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 殿下は案外すぐに見つかった。中庭の、あまり日の射さないところ。普段は誰も使わないようなベンチに腰掛け、きゅっと小さくなるようにして彼は俯いていた。

 わざと少しだけ大袈裟に足音を立てて近付いていく。殿下はひくりと微かに反応を見せたが、その頭や体がこちらを向くことはなかった。

 さて、なんと声をかけたものか。適当に気遣う様子を見せてさっさと戻ってしまいたいのだけれど、果たしてそれで殿下の機嫌が回復するかと考えれば否である。結局続ける言葉も見つからないまま殿下の名前を呼ぶだけにして、隣に腰を下ろす。喉を引き攣らせたのか、息を吸い込みそこねた音が短く聞こえた。


 戻りましょう、と溜め息混じりに囁く。殿下の反応はない。早いとこ機嫌を直してヨシュア様のお見送りをしてもらわなければいけないのに。実兄とはそんなに折り合いが悪いのだろうか。

 下を向いたまま動こうとしない殿下にとりあえずの繋ぎとしてあれこれ話題を振る。軽い注意から慰め、関係のない空の様子までなんとか話しかける材料を探した。けれど殿下からの返答は、時折私のドレスの裾を弄ぶくらいしか貰えない。聞こえてはいるようだが会話をするつもりはあまりないらしい。

 段々と話しかける言葉も尽き、面倒になってきた。だいたい昨日の夜は良い子にするからとあんなに殊勝な態度だったではないか。


「ああもう、うるさい。話しかけないで。向こう行って。そんなにお喋りしたいなら、おまえだけあいつのとこに戻って楽しくしてなよ」


 うんざりしていたのは彼も同じだったようで、いくらか続けていればついに刺々しい台詞とともに睨まれてしまった。お言葉通りそうしたいのは山々なのだが、仮にも私は殿下付きである。主人を放っておけば職務放棄とみなされてしまうのだ。それは避けるべきだと知っているから、彼だけを置いて去るという選択肢は無い。しかし下手に言葉を返すこともできずにおろおろと困った表情を浮かべていれば、私から反撃がないと踏んだのか殿下の口が勢い付く。


「だいたいさ、守るわけないでしょ。良い子にしてる、なんて約束。いい子じゃないもん。俺は。いい子でいられた(ためし)がない。死ぬほど周りに迷惑かけて生きてんの。おまえだって分かってるよね。今戻ったところでどうしろっていうの? あいつと仲良くお喋りでもしてればいいの? おまえみたいに。……無理だよ。できない。最初からいい子にするつもりなんてなかったし。昨日はね、ああ言えばおまえが甘やかしてくれると思ったから言っただけ。約束なんて大嫌いだ。誰も守ってくれないから。いつもそう。ずっと。誰も守ってくれないんだから、俺が守る必要もない。そういうこと。分かったでしょ? 頑張って俺を説得しようとしてるみたいだけど、無駄なの」


 分からない。声が小さく、いつもより幾分早口であったので半分程度しか聞き取ることができなかった。なんとなく察することができるのは、不満をぶつけられているということくらいか。機嫌は良くなるどころか悪くなる一方で、いよいよ泥沼だ。


「なに、その顔」


 そんなことを考えていた私の表情が気に食わなかったのか、殿下はギッと唇の端を噛むと私の首を掴んだ。全く息のできないほどではないが、痛くて苦しい。


「言いたいことがあるなら言えば? どうせ、付くなら俺よりあいつの方が良かったな、とか思ってるんでしょ」


 強まる力に必死で首を振る。思っていないと言おうとしても首を絞められていては上手に返事ができない。それでも殿下には通じたようで、彼は少しだけ目を細めた。


「……ふうん。ま、そう言うしかないよね、こんな状況じゃ。俺ね、ちゃんとおまえのこと見てたから分かる。俺よりあいつの方が良いんだよね、おまえも。あいつもおまえのこと気に入ったみたいだし、丁度良いんじゃない? いいよ、俺から逃げたいなら逃げても。俺なんかに付いてたって良いことないもんね。ほら、言いなよ。”レオン様付きからはずしてください”って。今なら言えば叶うかもね」


 ぐらりと頭の揺れる感覚がする。辛うじて口を開いたが、返事の代わりに唾液が漏れた。どくどくと締められた箇所が脈打っているのが分かって、パニックになりそうだ。


「言いなよ、言って……言えってば!」


 焦れた殿下に怒鳴りつけられた。滲む視界の中で、殿下の歪められた顔だけがよく見える。苦しそうに怒って、今にも泣きそうな表情である。泣きたいのは私の方だ。

 兎にも角にも、首を放してもらわないことには返事もままならない。必死で殿下の手を引き剥がそうと力を入れるが、徒労に終わった。それどころか、もがけばもがくほど強く締められていく気がする。

 何もできないと悟ったので、だらりと体から力を抜いた。ぐらりと背もたれに寄りかかるようにして首を上へとそらす。苦しいなあ。空が、青くて白い。

 すぐさま首を覆う力が弱まった。


「あっ、ちが……ごめっ、ごめん……俺、そんな、つもりじゃ」


 殿下が焦った様子で私の背を擦った。そんなことをしてもちっとも楽にならないどころか鬱陶しいのだけれど、もう振り払う気力すら私には残っていない。自分でもよく分かるくらいに大きく上下する肩と胸をなんとか落ち着けようとしながら、殿下を視界にとらえる。憎たらしいほどに綺麗な顔が、動揺に塗れていた。

 呪詛のひとつでも吐きたいところだが、人を貶める言葉なんて咄嗟に出てくるようには教育されていない。それでも首を絞められたことに黙っているわけにもいかず、軽い非難の言葉を投げつけようと口を開く。


「まっ、ごめ、やだっ、やめて! ごめん、ごめんなさい。お願い、やめて。嘘だから。今の、全部、嘘……だか、ら。辞めないで。う、お願いだから。何も言わないで。俺のこと嫌いにならないで。離れていかないで。あいつの所に……いっ、行かないで。俺の、俺の侍女でいて」


 私が開けた口から何か言うよりも先に、殿下が勢いよく肩口に頭を擦り付けた。サラサラとした髪がくすぐったい。逃れようとすればさらに押し付けられ、追い込まれていく。


「酷いことしたの、わかってる。もうしない……から。あ、謝る、から。許して、うえ、ごめんなさい、お願い、だから」


 私の声など聞こえていないようだ。背もたれと彼の頭に体を挟まれ、身動きが取れない。辛うじて自由な左手を自分の肩と殿下の額の隙間に滑り込ませた。このまま引き剥がそうと思ったのだが、力を込めた途端ずるりと手が滑った。殿下の前髪を攫っていく。はらはらとばらけた髪は私の手が過ぎると多少乱れて元に戻った。


「もっと」


 もっと? 意図が理解できずに滑った左手を所在なくさ迷わせていれば、ぐいと殿下がそれを掴んで自身の額に持って行った。

 なるほど。撫でられたと思ったらしい。命令のままに彼の額から後頭部までを撫でつける。しばらくそうしていれば満足したのか落ち着いたのか、殿下はおもむろに体を離した。わざとらしく口端を吊り上げて立ち上がる。


「どこにもいかないよね」


 質問というよりは確認をするように、殿下は私を見下ろす。いや、言質を望んでいるのか。こくりと私が頷いたのを認めると、彼は満足そうに踵を返し邸内へ入っていった。慌てて後を追う。彼はちらりと私を見て鼻を鳴らすと、分かっているとでも言いたげに応接間へと足を向けた。ご機嫌取りには成功したらしい。

 その後、殿下は半ば強引に追い出すようにヨシュア様のお見送りをした。前々の態度を考えれば褒めても良い出来だろう。邸内になんとなくほっとした空気が漂ったのは言うまでもない。こうして、私たちは第二王子の訪問というイベントをなんとか乗り切ったのだった。


 第一王子――王太子の訃報が国中を震撼させたのは、それからすぐのことである。


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