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 街に出ていた。活気ある商店主の呼び込み、色とりどりの商品、美味しそうな食べ物の匂い。どれもが動的な熱量を持っていた。

 胸が弾む。それは街の雰囲気にあてられたのと、今日が休日だからだった。


 侍女という役職にも休日はある。正確に何日ごと、あるいは何の日にお休みをもらえるのかは決まっていないが、折を見て適度にというのが一般的だ。大変自由で気楽なものである。

 ここへ来てしばらくが経ち、殿下との付き合い方も我ながら上手くなったものだと思う。日に何度か点呼さながら呼びだされることにも慣れた。殿下に構う時間が減ればいきなり泣かれ、拗ねられ、時には怒鳴られ、かと思えば放っておいてとそっぽを向かれるのも日常になってきている。私そっくりの人形を作ったのだと、ドールを抱きながら嬉しそうに報告された時には流石にどうしようかとは思ったけれど。そんなこんな、発作のようなヒステリーと格闘しながら元気にやっている。



 大通りから一本奥の道へ進む。狭くなった道で器用にすれ違う人を避けていく。すぐに緑色のドアが目に入った。今日の目的地のひとつである。

 足を止めて後ろを振り返る。三歩ほど後ろにハイドラさんが控えていて、片手には先程私が買った品物がぶら下がっていた。

 邸から出発しようとした時に偶然顔を合わせ、彼自ら護衛兼荷物持ちを買って出てくれたのである。当然、殿下に仕える騎士様を私が私用で借りるわけにはいかない。勿論一人で出歩くのも褒められたことではないので、もっと下級の護衛要員数名に声をかけていたのだ。けれど是非と言うハイドラさんの親切を無碍にすることも叶わなかった。遠慮と厚意の駆け引きの末私が折れ、ハイドラさんにお共を頼むことになったのである。


「次はここかい?」


 ハイドラさんが私の前へ出てドアノブを回した。お礼を言って先に店内へ入る。

 シトラス、バニラ、ローズ、イランイラン、サンダルウッド。混じりに混じった空気が鼻をくすぐった。強すぎる匂いだが、嫌になるほどではない。店内の明かりに反射するガラス容器に囲まれたその奥、店主がにこやかにこちらを見ていた。


「いらっしゃいませ」


 渋く落ち着いた声でそう言ったきり黙っている。話しかけてくる様子はない。何度か利用したことがあるが、アドバイスを求めるまで商品を勧めてこないので気に入っていた。

 ハイドラさんが後ろ手でドアを閉めた。その端正な顔を見上げれば、ぴくりと僅かに眉が顰められている。香水の匂いがキツすぎたらしい。申し訳ないので、得意でなければ外で待っていた方が良いかもしれないと提案してみる。なるべく早く済ませますからと頭を下げれば、彼は首を振った。


「いや良いよ、付き合うさ。君を一人にして何かあっては困る」


 そう言って彼は軽くウインクをしてから店内をぐるりと見回す。それから並んだガラス瓶を興味深そうに覗き込む。時折匂いを嗅いでは商品の横に添えられた説明書きを読んでいた。私も横に立って一緒に吟味する。柑橘系から甘ったるいものまで、どれも素敵なので迷ってしまう。いっそのこと容器のデザインで選んでしまうのも捨てがたい。


「やけに熱心だけど、贈り物かい?」


 不意に、ハイドラさんがこちらを向いた。特に香水を送るような間柄の人間はいないので、自分用である。片手に瓶を持ちながらの流し目が様になっている。探る様な視線にいつもと違う色が乗ったように思えたが、気のせいだろうか。


「そっか、良かった。じゃあこれなんかどうだ?」


 鼻先にかすめられたのは優しい香りのする液体だった。果実を彷彿とさせられるトップノートだ。目の前でアイボリー色が揺れた。




 二人で何種類か試した後、結局ハイドラさんが最初に勧めてくれたものを買って店を出た。消耗品から始まって筆記用具、衣類、香水と一気に揃えてしまった。これで今日の予定は完遂だ。


 待機させていた馬車に乗ろうとしたとき、御者が申し訳なさそうに手紙を差し出してきた。誰からかと問えば王宮の使用人が持ってきたらしい。殿下絡みだろうか。良い報せの気はしない。中身を読んでいないので、私とハイドラさんのどちらに宛てたものかは分からないらしい。

 とりあえず受け取ろうとすれば、横から逞しい腕が伸びてきて手紙を攫った。ハイドラさんだ。彼は流れるように封を切って手紙を一読すると薄く笑う。軽蔑を孕んだその表情に、私の知らない彼の一面を見た気がした。そのままハイドラさんは懐から火元を取り出すと手紙に火をつけてしまった。あっという間に炭になる。驚いて彼を見上げれば、悪戯っ子のように口笛を吹いている。何が書いてあったのだろう。気になって尋ねると彼は迷った風に顎を触って呻った。


「うーん、大したことじゃないよ。あー……俺がこうしてサボってるのがバレてしまったってだけ」


 若干の間に違和感を覚えるが、噓をつく必要なんて無いのだからただ言いにくかっただけなのだろう。付き合わせたばかりに申し訳ない。それならば早く宮の敷地に戻ろうと馬車に乗った。



 思っていたよりも歩き疲れていたのか、馬車の揺れと相まってうつらうつらしてしまう。どこからともなく漂ってきた甘い匂いが心地良い。お菓子ではく花の、百合のような甘さだ。近くに花畑なんてあっただろうか。

 邸まではそう遠くない。それまでの辛抱だと懸命に眠気と闘っていれば、向かいに座ったハイドラさんがクスリと笑った。


「寝ていなよ。着いたら起こしてあげる」


 穏やかな声に撫でられている気分だ。その安心感に甘えそうになる。けれど人前、それも異性の前で寝るなんてはしたない。淑女としての矜持がなんとか否定の言葉を紡がせた。ハイドラさんは困った妹でも見るかのような眼差しで眉を下げる。


「大丈夫。寝ている間も俺が側で君を守っていてあげるから、安心して」


 そんな心配はしていない。そう伝えたくとも首を振るだけで精一杯で、抗えない睡魔に瞼も口も重くなる一方だ。

 ハイドラさんは自分の隣にあったクッションを掴んで私の横へ積んだ。それから自然な動作で優しく肩を掴まれる。だらりと緩やかな引力に身を委ねれば、いつの間にか座席で横になっていた。


「本当に無防備だなぁ、だから心配なんだ」


 頭にハイドラさんの大きな手のひらが触れた。じわりと慈しむように撫でられる。視界が暗くなる。瞼は完全に落ちていた。


「俺だから良いけど、男の前でこんなに可愛い寝顔を晒して……君には危機感が足りないな」


 前髪に触れていた指先が鼻筋を滑る感覚がした。くすぐったい。身じろぎをしたいのに、身体はぴくりとも動かない。そんな中でハイドラさんの声だけは、頭に響くようにしっかりと聞こえた。


「今日の護衛だって、俺が一緒に行くと言わなければあの下級騎士共を連れて行くはずだったんだろう? あんな奴らに君を任せられるはずがないじゃないか。君を守れないどころか、何をしでかすか分かったものじゃない」


 兄のようだったハイドラさんの声が熱を帯びてきた。雲行きが怪しい。

 温かな指が頬を滑る。振り払おうとするには遅すぎた。腕はおろか瞼さえ持ち上げることができない。


「だいたい、俺は君が刺繍をしている時だっていつその可愛い指を針で刺してしまうか気が気でないし、水や食事を運んでいる時だって転んでどこかその柔肌に傷をつけてしまわないか心配なんだ。それなのに毎日毎日、あの気狂い王子から酷い目にあわされて……今は平気だろうけど、そのうち暴力を振るわれるかもしれない。可哀想に、やっぱり俺が付いていてあげないとだめなんだ。ああ、君がずっと俺のーー」


 そこから先は聞こえなかった。ハイドラさんの声がフェードアウトしていく。この妄想が過ぎたような台詞だって、眠りから覚めた私はきっと覚えていないのだろう。

 意識がばつんと途切れた。


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