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 暗い部屋の中で目を開けた。自身のぬくもりで十分に温められたらしい布が肌を滑る。どうやら私はベッドに寝ているようだ。


「お言葉ですが殿下、彼女は今日非番なのです。事を急ぐ用事でないのなら、なにも休みの日にまで呼びつけずとも良いのではないですか」


 遠いところで、ハイドラさんの声がしている。


「は? やだ。無理。俺はあいつに会いたいの。今すぐ。どこ? ねえどこなの? 手紙をやったのに帰ってこないし……こんな事なら休みなんてあげるんじゃなかった。まさかこのまま戻ってこないわけない、よね。ちゃんと、俺のとこにっ。やだ……きて、くれない、のかな。俺のこと嫌いになったのかもしれない。きらわれ、あ、あ、いやだいやだいやだいやだいやだあいつにだけは嫌われたくないおいていかないで早く帰ってきて俺のことちゃんと見て一人にしないでお願いはやくはやく」


 話し相手は殿下のようだ。随分と取り乱しているのが声だけでわかる。ぐしゃりと布の擦れる音が聞こえた。私のことを話しているのだろうか。だとしたら殿下のところへ顔を出すべきなのだろうけれど、正直なところ気が進まない。うっかり遭遇するまで様子を見よう。もしかすると私のことではないかもしれないし。


「落ち着いてください殿下。ただ買い物に出かけているだけですし、彼女にも休養は必要です。たまにはゆっくり休ませてやろうとはお思いにならないのですか?」

「うるさい! おまえの意見なんて聞いてないし俺だってそんなことわかってる。でもあいつがちゃんと俺の側にいるって確認しないとだめなの。いいからはやくあいつを俺の前に連れてきて。出来ないなら俺が一人で街に下りて探しに行くから」

「はぁ、わかりました。わかりましたから、殿下は大人しく仕事をして待っていてください」


 ハイドラさんの呆れ声に、殿下が念を押して去っていく気配がする。ドアの向こうで繰り広げられていたらしい会話が終わり、室内はシンと静寂に包まれた。



 そういえば、ここはどこだろう。馬車に乗ってからの記憶がない。うとうとしていたのは覚えているから、きっと眠ってしまったのだろう。ハイドラさんが気を利かせてどこかに運んでくれたのかもしれない。

 暗闇の中どうにか目を凝らす。ぼんやりと浮かび上がるのは、ごく普通のテーブルや本棚、そして私が寝ているベッドだ。誰かの部屋だろうか。それにしては生活感に乏しい気もする。簡易客室、というのがしっくりくる。

 掛けられていた布団をめくってそろりと足を床へ下ろす。絨毯に素足の触る感覚がそわそわとした。首から上を動かして履物を探してみるが簡単には見つけられない。

 仕方がない。腹を括って立ち上がる。眠る前はしっかりと履いていたのだから、どこかにあるはずだ。ひたりひたりと足裏を床に滑らせ部屋の中を見て回る。背伸びをして本棚の上を見上げたとき、ちらりと見覚えのある曲線が目に入った。私の靴だ。手を伸ばす。届かない。はしたないが椅子に上ろうか。肩をすくめて振り返ったちょうどその時、ギギとドアが開いて廊下の光が床に広がった。


「起きていたんだな、おはよう」


 ハイドラさんが逆光の中現れた。私を見て少しだけ驚いたように顎を上げる。私もぱちりと瞬きをして固まった。


「明かりもつけずに何をしていたんだい? この部屋は窓がないから、暗かっただろう」


 思えばそのとおりだ。探しものをする前に明かりをつければ良かった。そういえば窓がないな、なんて言われて初めて気がつく。まだ頭がぼんやりとしているのかもしれない。私はへらりと曖昧な笑みを浮かべて誤魔化すように両手を合わせた。

 靴を探して見つけたが、届かなかったのでなんとかしようとしていた事を説明する。ハイドラさんはそうだったのかと頷くと、申し訳なさそうに頬をかいた。


「あぁ、ごめん。君がここから出ないようわざと届かないところに置いたんだ」


 へ、と間抜けな声がした。誰の声だろうかと一瞬だけ考えを巡らせるが、私が無意識に漏らしたものらしかった。

 ハイドラさんがドアを閉める。重く錆びついた振動が伝わる。廊下からの光が途絶え、部屋にはまた暗闇が満ちた。けれどそれもほんの僅かな間で、かちりと乾いた音がしたかと思えば部屋に明かりが灯る。


「殿下がね、君を探しているから。今日が終わるまでここからは出ない方が良い。君には休息の時間が必要だろう? 歩き疲れて馬車で寝てしまうくらいだ。だから君がのんびりできるようにこの部屋を用意したんだ」


 ぼんやりと、暖かそうなオレンジ色がハイドラさんを照らしている。彼は何かを期待した目で私を見つめていた。気遣ってくれるのはありがたいが、やりすぎではないだろうか。三歩、後ろに足を引きずった。ざらりと絨毯の柔らかい毛が刺さる。

 もともと今日は部屋でゆっくりする予定だったのだ。案じてもらえるのはありがたいが、自室にいれば別段困ることもない。


「部屋にいたら、君は殿下の相手をしなければならなくなるだろう」


 すぐさま反論が返ってきた。それはそうだが、相手と言っても暇を貰っている日は殿下が会いに来るだけで、何かするわけでもないのである。特に負担ではない。

 あれこれと気を使って働くのではなく、ただふらりと何度か顔を見に来る殿下に一言二言答えるだけのことだ。後日ぐずって喚かれるよりずっと楽で良い。ハイドラさんが呆れたように溜息をついた。


「それが異常なんだって、君は分かっているのかい? 俺はね、心配なんだよ、君が。四六時中殿下に付き纏われて、いつか体を壊すんじゃないかって。君は優しいからいつでも殿下を優先させる。だからほら、今日くらいはここで過ごしてくれないか。俺以外の誰も、君がここに居ることを知らない。頼むよ、俺を安心させるつもりでさ」


 それからハイドラさんは戸棚から紅茶セットや菓子類を取り出すと、鼻歌交じりにお湯を沸かした。私はまだ何も言っていない。イエスしか認めてもらえそうにはないけれど。ハイドラさんに隠れてこっそりと眉間にシワを寄せた。

 先程の殿下の様子を思うに、明日はきっと修羅場だろう。憂鬱だ。今から殿下のもとへ急げば光明も見えるところだが、はたしてそれが許される状況だろうか。


「全部俺が用意したんだ。君を癒やすためにね。君は何もしなくていい。ただそこに座って、俺に奉仕させてくれればそれで」


 椅子を引いて促される。とりあえずそこへ腰を下ろせば、にっこりと満足げに見下された。するりと視線で腕を撫でられる。しっかりとした二重の奥で瞳孔が開き輝いていた。触れられたわけでもないのに気恥ずかしくなる。


「本当はずっと俺が君を守って、君の世話をしてあげたいんだけど」


 お湯が沸いていた。


「今はまだ難しいから」


 ハイドラさんは小さくごめんなと目尻を下げた。謝られるようなことではない。そう否定すれば、彼はまた唇だけで謝罪した。

 何か勘違いされているようでならない。殿下のヒステリーハラスメントを健気に耐えるヒロインとでも思われていそうだ。今までの侍女たちはそうだったかもしれないが、私は今のところ平気である。図太い神経だと侍女長からのお墨付きまで貰っているのだ。並大抵のことでどうにかなるつもりはない。

 頭では色々考えていても、結局口に出せることは何もなかった。危うきには近寄らない精神が板についている。


「どうぞ。あぁ、まだ触らないで。火傷をしてしまうといけないから、冷めるまで待っていてくれ。君が普段こんなに危ない仕事をしているなんて、想像しただけで心臓が潰れそうだ」


 蕩ける笑みから悲痛に顔を歪める芸当を見せるハイドラさんに、歯向かう気が起きないのだ。今日をこうして流されるがままに終えてしまえば、きっと明日は面倒なことになるのに。彼に今反抗するのも相応の労力が必要だろう。そんな気力はないし、下手に反抗して余計な軋轢を生みたくない。更に私の悪い癖がでた。勇壮で気品のある男に跪かれてしまっては、悪い気がしないだなんて考えてしまう。


 結局私はされるがままにその真心を浴び、日が沈むまでハイドラさんと過ごした。もう大丈夫だろうと彼に解放され、これからの休みはどうしたら良いのかと内心頭を抱えながら自室に戻る。

 帰った私を待ち受けていたのは、尋常でなく取り乱した様子の近衛たちだった。殿下が街に下りたまま帰ってこない。その知らせに叫びだしたくなった。


ブクマ、評価、感想たいへん嬉しいです。ありがとうございます。

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