2
今、サラは王都の大通りを馬に乗って駆けている。
先日店を訪れたフェリクスの操る馬に2人で乗って王城へと向かっている。
ーーどうしてこうなったのかしらーー
あの男2人が店に来たのはもう1週間も前のことになる。
男の運命を視たサラは、やはり翌日は寝込んでしまった。
一日ベッドで過ごせば体も回復し、次の日にはもういつも通り店を開け、魔法薬を売りつつ占いをして過ごした。
そうして1週間が過ぎたある日の朝、思いもよらないことが起きた。
まだ深夜と言っていい時間にお客はやって来た。
一階は店、二階は住居になっている小さな家はサラが先代の魔術師から受け継いだもので、入り口の扉を叩く音で目が覚めた。
「こんな時間にどうしたのかしら?」
急な怪我や病気で薬が必要になることもあり、とんでもない時間にお客が来ることも偶にある。
だからサラもこの時間に人が訪ねて来ても何ら不思議には思わない。
さっと簡単に身なりを整え、ローブを身に纏い店の入り口へと降りていった。
「魔女のサラ・アルトナー殿の御宅でしょうか?」
「ええ、そうよ。どの薬が必要かしら?」
この時間にくると言うことは急患の可能性が高いだろう。
サラは効果の高い薬を確認しながら、扉の小窓を開け返事をすれば予想もしない言葉が返って来た。
「王太子殿下の遣いのものです。殿下からの文をお持ちしております」
「はっ?」
ーー王太子殿下?ーー
サラは聞き間違えではないかと思い、薬棚から小窓へ顔を向けた。
小窓の先には先日店に来た茶髪の男、フェリクスが手紙を持って立っていた。
「あの、どなたかとお間違えではありませんか?」
「いいえ。サラ・アルトナーさん、貴女に、です。
こちらをご確認ください」
女性の一人暮らしに朝早い時間から押しかけていることもあり、小窓越しの対応でも気にしていないフェリクスは、王太子の印の入った手紙を見せた。
サラは信じられないと言わんばかりに目をまん丸にして、フェリクスと手紙を交互に見て固まってしまった。
「とりあえず受け取っていただけますか?」
困ったようにフェリクスに言われ、慌てて店の扉を開けた。
「お待たせしてしまい申し訳ありません!」
サラは頭を勢いよく下げて謝り、慌てて手紙を受け取った。
モルドレイク国のルードヴィヒ王太子殿下と言えば、武芸に秀で、知性に優れ、黄金の髪に宝石のような紫の瞳の見目麗しい人物だ。
即位すれば、歴代類を見ない賢王になるだろうと言われていた。
そう、言われていたのだが。ある時期を境に、公務にも夜会にも出ることなく、表舞台に姿を見せることがなくなった。
噂では、病に臥せっているとか、女に溺れてしまったとか、お忍びで遊学されたとか、はたまた悪い魔法使いによってカエルに変えられたなど様々なことが囁かれているが何1つ公式な発表はされていない。
そんな幻のような王太子殿下から手紙が届いた。
そもそも、王族との接点など何1つないサラに、王太子殿下から手紙が届くこと自体ありえないのだ。
しかし、手の中に手紙が握られている。
ゴクリと唾をのみこみ、意を決して手紙を開いた。その時サラの手が震えてしまったのは朝の寒さだけではないだろう。
静かにフェリクスが見守る中、手紙を読み終えたサラの顔は引きつっていた。
「これは召喚状、ですか?」
理由など一切書かれていない手紙にサラの頭の中はなぜ?で埋め尽くされる。
ーーなぜ王太子殿下直々に、私のようなものをお召しになるのでしょう?ーー
「お聞きになりますか?」
サラの言いたかったことが顔に表れていたのだろう、フェリクスはにこやかに聞いたが、慌てて首を振った。
理由もわからず巻き込まれるのも嫌だが、理由を聞いて逃げられなくなるのは、もっと嫌だからサラは口をつぐんだ。
「殿下がお待ちですから、すぐに出発しますので支度をお願いいたします」
「…わかりました。でも王族の方への作法もわかりませんし、お会いできるような服も持っていませんよ?」
「大丈夫です。殿下の私的な用事ですから心配いりません」
「そう、なんですね…」
拒否権はない。
何もわからぬまま、サラは支度をし、そのままフェリクスの乗って来た馬に2人で乗ることになり、冒頭へと戻る。
「馬に乗って駆けるのは気持ちがいいですね」
フェリクスはサラに声をかけるが、乗り慣れない馬に長い時間乗り続け、緊張と疲れと恐怖で返事をすることもままならない。
サラは異性とこんなに密着することも初めてなら、こんなスピードの馬に乗ったことも初めてだ。
「さあ、殿下をお待たせしてはいけませんから、もう少しスピードをあげましょうか」
ーー勘弁してください!ーー
サラは心では大声で叫んでいるが、喋れば舌を噛みそうになるため、何も言えていない。
ピシリと身体を強張らせ意識の遠のきそうになるサラを気にすることなく、フェリクスはそのまま王城まで駆けて行った。
容赦無くスピードを上げたフェリクスによって、サラは乗り慣れない馬の上で器用に意識を飛ばし、途中から記憶がない。
気がつけば城に着いていたのだが、今の状況がわからない。
「おや、気がつかれましたか?」
にこやかに言うフェリクスの顔と絵画の描かれた素晴らしい天井が見える。
いわゆるお姫様抱っこをフェリクスにされて、サラは今現在運ばれている。
「ど、どうしてこのようなっ」
「馬からおろそうとしたら気を失われていたので、そのまま運んでいるまでですよ」
「もっ、申し訳ありません、もう大丈夫ですので降ろしてください」
「お疲れのようですので、そのままで」
顔を真っ赤にしてアタフタしていたが、降ろす気の無いフェリクスの腕の中で、最終的に縮こまっていた。
確かに乗り慣れない馬に乗って疲れているし、そのせいで足はガクガクしているから運んでもらえているのはありがたい。
でも、ここはお城でただの平民であるサラが、お姫様抱っこで王太子殿下の遣いの男性に運ばれているのは、どう大目に見てもおかしい。
居た堪れない気持ちでいっぱいだが、他の人の目がないことだけは救いだった。
フェリクスはそんなサラをよそに、どんどんと廊下を進み、1つの大きな扉の前までくると漸くサラを降ろした。
「こちらが殿下のお部屋です」
いきなり身も知らずの相手を私室と思われる場所に、案内するとは思っていなかったからサラは大いに慌てた。
歩いている人がいなかったのは王族の居住区だったからかと、分かりたくなかったことも同時に理解してしまった。
「ルードヴィヒ殿下、フェリクスです。
例の方をお連れいたしました」
「入れ」
なんの覚悟もできていないサラをよそに、フェリクスが許可を取り、大きな扉を開けてしまった。
フェリクスは部屋に入るようにすすめ、サラは1つ呼吸をすると意を決して部屋に足を踏み入れた。
ドキドキと高鳴る胸を押さえて、ゆっくりと部屋の中に入る。
部屋の中は紺と白で統一され、調度品の数々はサラが見たこともないほど洗練されていた。
部屋の中央にある猫足の優雅で大きなソファには、この部屋の主人である見目麗しい王太子殿下が…
いない。
噂に聞く麗しい王太子殿下はいない。
いたのは、先日店に来ていた殺気立った金髪の男で、更には不機嫌そうに頬杖をついてこちらを睨んでいた。