂いそうになるんだ。
本当は俺も君が嫌った君の父親と同じように、君を一生外に出せないよう閉じ込めて、俺一人に依存すれば良いと思うことだってある。
でも、君の幸せを願うから、君の笑顔を失いたくないから、俺はそんな醜い感情を閉じ込める。
だから、ミスティ。
お願いだ、もう絶対に俺の前から居なくならないで。
きっと、俺はもう君なしでは生きていけないから。
君の優しさが、君の笑顔が、君の瞳が、
君の全てが、俺を掴んで離さない。
それでは皆さん、ご唱和ください。
『似たもの同士のバカップル』
お読み頂き、本当にありがとうございました!