夏の空を見上げている
春の陽気な日差しに照らされて、眠気が襲来する。
予想通り多くの人が並んでいて、軽く一時間は掛かりそうだった。
日傘の下に居るから良いものの、直射なら確実に五分で倒れていただろう。
昨日までは微妙な温度だったが、今日は突然暑くなってきた。
鈴鹿の背中に凭れてスマホを弄っていると、唯一の友人から電話が掛かってくる。
「聖冬です」
「聖冬さん良かった。今すぐ来てくれませんか」
「えー。一大事?」
「かなりです。被検体が」
「分かった。すぐに行くから」
通話を終えて鈴鹿の方を向くと、既にこちらを見ていた。
「行って来いよ。私はこの生意気なのと食べてるから、こっちは任せとけよ」
「ありがと、帰りも遅くなると思うから……」
「分かってる。残念ながら私は仕事があるから、友人に頼んで良いか?」
「鈴鹿が呼ぶ人なら信用出来る」
「分かった。気を付けて行ってこいよ」
列を抜けてタクシーを拾い、研究所まで最短で向かってもらう。
料金を払って研究所に駆け込み、白衣を着て全身の除菌を終える。
部屋に入ると、上下上がすぐ立っていた。
「響夜さん。被検体は全滅?」
「一番死亡、二番と三番も同じく。四番は危篤状態です、五番が唯一の成功です」
「本当に五番の猿が成功したの?」
「ぼ、僕も正直実感が無くて、だから聖冬さんに来てもらって……成功ですよね」
五番のパソコンを確認すると、体の健康状態の詳細がしっかりと送信されている。
他のパソコンを確認すると、文字になり損ねた暗号や、数式がぐちゃぐちゃのデータが送られて来ている。
「響夜さん、成功してる……」
「本当ですか! やったー! ここまで約六年頑張って来た甲斐がありましたね!」
飛び跳ねて喜びを表す響夜は、私の手を握って飛び跳ね続ける。
「一先ずやったけど、これから失敗は許されない完璧を求められる事になる、それまで気を抜かないでよ」
「こんな時くらい素直に喜びましょうよ。高校生から青春を捨てて取り組んで来たんですよ、あの時の努力も全て無駄じゃなかったんですよ」
「御免……まだ実感湧かなくて喜びが来ない」
「大丈夫ですよ、僕だって聖冬さんが来るまでずっとそうだったんですから。他の人にも伝えて来ます、プロジェクトリーダーの聖冬さんに一番に伝えようと思って、休憩中の皆をまだ呼んでないんですよね」
小走りで部屋から出て行った響夜を見送って、五番のパソコンの解析を進める。
「完璧に出来てる。後は強度と正確性をより向上させる、もうひとつの方も進展があれば良いけど」
椅子から立ち上がって隣の部屋に行くと、なかなか上手く行っていないようだった。
元の部屋に戻ると全員が集められていて、五番のパソコンを見た瞬間、一斉に手を上げて歓喜の声を上げる。
その光景を見てもうひとつの部屋に戻り、改善点などを探して、色々と案を出していく。
作業を始めてから七時間後、隣の部屋ではまだ熱が冷めていないらしく、時々響夜が万歳と叫ぶと、他の皆も万歳と叫ぶ。
「疲れているだろう、珈琲を置いておく」
「有難う御座います」
隣の部屋から誰か来たのかと思い顔を上げると、朝警察に突き出した不審者がお盆を持って立っていた。
「この珈琲先にひと口飲んで下さい」
「毒が入っていると?」
「それを確かめさせる為にそう言ってるんだけど」
「それもそうだな、ではひと口失礼する」
そう言ってカップを受け取った不審者は、カップの中の珈琲を口に含むと、すぐに吐き出す。
「汚い」
「苦いのは苦手なんだ、君は砂糖要らないかなーなんて思ってさ」
「残念だけど苦いのは飲めない」
「おや奇遇だ、私も飲めない」
「それは今見た」
「そうだね」
にこにこと不気味な程崩れない笑顔を向けて来る不審者は、床に吐いた珈琲を片付ける。
危害を加えるでも無く、吐いたものをきちんと片付けるこれは、恐らく悪い人間ではないのだろうと思う。
だが人の部屋に勝手に上がり込んで、勝手に柔らかい寝心地の良い膝枕をしていた、有難う御座います。
黒いロングスカートに黒いストッキングを身に着けている不審者は、机に座って足を立てる。
「いくらロングスカートでも、暑いからって捲ってたら中見えますよ。こちらとしては目の保養になるので助かりますけど」
「私は男だぞ。まぁ、私なんかで良ければいくらでも見せるぞ」
「なら女装って事? その辺のより断然保養になる、下手にメイクしてるのよりも遥かに美人。本当に男なの?」
「小さい頃から男と認識された事は無いし。男装しててもスカウト受けるし、女装に切り替えたらこのザマだな」
「それは良いけど、付き纏う理由は?」
「同じ研究者として観察しようとね。君の思想は素晴らしい。あ、私は九条友希だ」
半分聞き流そうと思っていたが、意外な名前が出てきた事から、意識がそちらに持ってかれる。
「綺麗な星だ、外に出ないか?」
「ここじゃあれだし、別に良いけど」
「決まりだね。行こうか」
白くて細い手に引かれて、研究所の外に出る。
「連絡はしなくて良いのか? 君の友人に、あの良い人だよ」
「ん、しとく」
スマホをポケットから取り出して、鈴鹿に電話をする。
「どうした、迎えか?」
「んん違う。やっと最終段階に研究が進んだの、一匹だけ成功してて」
「本当か? 空を見てたら何かそんな気もしてたけどな、一番最初に目に入ったのが一等星だったからさ」
「何それ、理由になってないし。もう少しだけ残ってくから、んー……大体十時位かな」
「迎えは任せとけ。と言っても私じゃないけどな、電話番号は送っとく。じゃあ、仕事に戻らないと」
「うん、ばいばい」
友希の方に向き直ると、既にその場に姿は無かった。
ふらっと来て勝手に消えるのは、まるで猫みたいだ。
友希の立っていた場所に落ちていたデバイスを拾って、研究所内に戻る。