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いつもより少し短めです。
「では早速今日からサラさんにはこちらに住み込みで働いていただくことになりますので、諸々のことをご説明させていただきますね」
「ちょ、ちょっと待ってください。ルードヴィヒ殿下の侍女になることは了承しましたけど、今日からなんて困ります」
このままうっかり場の雰囲気に流されて、フェリクスの言葉に頷いてしまいそうになったが、王族やその側近だからとこの2人に遠慮をしていたら、サラの意見などあってないようなものにされてしまいかねない。
「店をしばらく留守にするお知らせもしておきたいですし、準備のために一度家に帰らせていただきたいのです。
そもそもお客さん相手の商売で、突然店を数ヶ月も閉めて留守にしていたら、戻った時に仕事がなくなります」
仕事がなくなれば食べていくことだってできなくなるのだから、サラにとって死活問題だ。
今後の生活のためにも、しっかりと自分の意見を言っておかなければと、サラはお腹に力を込めた。
話を聞いたフェリクスは、少し考えるような素ぶりをしていたが、ルードヴィヒは頑として首を縦には振らなかった。
「店を留守にする触れはここからでも出せし、生活に必要なものは全てこちらで揃える。
そうすればお前が家に戻る必要はないだろう」
「いえ、ルードヴィヒ殿下のお手を煩わせるわけにはいきません」
「まあまあ、サラさん。殿下もそう仰っていますから」
サラの肩に手をかけてニッコリと笑顔を浮かべるフェリクスもサラを家に戻らせるつもりはないようだ。
笑顔に含みを感じる。
「…もう、逃げようなんて思っていませよ」
「お前が逃げ出したら、どこまででも追いかけてやる」
フェリクスは何も言わずにニッコリとしているだけで、今度はルードヴィヒがニヤリと笑ってみせたが、その目は全く笑っていない。
サラだって逃げ出せる段階だったのならば、既に逃げている。
しかし、ルードヴィヒのしおらしい態度には騙されたが、話していた内容に偽りがないことはわかっている。
このままサラが逃げれば、ルードヴィヒは確実にすぐに死を迎える。そんな人を置いて逃げるほどサラは薄情ではない。
それに王太子であるルードヴィヒにそう言われてしまえば、それ以上サラが食い下がることはできない。
「ルードヴィヒ殿下のお心遣いに感謝いたします」
まるで心のこもっていないお礼を伝え、あれよあれよという間にフェリクスに今後のことを説明された。
侍女のお仕着せを渡され、侍女としての仕事は明日からとなった。
他にもフェリクスは何か言っていたが、疲れと緊張でほとんどサラの頭には入ってこなかった。
見かねたルードヴィヒによって長旅の疲れを癒すようにと言われ、今は与えられた部屋のベッドに倒れこむように横になり、深いため息をついていた。
「こんな状況で誰が疲れを癒せるのよ!」
たしかにベッドはサラの家のものよりもふかふかで、気持ちのいいリネンが使われているので体の疲れは癒せそうではある。
しかしそれ以上に疲労しているのは、サラの精神だが、その疲れは全く癒せそうにない。
「そんなに逃げ出すと思われているのかしら。
…嫌なことでも一度やると決めたことは、途中で投げ出さないわよ」
明日からは、たくさんの人と関わりながら働かなければいけないと思うと、正直なところ気が重い。
逃げ出しても、何も解決しない。
それにルードヴィヒは地獄の果てまでも追ってきそうな顔をしていたので、どの道逃げることはできなさそうだ。
幸い一人部屋なので、愚痴だろうがため息だろうが聞いている人はいない。
もうこのまま不貞腐れて眠ってしまおうかと思っていたところに、控えめなノックの音が響いた。
「サラさん、起きていらっしゃいますか?」
「はい。今、開けます」
フェリクスに声をかけられ、慌ててベッドから起き上がりドアを開けた。
「どうされたんですか?」
サラの部屋は他の侍女たちの部屋からは少し離れた場所にある。
しかし、フェリクスが来たということはルードヴィヒ絡みの内容で間違いない。
「さあ、行きますよ」
「へ?今からどこにですか?」
こんな時間に訪ねてきたフェリクスを不思議そうに見てしまった。
サラのその表情と少しはねた髪を見て、フェリクスは苦笑いするしかなかった。
「お疲れのところ申し訳無いのですが、サラさんのお仕事の時間です」
「わかりました」
サラは引き受けた以上はどんなに愚痴を言っていたとしても、しっかりとやり通すつもりでいる。
すぐ表情を引き締め、支度を簡単にして部屋を出た。
どんな通路を歩いているのかサラには分からなかったが短くはない距離を歩いていた。
しかし、廊下では誰ともすれ違うことなく、目的の部屋であるルードヴィヒの寝室まで到着した。
「誰もここに通すなと言っていたはずだが」
初めに通された部屋と同じように、品良く紺と白で統一された寝室には、更に不機嫌なルードヴィヒがいた。
「何をやせ我慢しておられるのですか。
殿下にはサラさんから魔力をもらって、心身ともにしっかりとお休みいただきたいのです」
後ろで青い顔をしているサラをよそに、ルードヴィヒの機嫌の悪さを意にも介さないフェリクスは、さっさと椅子の準備をしていた。
「一晩くらい眠らずとも変わらない」
「サラさんが心配なのはわかりますけど、今は殿下以上に具合の悪い人は、おりませんよ」
「フェリクスっ!」
「では、準備ができましたので後はサラさんよろしくお願いしますね」
「は、はい」
フェリクスはそう言うとさっさと下がり、側に控えているもののこれ以上会話を続ける様子はない。
目の前の不機嫌なルードヴィヒは、さながら魔王のようで恐ろしい。
だが、サラもここにきたのは殿下に休んでもらうためだと腹をくくる。
「ルードヴィヒ殿下、始めてもよろしいのでしょうか?」
不機嫌なルードヴィヒを前に、声が震えてしまったのは見逃してもらいたいところだ。
「…あぁ」
「お手を失礼します」
ルードヴィヒの返事を待ってから、椅子に座りその手をとった。