それだけなのに
食後のデザートまで頂いた私は、明日の仕事に向けて資料を纏める。
パソコンに向かって作業をしていると、抜けている部分や訂正点、そして分かりにくい箇所の指摘を心桜に受けて、修正を進める。
「心桜って意外と賢かったりする?」
天音が早めのお風呂に入っている為、人の目をはばからずに心桜に話し掛ける。
「んー、大して賢くないですよ。あ、でも中学と高校で全国模試六年一位でした。海外からも大学の入学を誘われていましたが、付いて行けないと思ったので、お断りさせて頂きました」
「どうりで研究の指揮が間違ってても指摘できる訳だわ。あなた天才なのね」
「とんでもないです。賢いと勉強が出来るは全く違いますよ、私は勉強が出来るの方なので」
「そうかー。確かにそこを勘違いしてる人は多いかもね、大抵の人は勉強が出来るの部類だから。でもあなたは明らかに賢い方だけど」
心桜が突然テレビに裏に逃げ出すと、風呂場から天音の声が飛んで来る。
「みーちゃん寝巻き忘れたー」
パソコンを机に置いて間違えて買った大きなワイシャツを持って、ドアから顔だけ出している天音に渡す。
「別にその貧相な体を誰も見ないけど」
「サーンキュ! 貧相? みーちゃんには勝ってるから大丈夫」
「ほぅ。私は最近漸くAになりそうだけど?」
「あ、ごめん、もうCに突入しましたー」
「な、いつの間にそんなに置いてかれた」
敗北感が私の肩に腕を回して、ずっとどうでも良い話を聞かさせられている様なだるさがのしかかり、ソファーに向かってうつ伏せに飛び込む。
誰かに頭を優しく撫でられる感覚がして頭を上げると、手を引っ込めた心桜が困った笑顔を浮かべていた。
「それが実体化。世界で一番に霊関係の研究が出来るかも、まぁすることは無いだろうけどね」
不満がある滲み出た顔で風呂から上がった天音は、私のお腹の上に座って頬をべしべしと叩く。
「どうしてもっとまともな服が無いんですかー、そっちのジャージ貸してよ」
「そもそも天音が持って来てれば借りなくても良かったでしょ。予備のジャージがもうひとつあったけど探すのは面倒だし」
「探してよー、みーちゃんのジャージ貸してよー」
「煩い煩い、つい最近成人式に使った振袖あるから、それでも着てれば?」
「寝れないでしょ」
「帰って来て疲れたーって寝転がったら寝れたけど。腰が痛くて後悔した」
「それは床で寝たからだと思う」
「嫌ならそのままで」
「もう諦めますー」
「寝て寝て」
「寝るって、もう子どもじゃないし」
ソファーの背凭れを倒してベッドにした天音は、数秒で深い睡眠に落ちる。
特技に加えても良いくらい眠るのが早い天音は、一度寝たら余程の事がない限り起きることは無い。
その隙に心桜との時間を作ろうとテレビの方を見ると、既に目の前に立っていた。
「同じ考えだったの」
「うん。その前に胸の所のチャック上げてもらって良いですか? 小さいとあれなので」
自分の胸元を見ていると、確かに開いている所から見えそうになっているが、同性なのに気にする事も無いだろう。
てか小さいってさらっと酷い事を言われたのに漸く気付いたが、天音みたいに悪意は無かったから一回目は許す。
「同性なのに気になるの?」
「私は男ですよ。覚えてないのですか?」
「んえ? 覚えてないのですかって、会った事無いと思うけど」
「やっぱり覚えてないんですね。想い出さえ消え去ってしまうんですね。私は九条心桜です、聖聖冬さん。同級生で小中高そして大学も全て同じだったんですよ」
「待って、大学って私はアメリカだけど」
蒼い猫の人形を胸で抱き締めた心桜は、私の隣に座って額の前髪をたくし上げる。
眉尻辺りに深い切り傷の痕が残っていて、恐らくは一生消えない傷と思われる。
だが、その傷を見ても私は全く思い出す事がない、そもそもこんな可愛い子が男なら、余程のショックでも無い限り忘れる筈も無い。
「女っぽいからってこんな格好させたのは、聖冬と鈴鹿だよー。それから私は私服とかもこんな服になっちゃったけど」
「知らないわ……鈴鹿、鈴鹿」
机の上のスマホを手に取って鈴鹿に電話をするが、忙しいのか出てくれない。
心桜は机の上の髪飾りを手に持って、私の前に差し出す。
「この髪飾りは三人で買ったんですよね、ヴェネツィアでの旅行で。聖冬さんが青色、鈴鹿さんが赤色、私が緑色。水晶のようになっていて虚空に翳すと綺麗なんですよね」
「目的は? 貴方は何が目的なの、やっぱり今まで見てきたのと同じ種類の……」
「違います! 私は唯覚えていてほしかっただけです、何をするのも貴女とが良かった、それだけなのに。貴女は私を忘れた、この部屋に来るのは知らない人ばかりで……」
「はぁ、少しだけ思い出した。帰りに事故に遭って鈴鹿は軽傷、私は……」