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 カーテンを引っ張れば小気味良くシャッと空が開けた。清々しい朝である。

 ぐずる殿下の話を聞いたその日、それ以上は何もなく、殿下も私も大人しく仕事に戻った。ステラさんに殿下の様子が変わったことを伝えれば、耳打ちで優しくしすぎない方が良いわよと忠告してくれた。

 私もそう思うのだが、出来るかどうかはまた別の問題だ。あの綺麗な顔を切なげに歪められてしまえばつい甘やかしたくもなるだろう。その場しのぎの保身にもなるのだから尚更だ。


 夕食は別の侍女が持っていった。その際に殿下が次からは私に持ってこさせてほしいと希望したらしく、それを聞いたステラさんが心底同情した様子で私の肩を抱いてくれた。私としては特に困ったことでもないのだけれど、他の人にとっては違うようだ。顔が良いので許せる範囲だ。

 緩慢に身支度を整えてから鏡の前でくるりと一周した。殿下の起床は普段あまり早くないらしい。そのお陰で私の朝もこの前までより遅い。早起きは得意でないから有難かった。


 すれ違う方々に挨拶をしながら殿下のいる寝室に向かう。ドアの向こうから目覚ましの声をかけるためだ。昨日まではステラさんの役目だったのだけれど、私が殿下の個性的な性格にたいしたダメージを受けていないと知るやいなや、彼女は喜々としてその仕事を私に託した。その代わり、殿下の着る服は彼女が見繕ってくれるらしい。それを持っていくのは例のごとく私だけれど。


 寝室のドアを軽く叩く。短いノックが響いただけで、室内からは何の返しもない。もう一度、先程よりも気持ち強めに手の甲をドアへと打ち付けた。呼びかけてみる。それから黙って三度呼吸をしてみたが一向に起床した様子はない。

 さて困ってしまった。無遠慮にこのドアを開けるには勇気が足りない。信頼関係のしっかり築けた主従ならまだしも、出会って二日の侍女が殿下の寝室に入るなんてどうかしている。そもそも鍵がかかっているだろう。それでも私はどうにかして殿下を起こさなければならないわけで。

 大声をあげるしかないのだろうか。淑女としての恥じらいと葛藤する。ううん、と頭を悩ませていれば丁度廊下の向こうから護衛の騎士がやってきた。陽の気配を溌剌に振りまきながら、ハイドラと呼んでくれなんて甘いマスクを近付けられたのは記憶に新しい。


「おはよう。殿下の目覚まし役は君になったのかい?」


 そのはずなのだけれど。爽やかな挨拶に歯切れ悪く返す。ちらりと首だけドアを振り返ってから、情けなく眉を垂らした。ハイドラさんはそれだけで合点がいったらしい。ニカッと歯を見せ爽やかに笑った。


「ああ、分かった。殿下は寝坊か。大丈夫、よくあることだ。よくあるっていうか、まあいつものことなんだ。少し間を開けてからまた声をかければいいさ」


 とても軽い調子に拍子抜けする。それで良いのだろうか。ふむ、と手のひらを首にあてる。安心しない様子の私に彼はステラさんもそうしていたのだと続けた。周囲の人間は殿下の寝坊に慣れきっているようで、大切な公務も午後に入れることがほとんどらしい。なるほどそれならば大丈夫かもしれない。


「普段の仕事だって、誰も殿下に期待していないしな」


 肩をすくめつつ説明をしてくれたハイドラさんは、不敬極まりない発言を残して去っていった。残された私は茫然とその背を眺めていたが、このままドアの前で棒立ちしていても仕方がないと思い直す。先に朝食を済ませてしまおう。うんともすんとも言わない寝室に背を向けた。



 厨房に声をかけ朝食を貰う。ラウンジか自室まで持っていきましょうかと気を使ってもらったが、すぐ側の食事スペースで頂くことにした。ここに勤める者であれば皆利用可能だそうだ。他の人々はもう食事を済ませているようで、幸い今は誰も部屋を使っていない。変に使用人と一緒になって堅苦しい思いをさせる心配もなさそうだ。


 一人きりの食事は慣れない。今までは家族や侍女仲間が一緒だったのだが、もう違う。ここでお互い気兼ねなく食卓を囲めるのはステラさんくらいだろう。もっとも、その彼女は未だ夢の中らしいけれど。


「あれ、さっきぶりだね。どうも、お嬢さん」


 黙々と朝食を飲み込んでいれば、明るい調子でハイドラさんが入ってきた。手にはサンドイッチのお行儀よく入ったカゴがある。彼も朝食か、と思いきや間食に来たらしい。


「ご一緒しても?」


 ハイドラさんは恭しく私の前に陣取った。丁寧に尋ねるわりには遠慮がない。もちろん断る理由もない。そればかりか一人で食べるのは味気ないと思っていたところだ。そう言ってはにかめば、ハイドラさんも嬉しげに破顔した。

 天気や気候の話題から最近あった仲間の笑い話まで、なんでもない話をした。ぽんぽんと言葉が飛んでくる。話上手な人だ。食器が空になる頃には私もすっかり楽しくなっていた。


 そろそろ仕事に戻る時間になったので、どちらからともなく席を立つ。ハイドラさんのカゴもついでに返しておこうかと提案したが、騎士は女性に用事を押し付けたりしないと断られてしまった。こちらが気にしなくとも、彼が気にするのかもしれない。

 厨房まで一緒に戻って器を返却する。ハイドラさんはこれから鍛練をしに行くらしい。別れ際の社交辞令を交わして彼を見送った。


 そろそろ殿下も起きた頃だろうか。もう一度目覚ましに行こうと踵を返す。廊下の曲がり角、誰かに手首を掴まれた。ひんやりとする。何事だとその白い指先の主を見上げれば、寝室にいるはずの殿下だった。


「何してたの」


 淡々と、平坦な振動が鼓膜を揺らした。驚きに声も出ずただ殿下を視界に収める。おそらく寝間着だろう格好のままだ。迷子のような表情で、殿下はぐりりと私の手首を握る力を強めた。正直言って少しだけ痛い。


「どうして起こしに来てくれなかったの? 朝から俺なんかには会いたくなかった?」


 私が何か言うよりも早く殿下が不機嫌に詰問した。とんでもない誤解をされているらしい。ふるふると首を横に振る。けれど目の前の見えていない殿下には無効だった。


「主の俺を放っておいて、自分は他の男と逢瀬? そりゃあ俺みたいなのといるより楽しいだろうね。でもだめだよ、おまえは俺の侍女なんだから、ちゃんと俺を優先して。それとも昨日の優しいおまえは嘘だった?」


 畳み掛けられる。どうやらハイドラさんと話しているところから見られていたらしい。何を以て逢瀬だと思ったのだろうか。殿下の定義がわからない。どうして殿下の機嫌が悪いのか思い当たらず目眩がした。

 それはそうと、そろそろ手首が限界を迎えそうだった。いつぽきりと音が鳴るか気が気でない。痛いので離してほしい旨をしどろもどろに伝えれば、何を思ったのか指を絡め取られた。痛みからは開放されたが、今度は何だ。


「ねえなんで? なんで俺の側に居てくれないの? どうせ俺なんかよりあの騎士の方が良いんでしょ。分かってるよ、面倒だもんね、俺なんて。そうでしょ」


 しゅん、と殿下は力なく媚びたように無理矢理な笑みを作っている。面倒なのはたった今痛感しているけれど、顔の良い生き物に私は弱い。殿下の顔を覗き込む。顔色も悪く寝起きであるのに麗しさは損なわれていない。

 絡め取られた指に逆の手を重ねる。殿下の冷たい手を挟み込みながら謝罪の言葉を口にした。一度起こしに行ってからの経緯を丁寧に説明する。それでも信じられないと謎の意固地を発揮する殿下をなんとか宥め賺して寝室へ戻した。


「明日からはちゃんと起こしてよ。中まで入ってきていいから」


 いまいち機嫌の直らないまま、殿下がそう言って私に鍵を差し出した。おそらくは寝室の鍵だろう。すぐさま畏れ多いことだからと辞退する。こんなものを貰って殿下に何かあったら疑われるのは私だ。そんな事態は避けたい。脳内会議で満場一致。否の文字が踊っていたというのに、形の良い眉が寂しそうに寄った瞬間私は頷いていた。


「良かった。俺が目を覚ますときは絶対側にいてね」


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