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よろしくお願いします。
「なんのことだ?」
「やだぁ、あんなに側に寄り添って熱心に話を聞いていたら、見る人によっては勘違いされちゃうわよぅ」
本に埋もれていた猫は、そのしなやかな体で本の山から抜け出し、さっと長椅子に飛び乗り顔を手で拭いていた。
先ほどのことを第三者に客観的に言われ、ルードヴィヒも思い返すが、特別何かをしたつもりはない。
「無自覚タラシっていやぁねぇ」
「それよりなんでお前がここにいる」
「ちょっとちょっとぉ〜、八つ当たり?
そんな言い方ないんじゃない?
初めからアタシはお仕事でここにいたのよぅ!
いくらお邪魔虫だからって、邪険にしないでちょうだいな。
それに、後から入ってきたのはそっちじゃないのよぅ、もう失礼しちゃうわ」
無自覚タラシが嫌だったのか、ルードヴィヒはついきつい言い方をしてしまったが、それ以上に白い猫の方が言い返していた。
この猫は一を聞けば十以上の返事をよこすようだ。
平然と猫と会話をしているルードヴィヒの側で、サラは初めて見る喋る猫に目が釘付けだ。
「猫が喋ってる…」
この国に喋る動物がいるなど聞いたことがないから、この猫は誰かの使い魔か、はたまた魔物のどちらかなのだろう。
なんにせよルードヴィヒと軽口を言える時点で、猫といえど親しい間柄なのだろう。
驚きで思わず呟いた言葉だったが、猫はしっかりと聞いていたようで、サラを見ると首をことりとかしげ長椅子からさっと下り、床に座っているサラの目の前までやってきた。
「まぁ、可愛いお嬢さん。初めまして。アタシは猫のクリスティーナよ」
「初めまして、サラです」
「おいっ、」
「2人の話を立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど、ごめんなさいね」
サラの膝に前足を乗せて、挨拶をしてくれた愛らしい猫が、優しく微笑んでくれたような気がしてサラもふわりと微笑んだ。
「いえ、こちらこそお仕事をされていたのにお邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「礼儀正しい子は嫌いじゃないわ。
いいのよぅ、調べ物は大方終わっているし、ちょーっとばかり休憩していただけよぅ」
頭を下げるサラに、そう言って腕に擦り寄る猫ークリスティーナーはなんと可愛らしいことか。
可愛い余り、サラがそっと手を伸ばして撫でると、気持ちよさそうに大人しく撫でられていた。
やはり、ありのままを見ても怯えられないのはなんといいことか。
この際、使い魔だろうが、魔物だろうが関係ない。クリスティーナとの触れ合いは、サラの心を和ませた。
先ほどまで自分のことでいっぱいいっぱいだったサラは、クリスティーナを撫でたおかげで落ち着くことができた。動物の癒し効果は絶大だ。
そこで改めて周りを見回すと、この部屋には所狭しと魔術に関する本が並んでおり、まるで図書館か何かのようだった。
「あの、このお部屋は?」
「ん〜、ここはアタシの3つある資料室のひとつよ。
いつもは研究室にいるわねぇ」
「クリスティーナさんは、優秀な魔術師なんですね」
「あら、なかなか見所がありそうな子じゃな〜い!
この姿をしていると、大体使い魔か魔物だと思われちゃってまず誰にもそんなこと言われないのよぅ。アナタよく人を見ているのねぇ」
「そんな事を言うなら、その姿をやめればすむ。
おまけにこんな場所にある資料室など、まず部下たちは探しに来れないだろうに」
いつものことなのか、ルードヴィヒは呆れ顔で言うが、クリスティーナはどこ吹く風だ。
「アタシ自慢の研究室にも招待しちゃおうかしらぁ。
丁度助手も欲しかったところだしぃ、サラちゃんも魔力の底上げしたいんでしょう?」
「ふふ、クリスティーナさんの助手にしてもらえたら幸せですね」
クリスティーナはルードヴィヒの言葉を聞かなかったことにして、嬉しそうにサラの肩に飛びのった。
そして、ゴロゴロと機嫌が良さそうに鳴いた。
事実、クリスティーナが言った通りはじめはサラもそう思っていたが、本人にわざわざ告げることもないだろうと、曖昧に笑みを浮かべるにとどめる。
「アナタ随分泣いたのね、かわいそうに」
クリスティーナはサラの顔に鼻を近づけてそう言うと、少し腫れてしまったサラの目元をざらりとした舌でペロリと舐めた。
ざらりとした舌は、腫れた目元には少しピリリとした。
次の瞬間には温かさに包まれ、腫れがすっとひいていった。
「癒しの魔術を無詠唱で使えるなんてすごいです!
クリスティーナさん、ありがとうございます」
驚きつつも素直な感想を言うサラの横で、クリスティーナはお安い御用よとわらってくれた。
それを見てサラは心に暖かな光が灯った気がした。
隣では先程から何かを思案していたルードヴィヒが、口を開いた。
「クリスティアン、本当にサラを助手にするつもりがあるのか?」
「もちろん本気よぅ。
サラちゃんのことは気に入ったしぃ、魔力の底上げも必要なんでしょう?」
「あぁ、サラの魔力はすぐ枯渇するし俺もそれでは困るからな」
「それにさっきの話を聞く限りいくら殿下がいいと言っても、フェリクスはいい顔をしないんじゃないかしらぁ。
それなら、監視も含めてアタシが預かってあげることにすれば問題ないでしょう。
これならフェリクスも納得いくでしょう?」
サラ抜きで2人で話を進めていく姿に、前にも同じことがあったなぁなんて悠長に思ってしまったがこれはしっかりと確認をした方がいいだろうと口を挟んだ。
「あの、本当に、クリスティーナさんの助手にしていただけるんですか?」
「そうだな、俺の侍女をするよりもこちらの方がメリットが大きいな」
「じゃあ決まりねぇ。今日からよろしくねぇ」
「ありがとうございます!よろしくお願いします」
サラは嬉しそうにクリスティーナをぎゅっと抱きしめた。
それを見てルードヴィヒはため息を一つ付き、付け加えるように言った。
「サラ、お前がぎゅうぎゅう抱きしめているそいつだが、クリスティーナではなくクリスティアンだ」
「へ?」
間抜けな返事をしたサラの目の前が突然暗くなり、温かい何かに包まれた。
「改めてよろしくね、殿下のおやすみ係のサラちゃん」
その手に抱いていた猫のクリスティーナはすでになく、その代わりに白銀の髪の美丈夫がサラを抱きしめていた。