1 雨降りの街の噂
雨降りの街『インベル』
常に雨が降り続けている街の名前。
月に一度の夜だけ、雨が止む。
「ギ……ギィ……」
ぐちゃぐちゃと何かを咀嚼する音と、耳をつんざく悲鳴が聞こえた。
自分の目の前で、若い女が怪物に襲われている。
黒い怪物の触手に何度も殴りつけられ、ぼろ雑巾のようになった女が自分に助けを求めている。
しかし、助けようにも恐ろしくて足がすくんでしまっていた。
「あ……ああ……ごめ、なさ……」
僕は思わず女を見捨てて逃げ出した。
女の悲鳴が僕の耳に響いたけれど、あまりに怖くて振り返ることもできなかった。
怖い、怖い、怖い。
今日がその怪物が出る日だなんて聞いてない。
なんで僕が、こんな目に合わないといけないんだ。
何も悪いことはしてないのに、僕は前も見ないで必死に走る。
「うわっ!?」
「きゃあっ!」
急に頭のあたりに鈍い衝撃が感じられた。
何かにぶつかってしまったようだ。
慌てて顔をあげると、自身がぶつかったものが派手に地面を転がっていた。
「あ、す、すまない……大丈夫か?」
それは背の低い少女のようだった。
僕は急いで起き上がり、手を差し出す。
フードを被った小柄な少女はおずおずと僕の手を掴んで立ち上がった。
フードの隙間から長い桃色の髪と赤の瞳が少しだけ見えた。
「えっと……ありがと。急にごめんなさい、私、急いでて……」
少女はフードを目深にかぶりなおすと、僕に向かってぺこりとお辞儀をして踵を返す。
「待って! そっちは怪物が……っ!?」
僕が少女の腕をつかんで止めた瞬間、既にその怪物は僕たちの眼前に迫っていた。
黒い髪に黒い瞳、右目からは得体のしれない泥のようなものが耐えず流れ落ちている。
片方だけ残った黒い瞳をぎょろりと動かし、背中から生えた触手を蠢かせていた。
そして、僕と少女を値踏みするかのように見下ろしていた。